初めて診た救急患者を覚えていますか? ――自分にドキドキ、患者にドキドキ。
皆さんが初めて診た救急患者の話なんて面白そうだなと思ったので教えてください。
ウィスコンシン州のある医師:
私の最初の患者はM1(日本での医学部3年)のときで、のどの痛みで来た22歳のすごい美人だった。このときは本当に何を調べればいいかとかどこを見たらいいか全然わからなかったから、きっとすごく頭が悪いと思ったはず。でも、あの時はかっこいい短い白衣をきていたなー。
研修医になって最初の患者は、50代男性のエイズ、CHF(うっ血性心不全)、COPD(慢性閉鎖性肺疾患)ESRD(腎不全末期)で透析ありの患者で、救外でリザーバーマスクをしていた。つまり呼吸困難。患者の首を見たら、すごく大きな気管切開があってほっとしたよ。
フロリダ州の医師:
はっはっは、そう確かに短い白衣はとても“かっこいい”。特にまだ何にもわかっていない頃は。
ラスベガスの医師:
インターンに短い白衣を着せる病院もあるよ。
カナダの医師:
僕の最初は振り返ってみればかなり退屈だったけど、その時はすごくあせったな。狭心症の既往歴がある60代の胸痛の女性で、ニトロを2回スプレーしたら痛みが治まったんだ。
でもその時は、経験が全くなかったから「どうしよう、患者が死んじゃう!!!」って思ったよ。
ある医師1:
救外インターンの時の私の初めての患者は、腹痛で来たんだけど、2人目の患者を診ているすきに、点滴を抜いて逃亡したの。後で先輩に、新人には手ごわい相手だったな、っていわれたわ。
ある医師2:
誰がなんで逃げたの?
ある医師1:
さあ。点滴と検査結果を持って逃げたの。あとには、生理食塩水の水たまりが残ってたわ。
ある医学生1:
救急車に乗った初めての日は、すごく大変でした。シフトが始まって2分後に、最初の呼び出しがありました。それは、睡眠中に死亡した女性でした。
2度目の呼び出し(記録上では、私が診た最初の患者)は、3機のヘリコプター、5台の救急車、3台の消防車が出動した事故でした。私の患者はすねをパックリ切っていて(解剖されたみたいに )、足首がつぶれてテニスシューズにいっぱいの血があふれていました。彼はしっかりしていたけど、事故であちこちに散らばった体を集める光景がショックなようでした。
結局、運転中に携帯電話をした女性が原因で、1人が亡くなり、1人が体に麻痺が残り、1人が骨盤骨折。私の患者は自分の足で歩けない体になり、もう1人は無傷でした。
その女性はシートベルトをしないで郊外から食事に行く途中でした。
なんとその女性が無傷で、亡くなったのは私の患者の友人でした。
ある研修医1:
私が採血をしていた時の最初の患者は、血管がどこにあるかわからない超太った男だったよ。1人立ちした最初の患者だったから、誰かに助けを求めるのが嫌で、すましたふりをしていたんだ(ほんとはやっちゃいけないよね)。
とにかく、血管の通っていそうな場所に当たるように願いながら針を刺した。何とか採血ができたんでうれしかったけど、普通のことだと思ったので、採血しましたって言ったら、「何年もここで採血してるけど、あんな太った男に一発で血管を当てるなんてラッキーなことは、私には今までなかったわ。」と言われておかしかった。
ある研修医2:
僕の救急外来の最初の患者は(あーもう数か月前なんだなー)、何か叫びながらやって来た酔っぱらったホームレスだった。問診をしようとしたけどすぐに無駄なことに気付いて、救急隊員にいくつか質問をしてから、ホームレスに大声を出してじっとするように言ったんだ。
ちょっとおとなしくなったから、体を調べようとしたら、そいつが腕を振り回し始めちゃってそれが見事に僕の顔に当たったんだ。ほんとプライドが傷ついて腹がったった 😈 。ハルドールとアチバンを投与して、手首を拘束してやったよ。
よく見たら、顔と頭部はたくさんの打ち身だらけ。顔はぐじゃぐじゃで、首や肋骨も折れているようで、手首は腫れ上がっていた。
結局、硬膜下出血、頭がい骨骨折、頚椎骨折、上顎骨折、左眼窩骨折、篩骨骨折、肋骨2本骨折、右肺気胸、手首骨折、胸部x線で結核であることがわかり、フォーレの時に包茎も見つかったから、この1人の外傷で、神経外科、口腔、整形、外科、内科、泌尿器科に連絡しなくちゃいけなかった。
患者は安定していたから、担当の僕が包茎に切り込みを入れ、チェストチューブを入れ、気管挿管し、セントラルラインを入れたんだ。すべて頚椎骨折と結核に気を付けながらね。
もう僕には怖いものなし!って感じだったよ。
その後、彼は元気に回復して退院したんだ。ところが、最近虫垂炎になってまた来たんだ! そして、また僕が彼を診ることになっちゃったんだよ! 信じられない!