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  • 【5年前の記憶の全て】

    2016/03/11

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    落選中に書いた「3月11日の記憶」を再掲します。5年前の壮絶な日々を振り返ることが、慰霊と哀悼になることを願って。
    311の記憶
    寺田 学
    これから数回に渡り、3月11日、そして、そこから数日間の記憶について、この場で書いていこうと思います。
    以前から、総理補佐官として官邸勤務をしていた当時の事を、備忘録を兼ねて書き記しておきたいと思っておりました。これまで全ての事故調で証言し、多くの取材でも聞かれたことは全てを正直にお話してきましたが、聞かれていない事、記事にならなかったものも多数あります。
    重要な部分は既に既報の通りなので目新しいものはありませんが、それでも、政治から離れた今、区切りの意味も込めて、自分なりに覚えている事を全て書いておこうと思います。
    【予めご了承ください】
    主観的な修正はせず、余分な事であっても備忘録の意義も込めて記憶のまま吐き出し、淡々と書きたいと思います。そこには、私の弱さが、そして当時の官邸の善悪諸々が混在していると思います。それが被災された皆様に失礼になるような記述もあるかもしれません。何卒ご容赦ください。
    また、2年以上前の記憶をもとに書き記すため、事実として誤った部分があるかもしれません。それを事実を調べながら書くには、個人的に難しいのでご容赦ください。単なる記憶違いは後ほど訂正します。
    また、出来る限り実名で書きます。記憶が定かではない場合等は匿名にします。
    カギカッコも記憶のママ、書きます。多少の言葉遣いの違いはあるかもしれません。
    以上の事、予めご了承ください。
    【1】3月11日
    3月11日の朝は早かった。というより、徹夜だった。
    朝6時に総理公邸に出向き、いつも通り総理答弁のレクに参加した。
    その日は、菅総理の外国人献金絡みの記事が朝日新聞朝刊に載るとの事で、夜を徹して報道からの情報収集、答弁案の調整をしていた。寝ていなかった。朝6時でも空は真っ暗。
    種々の打ち合わせが終わり、9時前に国会に移動。委員会が始まり国会内各所を回って議員会館自室に帰る。会館自室でテレビを通して質疑をチェック。
    昼休み、修正すべき答弁等、総理と打ち合わせ。山は越えた感じ。
    午後、質疑も落ち着き、いよいよ睡魔に教われる。自室の椅子でウトウトしていたら緊急地震速報。
    それと共に大きな揺れを感じる。2時46分。
    免震構造の会館は大きく揺れた。窓から地上を見ると山王坂の木々が激しく揺れている。秘書室からは秘書の悲鳴に近い声。予算委員会中断。揺れが収まったのを確認して部屋をでる。
    補佐官車を会館に呼ぼうと思ったが、それよりは走った方が早いと判断。部屋を出るも、エレベーターが全機停止。12階の最上階から走って地上へ、そして官邸に走る。
    官邸5階の総理秘書官室に到着。総理秘書官らと席を共にしている秘書官室で様子を伺う。総理は執務室におらず、危機管理センターへ向かったのか。直ちに秘書官室で総理会見の原稿チェック。
    総理、執務室に戻る。私も同時に執務室に入り、総理最初の記者会見の原稿の詰めの打ち合わせ。最初の会見ゆえ、情報は限られているから内容は乏しい。しかし、総理として、一刻も早く会見するべきとの判断。各省から集められた現時点での情報を盛り込んだ原案をもとに議論。記憶にあるのは「各原発は正常に停止しています」との文言。当時、原発に無知であった私は「『停止する』するって良い事?悪い事?」と混乱していたから、記憶に残った。犠牲者、行方不明者等の当たり前の情報の中に、突如「原発」の文字が入っていたのも違和感として記憶に残ったのかもしれない。
    いずれ、簡単なA4一枚の会見原稿の完成。総理、会見へ。会見室まで同行。行き帰りのエレベーター内、非常に重い空気。会見から秘書官室に戻る。
    テレビからは仙台の津波の映像。黒い津波が田んぼを乗り越えていく生中継。「犠牲者が数名」との報道に、ある秘書官「これは数千のレベルになるのでは」。海江田経産大臣が総理宛に入室するので、秘書官と同席。大臣から「福島第一原発が正常に冷却できていない」旨報告。私は「さっきの会見で『正常に停止』と言ったばかりなのに『冷却?』何だろう」と、事の深刻さを今一つ理解していなかった。しかし、総理の異常な反応に事の重大さには即座に気付いた。総理は何度も大臣に、事務方に聞く。語調は抑えめ。
    総理「バッテリーがダメになっても、他のバッテリーがあるだろ。」。
    事務方「予備もダメです。全部津波で水没しました」。
    総理「何で水没するんだ!?乾かしても使えないのか」。
    事務方「一度海水に浸っているので、塩分でダメになっています」。
    総理「大変なことだぞ、これは大変なことなんだぞ」。
    執拗に質問を繰り返す総理。
    以下、余談。
    +++++++++++++++++++++
    これ以降の数日間、様々な事務方(保安院)が説明者として現れたが、原子力発電所の構造に詳しい人、そして俯瞰的に説明する人は現れなかった。それもあって、総理は一層「何が起きているか」を知ろうと強く追求した。何人目かに、経産省安井部長が来て双方落ち着く。
    安井部長は「何が起きているか」「何をすべきか」ということを冷静に広角的に答える方だった。
    以後、安井部長の信頼は総理のみならず方々から厚くなった。当時の総理のスケジュールは、非常に突発的だった。震災を受けた対策会議、新たな大問題となった原発対策会議等々、極力形式的なものを排除してきたつもりだったが、特に原発は事が重大になると「会議を開かなくてはならない」的要素があって、何度も会議を開いていたように思う。
    加えて、震災の対策会議は事務局がしっかりしていたが、原発の会議は、どこが事務局なのかよくわからなかった。広い意味で経産省(実質保安院)との認識だったが、初めて起きた大事故ゆえ、システマティックな様子はなかった。すべては想定不足、訓練不足だと思う。
    ++++++++++++++++
    以上。
    原子力緊急事態宣言に関して、総理は海江田経産大臣からの上申後直ちに、というタイミングでは出さなかった。「なぜ、宣言しなくてはならないのか」「その宣言をだすと、どうなるのか」を理解しようとしていた。
    理解の後、緊急事態宣言。この姿勢の善し悪し、その影響は専門家に任せる。この頃、午後7時過ぎ。
    正直、この日から数日間の時間感覚はない。
    全電源が喪失し冷却出来なくなった福島第一原発を抱えて最初に関与したのが「電源車」の確保。手配は東電、サポートは保安院という形になっていたと思う。官邸総理室としては、その流れをチェック、そして省庁横断的なサポートが必要な場合は官邸から指示をだした。とにかく、福島第一原発に一台でも多く、一刻でも早く電源車を届ける必要があった。全国の発電所の何処に、何台電源車があり、福島第一まで何時間かかるのか、把握していた。陸上を走って向かう場合は、警察に連絡し高速の通行を許可するとともに先導をさせ(実際行われたかはわからない)、自衛隊のヘリによって空輸できないかも検討させた。東電からくるはずの電源車の仕様が防衛省に届いておらず、慌てて秘書官が東電側にせっついたのを記憶している。結局、大きすぎ重過ぎでヘリでは運べなかった。
    総理執務室にホワイトボードを設置し、進捗状況を把握。その後、地下の危機管理センターへ。それこそ、危機管理上、構造は申し上げられない。ただ、総理と同時に入室したためか、想定しているセキュリティチェック等は受けずに入った。生物兵器や様々なことを想定した入り口になっていたが、素通りした。
    中は騒然。多くの情報が飛びかう。
    以後、危機管理センターに総理は陣取る事になる。
    細野補佐官と立ったまま打ち合わせ。今後の役割分担について。
    細野「俺は電源車やるから、寺田君は避難区域策定をやってくれ」
    寺田「いや、電源車は私やります。今やってる総理秘書官とは私の方が付き合い長いので」
    細野「分かった。じゃ、俺はここに残るから、寺田君は上行ってくれ」
    ものの数秒の立ち話で役割を割り振った。34歳3期目の私にとって、39歳4期目の細野さんがいてくれた事は、強さも弱さも含め有り難かった。
    おそらく午後9時過ぎ。秘書官らと共に電源車の進捗チェッックを続ける。逐一あがってくる情報を整理し、地下の危機管理センター小部屋にいる総理に連絡をする。
    主のいない総理執務室にホワイトボード。加えて、執務室内のテーブルに地下の小部屋直通の黒電話を設置。その前に座る。秘書官が日本列島の地図を書き、各発電所の持っている電源車の数を記載。
    「◎◎発電所電源車◎◎台、◎◎時に発電所出発、◎◎インターチェンジ通過」
    我ら総理秘書官チームがチェックしなくとも、どこかでチェックされていたはずだが、それでも進捗をチェックした。その「どこか」が不明確だから。いずれにせよ、総理に最新情報をあげる。他方からと二重報告となっても仕方が無い。
    以下余談
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    総理秘書官と、総理補佐官は、大きな官邸機構のラインに組み込まれている訳ではない。表向きの会議に陪席はあれど、出席はほぼ無い。唯一無二の上司は総理大臣ただ一人。部下はいない。あくまでも総理の補佐に徹する。
