靖国神社は昔、競馬場! 目黒の住宅地にはコーナー跡 東京ふしぎ探検隊(16)
■東京最古の近代競馬は靖国で行われた
東京・九段にある靖国神社。大鳥居をくぐると、坂の向こうに大村益次郎像がそびえ立つ。木々が色づくこの季節、境内には清らかな雰囲気が漂っていた。
実はこの場所で、かつて競馬が行われていた。「東京で初めて西洋式の競馬が行われたのは、靖国神社の境内なんです」。JRA競馬博物館(府中市)の村井文彦主任学芸員が教えてくれた。この細長い参道に、楕円形の周回コースがあったという。
招魂社の競馬を描いた浮世絵(「東京招魂社内外人競馬之図」月岡芳年、1871年、馬の博物館所蔵)
道行く人に聞いてみた。「知らなかった」「本当ですか?」「神聖な場所で競馬なんて……」。10人ほど尋ねたが、競馬のことを知っている人はいなかった。
靖国神社は当初、「東京招魂社」と呼ばれ、幕末から明治維新にかけての戦没者を祭るため、1869年(明治2年)に創建された。その翌年、1870年には第1回の競馬が行われたという。年3回ある例大祭の奉納競馬として実施され、神事の一環でもあった。
■参道でのレース、カーブきつく落馬相次ぐ
もともと、日本には神社で行う「くらべうま」という伝統行事があった。現在でも京都・上賀茂神社などで行われている。2頭の馬が直線を走る形式で、多数の馬が曲線コースを走る西洋式とは異なるが、神社内での競馬はなじみやすかったのかもしれない。
この招魂社競馬、今から振り返るとずいぶんとむちゃなコースだ。1周は約900メートルだがカーブがきつく、落馬が絶えなかったという。当時の浮世絵には落馬シーンがユーモラスに描かれている。ちなみに、大村益次郎の銅像ができたのは1893年(明治26年)のこと。招魂社での競馬は1898年まで続いており、5年間は銅像の周りを馬が走っていたことになる。現在の静寂からは信じられないような光景だ。
■上野不忍池の周りを馬が走っていた
靖国神社だけではない。東京都内には各所に西洋式の競馬場があった。靖国神社と同様、場所がそのまま残っているのが、上野不忍池だ。なんと池の周りを馬が走っていた。こちらは1周約1600メートル。カーブも緩やかで、西洋と比べても遜色ないコースだったという。全くの偶然だが、競馬場としてはちょうどいい大きさだったらしい。
ここでも道行く人に尋ねてみたが、誰も知らなかった。池の周りには「駅伝発祥の地」という案内板はあったが、競馬があったことをしのばせるものは何一つない。
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