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【新説】振り返れば、そこに探偵事務所 ~プロローグ~

作者:大本営
 プロローグ 学園都市エレン

 学園都市エレンが夕日に包まれる。
 血で染めるかのように朱色に染まる姿は禍々しいまでに美しい。煉瓦と石造りで構築された街並みには、夕焼けがよく映えるのも一因なのだろうか。
 いずれにしても日本では観ることのない風景といっていいだろう。
 その幻想的な風景美しさは、毎日のように眺めている筈のシンイチが思わず足を止めてしまうほど。
 もういいだろうと思い直すと、シンイチは再び歩きだす。
 すれ違うのは大量の人と馬。
 石畳に立ち並ぶ屋台の数々。
 屋台に並べられた野菜や果物。
 販売されている品物はどれもが不揃いだった。規格品ばかり陳列されたスーパーではまず見かけない品物ばかり。外見と味が比例しないのをシンイチが知ったのはいつからだろうか。
 どうでもよいことに思いを巡らせていたら、急にお腹が空いてきた。
 泣く子と空腹には勝てない。
 今日の夕飯は何にしようかと考えながら、シンイチは夕日を背にしながら家路へと急ぐ。いや、急ごうとしていたというのが正しいだろう。精神は家路へと急いでいるが、肉体は職場である学園の校門すら後にしていないのだから。
 全ては夕日を眺めている間に想像した虚構にすぎない。 
 シンイチは学園内に設けられた彼専用の部屋から一歩も外に出ていないのだから。
 大量の書籍と書類が波打つように積み重ねられた一室。一見すると無秩序に思えるかもしれないが一定の法則に従って整理整頓されている、シンイチ本人なら主張するだろう。その主張をにわかには信じ難いが、事実として必要な文書の取り出すのに苦労していない。誰かの足音の度に紙の山が崩壊し、津波のように部屋に広がっていく様はある種の現代アートと言えるだろう。
 他者には到底理解できないクリエイティブな創作物の観客は一組の男女。男女の視線が現代アートではなくシンイチを向いているのだから、観客とは呼べないか。
 彼等は机越しに座るシンイチに、熱心になにかを伝えようとしていた。
 そう、なにかなのだ。
 シンイチは彼等の話を全く聞いていなかった。内容について予想はする、でもそれだけ。まるで駄々をこねる子供のような態度。彼等の熱意は買うが、『おうちに帰りたい』というのがシンイチの偽らざる心境なのだ。
 窓越しに映る夕日に想像力を掻き立てられるのは、美しい風景だけに理由があるわけではなかった。

