夢修行(はじめに)
2016年 09月 02日
☆本格的な夢修行スタート.^^
聖教新聞(9月1日)の書籍広告の写真を以下に添付します。
「やる人はやる、できない人は論ずる」という本の広告です。
「あなたはどういう価値観で、どう生きますか?」と記されています。
聖教新聞「名字の言」。その下にあった広告に目が止った。
「できる人はやる、できない人は論じる」・・本の題名であるが、その通りだよなあ、と思った。
世の中、当事者と傍観者がいる。傍観者とは評論家。評論家は威張っているが、口先だけの人もいる。
大相撲の力士を「腰が高い、脇が甘い!」「怠慢だ!」「やる気なし!」と言うのは簡単だが、実際に相撲ができるだろうか。
魚屋の論評ができても、実際に魚屋として商いできるのか。
口先だけの人間の言葉は軽すぎる。体験なき言論はたわごと。
文証と現証とは天地雲泥の差です。
「名字の言」は、意味深な内容でした。
歴史小説を著す中津文彦氏によれば、興隆・滅亡には方程式があるという。
以下に抜粋し、所感を述べます。
滅亡の共通点は「準備不足」「孤立」「奇策」の三つ。
一方、興隆の共通点は、「周到な準備」と「連携」。しかし、最後の三点目は「奇策」を挙げる。どういうことか。準備を重ね、強い連携を築いた上で、定石を破った大胆な策は「大いなる飛躍が期待できる」ということだ。
かつて、池田SGI会長は、アムンゼンが南極点初登頂を成し遂げた要因は、「準備」と「団結」にあったとし、広宣流布の前進にあっても「正確な時計のように」準備を重ねる執念、異体同心(いたいどうしん)の団結が不可欠と語った・・
(以上、9月1日の記事より)
私には夢がある。今の夢、そして将来の夢・・
「夢は見るものでなく掴むもの」と言った人がいる。
元日本サッカー代表選手の澤穂希さんである。
夢を見て、その夢を掴むまでのプロセスこそ、人生の醍醐味であろう。
私は現在進行形のひらがな御書を、残り3年半で完遂する。
そして現状の仕事を果たし、見事に定年退職を果たす。
次の夢の準備を同時並行で行い、その夢も定年後に実現させたい。
何をやるかは語りません。語れば必ず批判されるから。
「この職業を60歳から始める。※※をマスターし、※※の資格を取得し、しっかり仕事を果たし、その仕事を通じて人々を幸せにします!」と言うとする。
間違いなく「現実は甘くないよ!」とか、「現場を舐めるな!」とか、「素人がエラそうに!」とネットで叩かれることでしょう。
「菊川さん、60歳にもなって、そんなことできるわけないじゃん」
「定年退職したジジイに、何ができるってんだ?」
「夢のある仕事なんて、あなた、甘い、甘い。(笑い)」
「お調子者がまた始めた。お手並み拝見!(爆笑)」
このように言われること。そういう騒ぎは避けたいのです。
「批判されることを嫌っている」のではありません。
そういう「醜い言動」「腐れた言動」の気味の悪い命(境涯)を見たくないのです。オゾマシイ命、的外れの愚行を見るぐらい嫌なことはありませんから。
人の悪口を言い、目を怒らせ、悪態をつく。空想に空想を重ね、人の真剣な努力すら「売名行為」とか、「自慢話」とか、「人気取り」としか思えない人がいて、そういう現実を知ると愕然とし、吐き気すらするのです。
「どうして人間は、ここまで汚らしくなれるのか」とガッカリする。
かのイチローも見下され、笑われましたね。
その記事は、→ここをクリック!
イチローは馬鹿にされたことを怒っているではないと思う。
けがれた不純な心が許せないのだと思う。
批判者の方々 に申し上げたいことがあります。
あなたに夢はあるの?と。夢がないんでしょう?と。
夢を持っていれば、他人のあら捜しばかりしている暇も、そんな気分も起こらない。夢があれば、ハツラツと夢の舞台で頑張っている人を見て、学び、研究し、挑戦し、汗水流す。批判は他に向かうのではなく自分に向かうもの。
瞳はキラキラ輝いているものですしね。
その純な行動を馬鹿にする命って、一体、何ですか?
人生って、どう思うかより、どう生きるかが大事じゃないですか?
私も、これから夢修行をしますけど、遊び半分じゃない。本気ですからね。
でも100%果たせるかと聞かれたら、「分かりません」ですよ。
病気になったり、経済事情でできなくなったり、未来のことは分からない。でもね、夢を持ち、夢に向かって挑戦したい。ただ、それだけなんです。
ともかく、3年余の準備をして第二の人生の檜舞台に立ちたい。
一歩一歩前進するつもり。皆さん見ていてくださいね。
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by sokanomori3 | 2016-09-02 05:50 | 夢修行 | Trackback | Comments(0)