歴史・宗教
藤原氏(郭務悰)に支配された縄文日本原始住民
「日本古代史入門」八切止夫
1983年の書である。この書及び、著者の存在は、太田龍氏の書を通して知った。
ウィキペディアによると、本名は矢留節夫(やどめ せつお)、1914年~1987年、歴史小説家。太平洋戦争後、親交のあった関東軍将校と共に自決を図ったが、相手の将校が怯んだために未遂に終わった経験から、「腹切(=ハラ(チ)キリ)を止めた男(=止夫)」という意味で「八切止夫」の筆名となったとのことである。みずから、日本シェル出版という出版社を設立し、歴史学の常識に大胆な疑問符を投げかける歴史書を数多く出版した。井沢元彦は「鉄砲の使用には硝石の輸入が不可欠である」と始めに主張したのは八切止夫だと述べている。作家であることや奇抜な歴史観の持ち主であることから学界から不当な評価を受けた可能性も否定できない。とのことである。
どうやら、太田龍氏と同様に、自己の信念に基づき、万難を排して、「嘘八百のこの世界」に“真実の光”を灯した人のようである。私の気性に相通ずるところがあり、実に魅力的に感じる。
以下、一部引用。
*なにしろ西暦663年に郭務悰が進駐してきて藤原鎌足と、日本名になり唐の大宝律令をそのままに輸入したのは「天の古代史研究」に詳しいが、天孫と称したカクさんの方は良で、それまでの縄文日本人原住民はみな賎にされた。二大別とされた賎とは太平洋沿岸に漂着の八のもの。
次に裏日本から親潮寒流で能登や新潟へ入ってきたのが、獣の四つ足から、四つとよばれる。
源平藤橘と四大別するが、藤は唐でカクさんの一万二千のグループ。橘は、その唐を中国大陸で滅ぼし取って変った契丹系ゆえ、大陸人でもトウでナイゆえ、豪くみられず被差別とされる。
彼らは天神信仰だが、源は元ゆえ白山さま信仰。平は今のペルシアと同じで赤旗をふり祇園、八坂信仰で、宮島も紅殻の赤塗りである。藤は黒染の衣をきた坊主が宣教師で先にきたので、「黒住教」さえ残っていて、藤は唐で黒色。しかし四つの姓別は、最低四種以上の複合民族をさすが、勝てば官軍・負ければ賊で賎、黒の他は、次々と体制の変るたび限定居付部落へと追いこみ。
郭将軍に滅ぼされたものの、ナラ王朝と栄え桓武帝より良となったクダラ系は黄色である。
しかしエタ非人と一つにしたりまた分類し、エツタ島など海軍にそっくり召し上げられると、「江田島」と恰好良くなるのは、そうしたゲットーへ次々と敗戦捕虜が入れられ、混同している為だが、四大別ではなく、太古日本人はエケセテネが姓の上につくの処の「雑色」の人々だろう。
「皮剝ぎも皮細工も四つと呼ばれる騎馬民族。判りやすく言えば白筋の馬方は源氏だが、駕かき川越人足や雲助は平家で八つとよぶ赤筋の拝火宗徒。トウナイは唐無いで契丹系の部落民」と、はっきり種族別が分けられる、喜田貞吉は他国の捕虜とか社会の落伍者ときめつけるが、藤原王朝時代に征伐された日本列島原住民。足利時代は散所奉行が新設されて、南朝に味方した者らの反体制子孫を収容。これは「庶民日本史辞典」「野史辞典」「日本部落史料」で明白にされている。
*新興元が高麗水軍を先頭に攻めこんできて台風で悉く沈んだにしても、損害は高麗や新羅の捕虜兵だけなので、改めて来攻してくるというのは眼にみえていた。それゆえ時の執権北条時宗は、(元が又も懲りずに攻めてくるというのは、北条開祖の政子さまが、散々に源氏を戦わせて平定すると、もはや馬のりは無用の長物と使い捨てに殺したり、双方で戦わせたことへの仕返しに意地になって失地回復に攻めてくるのだから、もしもの用心に、すべて証拠の書類は燃やすべし)
間注文書から、大江広元に書かせた改訂第五次日本書紀も、まさか次の弘安四年の来攻の10万の元兵も、台風で又しても海の藻屑になってしまうとは、神ならぬ身の知るよしもなく、万全を期して片っ端から文字にでている物は、みな集めことごとく焼き払って灰にしてしまった。「時宗焚書」というのがこれである。学校歴史では、元寇の実際も明白にしていないが、今もハバロフスク民族館の正面入り口の扉の上には、沿海州人の民族章として大きな円形の笹りんどうの紋章がリリーフで掲げられている。つまりは元は、日本では源であって、同じ民族なのである。