「――ですのでシンイチ先生。私達冒険者ギルドへの移籍の件、お考え下さいましたか?」
「止したまえ、ジュリエッタ君。教官は授業と不出来な生徒への指導で疲れている。無駄な発言と提案で教官の負担を強いるのは節度ある態度ではない」
「アマデオさん、貴方は冒険者ギルドに喧嘩を売っているのですか。それとも、わたしを侮辱してのですか?」
「なにをいう騎士たるもの淑女に対する礼節は弁えている。もっともジュリエッタ君は身体的にも精神的にも淑女の基準に達していないが、将来の可能性までも否定する気はないから気を悪くしないでくれたまえ」
「なんですって!」
「その程度で感情を露わにするようでは淑女への道は遠いな、ジュリエッタ君」
(彼の言うとおり、僕は疲れている。今日のところは、このくらいで解放してくれないだろうか)
 シンイチはジュリエッタを窘める男性に心の中で賛意を送っていたが、同時に彼の話しがそれだけで終わらないことも理解していた。
 残業手当は支給されない。
 いや、そもそも残業手当などという概念が存在しない。
 心の中で溜息をつきつつも、表情に出さない点だけは称賛に値するだろう。
 シンイチ研と呼ばれる彼専用の個室で、ジュリエッタとアマデオという名の男女二人が激しくいがみあい始めてから、かれこれ三十分が経過しようとしていた。正確にはジュリエッタが感情的に話しているだけであり、アマデオは落ち着いた口調で窘めているのだが。もっとも、あれを窘めていると評するのであればだが。
「ジュリエッタ君の態度は、実にギルドらしい。ガサツで優雅さに欠けるだけでなく変化に乏しい主張は、下々の者を相手にする冒険者ギルドらしい対応と言えるか。いや誤解しないでほしいが、決して君を責めてはいない。ただ冒険者ギルドと我らがガデス王国を比較したとき、相対的に評価したとき冒険者ギルドが下賤で粗野な組織と評価しているだけ。決してジュリエッタ君を貶めるつもりは毛頭ない。気分を害されたとしたらどうか許してほしい」
 どこをどう解釈したら許せるのだろうと思える発言だが、最後に頭を下げるあたりは役者だろう。
「……わかりました。今回の件は誤解ということで許し上げます」
 騎士に頭を下げられてはジュリエッタとして引かざるを得ない。
 アマデオの発言が謝罪しているのか貶しているのか判断しかねるような内容だとしても、頭を下げたという事実に変わりはないのだから。
(あるいは、彼は長居になりつつあることを察したのだろうか?)
 口元が笑っていれば年相応の可愛げもあるのだが、アマデオはそのような素振りすらみせない。ジュリエッタとしては内心ではどのように思おうとも、拳を繰り下ろすわけにはいかないだろう。
 ジュリエッタの年齢は十四歳、アマデオの年齢は十八歳。
 二人の年齢差を考慮するならばアマデオが上手になるのは、ある意味必然なのかもしもしれない。それが必然だとしても許容できるかは別の次元の話であり、ジュリエッタという名の少女は許容できないタイプだった。
 アマデオという名の少年も――既に成人の儀式を済ませて戦場で武勲を重ねるだけでなく、妻まで娶る身の上の彼を少年と定義するのが妥当なのかは疑問だが――もう少し他者への配慮があってしかるべきだとは思う。
 本人は節度ある態度で接しているつもりだろう。落ち着いた口調で優雅に語りかけてはいるが手厳しい発言をしているため、返って他者の感情を逆なでしているのを理解していなかった。
 まだ若いのだろう、とシンイチは思うことにしている。
「二人とも。今日はもう遅くなってきたので、この話しは明日以降にしてくれないか?」
「先生、貴方は悔しくないのですか! 先程の会議の内容を聞きしました。来訪者だからという一点だけで侮辱されるなんて不当です。わたしは我慢できません」
「そう言われても来訪者の多くが口先ばかりで役に立たないのは事実なのです。私達が持っている知識の多くは上辺だけの薄っぺらい代物で実践して見せるができるのは僅か。僕みたいな例もあるけれど絶対数でとらえたときに少数派です。なによりこれが一般的な認識ですから致し方ありません」
「そんなことは分かっています! ですが、貴方が毒にも薬にもならない連中と一緒くたにされるのが我慢ならないのです!!」
「毒にも薬にもならない連中とは手厳しいですね。まあ、一面の事実であると思いますが」
 シンイチは苦笑いをしながら、ジュリエッタの意見を肯定する。
「教官。我らがガデス王国も来訪者を差別しているのに変わりがありません。ですが、能力ある方には相応の待遇と地位を用意してきました」
「名宰相で在られたコンドウ閣下のことだね」
「さようです。失礼ながらエレン魔法学園は貴方の価値を正しく評価されておりません。是非とも教官にとって相応しい所にお移り下さい」
「僕にとってエレンは唯一の居場所だよ。侮辱に心が悲鳴を上げようとも、僕みたいな来訪者に教授の椅子を与えてくれた。これ以上多くを望むのは不躾と思うけれどね」
 諦めとも悟りともいえる表情で諭すシンイチを前にして、二人はこれ以上語る言葉は持ち得なかった。
 ジュリエッタは涙を浮かべながら、走り去るように部屋を後にする。
 アマデオはジュリエッタを追いかけはしなかった。別に恋中でもないのだ。
 涙を浮かべた姿をあまり見られたくないだろう、と配慮しているのをシンイチは知っていた。他者の感情を逆なでする傾向はあるが、基本良い奴なのだとシンイチはアマデオを評価していた。
 だからだろう。つい余計なお世話をしてしまうのは。
「ところでアマデオ君。君はエレンで魔法士になりたいのかな」
「教官、何度言えば分かって頂けるのですか。自分は騎士です、騎士が魔法士になる筈がないでしょう」
「確かに、それは確かにそうだけれど、君の左手はいつも空いてるじゃないか」
 シンイチは困った顔をしながら、アマデオがレイピアと一緒に帯剣しているマンゴーシュを指差す。
「レイピアを用いる人物が、残る片手にマンゴーシュを装備して戦わなければいけないという決まりはありません。貴方は来訪者ながら優れた教育者です、その点を自分は評価し尊敬もしていますが、素人が剣の型について御指摘をするのは止めて頂きたい」
「それは詭弁ですよ。その左手は相手の魔術に対応するためにワザと空けています。そうですよね? 貴方は両手が塞がった状態では魔術を行使できない。それは大きな欠点です。なにより欠点を覆い隠すために型を崩すのでは本末転倒ですよ」
 図星なのだろう。
 アマデオの目が急に険しくなる。
「そのような怖い顔で睨まないで下さい。僕は君がこの学園に何を学びに来たのかについて話しているだけですよ」
「自分は聞かされていません。魔術の素養があるから魔法士の学園に送り込まれただけなので」
「放任主義にも困ったものですね。もっとも恥ずかしながら僕も含め教師陣は、君に答えを提示することすらできていませんが」
「それなら自分の型について、とやかく口を出すのは止めて頂きたい」
「僕が確信を持って断言できることは一つだけ。自分の型を崩してまで左手を空けて戦うことが、騎士である君にとって有益だとは思えないのです」 
「……失礼」
 アマデオは耳障りな声から逃げるようにして部屋から立ち去る。
 先程までの騒がしさが嘘のように静寂に包まれる一室。外に目を向けると既に漆黒の闇に包まれていた。