    ++++++++++++++++++++
    以上
    秘書官チームに、一刻も早くとの焦燥感が募る。
    「8時間後までに電源が回復しないと大変な事になる」、
    そんな情報はあった。どこで計算されたものか正確に覚えていない。おそらく保安院だと思う。いつを基点に8時間なのかも覚えていない。ただ、とにかく急がなければ「大変なことになる」そんな認識があった。
    「大変な事」。口には出さなかったが、それが「メルトダウン」だというのは全員感じていたと思う。ただ、メルトダウンするとどうなるか、具体的には私は想像していない。秘書官らも同様だろう。メルトダウンは、今でこそ不幸な事に一般的な言葉となっているが、事故発生当時、専門家以外の一般の人には馴染みが無い。シーベルトなんて単位を知ってる人も、ごく少数だっただろう。この時は。
    電源車到着の一報が届く。何時だったかは忘れた。執務室と秘書官室を結ぶ扉を開けっ放しで作業をしていたので、到着の一報には、秘書官室にいる事務の方も含め喜んだ。
    「なんとかなった。。。。。」恐怖感と切迫感からの一時の解放。期限とされた時間内だった気がする。
    (実際、電源車は届いたが種々の事情で全く役に立たなかったようだ。これらの事実関係は既存の事故調査報告書に譲る)。
    その後、後続の電源車が到着した報せは受ける。ケーブルが足りないとの連絡もあった。そのケーブルを自衛隊のヘリで運ぶ検討をした。それら全てを総理に伝え電源車関係の業務は閉じる。電源車が功を奏している、との連絡はない。(実際、ことは深刻さを増していく)
    11日深夜。
    岡本政務秘書官から相談を受ける。
    「総理から明朝現地に出向きたい、準備せよ。との指示あり」。
    私の第一印象は否定的。福山官房副長官に相談。同じく否定的。枝野官房長官に相談。同じく否定的。その旨、総理に進言。総理多少迷っている様子。
    「準備だけは進めてくれ」との指示。
    現地とは原発事故と、津波被害。現地入りによる人手を最小限にする方法、救助に使われていない機材で、とのこと。移動に使う自衛隊ヘリ「スーパーピューマ」は、飛行中であっても官邸と連絡が常時可能か確認必要。秘書官より「可能」との返答。秘書官チームと具体的な行程案の検討にはいる。事務方から原発と津波の両方の現地を回る行程案届く。詳細行程は保安院と警察、防衛省あたりで作成か。福島第一は重要免震棟へ、津波現場は宮城県上空。「スーパーピューマ」の航続距離等勘案し、福島第一後は自衛隊基地にて、同じく自衛隊ヘリ「チヌーク」に乗り換えて、津波被害の状況を上空から視察する案。その間に「スーパーピューマ」の燃料補給を行う。
    総理、福島第一を組み入れた案了承。
    実行の最終判断は後ほどに。行程案作成後は「スーパーピューマ」の乗車メンバー調整。小型ヘリゆえに10名前後しか乗車出来ない。人数絞り込み。総理、政務秘書官、警護担当秘書官、警護官、医務官は必須。残り数名。
    総理より、広報担当審議官の下村審議官を乗車させる旨の指示。しばらく後に、班目原子力安全委員会委員長の同乗の指示。現地入りの最中、総理として何かしらの判断を下す事があった場合、正式な助言機関の助言を直ちに仰ぐ必要性から、か。
    残る調整要素は二つ。総理の補佐として政治家が誰か一人。それと、総理随行の記者をどうするか。政治家の搭乗候補者は、私か福山官房副長官のどちらか以外いない。
    福山副長官は「どうする?」と特定の意思は無い様子。
    私から「東北で起きた事故なので、東北出身の私が参ります」と提案し、福山副長官了解。
    内心、怖かった。でも、任務。総理随行記者の調整が残る。
    以下余談
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    常時、総理が移動する時には共同通信と時事通信の両社から、若手の記者2名が同行する。どんな時でも。総理が官邸から出発したときは、車列の最後方から車で追ってくる。総理が何処にいくか、誰に会うのかを確認すべく、報道を代表して追っかける役割。総理が朝公邸から出て、夜に公邸の門が閉まるまで、ずっと張り付く。平時に、なぜそこまでするのか彼らに訪ねたら、「つまるところ、いまこの時点で総理が実際生きているか、誰かに殺されないか、直接確認し続ける義務がある」とのこと。生存確認。
    +++++++++++++++++++++++++++++++
    以上
    官邸記者クラブに内々「現地入りの可能性あり」と通知。従来であれば、共同通信と時事通信の2名を同行させなければならないが、緊急時であり、乗車定員が限られる為、いずれか一人にして欲しいと伝える。共同通信の津村記者が同行することになる。加えて、記者クラブ内、特にテレビ局側から「代表のカメラマンを一人乗せて欲しい」旨打診あり。定員的に、既に限界。様々交渉の結果、同行する広報担当の下村審議官にカメラを渡し、報道の代わりに現地映像を撮影してもらい、その映像を記者クラブに提出することで折り合う。
    現地入りのメンバー確定。行程案、メンバー案、総理了解。総理はこの間、執務室か地下の危機管理センターにいた。
    午前3時は過ぎていた。総理現地入りの大方の調整が終わり、少し時間が出来た。これから数日は帰れないと思い、官邸裏にある議員宿舎に着替えをとりに帰る事にした。合わせて、これから出向く現地入りでの万が一に備え、妻に会っておきたかった。宿舎は官邸裏口から出れば、走って数分もかからない。
    裏口から出ると、深夜3時過ぎにも関わらず、目の前の大通りが大渋滞。全く車が動かない。電車が止まり、帰宅困難者大量発生の影響。走りながら馴染みの記者に電話をする。すると
    「いま緊急地震速報が出てる、場所は新潟!」と興奮した声。
    今度は新潟か、、と、日本が壊れるような想像が頭をよぎる。既に宿舎の目の前だったので、急ぎ宿舎自室に入る。テレビの情報を見ながら官邸に電話。直ちに戻る必要は無かったので、急いでシャワーを浴びる。着替えを沢山抱え、妻に、まもなく福島原発に行く事を伝えて官邸に戻る。妻の表情が硬くなったのを記憶している。
    【2】重要免震棟へ
    3月12日未明。
    シャワーを浴び、着替えを持って直ちに官邸へ戻る。福島第一原発の現地入りが決行された場合に備え、防災服に着替える。今思うと極めて無意味な格好。防災服とは、単なる作業着だ。行政の人間は、災害や震災があると反射的に防災服に着替える。今回も現地に入るということで全員防災服に着替えた。しかし、向かうのは原発の事故現場。いまなら当然、全身を覆うタイベックスーツにマスクだろう。でも、そのような用意はない。指導もない。発想すら、ない。
    福山副長官が総理のもとへ。
    地下の危機管理センターに至急来て欲しいと総理を迎えにきた。現地入りの予定時間が迫っていた事もあり、同行する秘書官らと共に危機管理センターへ降りる。向かう途中、福山副長官が総理に現状を報告。主に2点。
    「福島第一原発敷地内の線量が急上昇している」
    「予定しているベントが何故か行われない」
    まず、線量が急上昇している事に心が構えた。私たちが今から行く場所の線量が急上昇している。具体的数字も、影響もわからないが怖かった。「そこに、行くのか・・・」と弱気になったが、私が判断する事ではないので、余り考えないようにした。
    そして、「ベント」が行われない件。正直なところ、私はその当時ベントを詳しく知らなかった。官邸内でベントの実行を決めていた会議のころ、私は現地入りの準備をしていた。
    以下参考
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    原発の構造を簡単に説明すると、核物質は、とても頑丈な「筒」に入れられている。その筒を、これまたとても頑丈な「フラスコ」で守る。そのフラスコの外側を、もっと大きな四角の「箱」で覆う。
    筒を「圧力容器」、フラスコを「格納容器」、箱を「建屋」と呼ぶ。「ベント」とは、筒(圧力容器)の中が水蒸気等でパンパンになった際に、逃がし弁を開けて水蒸気等を外に放出し、圧力容器内の圧力を下げ、筒の爆発を回避する行為だ。もちろん、逃がす水蒸気は核物質と同居していたものなので、放射能物質が外に放出される大変深刻な行為。それでも、筒自体が爆発して核物質が飛び散っていくよりは、被害が少ない。
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    以上
    危機管理センターに降りる道中、福山副長官が血相を変えて「ベントが、まだ出来ていないんです」と総理に伝える。その様子を聞いていた岡本秘書官が「ベントするの??!!」と困惑。それで初めて、私も深刻さが増していることに気付く。危機管理センター会議室到着。もともと狭い部屋なので最小限のメンバーのみ入室。一瞬中に入っていたが、出発準備の打ち合わせもあるだろうから、部屋を出て秘書官らと会議室前の螺旋階段に連なって待機。中では「何故ベントが出来ないのか」「圧力容器が爆発した場合を想定し、避難区域を拡大すべきか」等、非常に重要な議論していた。総理が危機管理センターに降りたのが午前5時過ぎ。現地入りの官邸出発予定時刻は午前6時。予定通りに出発出来るように、
    既に官邸屋上にヘリが待機し暖機運転を開始していた。
    秘書官に「出発は、最大何時まで遅らせられる?」と問う。
    「ヘリの都合上、十数分で限界」との答え。
    時刻は予定時間の午前6時に迫っていた。総理に判断を仰ぐため会議室に入室。
    「現地入りの最終判断を。出発は遅らせて十数分」。
