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ふにやんま ー 世界の小所低所からー

http://funiyanma.hatenablog.com/  

『1984年のUWF』 第15回 「海外UWF」

スポーツ 読書

『Number』7/28号  連載

『1984年のUWF』柳澤 健  第15回

タイトルは「海外UWF」 

あれ?第一次 UWFに海外支部なんてあったっけ?

といきなり首をかしげるタイトルでスタート。

あー「海外UWF」ね。

これが一発で分かる方は、UWFマニア検定でかなり上位に食い込めるでしょう。

私は勿論分かりませんでした。

この回の中核に繋がってしまうので、説明はしませんが。

ということで、タイトルと全然関係のない部分にばかり注目です。

今回も美味しかったですっ!ごっつあんです!

元リングス、K-1、修斗プランナーの若林太郎氏の談。

V1アームロック、V2アームロック、Vクロス・アームロック、ピロー・アームロック、テレフォン・アームロックといった技のネーミングも佐山さん。地味な関節技が、どんどんかっこいい技にブラッシュアップされていった。キャッチコピーを作る能力も優れていたんです。

マンガ家兼イラストレーターの中川カ~ル氏の談。前後は地の文。

 UWFの象徴ともいえるレガースは、佐山が考案したものだった。

「正確にはシューティング。レガースと呼ばれるもので、佐山さんがザ・タイガーの時に考案して着用したのが最初です(中略)

レガースは本革製で中身は厚めの発泡スチロール。本革を使うから、蹴ったときに大きな音が出る。(後略)」

いまやレガースは世界中のプロレスラーが着用し、世界各地の打撃系格闘技のジムでも使用されている。

筆者以外の語り部分終わり。以下、地の文です。

オープンフィンガー・グローブを考案したのも佐山だ。1977年10月に行われたアントニオ猪木とチャック・ウエップナーの異種格闘技戦で初めて使用され、(中略)現在では シューティング~修斗、PRIDE、UFCなどあらゆる総合格闘技のプロモーションで使用されている。

筆者が挙げる佐山の功績は、他にも色々あるんですよ。

日本のマスクマンの元祖だとか。

タイガマーマスクなくしては、ザ・グレート・サスケウルティモ・ドラゴン獣神サンダー・ライガーも存在しない。

それは確かです。確かですが、さすがにマスク職人の出現とか、マスク自体の商業化を佐山聡の功績に挙げるのはやり過ぎではないかと。

タイガーマスクのファイトスタイルへの讃辞ならば、いくらでも容認しますが。

新日本プロレスストロングスタイルとルチャ・リブレを巧みに組み合わせたタイガーマスクの "四次元殺法” が世界中のプロレスラーに強い影響を与えたことは、これまでの連載でも繰り返し触れた。

OK。どんどん、何度でも触れてください。

タイガーマスク出現からわずか3年後、佐山聡はスーパー・タイガーという「打投極の全局面で戦う夢の格闘家」という新たなるキャラクターを身に纏い、真剣勝負のプロレスを渇望していた先鋭的なプロレスファンを魅了していたのだ。

佐山聡こそ日本の格闘技文化の淵源であり、天才と呼ぶにふさわしい。

最後の一文、思わずフォントアップ&ボールド化してしまいました。

よかったなあ、佐山。

ようやく正当な評価を得たよ。

評価がオーソライズされているかどうかなんてどうでもいい。

誰が何と言おうと私の評価は変わりません。

佐山聡は天才レスラーです。

それもあらゆる点において。

 

佐山ファンとして十分満足したので、UWF入門生の各レスラー評を紹介。

先輩の下で死にもの狂いで逃げ回るのが新人の常ですが、道場でのスパーリングについて。

藤原さんはとにかくうまい。

前田さんとやるのは怖かった。壊されるんじゃないかという恐怖がありました。

高田さんはパワーにまかせた強引なレスリング。木戸(修)さん、山崎さんは優しい印象があります。

カール・ゴッチさんに稽古をつけていただいたこともありますが、とにかくえげつない。普通のスパーなのに、肋骨や脊髄をヒジで強く押してくる。亀になった僕のケツの穴に普通に指を入れてきたときには飛び上がりましたね。

巡業に出るようになると、佐山さんのキックをミットで受けました。

道場でキックが一番重いのは高田さん。ヒジが壊れると思ったほどです。

でも、佐山さんのキックは、初速というか、瞬間的なスピードが全然違う。

タックルにしても何にしても圧倒的に速い。天性のものでしょうね。

(星名治) 

高田のキックが重いというのは、確か船木も言っていた記憶が。

ローキックなんかバットで殴られ続けるような感じで、受けるのが嫌になると。

高田と言えば酒癖の悪さで有名ですが、関係ないですね。

最後に佐山の天才ぶりに触れるあたり、星名君も分かってきたようだね。ほれ、これで美味いものでも食べなさい。

といったタニマチ(と言っても企業タニマチ。綺麗に言えばスポンサー)の話が残り半分。

UWFのチャンコに牛肉はない。カネがないから、豚ばっかり食っていたんです(営業部長の上井文彦

そんなUWFがグアムキャンプを実現させ、常設のプロレス会場を都内に建設するという話が持ち上がるまでに状況が好転したのは何故か。

興味のあるかたは是非ご確認ください。

 

【その他のチェックポイント】

・1985年1月21日に三軒茶屋にスーパータイガージムをオープンさせた佐山は、道場でチャンコを ”藤原組” と一緒に食べることはなかった。

前田日明は素朴で温かい心の持ち主として描かれ始めた。フロントやレスラーから愛される存在として、上のように他のレスラーと距離を保つ佐山との対比が始まる予感。

・UWF史に残る 藤原喜明の「俺は友達の肩を折ってしまった」事件(知らない人はいませんよね)には実は裏があった。ここでは書かないけど。

 

 あと、1985年3月8日池上本願寺にUWFレスラー全員が参詣した際の記念写真が載っているのですが、このカラー写真がいいなあ。藤原も佐山も若っけー。

単行本になっても、こういう写真はちゃんと載るのかな?

 

以上 ふにやんま