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Elvish 作者:ざっか

第二章

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寄り道 一

 馬車の窓から遠くに大樹が見える。
 四本の幹が絡み合って、一つの巨大な木となっているようだ。捻れた縄のような姿は、奇妙でもあり、美しくもある。

 いずれにしても、はじめて見る光景に変わりは無かった。
 太陽光をその身に浴びて葉を煌かせる様は、とてつもない雄大さを感じさせる。

「すごい……」

 漏らした声に、左隣に座っていたエリスが応えてくれた。

「小型の老大樹を四つ合わせて、一つにした物です。単品よりも地力は劣りますが、その分薄く広く魔力が満ちます。野外向けですね」
「なるほど。立派ですねぇ」

 しっかりと光景を瞼に焼き付けて、ルネッタは馬車の座席へと座りなおした。

 柔らかく、体ごと沈み込むような感触だ。車内にはほのかに香る甘い匂いが満ちている。ハーブだろうか。高級馬車の触れ込みは伊達では無いらしい。

「なんというかだね、ルネッタ」

 右隣から声が聞こえる。
 脚を組み、窓に肘を付いて、眉根はどこか不機嫌そうに。
 目だけをこちらに向けて、ルナリアは続けた。

「ずいぶんと余裕があるな。私なんか今から不安で仕方が無いんだけど」

 彼女の弱気な態度はとても珍しい気がする。もちろん、そうなる理由は分かっているのだけど。
 古老と呼ばれる大貴族達。彼らによって統治される、まさにエルフの国の中心たる土地がある。何も飾らず『中央』と呼べば、即ち古老の地を表していることになるらしい。

 馬車に乗ったルネッタ達の目的地は、その中央の一区画。ライール家という名の大貴族が治める領域だった。
 古老の中でも一際少ない手勢と、圧倒的に広い『商売の手』を持つ、ずいぶんな変わり者だという話だ。

 現当主の名をアンジェと言い、彼女こそがルネッタ達を呼び出した張本人でもある。
 なぜ呼んだのか、一切聞かされていないらしい。しかし銃を持ってくることは絶対条件という話だった。多少の想像はつくというものだ。

 ルナリアの目を、じっと見つめる。

「それは……わたしだって、少し怖いとは思います。でも」
「でも?」

 言葉にするのは、恥ずかしいけれど。
 座席に投げ出されていたルナリアの手に、自分の手をそっと重ねる。

「いっしょ、ですから」

 言った。言えた。にっこり笑おうと思ったけれど、どうしてもはにかんでしまう。

 ルナリアは、ぽかんと口を開けて、やがてだんだんと赤くなり、照れでいっぱいになった笑顔を振りまいて、

「ひゃあああっ!?」

 突然、左へ体を引っ張られた。
 くるくると回る視界。仰向けの体。たどり着いた先は、どうやらエリスの膝の上らしい。首元に伝わる彼女の太ももが、ひやりと冷たい。

 エリスが顔を覗き込んでくる。口元を僅かに尖らせて、

「その『いっしょ』には、ちゃんと私も入ってます?」

 ぱちくりと瞬きをしてから、ルネッタは頷いた。小さく、そして何度も何度も。

 エリスは――にこりと微笑んで、ルネッタの頬をすりすりと撫でる。望んだ答えだったらしい。別に嘘なんて付いていないのだから、問題は無いはずなのだけど。

「おい」

 ルナリアの声が、やけに低い。
 まずい、と思った。具体的にどこが、と考える余裕は無い。

 起き上がろうとしたところで、エリスに更に抱き寄せられた。包み込むような彼女の感触が、右半身に伝わってくる。

「なんですかぁ団長」

 エリスが言う。声音も目も、まるで挑発しているようだ。

「この世の全ては先手必勝です。臆して良いこと何一つ無し。ならばどこまでも攻めよ、と。このように」
「ふぁっ……わわわ……」

 頬ずりされた。時に優しく、時に激しく。エリスのほっぺたは、驚くほどにつやつやで。

 みしり、と木の軋む音が馬車内に響き渡った。
 窓の枠に、ルナリアの指が微かにめり込んでいる。表情が静かなままであることが尚恐ろしい。

 エリスが呆れたようなため息をついて、絡めた腕を離した。ルネッタはなんとか姿勢を正し、座席に座りなおす。鼓動は、少し早い。
 横目でルナリアを見る。
 目が合ってしまった。互いに無言で、けれども視線を逸らすわけでもなく。