明治時代の内田弥八の「義経再興記」つづいて小谷部圭一郎の「ジンギスカン義経説」は、源氏の風俗や言語が、沿海州人の元の民族とまったく同じなのが裏日本から入ってきた源氏ゆえ、そこから連想されたもので、ここが判らなくては元寇の意味も判らぬし、ジンギスカン義経説の由来も、ただ奇をてらうものとしか想われないかも知れぬ。がバイカル号でハバロフスクへ立ちよった者なら、源氏の笹りんどうの紋やパンダがその笹を嚙っているマークもみている筈である。
*さて幽閉された儘の後西さまは、おおいに立腹され、灯油は僅かゆえ夜明けより日没まで、「京こそ体制側であり、江戸は反体制である」と反対立証なさるため、宮中に散返していた勧学院派の日本書紀の断片を集めてこさせて、改めて、なす事もないから巻子本50巻に纏められた。
つまり後西さまは、江戸が朝廷にすり変ってしまった事への憤りから、自分らの方こそ正しいのだと、せっせと口惜しさに書きあげられたのが、今も残る東山文庫所蔵本の成立である。
・・・・・(中略)・・・・・
つまり今われわれのみられる日本書紀は、西暦720年のものではなく、江戸時代の五代綱吉の頃の、恐れ多くも後西さまの徳川家に対しての怨みつらみで、よせ集めて書かれた。「悲しみのもの大正三年刊の国史大系の日本書紀」は、やはり江戸時代の松下見林や伴信友の書いたものから作り直した黒板のものなのだが、その後の第九次日本書紀は、後西さまのものなのである。
*「庶民日本史歴史辞典」では、オケラの部である。野村直弘先生に御指摘をうけたが虫ではなく漢方辞典では薬草だというのは、日本原住民がレジスタンスをした際に、日本へきた七世紀の大陸人は、「根の国へ行かしてやる」と生き埋めのために土砂をかけて蓋とし奴婢となった者らに足で踏みかためさせるのが、今も東北三大祭の「ネブタ」で一つ穴に反抗し捕えた何百人もの日本原住民を放りこんで生き埋めにしているので、怨霊が穴から這い出してくるのではないかと根株が広がり、さながら地面にバリケードをはるように生い繁る「求」という草の種をもってきてうえた。
その草根に御先祖さまの霊があると、根をオケラとよんで八坂神社の神灯にされ、その火を分けて貰って雑煮を作り、日本原住民は腹仇を新年ごとに誓った。しかしわざわざ中国大陸から持ちこまれた草ゆえ、漢方薬になるのかと煎じて利尿剤とされたが、これに江戸期に入ってからの「蒼求」である。しかし東北地方では、根蓋の根株を這い回る地虫を今でもオケラとよぶ。
「庶民日本史辞典」は、しかし東北を主にしたので根蓋の上に生い茂るオケラ草の根株を巣にする地虫が、生き埋めにされた先祖の生れ変りとして、踏み殺す事は絶対にしない点をとった。
*「庶民日本史辞典」で「楠木合戦注文」の項目に、「湊川合戦の楠木方配置表が今も各地に残存するのは、足利氏も楠木正成の忠勇にうたれ」といった美化した話ではなく、注文つまり要請書としての文字がある通り、これは今いう指名手配書である。明国経由でカースタト制が入ってきて居付き(五木)部落つまりゲットーへ足利尊氏創業の邪魔をした南朝方の子孫の一斉狩込みを東西散所奉行をおき次々となし、散所(産所、山所、因地、別所、界化)の人外地へ、捕えてきた南朝方の子孫を今いう橋のない川へにみな収容したのである。
*「ええじゃないか」のお札ふりを各地でなさせた木梨精一郎は、上野戦争の時に千代田城にいた大村益次郎の代理として、長州人だが西郷隆盛の先遣参謀を勤めていましたが、英国公使館のパークスに諒解をとりにいったのは有名ですが、「将門記」を古い年号で筆写させ次々と各藩へ届けたのは、頼三樹三郎は志半ばかにして安政の大獄で先に刑死してしまったので、その遺志をつぎ何百もの筆写本を、筆のたつ志士に手分けして書かせたのは、吉田松陰の遺言によるもので、門下の白井小助といわれるものであります。