 2

「毎日毎日、この有様だよ」
 愚痴る相手は傍にいない。
 ただの独り言。
 それでも毎日三時間も帰宅が遅れればシンイチが愚痴をこぼすのも無理がなかった。終電にすら乗れず会社に泊まり込む社畜よりはマシだろうが比較対象が悪すぎる。
 夕食すら済ませていないのに、今日という日がタイムアップするまで残り数時間に迫ろうとしているのだ。ロスタイムのない試合では残り時間を有効に使うかが勝負の鍵だ。最短ルートを選択するなら大通りから路地に入るのがベストだが、果たしてどうするべきだろう。
 思案、約三秒。
 周りに目をやると街灯代わりにライトの呪文で照らし出す生徒達がいる。
 多数の魔法士を輩出する学園を抱えるエレンでは、毎日、この街を夜の装いに模様替えしているのだ。
 街灯代わりと言うが易いが、大陸広しといえどエレンくらいしかこのような無茶をしている街はない。人海戦術的に全校生徒を動員しているから可能な所業であり、他の街ではそれほどまで人材を抱えてはいないのだ。
 不夜城。
 夜の貴婦人。
 エレンの街灯を讃える名は多い。
 電気もガスも無いこの世界、炎のみが夜を灯す一般的な生活手段なのだ。ライトの灯りは炎の灯りと比較して光量が段違いに上であるだけでなく火事の心配がない。利用方法の多岐に渡る可能性を秘めていた。不夜城エレンの姿が別世界に見えたとしても無理もないだろう。
 かつてシンイチがいた世界にも不夜城とうたわれた都市が存在していた。それらは電気の力で灯されており、宇宙空間からも視認できた程の明るさだった。
 エレンの街灯も故郷の明るさとは比べものにならないだろう。けれどライトの呪文の灯りこそが不夜城の名に相応しいと思える程度には、シンイチはこの街に慣れてきていた。「来訪者のくせに身の程もわきまえず」「ペーパーテストの点数だけで教授の椅子に座る脳無し」などと陰口を叩かれても、アマデオやジュリエッタの誘いを断り、この街に拘る理由もエレンの街灯にあった。
(故郷か)
 大きな溜息を一つ吐き出す。
 特に意味があったのではないが。シンイチは人目を避けるように路地へと足を踏み入れたのだった。

 エレンの街灯と言えども、路地に入ると薄暗くなるのは避けられなかった。
 正直、あまり気味がよい光景ではない。
 路地に入った選択を後悔したが、今更戻るのは何かに負けた気がして癪に障った。
 覚悟を決めて前に進む。曲がりくねった細い路地を奥へ奥へと進み、何度目かの十字路を右に曲がる。これで大通りまでは一本道。
 薄暗い路地ともおさらばだ。
 少し駆け足で先を急ごうとしたとき、急に言いようのない違和感を覚えた。
 確かあの場所は、空き地だったような。
 エレンには公園は多いだけでなく、空き地と呼ぶに値する土地が比較的多い。それも都市計画の段階で用意されているのだ。計画的に設置された空き地の用途をシンイチは知らないが、余程のことがないと利用されず放置されているのは知っていた。
(ということは、あり得る可能性としては違法建造物か建造物に見えたのは幻術の類。生徒が空き地に対してゲリラ的に幻術を用いたのだろうか。僕なんかは、あれもアートだとは思うけれど。でも住民や教師達、なにより行政を司る貴族には受けが悪いんだよね)
 大人が保守的なのは、いつの時代のどの土地でも同じ。
 個人としては好感を持とうとも、教師の職にある身としては防止する立場にならざるをえなかった。
(また残業か。残業代が出ないのに)。
 諦めて通り過ぎようとした建物に振り返る。