    総理から「どうすればいい?」と問い。
    (どうすれば、って・・・)と内心戸惑う。「報道が待ち構えている中で急遽現地入りを中止すれば、『急遽中止する程、事態は深刻なのか??』と、強い疑念を持つと想います。十分な説明が必要になるでしょう。中止した場合の影響は以上の通り。ただ、全ては現地に行く必要があるかどうかでご判断を」。
    会議室のなかでは
    「ベントが予定通り実行されない事」への焦燥感と、自らベントの実施を発表しながら、いまだ実行が伴わない東電への不信感が強かった様子。それらを払拭する意味合いが強く、「現地に行く」と総理が判断。
    私だけ直ちに部屋を出て秘書官らに「現地入り決行」と伝える。「やっぱり行くんだ・・・・」と気持ちが重い。出発予定時間の6時を過ぎても会議終わらず。再度入室し、時刻を知らせる。会議室から総理が退出し一行と共に危機管理センターを歩いていると、総理が「あ、長官は?」と振返る。同じく会議室から出てきた長官を招き、「万が一連絡が取れなくなった場合は種々の判断は長官に任せる」と、立ったまま一言。
    長官「わかりました」。長官から訪ねたのか記憶が曖昧。いずれ万が一の場合の総理代行者が決まる。総理が、玄関ホールで記者団にコメントを発表している際、記者クラブ側からハンディカメラを受け取る。下村審議官に渡す。
    屋上に向かい、ヘリに乗り込む。スーパーピューマに乗るのは二度目。皮肉な事に、半年前に静岡で行われた全国防災訓練に向かう時以来。前回は訓練。今回は震災。機内は狭い。ただ、貴賓用ヘリだけあって内装はしっかりしている。総理と班目原子力安全委員会委員長が隣同士で座る。私と岡本秘書官がその向かい。機内はうるさい。耳元で大声で叫んでようやく聞こえる程度。
    官邸発。
    隣にそびえる議員会館スレスレに上昇、一路福島原発へ。
    ここで班目原子力安全委員会委員長のことを少々。
    +++++++++++++++++++
    班目委員長とお会いしたのは事故発生当日夜が最初だと思う。原子力安全委員会は、原発事故が発生した場合、政府に対するアドバイザー機関となる。そのトップが班目委員長。原発事故発生当日の夜、総理と共に班目委員長のレクチャーを受けた。福島第一原発の見取り図をもとに、構造の説明を受けた。私が記憶している会話は以下。
    総理「原発が爆発する可能性はないのか」。
    班目委員長「ありません」。
    総理がしつこく問う。「本当にないのか」。
    班目委員長「ありません」。
    総理「水素は存在しないのか」
    班目委員長「存在しません」。
    総理がしつこく問う。「本当にどこにも無いのか」。
    班目委員長「ありません。あ、でも、建屋脇の方の・・・・」。
    総理「存在するじゃないか!爆発するかもしれないのか??」。
    以上のやり取り。
    総理が水素の存在をしつこく聞いていたのが印象的だった。いずれにせよ、班目委員長からは「爆発はしない」との意見があったが、何とも頼りない論拠に感じた。
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    ヘリが福島原発にむけて飛行する。機内では、総理と班目委員長が何やら話している。機内がうるさくて内容は聞こえない。ずっと窓の下を眺める。ひたすら海岸線を飛行。北上するにつれ徐々に津波の影響を目視できる。津波発生から、最初に迎えた朝の様子は信じがたい光景だった。目を凝らしたら何かが見えるのじゃないかと、身がすくむ。もしかしたら救助を待つ人が、または、既に亡くなった方が水面に浮かんでいるのではないか、そう思うと身体が強ばった。地図は無いから、どこを飛んでいるのかはわからない。ただ北上するに連れて、海岸付近の様子はどんどん悪化する。海岸線沿いに発電所のようなものが見えた。あれが福島第一原発か?そう思うと通り過ぎる。何度目かの時、ヘリの機体が旋回する。グランドのようなところが見える。そこに向け、降下を始めた。徐々に地上の様子がはっきりしてくる。白い布で全身を覆い、ガスマスクを装着した人が立っている。私が初めて見たタイベックスーツ。「え?そんな環境なのか??我々はマスク一つしてないのに」。戸惑った。ただ、そのタイベックススーツを装着した人の隣に、我々と同じような作業着姿の人が二人いた。
    着陸。下村審議官が記者クラブから渡されたハンディカメラを構える。私は帽子を被った。ヘリのドアが開き、地上へ。白いタイベックスーツにガスマスク姿の誘導員に導かれ、奥にあるマイクロバスに向かう。マスクをしていないので、息を吸っていいのかわからなかった。急いでマイクロバスに乗り込んだ。天候は曇り。
    バスには、総理が1列目、次に班目委員長、私は3列目に乗車。重要免震棟に向けバスは発車。隣は警護担当の桝田秘書官。桝田秘書官が衛星携帯電話を取り出し官邸へ到着の報告を試みる。
    「あれ、なんでだろう」。
    何故か、衛星携帯電話が使用出来ない。桝田秘書官が焦っている。一般的に何処でも使えるのが衛星携帯電話の強みのはずだが何故か使えない。当然、手持ちの携帯電話は圏外。一番前に座っている総理から怒鳴り声。
    「なんでベントできないんだ!」。
    隣は東京電力武藤副社長。武藤副社長の声が小さく、答えが聞こえない。総理の怒鳴り声が幾度も響く。桝田秘書官は再度衛星携帯電話を試みるが、またも失敗。同行している共同通信津村記者も記者クラブ宛に到着報告が出来ないようで焦り。「衛星携帯、終わったら借りられないですか?」と頼まれるも「そもそも使えないんだよ、なぜか」と返答。しばらく走ると、多くの自家用車が置かれた駐車場。
    そして、重要免震棟の前に到着。バスを降りて入り口のドアに向かう。「早く入れ!!!」と係員からの怒鳴り声。入り口は二重ドア。外に面したドアを閉めないと、内部と通じるドアは開かない。「早く入れ!!」再度怒鳴られる。外側のドアが閉じ、内部に通じる自動ドアが開いた。既に総理が総理として扱われていない。重要免震棟入り口付近には人で溢れていた。肩と肩がぶつかる程の混雑。二重ドアを閉める為、背後から押されるように人混みの中へ。誰が自分たちを誘導しているのか全くわからず、総理一行は混雑する人に紛れてバラバラに。人混みの中の小さな流れを見つけ、それに任せて前に進む。
    奥には二列の行列。左の列に総理が並んでいた。右をみると、上半身裸の男性が、汗だくで床に寝そべっていた。息は荒い。列の先頭では、係員が機器を使って入場者の放射能を計っている。「おい、ここらへん高いぞ!」と私の近くで係員が叫ぶ。いよいよ次が私、というところで、左にいた総理が「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」と列を離脱、誰かに誘導されて階段に向かう。急いで私も後を追う。階段に到達するも、そこも人だらけ。階段の壁には、びっしり人が立っていた。休むところがなく、壁にもたれて休んでいる様子。一様に目が疲れている。目の前に総理大臣がいることを気付くものは殆どいない。気付いても目で追う程度。急いで階段を駆け上がるが人混みで総理を見失う。二階にあがり、誰かの導きで会議室に到着したら総理と津村記者の二人だけがいた。
    総理「おい、なんで記者がここにいるんだ!」と怒声。津村記者を退出させる。
    会議室は殺風景だった。机と椅子、それ以外の記憶はない。ほどなく、東電武藤副社長と、福島第一原発の吉田所長(故人)が入室。武藤、吉田両名の向かいに、総理、班目委員長、寺田。席上にA4の説明資料。武藤副社長が説明。今までの説明と同じような一般的な情報を述べ続けていた。
    総理が怒鳴る。「いいから、なんでベントができないんだ!」
    答えたのは吉田所長だったと思う。「現在、電動でベントすることを試みています」。
    総理「いつになったら出来るんだ!」
    吉田「4時間を予定してます」。
    総理「昨晩から、やるやると言っていつまでたっても出来ないじゃないか!」。
    4時間とは長過ぎる、と私は思った。私はずぶの素人であったが、今までの説明で既に原発の圧力容器内の圧力が設計された限界圧力を遥かに超えている事は知らされていた。ここ重要免震棟の目の前にある原発はいますぐ爆発してもおかしくない、ということだ。ここら辺まで、総理の口調は怒鳴りに近かった。怒鳴りに近かったが、求めているものは何となく分った。それは、「電動ベント」ではなく人間による「手動のベント」はやらないのか?ということ。遠隔地で行う電動よりも手動は、人間が原発内部に直接入って作業するため非常に危険な行為。総理の口から手動についての言及がある前に、吉田所長から、「手動ベントも考えています。実行するかどうか、1時間後には決めます」。
    総理も、ここらへんから口調が変わった。流石に人命に関わることゆえ、総理の心に動揺が見えた。1時間後に「実行する」のではなく、「実行するかどうか決める」ってことは、まだ未定か、と、私は思った。
    総理も、「そんな悠長なことじゃなくて、すぐやれないのか」と問う。
    吉田所長「内部の放射線量が非常に高いのです」。そして続けた、「決死隊作ってでもやりますから」。
    以下、余談
