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【予告編】君の背中に翼はあるか 作者:黒川杞閖
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忘却の階段②

「ミツロウ」
 気を紛らわすかのように、イツキは彼の名前を呼んだ。
「登録変更可能なのって、いつまで?」
 ごめん、今は乗り気にはなれない。代わりを捜して、その人の名前で登録変更をしてくれないか。イツキは彼に、そんな返事をしようと思っていた。だが――。
「イツキ……」
 イツキははっとして口元を押さえた。が、時はすでに遅し。彼の目の前では、親友が今にも泣き出さんばかりに、目に涙を浮かべている。彼は、自分を呪った。
「ありがとうイツキ、ありがとう……とびきりダサいユニット名、一緒に考えような……!」
「……」
 違う、そうじゃない。そっちじゃないんだ! イツキは、ミツロウの反応を見て確信した。こいつは、よりにもよって自分の意図とは真逆の解釈をしていやがる。イツキの顔から血の気が引く。彼はミツロウの両肩をひっ掴み、相手の肩をがくがくと揺らしつつ自分の首を左右に激しく振るが――その反応の意味を知ってか知らずか、ミツロウはぼろぼろと涙をこぼしていた。
「ありがとう、ありがとう……!」
「ああ、だから……だから……!」
 ミツロウは、もはや完全に「やる気」である。
 もう、後には引けないというやつだ。
 イツキは覚悟を決めるように、ため息をひとつついた。そしてミツロウの頭を一発だけ小突くと、彼に背を向けた。
「・・・・・登録が変更できなくなるその日までは出場するつもりで練習もする。ただ、その日になってもまだ迷うようなら、出場登録を取り消す。もちろんミツロウも一緒だ。僕を無理矢理巻き込むんだから、当然それくらいのリスクは負ってもらう」
 これも、ミツロウの計算だろうか。自分を追い込むために下手な芝居でも打っているというのか。イツキはそんなことを思いながら、ゆっくりと歩き出した。
「……期待は、するなよ」
「イツキ……」
 コンクリートで舗装された通路と、イツキの踵がぶつかって鋭く鳴る。徐々に歩みを速めていくイツキに、ミツロウは慌てて追いすがった。心なしか、その足取りは跳ねているかのように軽かった。
 ふたりはそのまま木陰を抜けて、大学の敷地の端――いつもの練習場所へと歩いていくのだった。
「ねーねーイツキちゃんイツキちゃん」
「何だよ気持ち悪いな……」
「何歌う? 何歌ってくれる? 俺っちのために何歌ってくれるの?」
「ああもう、本当に気持ち悪いな! はしゃぎすぎだよ! それにミツロウのためじゃないってば!」
 彼らはやんややんやと騒ぎながら、大学を出ようとする学生たちの流れに逆らって、広い敷地を奥へ奥へと進んでいった。
 楊柳大学――彼らの通うそこは、丘陵の上の森をそのまま切り開いた、広い敷地を持つ大きな大学だった。その成り立ちゆえに、敷地の中には人為的に木が植えられているというよりは、森をそのまま切り崩して建物や道路を敷いたようなつくりになっている。特に、ミツロウの属する工学部の建物がある理系地区はそれが顕著で、奥に進めば進むほど人工的な構造物は減り、やがてはジャングルとあだ名され、数々の伝説が残る原生林にたどり着くという、とんでもない特徴を持っていた。それと比較すると文系地区はかなり「開拓」されており、森の名残はほとんど見られない。経済学部生のイツキは、こちら側の住人だった。
 そんな大学のうち、彼ら弾き語り同好会が練習場所として使っているのは文系地区側の果て、多目的会館と呼ばれる共通棟の手前広場だった。多目的会館は一部のサークルが活動の場としている場所だが、建物が老朽化しているためあまり人気がない。特に最近、少し離れたところに新館が出来てしまったものだから、その傾向はいっそう明らかだった。
 今日も、多目的会館側から新館に流れていく学生たちは見られるものの、その逆はごく少なかった。イツキたちにとっては、好都合なのだが。
「……そのうち、ちゃんと場所借りて練習しないとだよね」
 サークル活動のために新館に向かうであろう学生たちを尻目に、イツキはぼやく。
「ん? ああ、そうだな。まあ、非公認サークルとはいえ、ここの学生である俺たちが部屋を借りることには、本当は何も問題ないんだけど」
 ミツロウは、ベースの用意をしながら素っ気なく応じた。
 弾き語り同好会は、イツキとミツロウのみが所属する大学非公認サークルだ。非公認というと聞こえは悪いが、広い大学の中には同じようなサークルが山のようにある。非公認であっても練習場所の確保には困らないし、公認団体であるがゆえのしがらみもあることから、少人数であれば身軽な非公認サークルを選ぶという団体も多かった。彼ら弾き語り同好会もまた、友人ふたりでの活動を前提としていることから、あえて公認を得ずに今の規模で活動すれば十分だと考えている。
 すなわち、イツキとミツロウが卒業すれば消えてしまうサークルなのだ。
「問題ないんだけどって、何?」
「ん、あーあー」
 ミツロウはベースを構え、会館前のいつものベンチに腰掛ける。古く、青い塗装のところどころが剥がれたベンチは、ミツロウの体重でみしりと音を立てる。比較的痩せているはずの彼だが、このベンチにとっては十分に重たいらしい。彼はペグを捻って音合わせをしながら、にやりと口角を吊り上げた。
「だって、外で歌った方が宣伝になるじゃん? ステージの練習にもなるしさ」
「はあ……」
 イツキはそんな親友に向き合いながら、呆れたように背後を振り返った。西日差す会館前、人はまばらもいいところ。こんなところで歌ったって、とても宣伝にはなりそうにない。
「そんなこと言って、ミツロウが場所取りを面倒くさがってるだけだろ……」
「まあ、そうとも言うな」
 からからと笑うミツロウに、イツキはそれ以上何も言わなかった。何故なら、こういうのがミツロウなのだから――それはすなわち、言っても無駄だというだけのことだ。
 ミツロウは昔から強引で、頑固なところのあるイツキのペースを乱しては、いつの間にか自分の思い通りにさせていた。今回だって、きっと自分は逆らえないのだとイツキは思っている。ミツロウにほとんど間違いはないし、実際に楽しいのだが――イツキは、不思議と胸を刺されるような不安を感じていた。
 だから。
「ねえミツロウ、そういえば……昨日の晩、変な夢を見たんだ」
「は? 夢?」
 だからイツキは、気を紛らわせようとこの話をする。
「そう。夢。何か、大勢の人が階段昇ってる夢でさ。みんなのっぺらぼうなの」
「うっわ、気持ちわりい。いかにも夢って感じの不気味さだな」
 それは、取り留めのない世間話だった。そこに意味などないくらいの。
「だろ? でも、ひとりだけきれいな女の人が混ざっていたんだ。その人だけが階段を下っていて」
「おお、美女! いいねえ。それで?」
 だから、この話に落ちはいらない。意味もない。ただ、漠然とした不安を取り払えれば、イツキはそれでよかった。
「それで――そこでおしまい。美女とは何にもなし」
「何だよ、つまんねえ」
「夢なんてそんなもんだろ。ただ、僕の見間違いじゃなければ、あの人は……まあ、いいか」
 ほんのわずかの間、現実から目をそらすことができたイツキは、適当なところで話を打ち切った。所詮、夢の話だ。ミツロウもさすがに、それ以上の追求はしてこなかった。
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