2016-09-03

二重(ふたえ)と日本人

突然だが、私は外見にコンプレックスがある。

私は一重(ひとえ)、それもかなり腫れぼったいタイプの一重だ。生まれからずっと、自分のまぶたを呪い続けてきた。

一重が嫌で仕方がないので、私はアイプチ(まぶたを固定するノリのようなもの)を利用して二重を装っている。

毎晩寝る前にアイプチを使って二重を作り、そのままの状態で寝て次の日はアイプチを落とし、さも生まれつき二重であるように装って生活を送っている。

この習慣を続けたおかげでまぶたにクセがつき、前日アイプチしなくても次の日も二重で朝を迎えることができるようになってきている。

アイプチを使いすぎるとまぶたの皮膚が伸びて老後酷いことになるそうだが、数十年後にはもっと安く簡単に整形手術が受けられるようになっていることを祈って今はゴリ押ししている

…と、私の話から入ってしまったが、本題はもっと別のところにある。

私はアイプチを使い始めてからずっと、

「(若い日本人ほとんどは一重であるはずなのに、テレビに出ている若い人のほとんど全てがキレイな二重なの、おかしくね???

と思っている。悶々としている。

ちなみにこの考えにはいくつか注意書きが必要で、

(1)歳を取るとまぶたの脂肪が落ちて皮膚が薄くなるため、生まれた時は一重の人物でも歳を取って二重になることは結構ある。つまり、年齢層の高い二重の人は多い(はず)

(2)男性の一重or二重が重要視されることは女性比較して少ないので、テレビに出てる人でも一重の男性結構多い。

(3)ただしジャニーズを見れば分かるが、女性ウケを狙う「若いイケメン男子ほとんどは二重まぶたである

ということをツッコミをさけるために先に断わっておく。

私はまぶたにコンプレックスがあるので、コンプレックス意識し始めてからずっと他人のまぶたに注目して生きてきた。だからこそ言えるのだが、ほとんどの若い日本人はやはり一重まぶたなのである(ちなみに私は大学生なので、基本的若い日本人のまぶたの傾向しかからない)。これは男女両方に言えることで、どう考えても一重まぶたの人が多い。私の主張に疑問を持つ人は一度小学校中学校卒業アルバム個人写真ざっと見てみればいい。化粧も整形もしていない少年少女ほとんどのまぶたは一重のはずだ。

それでもって若い女性の多くは私と同じようにアイプチを使って二重まぶたを装っている。言い忘れていたが、アイプチは完全な一重まぶたの人のみが使うのではなく、奥二重の人が綺麗な二重に形を整えるのにも用いられるので、今では結構多くの若い女性アイプチやこれに準ずる化粧品を使っている。さらに、男性がこのアイプチを使うこともある。整形手術をせずとも誰でも二重まぶたになれるのだから、かなり便利(?)な世の中になったのだ。

別に独自客観的統計をとったうえで、その分析結果に基づいてこの主張をしているわけではないのだが、少なくとも女性に関しては間違いないと胸を張って言える。くらい明らか。

是非ともこの日記を読んだ方は、テレビに出ている人物が一重まぶたである二重まぶたであるかを意識してテレビを見てほしい。別にテレビでなくとも、電車の中の広告SNSタイムラインに流れてくる画像の人物のまぶたに注目してほしい。びっくりするほど二重まぶたの人物で溢れ返っているはず。

さて、ここまで読んだ読者にはきっと「そりゃあ多くの視聴者が見るテレビなんだからウケの良い(と思われる)二重まぶたの人物を多く起用するのは当たり前のことじゃないか」と考える人もいらっしゃるだろう。確かにその考えは至極真っ当で、私だって一重が嫌で二重に憧れてアイプチを使っているわけで、多くの人々が二重まぶたを美しいと感じているのは事実だろうし、テレビ番組視聴率を取りたいわけだから一般に美しいと思われている二重まぶたの人を積極的に起用するのは理に適っている。その通りである。間違いない。

しかし一度立ち止まって考え直してほしい。

我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになるのは、幼いころからテレビ雑誌二重まぶたの人たちばかりを見ているからではないか

我々がもとから二重まぶたは美しい」と考えるのではなく、メディアによって「二重まぶたは美しい」という選好を植え付けられているのではないか

我々が日本史の授業で目にする平安時代の絵巻物や江戸時代浮世絵の「美人」はみんな一重まぶたではなかったか

我々が「二重まぶたは美しい」と考えるようになったのは西洋人が身近になった明治以降のことではないか

そして私のように、一重まぶたにコンプレックスを抱き、様々な化粧品を試して必死二重まぶたを装おうとしている人こそ一度考えなければならないのは

世の中のトレンドを作り出すことで私腹を肥やす薄汚いブタ野郎が、「まるでそれが普通であるかのような空気を作り出す」ことで、消費者の行動を一つの方向に導くことがある

ということだろう。ブタ野郎の手のひらの上では踊りたくないのはきっとみんな同じ。

普通に考えて、多くの日本人が一重まぶたであるにもかかわらず、二重まぶたの人ばかりが日本メディアに出ているのは異常ではないか

これを言うと陰謀論臭くなって嫌なのであまり言いたくはないし費用対効果の点から現実味ほとんど無いのだが、この状況、化粧品会社美容外科業界タレント業界メディアが結託してしたりしないか政治学には「非決定権力」やルークスという人が唱えた「第三の権力」という概念がある。興味のある方はぜひとも調べてみてほしい。

※私は「二重まぶたの人がテレビ画面を占め、それを見る我々一般人がそれを普通だと認識している」この状況が異常であると主張しているだけで、二重まぶたの人をテレビから引きずり出せとか一重まぶたこそが真に偉大であるとか言いたいわけではない

自分で書いていて着地点が分からなくなってきたのでこの辺にしておこう。

一重まぶたには一重まぶたの、二重まぶたには二重まぶたの良いところがあるわけだから、それぞれの良いところを認め合える世の中になればいいなぁ。

二重まぶた女性しか出てこないテレビ普通の人はおかしいと思わないのかなぁ。

普通だと思われていることに、常に疑問を投げかけられる人間消費者?)でありたいなぁ。

ああ、二重まぶたになりたい。

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