東京電力福島第一原発の事故を受けて避難指示が続く3種類の区域のうち、放射線量が最も高い帰還困難区域について、政府が復興への方針を示した。

 この区域を抱える7市町村で、地元の計画をもとに国が「復興拠点」を認定する。そこで除染や公共施設の整備を集中的に行い、地域再生への突破口とする。そんな内容である。

 ただ、住民が実際に住めるメドは、拠点を決めてから5年後だ。関連法の整備や予算確保を考えると、原発事故から11年後の2022年度が目安という。

 放射線量が比較的低い避難指示解除準備区域や居住制限区域は順次解除されてきたが、住民が思うように戻っていない。特に若者や子育て中の家庭で、新たな地で再出発する人が多い。

 福島第一原発が立地し、町民の住宅の大半が帰還困難区域にある大熊町は、1年前に意向調査をした。「戻りたい」11%に対して「戻らない」は63%。一方で6割が「大熊町とのつながりを保ちたい」と答えた。

 現実を見ると、住み慣れた自宅を離れるしかない。でも、ふるさとを捨てたくはない。

 「戻りたい」人の比率は自治体ごとに差があるが、被災した住民の、複雑でやるせない心境は同じだろう。国策として進められた原発がもたらした事故の、過酷さと罪深さを思わずにはいられない。

 政府の決定を前に、7市町村と福島県は自民、公明両党に要望書を出し、長い年月をかけても帰還困難区域に出ているすべての避難指示を解除することを求めた。政府の方針も、要望に応える「決意」を示した。

 ただ、その道筋はおよそ見通せないのが実情だ。

 まずは復興拠点の具体的な姿を描くことだ。住民のさまざまな思いに応えながら、規模は限られても街として成り立つ拠点をつくっていけるかどうか。

 国が向き合うのは、被災者とその自治体だけではない。

 復興拠点でのインフラ整備には税金を投入する。除染費用は国が立て替えた後で東電に請求する仕組みだが、電気料金にはね返るのを防ごうと、東電の実質国有化で国側が持つ東電株の売却収入を充てることが決まっている。他の政策にも使える貴重な収入だけに、これも一種の国民負担と言えるだろう。

 除染の効果や被災住民の動向などを常に見すえながら、事業を段階的に積み上げ、計画は柔軟に見直す。被災地の思いを受け止めつつ国民が応援できる取り組みとするために、欠かせない視点である。