「ほら、そこでガッと行かないから駄目なんですよ」

 エリスはどっちに言っているのだろうと思う。
 ――ガッ? ガって?
 ふわふわと揺れる頭で考える。幾つも幾つも思いつくけれど、いざ実行に移して良いのかが最大の問題だ。

 視線を動かす。ルナリアの柔らかそうな唇に、真っ白な頬。細い首筋。どうしよう。ガっと。

 突然、馬車が止まった。
 結構な速度からの急停止だ。体が前にぐらりと動く。エリスの手が背中を掴むが――間に合わず。

「おおおおおお……」

 おでこを、思いっきり壁に打ち付けてしまった。目の前に一瞬火花が見えた。痛い。すごく痛い。
 エリスが小さく舌打ちして、大声を出した。

「何をやっているのです!」

 乱暴に扉を開けて、外に飛び出していった。追うべきか、どうするべきか。おでこを擦って考えていると、

「ルネッタ、こっちへ」

 ルナリアの声がする。言われるままに彼女に近づくと、手が伸びてきた。おでこに触れる。暖かな光が指先に点る。
 あっという間に痛みは消えて、残ったのは心地よさだけだ。

「助けられなくてすまん、とも思うが……あれくらいは自分で反応してくれとも思うぞ」
「……がんばります」

 余計なことを考えていたから、というのが最大の理由だと思う。
 彼女の指が、大きく額を二回擦った。

「もう大丈夫だな」

 ゆっくりと、離れていく。名残惜しい。
 だから思わず掴んでしまった。

「あ……」

 二人同時に、小さく声を漏らした。
 手を一度離して、握りなおす。指を絡めて、彼女の瞳をまっすぐ見る。緑色の瞳は、水でも張っているかのようにきらきらと光っていた。

 空いた手で、残った手を探す。見つけて、握って、同じように指を絡めた。
 ガッと行けというのは、つまりこういうことだと思う。
 顔を少し近づけた。赤い。きっと自分も赤い。

 ゴンゴンと、馬車の外から扉を叩く音が聞こえた。弾かれたように手を離す。扉が勢い良く開かれる。ルネッタは慌ててフードを被った。
 エリスが居た。表情は――ずいぶんと真剣だ。

「団長」
「どうした?」

 エリスが一歩下がった。横から人影が現れて、扉の手前で跪く。

「どうか、どうかお助けください」

 エルフの女だった。髪はくすんだ茶で、歳のころは十七、八か。丈夫さだけを求めたような服装は泥に塗れて薄汚れている。街道の左右が農場らしき造りになっているところを考えれば、そこの娘だろうか。

 ルナリアが言った。

「立って良い。何があったのか、説明してみろ」

 女はサリアと名乗り、つっかえながらも語りだした。

「盗賊が出るんです。十人くらいでやってきて、畑を荒らしたり、お金を取られたり……前は月に一回くらいだったんですけど、最近は毎週のように」
「酷いな。死者は?」

 サリアはゆっくりと首を横に振った。

「せいぜい軽く突き飛ばされるくらいで、けが人も出ておりません。で、でも、大変なことに変わりは無くて、そのっ」
「それはもちろん分かっている」

 少しの沈黙を挟んで、ルナリアは続けた。

「なぜ被害を届けない。ここはライール領だろう? 言えば盗賊程度は始末してくれるはずだが」
「それは、ええと……」

 サリアの視線が泳いだ。何か、あるのだろうか。
 諦めたのか、彼女は小さな声で言う。

「ここは、ライール様の領地であって、ライール様の領地では無いのです。受けた被害の分は助けていただいており、心から感謝しております。しかし、兵を出すことは出来ないとのことでした」
「……そうか。そういえばそうだった。なるほどな」