・・・・・(中略)・・・・・
選挙と同じで合戦も、ねじ廻しが充分されていて始めて、火蓋をきるのが終盤戦での決戦になる。なにも上海から買いつけてきた新しい硝石火薬で東軍に勝てたんじゃない。その前に何百部も筆写し箱根以西の大名家へ、領土用上士用と何部ずつも差し入れし読ませた為と、「徳川家にさからって御家取潰しになったら家中一統が困る・・・といった考え方は違う。ずっと飼い馴らされてきた犬みたいな習性にすぎん。自分から新皇と名のり勇ましく戦ったという将門伝説に目を通して頂けば、力がすべてで勝ってしまったらそれで良いと、判って頂ける筈です、と次々に説いて廻ったのが効を奏して、関東以北は別にして箱根より西では、筆写本のおかげで西軍に加担しなかった大名家はいなかったではないか。根廻しがうまくいっていたからだ。それを吉田松陰先生に言われて完全にやりとげたのが、この白井小助なんだ」
*~~~そうすると、藤原家の政権が確立されてから1300年ぐらいになりますか。この1300年間の日本の権力構造というのは、唐の占領軍ですね、大体多くみて二万人ぐらいですか・・・
~~~~兵隊は合計で四千人ですが軍人軍属が倍の約八千人それにくっついてきた一旗組がいっぱいいるわけです。だから武力で御所を押さえてしまい危なくなると、百済系の天皇をもってきたり、これは吉川弘文館から出てた「和気清麿」をみてもよく判るけれど、この桓武天皇の皇后から、御所全部の監督する女官までがみな百済人です。ずっと代々にわたって80年程は続く。
*郭務悰の率いる先発軍は白村江大勝の翌年五月に御所に入ってる。それで則天字使用命令、後に漢字といわれる唐の文字のことです。つまり唐の字と書くと、非常に当たりさわりがあるから、さかのぼって漢字といいます。そして縄文時代が弥生時代に変わるんです。要するに石の斧と貝ガラの刃物しかもってない日本原住民が鉄製の鉾とか青竜刀でアッサリやられちゃったからです。それで、これから鉄文化になるんです。
*壬申の乱の年前の大化の改新前後から、みな仏教に帰依したのは「不可思議な国ジャポネ」に火薬の原料の硝石欲しさに、戦国大名が教義も判らずキリシタン大名になったように六世紀七世紀の豪族も、中国大陸の鉄武器ほしさに入手のため寺を建立したりして恰好づけしたものであると判る。
(管理人)
文体が少々難解であった。著者の唱える「八切史観」の根拠となるものの例示が今ひとつ不十分であったと想う・・・・・しかし、しかしである、この書に述べられていることは、旧来の「日本書紀」「古事記」を中心とした、一般の日本人が“知ってるつもり”であった日本の歴史認識を根本から覆す内容であり、おそらく、「ほぼ真実の歴史に近い」、と本能的に感じられる。
そのなかでも、「藤原氏の真実」には驚かされた。どうりで、学校で教えられた日本史は大化の改新以降のことばかりでそれ以前はほとんど教えられないことに疑問を感じていたが、要するに唐に支配されてからの偽りの歴史を教えられているわけで、唐に支配される前の日本原始原住民の歴史は闇に葬りさられているわけである。
「元寇の元と源氏の源が同一である」、というのにも納得させられた。北条氏は平家であり、馬をもつ蘇民系の源氏を利用し、滅ぼそうとしていることに対して、「源氏と同民族である元が、もう一度、源氏の政権にするために、失地回復のために攻めてきた」というのが元寇の真相であるらしい。そして、足利氏も源氏ではなく平家だとのことだ。
また、以前にも、硝石欲しさに戦国大名がキリシタン大名になった記事は書いたが、「六世紀七世紀の豪族も、鉄武器欲しさに寺を建立した」とのことだが、日本に伝わったキリスト教(正確にはユダヤ化されたキリスト教)のみならず、仏教までが、その教えが広まった理由は単純な信仰によるものではなかった、とのことなので、「仏教よ、お前もか」と、言いたくなる。
最後に、「ネブタの真実」は、あまりに恐ろしい話である。事実であるからこそ、そのへんのホラー映画の何百倍も恐ろしい。こうなってくると、私の祖先が、中国系なのか、韓国系なのか、ペルシャ系なのか、日本原始住民系なのかは不明である。しかし、この日本で育ち、生活している以上、虐げられた日本原住民への想いが当然のごとく強い。
