さっき帰ってきてFaceBookみてたら面白い言及がありました。

大竹文雄の経済脳を鍛える
2016年9月1日 チケット転売問題の解決法 
http://www.jcer.or.jp/column/otake/index897.html

 この興行主や芸能界の困っていることが経済学者に伝わらない感じが素敵だったんですが、大竹さんの仰ることはもっともです。欲しい人がいて、売りたい人がいるのだから、適切な譲渡の環境さえ作れば売り手も買い手も満足じゃないか、というシンプルだけど正論の図式です。

kippu


 一方で、興行主や芸能界、ついでにいえばコンピュータチケッティング協会なんかは、別に「私的な売買をやるな」 とまでは言っていなくて、業者による売買をやめろ、オンラインダフ屋は困るという話をしているだけなんですよね。その理由は簡単に言えばこんな感じです。()内は対策や過去の実例についてです。

a) 犯罪者が個人を偽装してチケットを多利用に売買することで、犯罪組織の資金源になること。(売り手、 買い手の本人確認の徹底)

b) 熱烈なファンが高額のチケット代を払ってでもきたいことで、最大の市場性は確保できるが、ライブで必要なことはそれほど熱烈じゃないけどライブに来てみて「これは良い」と思ってファンになってくれる仕組みを作りたいこと。 (北野武がいまでも若手のライブに飛び入りしたり、過去はサザンオールスターズもやっていた)

c) チケット発行側も、かなり適正価格の値付けができるようになってきた。

d) 駄目興行は駄目興行であって、そもそもチケットが高騰しない。高額転売されるのはごく一部の興行にすぎず、彼らは彼らなりに売り先をコントロールしたいと思っている。(チケットの顔認証など)

 大竹さんは「Kahneman, Knetsch, Thaler(1986), Shiller, Boyckoand and Korobov(1991) Boycko and Shiller(2016)の研究結果だと、多くの人は、売り手が需要超過であることを理由に価格を引き上げることをフェアだと考えない」と指摘していて、論文転がってたのでざっと目を通したんですが、さすがに価格理論がある程度再現性がある現在において、プラチナムチケット前提のSuperBowlであってさえいろんな議論があるので、参考ぐらいに留めておいたほうがよさそうです。


--quote--

The NFL itself auctioned two pairs of Super Bowl XXXV tickets on eBay, as part of a VIP package that included five or six days of wining and dining in Tampa, an invitation to the half-time show rehearsals, and meetings with players and coaches. One package went for $22,500 and the other for $17,100! 

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 そんなん当たり前やんけ。

 日本においては、例えば嵐のコンサートチケットの転売問題で内容証明が業者と事務所の間で飛び交う事態になるのも、お金の払える40代、50代の熱心なファンで札束乱舞の結果、年寄りだけがアリーナ席にひしめく状況では先がなくなるからで、極論を言えば、発行したチケットを適切にコントロールしたいという気持ちの表れです。要は、チケットを買った人は、いまや興行主にとって「金を出して半券持って席に座る誰か」ではなく、将来のLTVの途中にあり、関係を強化したり、アーティストや興行そのものを長期にわたってもっとエンハンスしてくれる固有の存在だということに他ならないからです。たぶん、チケットの高額転売は私的だろうが業者だろうが価値を高めるからOKと考える経済学者は、興行主がここ数年、CDやDVDが売れなくなってライブにシフトしていき、そのライブの価値を一時的でなく永続的に高めるために何を知っておかなければならないか研鑽を続けていることにはあまり関心がないのでしょう。

 だからこそ、AirBnBによる民泊や、UBERによる白タク黙認事業が日本に定着しないのと同様に、経済学的に価値を高めるのは高額転売や空きリソースの有効活用であることは間違いないんだけど、そこには必ずステークホルダーがいて、表面のシェアリングエコノミーにはコンテクストもバックグラウンドもあるんだ、ってことがあまり考慮されていないのかも知れません。個人的にはUBERとか海外で使う分には便利ですし、いいんですけど、日本ではUBERみたいな白タク使う理由がない、事故ったら誰が保険出してくれるのとかそういうところに抜けがあるわけです。

 突き詰めれば、チケットの転売も民泊も、いまあるリソースを転用するのだとしたとき、その機能だけ切り出してネットでつないで仲介する仕組みです。欲しければ高い値段で買わせる、車に乗りたい人は白タクでも配車できる。しかしながら、事業者には客を選ぶ権利があるし、安全に客を楽しませたり移動させたり宿泊させるための前提条件があり、それらは無料ではないってことです。火災保険、損害保険の類が障害になってます。もちろん、これらの前提条件が経済学的な「価値を高める」行為の中に吸収され、興行主にも値上がりした分がバックされたり、民泊で泊まったコンドミニアムの利用料の一部が部屋の持ち主だけでなく施設全体の管理料に充当されるぞなんて話であれば、法改正も含めてかなり柔軟になっていくでしょう。ただ、いずれにせよ犯罪組織の抑え込みは必要になるでしょうけれども。

 ただ単にネットで繋いだら便利だから、 他のコストを差っ引けるから、利用者にリスクを押し付けられるからという理由で、転売だシェアリングエコノミーだという話が進んじゃうと、今度は事業者の側も「転売できない仕組みを作ろう。なぜならばour customerのことをもっとよく知りたいし、将来にわたって関係を築きたいから」とか、よりクローズドな仕組みになっていくんだろうなあ、そこには経済学が考えもしなかったような業者の都合の山が非効率を産むんだろうなあと感じるわけでして。

 なお、クルーガー教授が書いてた「アップサイドを慈善団体に寄付すればいいじゃない」という話は、過去にMLBでもチャリティーで何度も試されましたがいずれもイマイチな結果に終わっています。まあ、少しでも金が欲しくて転売する人は、なんで上前を教会にハネられるんだという健全な欲望の前にひざまずいている人たちですからね、しょうがないね。