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    一連の会話を振返ると、総理は手動ベントを要求したのか、それとも、既に考えていた事を引き出したのか、私にはわからない。総理が重要免震棟まで出向き、現地の責任者と言葉を交わした事による、事故への効果もわからない。ただ、事故発生の昨晩から通じて、初めて東電側から強い言葉を聞いた。今でも考える。総理が直接、「手動ベント」を命令すべきだったのか。(実際のところ、経産大臣が法令に基づき命令しているのだが)「政治が責任をもつから手動でやれ」と、その場で言うべきだったのか。言ったらもっと早く出来たのか。民間企業がコントロールする原発の緊急対応を、国が指導することの難しさ。それを重々理解していたからこそ、吉田所長から先に「手動ベント」に言及してもらった事に、私も総理も安堵感はあったと思う。だけど私は、政治側から言い出さなかったことに、今でも後ろめたさを感じている。
    故・吉田所長について
    吉田所長に直接お会いしたのはこの時一度だけ。以後は、電話での会話を間接的に聞いたのみ。吉田所長は「どうすれば出来るか」を語る方だった。それまで、電源車の手配や、まさしくベントについても、
    東電幹部から発せられるのは、曖昧な「出来ない理由」ばかりだったが、その中において、吉田所長は「どうすれば出来るのか」を語る幹部だった。「決死隊作ってでもやります」。言葉にすると、短いこの一文。そこに込められる迫力というものは、その場にいた者しか解らないかもしれない。いや、本当の意味では、私も総理もわからないだろう。先ほど階下ですれ違った作業員、階段でもたれかかってる作業員ら全ての、生活も、家族も背負った決断になる。吉田所長は、部下を気遣いながら、常に前を向いて命をかけて陣頭指揮にあたられていた。間違いなく第一の吉田所長と、第二の増田所長のお二人がいなかったら今の日本はないと思う。再度お会いしたかった。
    +++++++++++++++++++++++++++++++
    以上
    その後も、総理と東電側とのやり取りは続いていた。
    肩をトントンと叩かれた。振返ると桝田秘書官。「医務官が、ここは線量が高いので、長居しない方が良い、と」。了解の意味で頷く。しかし、総理に進言しようにも、話の合間がない程のめり込んでいる。再び桝田秘書官から忠告。そんなに線量が高いのか?と戸惑う。まだ滞在20分程。「総理、そろそろお時間です」。なんとか終える。吉田所長は即座に退室。保安院の人間が総理に署名を求める。「ここにサインすればいいのか?」と署名。(内容を私は見ていない。福島第二原発に関することのよう)会議室をでた廊下で、池田経産副大臣に呼び止められる。
    「寺田、総理をもっと落ち着かせろ」。
    「いつもよりはマシですよ」と答える。でも、本当は、いつもよりマシではなかった。普段、周辺からは「寺田は総理の緩衝役」と言われていたが、この時は役に立たなかった。重要免震棟を出てマイクロバスに乗り込む。東電武藤副社長と池田経産副大臣も同乗。行きと同様、総理が武藤副社長に問う。ただ、声のトーンは随分落ち着いている。
    「さっきの件は、ちゃんと報告しろよ」。
    以後の具体的なやり取りは覚えていないが、総理は、手動ベントの実行と報告を武藤副社長に話していたと思う。声のトーンは落ち着いていたが、声は大きかった。急いで後ろを振返り、同行している津村記者に話す。
    「メモしてんの?」「かなりデリケートな内容だからな」。
    津村「デリケートかどうかわからないので、メモはします」。
    ヘリが駐機しているグラウンドに到着。早速ヘリに乗り込んだが、中々プロペラが回らない。予定より大幅に早くヘリに戻った為に暖機運転ができていなかった。後で聞いた話だが、当初の予定では、マイクロバスで原発本体周辺を視察することになっていた。数時間後に爆発する原発本体の周りを、だ。誰の意思で中止したのかわからない。外には武藤副社長と池田副大臣。機内から窓を通じて「もうお戻りください」と身振り手振り。しかし伝わらず、待たせてしまう。
    総理に「池田副大臣がお待ちになってますよ」と話すと、
    「え?」と驚く素振り。今まで池田副大臣が同行していた事すらも、気付いていなかった様子。しばらくして、ようやく飛行。ヘリが海岸線に出るべく原発本体上空を飛ぶ。最も原発本体に近づいた時だった。総理の胸ポケットに付けられていた機械が、ピーピー鳴った。
    「なんだ、こりゃ?」と戸惑う総理。
    私が受け取り、電源らしいスイッチを押してみる。放射能の線量計。いまでこそ見覚えのあるものだが、
    事故発生から半日程度のその時は、見方も使い方も、わからない。下村審議官が、保安院から総理と自身用に借りてきたものらしい。どれ程の放射線量が計測されたか、わからない。ピーピー鳴ったのは、線量が幾らに達したからかもわからない。唯一わかっていることは、その瞬間に強い放射能を浴びていた、ということだけだ。爆発する、数時間前の原発1号機上空だったからか。それでも、私達は動じる事はなかった。何も知らないのだ。そして、ベントのことで頭が一杯で、自分たちが被爆することリスクをその時はすっかり忘れていたと思う。自衛隊の方々が気を使ってくれ、朝食として「にぎり飯」と、「パックのお茶」を出してくれた。真っ白で美味しそうな、おにぎり。食べたかったが、もし飛行中にトイレに行きたくなったら大変と、控えた。総理らは、手づかみで食べていた。今思えば、私達は原発の事故現場に居たにもかかわらず、除染はおろか、手すら洗っていない。
    【3】福島原発、爆発
    12日朝。
    福島第一原発の上空を通過し、北上。そこから以北の惨状たるや、筆舌に尽くしがたいほど。自衛隊基地で給油のためヘリを乗り換え。チヌークで市街地上空飛行。既に朝を迎えているが、外は暗い。雪雲が覆っている為。地上は吹雪。沿岸部で火事。工場のようなところが燃えている。校舎らしき建物の屋上に「水」の文字。机を並べて作られた文字。同乗者に「このシグナルは地上部隊に伝えられるか」確認した記憶あり。自衛隊基地で再度スーパーピューマに乗り換えて官邸へ出発。東京上空は快晴。ビルの合間を抜け、官邸屋上に到着。
    屋上から官邸内部に駆け下りる。総理執務室があるフロアに降りたところで、医務官が立派なサーベイメーターを持っていた事に気付く。
    「試しに測ってもらえませんか?」と依頼。銀色の棒で体全体を測定。「大丈夫ですね」。知識のないこの時点では、何が大丈夫かわからなかったが、少し安心。
    総理秘書官室の自席に戻る。不在だった4時間の出来事を秘書官らから聞く。空腹に気付き、何かを食べようとした時に、ふと「福島原発に行った服装のママでいいのかな」と思った。現地の重要免震棟では、外から来た人間は直ちに防護服を脱いでいたのを思い出す。途端に怖くなる。急いで着ていた防災服と靴を脱いでゴミ袋に入れた。そして同行していた岡本秘書官と桝田秘書官にも「着ていった防災服脱いだ方が良くないかな」と問いかける。二人も驚いた表情で急いで脱いだ。皆、現地では毅然と職務についていたが、自分と同じように、心の奥に恐怖を感じてたんだな、と思う。総理室に入り、総理にも脱いでもらうよう依頼。しかし「いーよ。別に」と断られた。「総理自身が良くても、周りがダメです」と再度依頼。渋々着替えてもらう。防災服を廃棄。
    この日から、総理執務室の隣にある総理応接室が、常設の会議室となった。地下の危機管理センターは携帯電話が繋がらない構造の為、やむを得ない判断。集うのは、総理や、長官、副長官、補佐官の官邸政治家、経産大臣、各省職員、保安院、原子力安全委員会、そして東電幹部、職員。この部屋に外部の人間が出入りする事に、秘書官付きの職員からは相当反対された。なんとか秘書官らと説得し、貴重な装飾品を運び出した。この部屋に、随時、現状の原子炉内部の情報を届けてもらい、関係者が一度に情報共有出来るようにした。
    「ダウンスケール」この部屋で一番聞いた言葉。東電から報告される原子炉内部の計器について、よく聞いた。ダウンスケールとは、計器の針が一番下に張り付いている状態をいう。正常に計測されても、ダウンスケールになるし、計器が壊れていても、ダウンスケールになる。例えば水位計。原子炉内部の燃料棒が水に浸っているかどうか調べた時に、「ダウンスケールなので」との報告有り。本当に水位が無いのか、実際は水位があるのに計器が壊れてダウンスケールなのか、わからない。徐々にダウンスケールと言われる計器が増えていった。内部の正確な様子がわからなくなる。
    午後、「福島原発の上空で煙のようなもの、との情報有り」。地下の危機管理センターから入った情報を
    秘書官付の誰かが報告。総理は階下で会議中。秘書官らと「総理にはお伝えしておこう」と決め、総理同行の秘書官宛にメールしてもらう。総理が会議を終え執務室に戻る道中に伝達。執務室では班目委員長らが集まって打ち合わせをしていた。まだ、煙が出ているとの噂レベル。私は秘書官室の自席で作業。
    しばらくすると、「4チャン見て下さい!!!!」と、隣の付室から大声。急いで秘書官室のテレビを日本テレビに合わせる。
    原発が爆発していた。音は無い。反射的に総理執務室に駆け込んだ。総理が班目委員長や福山副長官らと話し込んでいた。「原発が爆発しています」と慌て気味に報告。テレビのリモコンをとって爆発映像を見せた。班目委員長が「あちゃぁ」と頭をうな垂れる。総理は厳しい表情。前日、班目委員長は「爆発はありえない」と断言していた。しかし目の前には爆発映像。(これは総理、感情的になるかもな)と内心思った。
    だが、総理の口調は落ち着いていた。「これは何ですか」と班目委員長に問う。返答は要領をえないものだった。「情報をあげてくれ」総理のこの声は苛立ちが感じられた。爆発なのか違うのか(一時、爆破弁との説すら流れた。ベント成功という意味)。建屋か格納容器か、放射線量は上昇したのかどうか。衝撃的な映像のみが流れ、実態が報告されない時間が過ぎた。
    +++++++++++++++++++++++++++