現代日本人は、“日本原住民の声にならない声”をしっかりと受け止め、一人でも多くの人に真相を伝えていかなければならないと思う。著者の書は、インターネットでも公開されているので、是非、一読して欲しい。
http://www.rekishi.info/library/yagiri/
評点:90点
1983年の書である。この書及び、著者の存在は、太田龍氏の書を通して知った。
ウィキペディアによると、本名は矢留節夫(やどめ せつお)、1914年~1987年、歴史小説家。太平洋戦争後、親交のあった関東軍将校と共に自決を図ったが、相手の将校が怯んだために未遂に終わった経験から、「腹切(=ハラ(チ)キリ)を止めた男(=止夫)」という意味で「八切止夫」の筆名となったとのことである。みずから、日本シェル出版という出版社を設立し、歴史学の常識に大胆な疑問符を投げかける歴史書を数多く出版した。井沢元彦は「鉄砲の使用には硝石の輸入が不可欠である」と始めに主張したのは八切止夫だと述べている。作家であることや奇抜な歴史観の持ち主であることから学界から不当な評価を受けた可能性も否定できない。とのことである。
どうやら、太田龍氏と同様に、自己の信念に基づき、万難を排して、「嘘八百のこの世界」に“真実の光”を灯した人のようである。私の気性に相通ずるところがあり、実に魅力的に感じる。
以下、一部引用。
*なにしろ西暦663年に郭務悰が進駐してきて藤原鎌足と、日本名になり唐の大宝律令をそのままに輸入したのは「天の古代史研究」に詳しいが、天孫と称したカクさんの方は良で、それまでの縄文日本人原住民はみな賎にされた。二大別とされた賎とは太平洋沿岸に漂着の八のもの。
次に裏日本から親潮寒流で能登や新潟へ入ってきたのが、獣の四つ足から、四つとよばれる。
源平藤橘と四大別するが、藤は唐でカクさんの一万二千のグループ。橘は、その唐を中国大陸で滅ぼし取って変った契丹系ゆえ、大陸人でもトウでナイゆえ、豪くみられず被差別とされる。
彼らは天神信仰だが、源は元ゆえ白山さま信仰。平は今のペルシアと同じで赤旗をふり祇園、八坂信仰で、宮島も紅殻の赤塗りである。藤は黒染の衣をきた坊主が宣教師で先にきたので、「黒住教」さえ残っていて、藤は唐で黒色。しかし四つの姓別は、最低四種以上の複合民族をさすが、勝てば官軍・負ければ賊で賎、黒の他は、次々と体制の変るたび限定居付部落へと追いこみ。
郭将軍に滅ぼされたものの、ナラ王朝と栄え桓武帝より良となったクダラ系は黄色である。
しかしエタ非人と一つにしたりまた分類し、エツタ島など海軍にそっくり召し上げられると、「江田島」と恰好良くなるのは、そうしたゲットーへ次々と敗戦捕虜が入れられ、混同している為だが、四大別ではなく、太古日本人はエケセテネが姓の上につくの処の「雑色」の人々だろう。
「皮剝ぎも皮細工も四つと呼ばれる騎馬民族。判りやすく言えば白筋の馬方は源氏だが、駕かき川越人足や雲助は平家で八つとよぶ赤筋の拝火宗徒。トウナイは唐無いで契丹系の部落民」と、はっきり種族別が分けられる、喜田貞吉は他国の捕虜とか社会の落伍者ときめつけるが、藤原王朝時代に征伐された日本列島原住民。足利時代は散所奉行が新設されて、南朝に味方した者らの反体制子孫を収容。これは「庶民日本史辞典」「野史辞典」「日本部落史料」で明白にされている。
*新興元が高麗水軍を先頭に攻めこんできて台風で悉く沈んだにしても、損害は高麗や新羅の捕虜兵だけなので、改めて来攻してくるというのは眼にみえていた。それゆえ時の執権北条時宗は、(元が又も懲りずに攻めてくるというのは、北条開祖の政子さまが、散々に源氏を戦わせて平定すると、もはや馬のりは無用の長物と使い捨てに殺したり、双方で戦わせたことへの仕返しに意地になって失地回復に攻めてくるのだから、もしもの用心に、すべて証拠の書類は燃やすべし)