「えっ」と、あっけにとられて思わす声がでた。
 視認できたものが信じられず目を擦るが見間違いではなかった。
 塔がそこにあるのだ。
 塔と形容するにはあまりに異質な建造物。
(ビルだ。信じられないけれどビルディングだ!)
 付近の建造物より明らかに五倍以上は高い。表面はコンクリートで覆われ、各階には窓ガラスが塔を覆うように配置されている。ビルの外壁をライトアップするかのように次々切り替わるネオンサイン。
 夜の貴婦人と言われるエレンのライトも、シンイチにしてみれば程度のよいガス灯でしかない。この世界にあるからこそ貴重であり、優美であれども単調な色彩でしか飾ることのできない貴婦人。
 エレンの街灯が貴婦人ならば、ネオンサインは享楽と快楽に人を誘い込む魔性の娼婦。
(差し詰め僕は、魔性に魅入られた愚か者だったのだろう)
 それほどまでにシンイチの心を、あのネオンサインは捉えていた。
 惚けるように見つめていると、電飾に彩られた看板に目に留まる。余人なら装飾かと見間違うかもしれないがシンイチには読める。
「このビルが真壁探偵事務所? しかもビルが、どうしてエレンに?」
 予想しない展開に思わず声を出してしまう。
 もう遠い存在となったあの世界。
 その建造物がどうしてエレンにあるのか。
 幻術の類という可能性は、対象を正確にイメージ出来ることが前提なので既に消去している。エレンと言えどこれほどの幻術を駆使できる人物は限定され、彼らが同郷の人間ではないことをシンイチは知っていた。
(残る可能性はビルごと移動したか、あるいは白昼夢を見ているか。こんな巨大な建造物にエレンの住民が気付かない事も妙だけれど、現実問題としてここに存在している事実は変わりない。
 だけどどうして、どうやって? 
 想定外の事態に考えがまとまらない。
 落ち着けシンイチ。
 ようやく手にした手掛かりだ、冷静になれ)

 ポケットから煙草らしきものを取り出し、魔術で火をつける。
 大きく煙を吸い込むと、大きく吐き出す。

(いいでしょう、現実を受け入れましょう。
 ビルは存在する、いま目の前に存在しているという事実こそが重要です。騒動になっていないのは、転移してきてからさほど時間が経過していないから。そうでなければ住民が気付かない筈がない。
 いや、逆にライトで照らされたエレンだからこそ、ネオンサインの灯りに驚かない可能性も否定できないか。
 いくら考えても、これ以上結論は出ない。
 いずれにせよ、騒ぎになっていないということは自分が第一発見者ということになる)

 吸っていた煙草はあっという間に短くなり、新しい煙草に火をつける。
 本来、学園か衛兵にいち早く報告すべき一大事だが、シンイチにその気がなかった。

(二十年だ、僕はこの時を二十年待った。
 誰にも邪魔はさせない。
 あの世界への手掛かりは誰にも渡さない)
 二階の外壁に設置してあった電光掲示板が、五秒間隔で次々に情報を表示する。
 スポーツ。
 天気予報。
 為替情報。
 電気によって作られたネオンサインはより輝きを増し、薄暗い路地を照らし始めた。
 入口と思われる扉の前に移動すると、扉が自動的に開き、赤い絨毯の上に黒のスーツを着こなす老人が礼をしたうえで挨拶をする。
「ようこそ、真壁探偵事務所へ。所長であらせられます征志朗様は上の階におられます。御同郷の方、どうかこちらへ」
(僕を同郷と理解しているという事は……)
 ゴクリッ、唾を飲みこむ音が漏れる。
 シンイチはビルに一歩を踏み入れる。
 これがエレンの街が見た、シンイチの最後だった。
 以降、シンイチが学園に来ることはない。

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