    福島原発の爆発を、官邸はテレビで初めて知ることになった。総理も、地下の危機管理センターの幹部らも。官邸にいた東電の職員すら同様。震災当初から数日、とにかく確たる情報がない状況だった。
    テレビ局から聞いた話。この爆発映像は偶然撮れたものらしい。各社、震災前から福島原発宛に無人カメラを設置していたが、震災でどの社のカメラも津波に飲まれ故障した。だが、福島中央テレビ(日テレ系列)のカメラだけが爆発の映像を捉えた。聞けば、中央テレビだけ福島第一原発に向けたカメラを内陸部に設置していたらしい。海岸部は他のテレビ局が既に占めていたために。そしてこれが、爆発の唯一の映像となる。これを福島中央テレビは直ちに放送。だから福島県民は、ほぼリアルタイムで爆発映像を見たと思う。福島中央テレビは、県内放送と平行して全国ネットの日本テレビに映像を送付。爆発映像を受け取った日本テレビ側は、全国放送すべきかどうか判断に迷い、結果、放送されたのは、映像を受け取ってから1時間後。それを、官邸は見た。
    +++++++++++++++++++++++++++
    以後、総理応接室に絶えず関係者が集まって状況を確認し続ける。ホワイトボードが持ち込まれ、
    保安院と東電が状況を書き込みつつ随時説明する。東電がホワイトボードに書いたのは1号機から3号機まで。
    総理が問う「それで全部じゃないだろう」。
    東電「はい、まだ4号機もありますが、点検で燃料棒は取り出してますので」。
    総理が苛立ち問う「いいから全部書け」。結果、1号機から6号機まで。加えて福島第二も。
    総理「とにかく、パラレルに対応しろ」。
    事故発生当初から東電の対応は、1号機が深刻になれば1号機、2号機が深刻になれば2号機に、と、
    小学生の下手なサッカーのように単一的な行動しかしていないように見えた。その後、最も深刻と言われることになる4号機が最初から記載されないことが示すように。夕方には原子炉への海水注入の打ち合わせが行われていた。私は打ち合わせに参加していない。後に「総理が海水注入を止めた」との報道があったが、それを聞いたときに違和感をもった。
    こんなことがあった。事故後かなり早い段階で、総理は東電に「政府で調達して欲しいものをリストにまとめろ」と指示。東電が提出してきたA4紙一枚には、多くの物資と共に「◯◯◯◯◯水」との専門用語が入っていた。
    総理が「これは何だ?」と問うと
    東電「原子炉を冷やすのに一番適した水です」と返答。
    総理「いまは緊急時なんだから、それじゃなくても水だったら何でもいいんだろう?水道水でも、海水でも」。
    東電「はい」。
    以上のやり取りを聞いていたので、総理が海水注入を止めたと聞いて違和感を持ったのを覚えている。爆発を受け、避難区域の拡大について打ち合わせ。基本的に班目委員長が避難範囲を提案し、避難の実際のオペレーション想定を伊藤危機管理監が行った。昼過ぎの爆発を受け、20キロに拡大。班目委員長はチェルノブイリとの比較を持ち出しながら、20キロで充分との判断。伊藤危機管理監が、その際の避難人口、病院の数、受け入れ患者数等を把握し、避難に要する時間や人手の算出にとりかかる。政治側は、拡大志向が強い反面、班目委員長は他国の事故や国際基準らを持ち出し抑制志向。20キロも充分すぎるとの感覚見え隠れ。伊藤危機管理監は、拡大する事による膨大な作業量を実務的に懸念しながら指示を受ける。
    ヨウ素剤の服用に関して覚えている事。総理と班目委員長と会話。
    総理「いつのタイミングで住民に飲んでもらえばいいのか」
    班目「いや、それは現地の医者が適時判断するでしょう」
    総理「現地の医者が判断出来るのか。医学の専門家であって、原発事故の専門家じゃない。そもそも線量の最新情報を医者が全員持っていないだろう」
    班目「いや、現地の医者が判断出来ます」
    総理「とにかく行政側から服用のタイミングについて指示を出せるようにしてくれ」
    夜には総理会見。原稿打ち合わせ。
    【4】東電、撤退用意
    3月13日(日)大震災発生から2日。
    総理執務室の横にある総理応接室を臨時の原発事故対応室として使用。その応接室付近の小部屋数室(普段は総理面会の控え室)を、東電、保安院の関係者控え室として使用。定期的に対策室宛に原子炉の状況が報告される。それを室内のホワイトボードに書き込んでいく。しかし、報告のほとんどがダウンスケール(前述:計器の張りが下限に張り付いている状態)。注水を続けても、水位計が上昇しない。それゆえ対策本部につめている東電の幹部も、保安院の幹部も原子炉の状態が掴めていない。
    いま振り返ると恥ずかしい話だが、ことここに至っても、対策本部に集うメンバーの中に、メルトダウンしているという「確信」をもっているものは皆無だったと思う。計器がダウンスケールし、状態がわからない。もちろん可能性は感じていた。だが、それが現実だとしても注水を続け原子炉を冷やし続ける事に変わりはない。東電、保安院から、昨日の水素爆発のような事案が、今後も起きる可能性が説明される。こんなやりとりがあった。
    東電より「格納容器の圧力が上昇したら今度はちゃんとベントをします」。
    細野補佐官「本当に出来るのか?」
    東電「大丈夫です。」
    細野補佐官「圧力上昇が予測出来ているなら、今からベント弁を開けておけないのか。昨日のようにイザという時にベント弁が開かない事態は避けたい。ベント弁を今から開いておいて格納容器爆発の最悪事態だけは回避すべきではないか」
    東電「大丈夫です。ベント弁は何カ所もあるので、万が一に一つが開かなくても、他のベント弁が開きます」
    細野補佐官「どうしても信用出来ない。素人発想で申し訳ないが、今からベント弁を開けておいて、閉じないように『つっかえ棒』でも突っ込んどくぐらいことをすべきでは」
    東電「大丈夫です。本当に。」
    しつこいやり取りだった。それほど、東電の現場コントロール能力に官邸側は不安を抱いていた。(その不安は現実となる。懸念していた通り、翌日ベント弁が開かず深刻な事態に突入する。)この日から原発の事故対応に加え、計画停電の話が東電から持ち込まれる。
    それは突然の話だった。都心に供給していた電気が原発事故で不足している為、震災後初の平日、翌朝の14日月曜日朝から計画停電に入るとのこと。計画停電は枝野官房長官のところで対応していた為、余り記憶にない。唯一の記憶は以下。総理秘書官室の自席の隣の小部屋。秘書官数人に加え、経産省の柳瀬総務課長(現在は安倍総理の秘書官)らと打ち合わせ。
    「もうこっちでやってるんで色々首を突っ込まないでほしい」と柳瀬氏。
    「何の事?」と私が問う。
    「計画停電で色々動いているんですが、政務(政治家)が色々と」。
    細かく聞くと、蓮舫大臣が節電担当大臣になったこと等に不満があるようだった。意思決定ラインが複雑になるから、と。確かに海江田経産大臣と新任命の蓮舫大臣と、所管事項にトップが2人になってしまう。私も急な計画停電と、それに伴う人事には驚いてはいたので同調。(この柳瀬課長とは、その後、浜岡原発停止の最終打ち合わせで再会する。その話は別の回に)
    夜10時、この小部屋に再び人が集まる。岡田幹事長をはじめ、多くの民主党幹部が官邸へ。総理(党代表)と民主党幹部の会合がセットされていた。総理は階下で会議中だったため、党幹部の方々には秘書官室の小部屋に待機してもらう。前述の自席の隣の小部屋。この小部屋、非常に狭い。大人5人で満杯状態。その為か、待っている幹部の方々が狭さに我慢しかねて部屋を出て秘書官室内に。私は自席で作業をしていたが、脇に輿石参院会長(当時)が現れた。そこで輿石会長が一言。
    「いつまで待たせるんだ」。輿石会長の独り言。
    「すみません。総理は会議が長引いておりまして」と私は立ち上がってお詫びした。頭を下げながら、震災直後、党の参院会長を待たせる事にどんな不具合があるのか、と私は内心憤る。同じ部屋では、地元の宮城が被災し、自らの家族の消息すらも分からず不安の最中にいた安住国対委員長も待っていた。安住委員長の心中察するに忍びなく。それに引きかえ輿石会長の態度たるや。怒りの言葉が喉元まで出かかるのをすんでのところで堪える。
    3月14日
    総理は執務室で公明党の山口党首と会談。私は対策本部として使用している総理面会室から隣室の総理秘書官室の机に戻る。しばらくすると、隣の総理秘書官付き室から声があがる。「あぁ!!」
    同時に秘書官付の若手が飛び込んできた。「爆発!! 4チャンネルです!!」。
    急いでテレビを切り替えると昨日と同様、爆発映像が。総理に伝えようと執務室へ向かう。「現在、政務案件中です」との声がかかる。が、構わず執務室に入る。
    「失礼します。総理、爆発です」。
    さすがに平穏な声では話せなかった。執務室のテレビを爆発映像に切り替える。大きな噴煙が空高く舞い上がっている。その噴煙の色は、黒い。昨日の一号機爆発とは、明らかに違う。
    総理の第一声。「黒いよな、これ。。。。。」
    この「黒い」という言葉のさす意味は、昨日の一号機の爆発のような建屋(外側)の爆発ではなく、格納容器(内側)からの爆発ではないか、ということ。まさしくチェルノブイリのような原子炉内部からの大爆発ではないか、と誰もが思った。山口代表との会談は即時中止され、情報収集が命じられる。詳細な情報が届くまでの間、胃が痛くなるような緊張感。本当に原子炉内部からの爆発であれば、その後の日本は、ない。執務室に関係者が飛び込む。原子炉の圧力計などから、最も懸念されていた格納容器の爆発ではなく、一号機と同様、建屋の爆発との一報。安堵。
