つれづれイタリア~ノ<78>ランプレ・メリダが中国のチームに 経済危機でわかるイタリア人の適応力
8月26日、あるニュースがイタリア全土を駆けめぐり、イタリアの自転車ファンの間に激震が走りました。「ワールドツアーシリーズ」に残っていた最後のイタリアのチーム、ランプレ・メリダが中国登録になるということです。これにより、ついにワールドツアーからイタリアのチームが消滅することになります。前代未聞の緊急事態です。
イタリアワールドツアーチームが消滅!?
8月26日に北京で行われた会議で、チームマネージャーのジュゼッペ・サロンニ氏が出席する中、ランプレ・メリダと中国のTJスポーツ・コンサルテーション(TJ体育諮詢有限公司)の間で協定が結ばれ、2017年からTJスポーツ・コンサルテーションがランプレ・メリダのメインスポンサーになりました。新チームの目標はツール・ド・フランスで上位を目指すことと、次のオリンピックに向けた中国自転車競技の発展です。
TJスポーツ・コンサルテーションがメインスポンサーになるため、ランプレ・メリダのイタリア登録が抹消され、2017年度から中国のチームとして登場します。協定の期限は東京オリンピック開催までの4年。イタリアサッカーリーグのACミランとインテルナツィオナーレ・ミラノ(インテル)に続き、新たにイタリアのチームが中国企業の傘下に入るため、多くのファンは衝撃を隠せません。まるでトヨタ自動車が中国の企業に買収されるような大事件です。
ワールドツアーが発足した2005年、イタリアのワールドツアーのライセンスを持っていたチームは4つもありました。2015年にイヴァン・バッソ(イタリア)が所属していたリクイガス・キャンノンデールがイタリア登録からアメリカ登録になったため、イタリア登録の最後のワールドツアーチームになったランプレ・メリダはイタリア人の誇りでした。2017年、新規のイタリアのワールドツアーチームの登場がなければ、イタリアのチームの消滅を回避することは不可能となります。なぜこのような事態に陥ったのでしょうか。
膨張する運営費にスポンサーが相次いで撤退
フランスの歴史あるチームFDJのマネージャー、マルク・マディオ氏がランプレ・メリダのニュースを受け、8月30日付、フランス紙のル・テレグラム電子版のインタビューに対し、こう述べています。
「ワールドツアーが発足した当時の目的は、トップのレースをシリーズ化し、トップのチームを参加させることで歴史あるレースを尊重し、自転車業界全体の質の向上に務めるはずでした。しかし現在、真逆の方向に向かっています。伝統あるベルギー、フランス、イタリア、スペインの国内のカレンダーを無視し、世界中にレースを作り続けています。ワールドツアーライセンスを持っているチームは参加義務があるので、今の体制と経済力だと負担が重すぎます。歴史あるスポンサーも離れ、チームの存続自体が不可能になりつつあります。それに加え伝統ある国内大会も激減し、ほとんどのチームはUCI(国際自転車競技連合)の動きに反対しています。UCIは自転車業界の改革ではなく、明らかに改悪に向かっています。イギリス主導のUCIは全員辞任すべきです」
とても強い言葉でUCIが進めている改革に反対し、イタリアのチーム消滅の原因をうまく説明しています。ランプレ・メリダはワールドツアーのライセンスをもっているチームとしてワールドツアーカレンダーに強制的に参加する義務があります。重なる大会の影響で選手、スタッフ、機材の増加が欠かせず、母体であるランプレが出資できなくなりました。
現制度ではどのチームもテレビ放映権を得られないため、ランプレ・メリダだけでなく経営破たんに追い込まれているチームが多いです。同じ理由で来年、アルベルト・コンタドール(スペイン)とペテル・サガン(スロヴァキア)が所属しているティンコフとスイスのイアムサイクリングも消滅します。
チームの存続を優先した“イタリア人”気質
イタリアのワールドツアーチームが消えても、イタリア人選手が消える心配はありません。ここにイタリア人の妥協と生き残り術があります。
