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格差や差別を無視するときにやりがちな言動

エッセイ的なもの 思うこと web日記

最近Twitterアイヌ問題に関する議論を眺めている。わたしのタイムラインはフェミニズムや性的マイノリティに関する話題が多く、それらに関する議論がよく起きる。自閉症ADHDに関する話題もある。これらとアイヌ問題はまったく違う。しかしアイヌに対して攻撃的な差別発言をする人、誤解にもとづくデマを広める人たちは、日ごろわたしが目にする議論でみる攻撃的な差別発言とそっくりだ。底辺差別、貧困叩きもそうだった。

 

つまり問題が何であっても、マジョリティ側にいる、あるいは強者の立場で利得をえている人が、マイノリティや弱者に言うことはどれも似ているということだ。「臨死!江古田ちゃん」にあるあるネタがたくさんあったので、いくつか紹介したい。

 

差別の存在を無視し、矮小化する

・かつてはあったが現在そのような差別はない(当時よりましなら差別とはいえない)

・他国や過去と比べれば日本は理解がある(現状程度なら容認すべきだ)

・自分は見たことがない(だから差別があるという話はねつ造か思い込みだ)

 

これらの言い分には「だから金銭的に補償したり、制度を変えたり、ハンディを補う仕組みを作る必要はない」という結論に続く。

 

格差や不平等の原因を被差別者側の問題にすりかえる

・差別的な扱いを受けるのは態度が悪かったからだ(自己責任)

・結果が出せないのは能力が低いからだ(劣っている)

・同じ属性を持つ人でも優遇されている人はいる(努力が足りない)

 

これらは格差や差別が存在しないことが前提の発想で、やはりマジョリティ、強者側は理解も支援もする必要はないという結論に続く。

 

同情や好意を理解とはき違える

・自分はその属性を持つ人に好感を持っている(だから差別者ではない)

・自分にはその属性を持つ友人、知人がいる(だから理解者である)

・自分はその属性を持つ人の苦労に同情する(だから支援者である)

 

差別や格差の被害者はマジョリティや強者に現実の問題を理解される必要があるけれど、愛され、好感を持ってもらう必要はない。*1人は対等な人間として敬意と尊重をうけていれば人気取りをせずとも攻撃されることはないからだ。犬猫に絶大な愛情を抱く人が犬猫に人と同じ権利を求めるかといえばそうではない。好かれるということと対等であるということは違う。

「弱者やマイノリティにはやさしくしなければならない」という勘違い

 

理想の弱者であることを要求する

*2

・支援が必要なら我々が望む生き方をすべき(選り好み)

・素行が悪い、言動がキモイ、生活習慣が異質だから支援しない(選り好み)

・期待を裏切られたから支援はやめる(選り好み)

 

これらはすべて差別と格差の構造を解消することではなく、感情的な理由から個人的な支援をすることを目的としている。推しメンのCDを買い、好みの役者におひねりを投げる感覚。パトロン気分で私生活に口出ししたがるようになる。こうなった人は相手を自由意思を持つ対等な人間とはみなさなくなり、差別の構造は深まる。

 

事実を歪曲、ねつ造する

・現実に歴史的な事実を文献なしに否定する

・裏付けをとらずにデマを拡散し、指摘されると相手に証拠を出せと言い募る

・証拠が出され、証人があらわれると、詭弁を弄し、人格攻撃をはじめる

 

こうした人は必ずといっていいほど差別や格差の存在を指摘する人に対して「おまえは利害目的で事実を歪曲、ねつ造している」という。自分は不正を見過ごすわけにいかないので意見しているのだ、間違っているのはそっちだ、こっちが間違っているなら証拠を出せ。しかし証拠が出されてもまずそれを認めることはない。

 

 マジョリティ、あるいは強者の感情的配慮を優先するよう要求する

・差別者だといわれた自分こそ被害者だ。おまえはレイシストだ(逆切れ)

・自分だって満足のいく人生を送っていない。自分を救え(見当違い)

・攻撃的な言い方をやめろ。自分を否定するな。理解を示せ(右の頬の次は左の頬を)

 

Twitterではフォロワーが多い人に絡んでリツイートされると被害者ぶる人がいるけれど、こういう人は自分は人を傷つけるようなことを平気でいうのに相手から反論、反撃されるとここぞとばかりに被害を訴える。また大勢から反論、反撃されると意図的な組織がそこにあるかのように「徒党を組む」という。

 

レイシストであるとは現状維持で十分だと主張すること

レイシストは卑劣で悪辣で邪悪で低能で品性下劣だ」と思っていると差別を指摘されたとき耐えられない。実際にはマジョリティ側、強者側にいる人はなんらマイノリティや弱者に悪意を持っていない。差別をする、格差を無視するのは弱者であっても強者であっても無知で鈍感で社会適応力が高い人、つまり「このままでいい」と思っている人だ。

 

「このままでいい」と思っている人にとって、差別や格差を指摘する人は「うるさくて頭がおかしく理屈っぽい連中」だから煙たがられる。「もっとこのままを強化したい」と思っている人にとっては「劣っている存在なのに私利私欲で利権を求め社会秩序を崩壊させる危険分子」なので放置するのは有害ということになる。

 

リンカーンはうるさくて頭がおかしくて理屈っぽく、国益を損ない社会秩序を崩壊させる危険分子だと思われたことだろう。しかしどう思われるとしても現状の暮らしでは生きる権利を侵害されつづけるしかない人がいる。

 

かつてわたしはアイヌ差別撤廃を叫ぶデモをまとめサイトで目にしたとき「在日朝鮮人差別に乗っかって利権目的でありもしない差別をねつ造しようとしているプロ市民」というコメントを読んで「そうなのか」とあっさり納得してしまった。アイヌの歴史を何も知らず、どちらかといえばアイヌ文化に好感をもってきたからだった。わたしにとってアイヌは自分と同じ生きた人間ではなく、歴史の中の妖精や仙人のような存在だった。妖精や仙人に固有の文化を存続させるための教育や居住地や雇用が必要だと考える頭がなかった。わたしは格差と差別を無視する側にいて、自分の好意を理解とはき違えていた。

 

自分は差別者ではないなんて安易に思うより、そういうことをやりかねない人間だと思って平素注意した方がずっといい。知らないことがたくさんある。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:もちろん悪意を持たれるよりずっといいけど。

*2:貧困叩きの話題でこの画像を出したところ、以前からつながりのあった作者の瀧波ユカリ先生から背景をうかがうことができた。江古田ちゃんはフィクションだけれど、これはもとになった話があり、「DSより仕送りを」といったのは同僚の日本人女性だったとのこと。リンダは生活のためではなく社会勉強のために来日していたのだけれど、同僚は「フィリピーナ=仕送り=無駄遣いはダメ!」と思った様子。リンダはなぜ自分のお金の使い方について指図をうけるのかのか困惑していたそう。