    三号機の爆発は予想されていた。一号機で起きた事は、どの号機でも起こりうる。建屋の中に充満している水素を外部に放出できれば良いのだが、その手段がない。屋根に穴をあけようにも、火花で大爆発が懸念される。なにより、そのような作業をする生身の人間のことを思うと、相当なリスク。東電でも、設計に関わっている東芝でも日立でも次善の手段を考えていたのだが、その矢先の爆発だった。東電の思考速度や行動速度を遥かに超えるスピードで、事故は深刻化している。
    ここから、総理応接室に海江田経産大臣や保安院、安全委員会、東電関係者が常駐。次から次へと、原子炉内部の計器数値が報告される。報告内容は刻々と悪化。しかも、電源を失って、冷却が充分でない原子炉数機に対し、東電が供給出来る「冷却水」そのものの量が限られている様子。畳み掛けるように、今度は二号機に深刻な問題発生。圧力容器内の圧力が上昇。このままいけば、最も恐れている圧力容器ごとの大爆発に繋がる危険性も。徐々にその危険性が数字と共に高まっていく。とにかく、容器内の圧力を抜かなければならない。その為には、ベントをしなければならない。だが、ここでまた、ベント弁が開かない事態。昨日、細野補佐官から「ベント出来ないと困るから今からベント弁を開けるべき」と、懸念していたベント弁が、やはり開かない。「ベント弁は一つだけじゃないので大丈夫です」と、あれほど自信満々に説明していた東電関係者が狼狽。どのベント弁も開かないらしい。「二号機の圧力容器は設計圧力を超えてます」と報告あり。息をのむ。設計当初に想定していた限界圧力を遥かに超えているようだ。パンパンの状態。もう、いつ爆発してもおかしくない。そして、圧力が高すぎて冷却水が注入出来ず、核燃料がむき出しになっている可能性ありとの報告を受ける。とうとう、メルトダウンの可能性が明示的に報告され始めた。メルトダウンと、原発の大爆発。その現実味が目の前にある。すべきことは明確。二号機内部の圧力を抜く。そして核燃料を冷却水で冷やす。だが、それが実行されないじれったさ。現場では懸命の作業が行われているのだが、度重なる爆発と、想定の甘さもあって物事がスムーズにいかない。官邸側は、報告を待つ以外ない。
    現場の吉田所長から細野補佐官に電話あり。「もうダメかもしれません」との内容。気丈な吉田所長が見せた、唯一の弱音かもしれない。励まし、政府で出来る事を聴取。要望のあった高圧の放水車の調達に取り組む。東電の武藤副社長が後ほど会見を行う旨、発表。それと同時にNHKが「核燃料がむき出しになっている可能性」と報じる。「二号機への注水が出来ていない」とも。
    官房長官の様子を伺いに、長官室を訪問。扉を開けると枝野長官と海江田経産大臣が二人で会談中。「失礼しました」と部屋を出ようとしたら、「入っていいよ」と誘われ入室、着座。現在の状況等を私から報告。すると、経産大臣秘書官が「大臣、東電の清水社長からお電話です」と入室。
    大臣「いーよ、もう出ない。さっき断ったんだから」と電話取り次ぎを拒否。
    たまらず私から「何のお電話だったんですか?」
    海江田大臣「なす術ないから、現場から撤退したいって話」。
    枝野長官「俺にもきたよ。その電話。もちろん断ったけど」。
    初めて聞いた私は驚愕した。現場から東電が撤退したら荒れ狂う原発を誰が押さえ込むのか。
    慌てて海江田大臣に「そのような重大なお話なら、お電話に出ないのはお止めください、再度お電話にでて、しっかり断って下さい」と頼み込む。
    海江田大臣「そうだな」と言って席を立ち電話を受け取る。
    官邸内部の空気も一変していた。「注水不能、核燃料がむき出し」との報道もあり、いよいよ深刻な状況になってきていることは、誰もが知る状態だった。普段は凛々しいSP(警護官)の方々も、さすがにソワソワしているようだった。私達の会話を通じ、何が起きているか把握しようとしているようだった。多くの人が慌ただしく動きまわる。総理応接室で二号機の進捗報告を待つ。
    海江田大臣が「さっき、このフロアに松永経産事務次官がいた。彼も、俺に東電の撤退を了承させようとしにきてるのか」。
    吉報。内部圧力の低下が報告。総理応接室に集う関係者一同、久しぶりの吉報に安堵。「早く注水を!!」気持ちが焦る。しかし、待てども注水開始の一報が来ない。現場に確認すると、「注水の練習をし過ぎて、注水車のガソリンが切れた」と、初歩的ミスが報告。急いでガソリン補給をしてもらう。政府でもガソリンの緊急搬送の可否を検討。「注水はまだか、注水はまだか」。報告を待つ関係者の苛立ちは高まる。刻一刻と爆発とメルトダウンが近づいていることへの焦り。(後ほど検証すると、すでに事故翌日にはメルトダウンしていたことが明らかになったが、事故当時は、このとき初めてメルトダウンの危険性が報告されていた)。しばらくした後、「注水されました!!!」との現場からの報告。思わず歓喜の声があがる。「良かった。。。。」ソファにへたり込む人も。
    テレビでは、遅れに遅れた東電の武藤副社長の記者会見の様子が。武藤副社長から一連の深刻な事態に関する説明。しかし、再度注水が開始されたことは説明されず、記者会見を映すテレビの字幕は「二号機注水できず」のまま。「なぜ、東電は注水再開を発表しないのか」。官邸内では訝しがる声。「注水再開を発表せず、注水不能のまま説明し続けるのは、東電が撤退する前提を作る為か?」そんな懸念まで浮かぶ。
    たまらず細野補佐官から吉田所長へ電話。
    細野補佐官「注水再開を本店側が発表しない。なぜか?」
    吉田所長「え??本当ですか?」と驚いた様子だったという。深刻な状況は続いていたが、二号機の圧力は低下し、注水が再開されたことに、つかの間の安堵。
    【5】統合本部設置へ
    14日夜。
    爆発寸前だった二号機の圧力低下、注水再開で一時の安堵。しかし、根本的に解決には向かっていない。
    総理応接室に原子力安全委員会や保安院、東電の関係者を集め、今後の推移を予測、議論。
    保安院の安井氏から、
    「今回は何とかピンチを切り抜けたが、これから同じような事が起き続ける。そして、いずれ、ベント弁が今度こそ開かなくなる時が来るだろう」。
    「どれぐらい持つのか?」
    「一、二ヶ月の間に、そんな時が来るかもしれない」。
    同席した原子力安全委員会の班目委員長ら数人も同意見。
    +++++++++++++++++++++++++++++++++
    原子炉への対応サイクルは以下の通り。
    核燃料の温度を下げるべく、冷却水を注ぐ
    冷却水を浴びた核燃料から大量の水蒸気が発生する
    その水蒸気が圧力容器内を満たし、圧力容器内の圧力が上昇
    圧力容器内部の圧力が高いため、外部から冷却水が入らない。
    圧力が下げる為にベントを行う。
    圧力が下がって、再び冷却水を入れる。
    以上の繰り返し。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    「これの循環が続くなか、ある時、本当にベント弁が開かなくなったらどうするか」。
    「殺人的な線量となった場合、または爆発した場合、以後の対応は」等々。
    一同、重い重い将来の現実を目の当たりにする。そして、その瞬間は、遅かれ早かれいずれ訪れるとの予測。「それと」と、保安院の安井氏が話す。
    「東電が現場から撤退するとかしないとか話がありましたが、私たち(技術者・役人)が判断するのは、あくまでも原発の構造と今後の推移です。東電が撤退するしないは、政治側で決めて下さい」。
    「わかってます」政務の誰かが答えた。
    さきほど東電からあった撤退の申し出を断る事は当然として、それでも今後起こりうる深刻な事態に対して、政治的にどう判断するか、それが迫られていた。判断というよりも、決断。いわば「現場で働いている方の命が極めて危険な状態になることを承知の上で、原発事故を収束させる為に働いてもらうこと」が迫られる。大勢の国民生活を守る為に、少数の国民に犠牲を強いることに他ならない。
    「現在の状況を踏まえ、総理にご判断頂くべきだ」と福山副長官。
    「ならば」と、全関係者を招いて会議を開く事とした。判断は一つしか無い。が、それが余りにも重い。総理にその最後の決断をしてもらわねばならない。日々徹夜で対応に追われている私たちは、心のどこかで「いつかは爆発してダメになるのか。。。」そんな不安を抱えていた。それほど、疲労が心を弱めていた。その後、この会議は「御前会議」と呼ばれるようになった。臨時の原発対応室となっていた総理応接室を片付ける。テーブルの上は原子炉の状態を示すデータ書類が山積み、タバコの吸い殻、ウーロン茶の缶、食べ物で散乱していた。すべて綺麗にした。綺麗になった机の上に、緩い缶コーヒーとウーロン茶を並べた。臨時の椅子を増やす。
    海江田大臣が突如「みんなと写真とってなかったな、撮ろうか」と提案。
    一同戸惑う。綺麗になった総理応接室で、その場にいた班目委員長らと並んで写真を撮る。「なんでこんな時に。。。。気でも触れたのかな」と不安になった。関係する大臣らに招集をかける。御前会議が開かれるまでの間、数人で総理執務室で総理を囲む。総理、長官、福山副長官、細野補佐官、伊藤内閣危機管理監、そして私。東電から撤退の申し出があったことを総理に報告。
    総理から「撤退するって、それじゃあ原発はどうするんだ」と一喝。
    「自分たちでコントロール出来ないから、他国に処理をお願いするなんてことになったら、日本はもう国としての体をなしてない」。
    現場の吉田所長に電話する。
    総理から「撤退との話があるが、まだ出来るか?」
    吉田所長「まだ出来ます」。