よく見てみると、アスタナ プロ チーム、トレック・セガフレード、チーム スカイ、チーム カチューシャや、2017年に発足するといわれている新チーム「バーレーン・メリダ プロサイクリングチーム」にもイタリア人選手とイタリア人スタッフが多数所属し、選手も輝かしい成績を残しています。さらにファビオ・アール(イタリア、アスタナ プロ チーム)のような新しい星も生まれつつあります。
イタリア人自身は、イタリア登録チームのことは実はあまり気にしていません。働き口があればどこへでも飛んでいきます。この柔軟な考え方の背景には、イタリアが持っている長い移民の歴史があります。19世紀に起こったアメリカへの大移動だけでなく、多くの著名人と知識人も海外に移り住みました。
『東方見聞録』の作者であるマルコ・ポーロ(1254~1324)はヴェネツィア出身で、チンギス・カンの息子、モンゴル帝国皇帝のクビライの資金援助を受けて中国に居座りました。アメリカ大陸の発掘に貢献したクリストフォロ・コロンボ(英語名:クリストファー・コロンブス、1451~1506)はスペイン王女の資金援助を受け、大航海の旅に出ました。
またルネッサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)がフィレンツェとミラノを経て、フランス王のフランソワ1世に招かれ、年金を受けながらフランスの地で晩年を過ごしました。オペラの巨匠、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868)も1855年にパリに移り住み、フランスで息を引き取りました。
実はイタリアが統一されたのが155年前。その時までイタリア半島には小さな国が散らばっており、経済力が弱く、自国で生活できなければ海外に移り住むという能力が自然に身に付きました。ランプレ・メリダの選択も同じで、チームの消滅を避けるため、海外の資本を受け入れ存続する道を選びました。これがティンコフとイアムサイクリングと異なる点です。
チームの存続がイタリア登録であるプライドに打ち勝ったのです。4年間の猶予を設け、UCIの動向を見守る作戦でしょう。私も日本に住んでいる「イタリア移民」としてよくわかることです。ランプレ・メリダが次にどんな一手を出すか、楽しみです。
■ワールドツアーシリーズとは
2005年にUCIが発足させた自転車競技大会シリーズ。会長はイギリス出身のブライアン・クックソン氏。UCIがサッカーに学び、自転車競技に導入した格付け制度。トップカテゴリーのチームにライセンスを付与し、自転車競技の質の向上を当初の目的としていた。しかし、テレビ放映権も管理するという問題をめぐって大会運営会社とチームの不満が根強く、制度自体の存続が揺らいでいる。レース数が急激に増え、多くのスポンサーが膨張するチームの維持費に耐え切れず、撤退を始めている。
■ランプレとは
イタリアの大手鉄板メーカー。その鉄板は携帯電話から冷蔵庫、オフィスの扉などにも使用されている。オーナーのガルブゼーラ氏が自転車競技の大ファンで、1991年から本格的にスポンサーに名乗り出た。イタリアのもっとも歴史の長いチームの一つ。
ランプレ・チームの変遷
1991 Colnago-Lampre
1992 Lampre-Colnago
1993 Lampre-Polti
1994-1995 Lampre-Panaria
1999-2002- Lampre-Daikin
2003-2004 Lampre
2005 Lampre-Caffita
2006-2007 Lampre-Fondital
2008-2009 Lampre-NGC
2010 Lampre-Farnese Vini
2011-2012 Lampre-ISD
2013-2016 Lampre-Merida
東京都在住のサイクリスト。イタリア外務省のサポートの下、イタリアの言語や文化を世界に普及するダンテ・アリギエーリ協会や一般社団法人国際自転車交流協会の理事を務め、サイクルウエアブランド「カペルミュール」のモデルや、欧州プロチームの来日時は通訳も行う。日本国内でのサイクリングイベントも企画している。ウェブサイト「チクリスタインジャッポーネ」