 ルナリアは、ちらりとエリスを見た。

「済まないが、少し三人で話をしたい。安心して良いぞ、悪いようにはしない」
「はっはい」

 ルネッタが奥に引っ込んで、エリスが馬車の中へと入った。扉を閉めて、座席に座る。
 エリスが言う。

「どうしますか」

 ルナリアが、軽く頭を掻いた。

「感情を除いて考えれば、一応私は平民の味方で通ってるわけでな。ここで見捨てて行くのは、中々に印象が悪いだろう」
「そうですが、しかし」
「とはいえここはライール領。より厳密に言えばあいつの配下の領地なわけだ。そんな場所で私が暴れれば、問題になるかもしれないな」

 エリスが低く答えた。

「かもしれない、では済まないでしょう。間違いなくアンジェに尻を拭わせることになります」
「気に入らないか?」
「無論です。奴の不手際を我らが補うのですよ? その上頭まで下げねばならないとは、こんな馬鹿げた話がありますか」
「貸しが出来ると考えるのは?」
「その程度で怯む相手ではありません」

 平行線、なのだろうか。車内に訪れた沈黙の中、ルネッタは小さく手を上げた。

「あの、良いでしょうか」
「なんだ?」

 ルナリアの顔を見る。

「感情を除けば、とおっしゃってましたけれど……ええと、その感情的には、どうなされたいのでしょうか」

 彼女は小さく肩を竦めて、僅かに微笑んだ。

「助けてって言ってるんだ。だったら助けてやれば良い」

 あっさりと、そしてまっすぐな答えだった。
 エリスがため息をついて、下を向く。

「分かってはいましたけど、最初から決めてたわけですね」
「まぁ、ね」
「到着も予定より遅れてしまうのですが」
「元から遠回りしてるんだから、向こうも想定内だろうさ」
「……遠回りした理由は、お忍びだから、なんですけどね」
「仕方ないさ」

 ルナリアが促すと、エリスが馬車の扉を開けた。二人とも外に出る。ルネッタは一瞬悩んだが、素直についていくことにした。
 サリナは祈るように両手を合わせて、ルナリアをじっと見ている。
 ルナリアが言った。

「このあたりに、連絡用の秘石は?」

 サリアはぽかんと口を開けて、その後首を左右に振った。

「そうか。まあ良い、大丈夫だ」

 ルナリアは馬車の前方へ回ると、御者へと声をかけた。

「紙とペンを」

 取り出された紙にさらさらと何かを書いて、最後に指で紙を丁寧になぞった。微かに発光していたところを見ると、魔力でも篭めたのかもしれない。

「よろしくたのむ」

 荷物は既にエリスがまとめて抱えていた。馬車はゆっくりと動き出して――やがて加速し、道の向こうに消えていく。
 ルナリアが、サリアへと向き直った。

「さて、まずは詳しい説明が欲しいな。宿か何かはあるかな?」
「あ、あのっ!」

 サリアが声を上げた。ルナリアは首を傾げた。

「お、お……お名前を、教えていただけますか?」

 ぱちくりと瞬きをして、考えるように顎を掻いて、まるで尋ねるようにルナリアは視線をエリスへと向ける。
 エリスは、どうでも良いとでも言わんばかりに肩を竦めた。

「ルナリアだ。ルナリア・レム・ベリメルス」

 サリアが息を呑むのが、はっきりと伝わってきた。
 苦笑して、その後胸を張り、ルナリアは言った。

「久しぶりの盗賊狩りだな」
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