    続々と御前会議招集メンバーが総理応接室に集まってきた。会議定刻。総理、正副官房長官、総理補佐官、経産大臣、防災担当大臣、危機管理監、原子力安全委員長、保安院幹部ら十数人。
    官房長官から説明「現状、原発の状況が相当深刻な状態にある。それに加え、東電から現場を撤退したいとの申し出もあった。官邸側として撤退は認めていないものの、これから一層事態が深刻化した場合、どのような判断をとるか決めていきたい」。
    普段饒舌な長官だが、珍しく導入が下手な気がした。なかば撤退を将来的に認めるかのような導入だった。一瞬の沈黙の後、総理が強い口調で発言。
    「撤退なんてあり得ないんだ!撤退を認めたらこの国はどうなるんだ!」
    「そうだろう!」と原子力安全委員長を指差した。「どうなんだ!」
    明らかに威圧的な聞き方だった。
    委員長「撤退はありません」。
    総理「お前はどうなんだ!」と今度は委員長代理に。
    代理「ありません」。
    総理「お前は!」と保安院安井氏に指は移った。
    安井氏「ありません」
    先刻、安井氏から言われた言葉を思い出した。
    「東電が現場から撤退するとかしないとか話がありましたが、私たち(技術者・役人)が判断するのは、あくまでも原発の構造と今後の推移であって、東電が撤退するしないは、政治側で決めて下さい。」
    まさしく、それを強要している場面だった。隣の細野補佐官に小声で話す。
    「これはまずいんじゃないですか。政治で決める事でしょう」。
    細野「この雰囲気じゃ、、、、何も言えない。。。」
    総理の意見に反対ではなかったが、先刻の安井氏からの真っ当な意見に基づいて口を挟んだ。
    「総理の勢いに構わず、技術的なご意見で結構です」。
    一瞬、戸惑いが見られたが、総理の勢い変わらず。結局、聞かれた全員が「撤退はありえない」との答え。
    総理から「そうだろう」と満足した様子。
    続けて「今から東電に行って、政府と東電の統合対策本部を作る」。
    一つの方向性が決められた。撤退の意思を持つ東電に直接に乗り込んで抑え、統合本部結成により滞っている情報共有含め諸問題を改善したいとの意図。それに際して、一点疑問が浮かんだ。(例え撤退が阻止されたとしても、今後、原発の線量が一層高くなり、作業員が自発的に逃避する事態になったら、どのような権限で、それを食い止めるのか。そもそも、総理が民間企業に深刻な命令を下すことは出来るのか)。そこで、
    「統合本部を作って撤退を食い止めるとして、その権限の法的根拠はどこにあるのでしょうか」と発言した。
    すると、長官から「そんな法律云々は、いま関係ないんだよ!!」と怒鳴られる。(むしろあなたが考える立場だろう。。)と悔しくなる。
    「東電の清水社長を官邸に呼べ」。
    その指示をもって、いわゆる御前会議は終了。長官ら一部が、総理執務室に移動。その場で改めて総理から
    「これで東電が投げ出したら、全ての原発がダメになる。福島第一だけじゃなく、第二も、それ以外の原発も。それは東日本全部がダメになるってことだ。」
    「そうなったら国の体をなしてない。そんな日本だったら、他国から管理される結末になる」
    「東電に統合本部を作る、統合本部の本部長は私、事務局長は細野君」。
    一通り、総理の想いと指示を受け止める。
    再び、私から「統合本部の法的根拠と指示権限をはっきりさせたほうがいいのではないでしょうか」と問いかける。
    再度、官房長官から「だから、いまそんなことをはいいんだよ!!」と怒鳴られる。
    よく怒鳴られる日。それでも、社長でもない総理が、東電社員に指示を下すことができるのか、法的に整理はしとくのは当然と思った。向かいに座る滝野官房副長官の後ろにまわり、耳元で「長官はあぁ言われましたが、副長官のところで早急に検討しておいて下さい」とお願いした。東電の撤退要請を受け、政府と東電の統合本部を作る事を決定。清水東電社長を官邸に呼ぶ。東電の清水社長が到着したとの一報。「私が迎えに行ってきます」と立ち上がった。
    総理執務室を出ると、扉の前には既に清水社長と従者2人。
    「社長お一人で入られますか?それとも全員で入られますか?」
    清水社長「私一人で参ります」。
    清水社長と共に総理執務室に入室。総理の斜め前に座ってもらう。
    総理から「まず、撤退はありえない」。
    すると、意外なほどあっさりと「はい。。。」と清水社長が答えた。
    撤退要請の電話を受けていた長官や経産大臣は意外な表情。関係者一同も首をかしげた。
    総理から「これから政府と東電の統合対策本部を作る。本部長は私。事務局長に細野君。直ちに東電に行くから、準備するように。どれぐらい準備に必要か?」
    これには清水社長も驚いた様子だった。清水社長「二時間ぐらいあれば。。。。」
    総理「そんな悠長な時間はない!!」
    清水社長「・・・・・・・」
    総理「一時間で用意して下さい。細野君を同行させます」
    清水社長「はい。。。」
    短い会議が終了。席を立ちかけた清水社長に私から一問。
    「統合本部設置に東電は同意したという事でいいですね?」
    清水社長「はい。結構です。」
    今後の為に、双方の同意である事を確認しておきたかった。総理が命令を直接下す立場になる以上、しっかり同意してもらいたいと。清水社長が帰った後、急いで準備に取りかかる。秘書官室に戻り「集合して下さい」と秘書官達に声を張り上げた。
    「これから政府と東電の統合本部が設置されます。それに伴い、まもなく総理が東電へ向かいます。以下二点、作業お願いします。一点目、統合本部の法的位置づけを詰めてください。二点目、総理出発時に玄関でぶら下がり取材を行います。その段取りと、その際の発言案を用意してください。 以上」
    直ちに各秘書官が作業に取りかかる。本当に優秀なスタッフ。
    岡本政務秘書官から呼び止められる。「総理からいま呼ばれまして『東電の職員が逃げ出し始め、原子炉が最悪の事態になったら、もう一度私が現地に再度行く可能性がある、準備せよ』と。どうしましょう?」重い相談を持ちかけられる。聞いた私も、問いかけた岡本秘書官も、現実化したときのことを想像してゾッとした。作業員が逃げ出すような現場に行くってことは、間違いなく死ぬじゃないか。メルトダウンだらけの原発事故現場に行くのか。。。。。しかも決死隊の一人として。
    「とりあえず、輸送ヘリのスーパービューマの状況確認だけしておきましょう」と返答。
    防衛省出身の秘書官にヘリの運航状況のチェックを命じる。それと共に岡本秘書官に「東電までの道中、総理と同乗させてくれ」と頼む。東電に着く前に、熱くなっている総理にクールダウンしてもらおうと思った。東電行きの準備は進められているが、突然の訪問ゆえ、官邸側の準備も大わらわだった。通常の総理専用車が点検にまわっていて使えない。急遽予備の専用車を用意。運転手も深夜だったので就寝中。急いで起きて準備してもらう。警察も東電までのルート確認、警備、事前チェックにてんてこ舞い。連日の徹夜でシャツにサンダルというスタイルだった私も、久しぶりにジャケットとネクタイをしめ、革靴を履く。準備が整い、総理執務室を出る。階下のエントランスホールで記者たちへの取材。簡単に済ませて車に乗り込む。久しぶりに私も総理車に同乗。車中、総理は意外なほど落ち着いていた。官邸から東電は驚く程近い。信号が青なら5分程度。
    急いで総理にご進言。「先刻、岡本秘書官にご指示あった原発行きのヘリは現在手配確認中です」
    総理「うん」
    「一点、僭越ながらお話ししたいのですが」
    総理「いいよ」
    「ご指示の通り、事態が一層深刻化した場合に、総理が再度福島原発入りできるよう準備はしておきます。ただ、いざ決死の覚悟で超高線量の現地に行く事は、同行する私も含め、多くの秘書官、警備の警護官には相当の心の準備が必要になると思います。12日の現地入りでさえ、表には出しませんが多くの同行者は心の底で恐怖感を持っておりました。今後、総理ご自身が再度現地入りを決行される場合は、そのような想いの多くの若手が含まれる事をご留意ください。高線量被爆で死ぬ可能性が必至の場合は、総理お一人で向かって頂くことになりかねません」。
    決断に従う立場の私が、このような進言をすることに躊躇はあったが、私以外に総理に伝えられるものはいなかったから、全く余計なことではあったが、総理にお伝えした。自分の弱さが如実にでた瞬間だった。やはり、まだ死にたくない、将来子供を授かりたいとの想いが、いざ死の覚悟を迫られた時に出てきたのだと思う。それと、進言出来ない秘書官や若い警護官の気持ちを代弁したいとの想いもあった。
    総理は「そうか〜、 やっぱり怖いかな〜」と意外とケロっとしていた。
    そして「俺はもう歳だからな。余り怖くないんだよ。若い人にはやっぱり恐怖感あるかもな」と、少し微笑みながら話していた。
    官邸に清水東電社長を呼び、政府と東電の統合本部を設置する事が決まる。官邸から五分の東電本店へ急行。急遽決まった総理東電行きにもかかわらず、東電本店玄関口には多くのマスコミが。ライトとフラッシュの中、車は地下駐車場へ。そこから本店内の対策本部へ早足で進む。
    対策本部に到着。馬蹄形のテーブルに社長をはじめ東電幹部。その向かいの長テーブルに総理らが座る。私は総理の斜め後ろ、福山副長官の後ろに座る。東電の職員が「広報班」等書かれたビブス(メッシュのランニング)を着て走り回っている。廊下では談笑している人もいた。
    細野補佐官から「総理からお話があります」と仕切り。
