2016年08月05日
ルーミー愛の詩(想い人は「わたし」)
ルーミー(1207年9月30日~1273年12月17日)は、ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人であり、「愛の旅人」とも呼ばれています。
想い人は「わたし」
ある男が、愛しい想い人の住まう館の扉を叩く。
「どなた?」想い人が尋ねる。
「私です」男は答える。
「お帰りになって」想い人はつれなく言い放つ、
「お若い御方。わたくしの食卓には、生もののためのお皿はないわ」
生の肉であれば、火に炙って調理するのがよい。
未熟な者であれば、愛しい想い人の不在が燃やす恋の炎に炙るのがよい。
それ以外に、彼を独りよがりの偽善から救い出す手だてはない。
男は、やって来た路を悲しげに去って行く。
それから一年、悲しい別離の炎に炙られ続けた男は、
流浪の果てに、再び愛しい想い人の住まう館のあたりまで戻って来る。
彼は恐れる、不躾な言葉の一片でもその唇からこぼれ落ちはしまいかと。
恐れつつも溢れんばかりの敬慕を胸に、愛しい想い人の住まう館の扉を叩く。
「どなた?」想い人が尋ねる。
「あなたです」男は答える、「心の全てを占めるあなたです」。
「それならば」想い人は言う、
「お入りになって、あなたがわたくしならば。
この家に、『わたし』は二人も入れない。
糸の筋目には両端あれど、針の穴はひとつだけ。
一筋に縒られた糸であれば、針の穴にも通りましょう」
苦心の末に針の穴に通された糸、これこそがまさにそれ。
針の穴からは駱駝の姿は見通せぬ。
こうして男は、恋の想いを成就させる。
禁欲のはさみで切り刻めば、駱駝であっても針の穴を通ろう。
しかしそれには、神の御手が必要となろう、
全ての不可能を可能とし、存在せぬものを在らしめる神の御手が。
「主は日々あらたなるみわざをなしたもう」と、書物にもある通り。
神が何も為さぬと思うな、無に為さると思うな。
神は日々、少なくとも三つのみわざ、三つの軍勢を送り届ける。
軍勢のひとつは父の脇腹から母の脇腹へ、みどりごを子宮に宿さんがため。
軍勢のひとつは子宮から大地へ、男と女とで世界を満たさんがため。
軍勢のひとつは大地から死を越えたその先へ、
愛し合い慈しみ合うことの美しさに、誰しもが目覚めんがため。
Posted by 氣の泉 at 16:03
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