    ここで総理が話した内容に関しては、既報の通り。私の記憶の断片は以下。
    「撤退は許されない」
    「撤退したら、日本はどうなるのか。東日本は終わりだ」
    「自国の原発事故を、自ら放棄する事は、国として成り立たない。そんな国は他国に侵略される。」
    「撤退しても、東電は潰れる。だからやるしかないんだ」。
    「60歳以上の職員は全員現地に行く覚悟でやれ。俺も行く」。
    このような内容を怒鳴るように話していた。車では落ち着いていたのに、結局、幹部を前に激高してしまったようだった。話も繰り返されるようになり、長めに。後ろを振り向くと、各現場とオンラインで繋がっているテレビシステムがあり、その画面の中で各現場は作業を停めて総理の話を聞いていた。(これじゃ作業の妨げになる)そう思って前に座っている福山副長官にメモを渡す。
    「長過ぎます。話を止めることは出来ませんか」。
    副長官の表情は困難を示していた。総理と、怒鳴り演説を聞く幹部、職員、作業員との温度差は深刻だった。総理の話が終わり、総理が振り返る。
    「俺に誰が説明するんだ!!??」と叫ぶ。
    「こんなデカい部屋じゃ何も決められない!!」。
    異様な雰囲気。東電幹部、職員が唖然とする。対策本部の大部屋の廊下向かいの小部屋に移る。ここの壁にも現場とオンラインで繋がったテレビ会議システム。福島第一原発の内部が手に取るようにわかる。ボタン一つで、吉田所長と話が出来る。(官邸にいた今まではなんだったんだ。。。。こんなシステムがあるのなら、さっきの注水開始だって本店が知らないわけないじゃないか)
    小部屋には、政府側は総理、経産大臣、福山副長官、細野補佐官、班目委員長、保安院安井氏、そして、総理秘書官ら数名。東電側は勝俣会長、武藤副社長、後ほど東芝らメーカーの人も加わっていた。清水社長はウロウロ。勝俣会長に、初めて会う。非常に小柄だが、清水社長とは比べ物にならない存在感。周りの対応も清水社長とは違うようだった。
    政府用に小部屋をもう一つ用意してもらった。そこは電波の通りが悪く、官邸残留組との連絡が滞る。政府首脳が乗り込んだこともあって、至極居心地が悪い。総理のいる小部屋では勝俣会長と武藤副社長による現状説明と、今後の予測が話されていた。しばらくすると段々人が減っていく。総理がうたた寝をし始めた。さすがにみっともないので突いて起きてもらう。(もう体力的にも限界か。大きな判断が続き疲れているのだろう)。怒り気味の人が話しかけてきた。
    「寺田さん、酷いじゃないですか。官邸に置いてくのは!!」
    突然怒られる。誰だろ?と戸惑ったが、官邸に清水社長と一緒に来た従者の方。清水社長が一人で総理執務室に入室したもんで、小部屋で待機してもらっていたのだ。清水社長は、その従者を小部屋に迎えに行く事無く、細野補佐官と東電本店に戻ってしまっていたようだ。(置いてったのは清水社長だろ)
    【6】首都圏に放射性物質
    15日早朝、東電本店。
    しばらくすると、総理がいる小部屋には数人のみ。総理と向かい合って座るのは、勝俣会長。総理がおもむろに落ち着いた声で勝俣会長に一言。
    「絶対に撤退は無い。何が何でもやってくれ」。
    その総理の言葉に対する勝俣会長の返答は、返答の持つ意味の重さを微塵も感じさせない程あっさりとしていた。
    「はい。子会社にやらせます」。
    総理の隣で聞いていて、思わず身をのけぞった。適不適を論ずるつもりは無い。シビア過ぎて、怖かった。
    再び小部屋に人が集まり始める。従前のメンバーと吉田所長との会話が続く。その途中、急に現場側が騒がしくなったのをモニターを通じて知る。
    吉田所長「すみません、ちょっと中断します!!」
    かまわず話しかける武藤副社長や総理。
    吉田所長「いや、いまちょっと緊急事態です!!!!」
    鬼気迫る声が響く。
    吉田所長「爆発音があり!!  おい! 作業員の退避云々・・・・!!」
    現場では壮絶なやり取りがはじまる。2号機で爆発か、そう東電本店内でも大わらわになる。(とうとう、か。)と一層重い気持ちになる。
    吉田所長「現場から退避させます!許可お願いします!」
    小部屋を抜け、向かいの対策本部をのぞいてみる。社長以下、各本部長が馬蹄形の机に並んでテレビ会議システムの大きなモニターと向き合っている。
    東電幹部「はい!、じゃ、退避の文章案、総務部長読んでみて!」
    モニターには退避にかかる案文が映し出されていた。「ここは直した方が良い」等々の会話があった。最後に清水社長が「これでいいね」と幹部に問いかける。(この緊急事態に文章作成????)と、その四角四面な対応を理解するのに時間がかかった。悠長さに驚く。その文章は直ちに向かいの小部屋の勝俣会長と総理に届けられる。統合対策本部長となった総理の決裁を仰ぐ。
    勝俣会長「よろしいですか?」
    総理「・・・・・注水の人間は残してくれ。。。注水の作業員を除いての退避は認める。」(さっきまでうたた寝してたのに、凄い決断をするんだな)と、内心驚く。
    国のトップが国民の一部に対し決死の作業を命じた。多くの国民を守る為に、一部の人間に犠牲になってもらう、そんな決断だった。震えた。
    勝俣会長「わかりました」。
    爆発は予想以上に深刻だった。テレビ会議システムを通し、リアルタイムで情報が入ってくる。原子炉内の圧力の低下、飛躍的にあがる放射線量。種々の機器の故障。統合本部を結成した矢先に敗北的に深刻な状況が続く。胃が握りつぶされるような重圧がのしかかる。(もう、日本は終わるのか。。。。)
    東電内にもうけた政府控え室で数人と打ち合わせ。総理をいつまでも東電に留まらせるわけにはいかない、との判断。閣議の日程があるので、それを機に官邸に戻る事に。誰が東電に留まるか、打ち合わせ。
    海江田経産大臣と、統合本部の事務局長となった細野補佐官が残る事に。総理と福山副長官には官邸に戻ってもらう。自分はどうしようか悩んだが、残る事にした。これから居心地の悪い東電に留まり、
    ここから長丁場な戦いに挑む経産大臣と細野補佐官に申し訳ない。官邸に戻る際に福山副長官から「東電に飲まれるなよ」と一喝。その言葉は少し不快だった。
    総理と副長官らが官邸に戻る。東電内の政府控え室に経産大臣、細野補佐官、私の三人がぽつんと残る。「置いてかれましたね」と、ぽつり呟く。急遽決まった東電との統合本部、東電乗り込み。勢いでここまできたものの、ここから実質的な立ち上げとなる。連日続く事故対応等に精神肉体共に限界に来ている三人だったが、もう一度気持ちを振り絞る。
    「やるしかないよな」と細野補佐官。
    しばらくすると、総理から電話。
    総理「お前何処にいるんだ?」
    「東電です」。
    総理「いいからお前は戻ってこい」。
    申し訳ない気持ちで東電を出ることに。くる時は総理車同乗だったので、自分の公用車がない。地下でタクシーを捕まえ、官邸の裏まで運んでもらう。この日の空はとても青かった。秘書官室の自席に戻ると、事務職員の女性2人がマスクをしていた。昨日までしてなかった。異常な雰囲気を感じ、自発的にマスクをしたのか。
    統合本部の設置は、官邸に劇的な変化をもたらした。いままで滞りがちな情報が瞬時に官邸に届けられる。自席に定期的に配られる、原子炉の状況を記すペーパーの枚数も増えた。だが、そこに記されている現状は決して喜べるものではない。
    昼過ぎだったと思う。携帯が鳴る。東電に常駐している細野補佐官からメール。そこには一言。
    「渋谷の線量、通常の100倍」。
    定期的に配られるようになった原発周辺の線量数値も、見た事もないような数字に跳ね上がっていた。
    言葉が出なかった。何かが始まってしまったのか。どうなるのか。もう、東京はダメなのか。その後、テレビで自宅の窓を閉めるよう専門家の見解が示されたり、首都圏の水の汚染による、幼児への摂取自粛が報じられるようになった。いよいよ原発の影響が首都圏でも如実にあらわになってきた。「もうダメなのではないか」と言う雰囲気が醸成されている感じがした。
    友人から「産まれたばかりの赤ちゃんがいるが、避難した方がいいか教えてほしい。絶対他人には言わないから」
    「家の購入の期限が明後日に迫ってる。東京はもうダメなのか?契約はやめた方がいいか」
    そんなメールが続々と寄せられた。現状の状況は東電の統合本部から送られてくるから解るが、それを分析する知識は私にない。今後の予測は、今まで数日の通り、誰も予測出来ていない。東電も、専門家も。答えられないメールが沢山たまる。
    報道から「官邸の移転を検討しているとの話、本当か?」との問い合わせ。
    少なくとも総理室にはそのような情報はない。「俺は知らない。誰かが個人的に考えているかも」と返答。
    「天皇陛下が京都に移られたとの情報はあるが」との問いには「そのようなことはない」。
    外交環境も深刻さを増していた。
    「オバマ大統領が相当悩んでいるらしい。もしかしたらアメリカ人全員の日本からの退避が近々決定されるかもしれない」。そんな話が秘書官室で語られた。アメリカ人全員の退避決定は、在留外国人全般に大きな影響を及ぼす。オバマ大統領の懸念は2点と言われていた。
    一つは、四号機燃料プールの状態。
    もう一つは、日本政府の決死の覚悟。
    今まで余り話題となっていなかった四号機だが、その状態は他の原発とは決定的に違う。震災発生当時、四号機は定期点検中で、発電に使われる核燃料棒は格納容器から取り出され、一時的に使用済み燃料プールに移動され%