間注文書から、大江広元に書かせた改訂第五次日本書紀も、まさか次の弘安四年の来攻の10万の元兵も、台風で又しても海の藻屑になってしまうとは、神ならぬ身の知るよしもなく、万全を期して片っ端から文字にでている物は、みな集めことごとく焼き払って灰にしてしまった。「時宗焚書」というのがこれである。学校歴史では、元寇の実際も明白にしていないが、今もハバロフスク民族館の正面入り口の扉の上には、沿海州人の民族章として大きな円形の笹りんどうの紋章がリリーフで掲げられている。つまりは元は、日本では源であって、同じ民族なのである。
明治時代の内田弥八の「義経再興記」つづいて小谷部圭一郎の「ジンギスカン義経説」は、源氏の風俗や言語が、沿海州人の元の民族とまったく同じなのが裏日本から入ってきた源氏ゆえ、そこから連想されたもので、ここが判らなくては元寇の意味も判らぬし、ジンギスカン義経説の由来も、ただ奇をてらうものとしか想われないかも知れぬ。がバイカル号でハバロフスクへ立ちよった者なら、源氏の笹りんどうの紋やパンダがその笹を嚙っているマークもみている筈である。
*さて幽閉された儘の後西さまは、おおいに立腹され、灯油は僅かゆえ夜明けより日没まで、「京こそ体制側であり、江戸は反体制である」と反対立証なさるため、宮中に散返していた勧学院派の日本書紀の断片を集めてこさせて、改めて、なす事もないから巻子本50巻に纏められた。
つまり後西さまは、江戸が朝廷にすり変ってしまった事への憤りから、自分らの方こそ正しいのだと、せっせと口惜しさに書きあげられたのが、今も残る東山文庫所蔵本の成立である。
・・・・・(中略)・・・・・
つまり今われわれのみられる日本書紀は、西暦720年のものではなく、江戸時代の五代綱吉の頃の、恐れ多くも後西さまの徳川家に対しての怨みつらみで、よせ集めて書かれた。「悲しみのもの大正三年刊の国史大系の日本書紀」は、やはり江戸時代の松下見林や伴信友の書いたものから作り直した黒板のものなのだが、その後の第九次日本書紀は、後西さまのものなのである。
*「庶民日本史歴史辞典」では、オケラの部である。野村直弘先生に御指摘をうけたが虫ではなく漢方辞典では薬草だというのは、日本原住民がレジスタンスをした際に、日本へきた七世紀の大陸人は、「根の国へ行かしてやる」と生き埋めのために土砂をかけて蓋とし奴婢となった者らに足で踏みかためさせるのが、今も東北三大祭の「ネブタ」で一つ穴に反抗し捕えた何百人もの日本原住民を放りこんで生き埋めにしているので、怨霊が穴から這い出してくるのではないかと根株が広がり、さながら地面にバリケードをはるように生い繁る「求」という草の種をもってきてうえた。
その草根に御先祖さまの霊があると、根をオケラとよんで八坂神社の神灯にされ、その火を分けて貰って雑煮を作り、日本原住民は腹仇を新年ごとに誓った。しかしわざわざ中国大陸から持ちこまれた草ゆえ、漢方薬になるのかと煎じて利尿剤とされたが、これに江戸期に入ってからの「蒼求」である。しかし東北地方では、根蓋の根株を這い回る地虫を今でもオケラとよぶ。
「庶民日本史辞典」は、しかし東北を主にしたので根蓋の上に生い茂るオケラ草の根株を巣にする地虫が、生き埋めにされた先祖の生れ変りとして、踏み殺す事は絶対にしない点をとった。
*「庶民日本史辞典」で「楠木合戦注文」の項目に、「湊川合戦の楠木方配置表が今も各地に残存するのは、足利氏も楠木正成の忠勇にうたれ」といった美化した話ではなく、注文つまり要請書としての文字がある通り、これは今いう指名手配書である。明国経由でカースタト制が入ってきて居付き(五木)部落つまりゲットーへ足利尊氏創業の邪魔をした南朝方の子孫の一斉狩込みを東西散所奉行をおき次々となし、散所(産所、山所、因地、別所、界化)の人外地へ、捕えてきた南朝方の子孫を今いう橋のない川へにみな収容したのである。
*「ええじゃないか」のお札ふりを各地でなさせた木梨精一郎は、上野戦争の時に千代田城にいた大村益次郎の代理として、長州人だが西郷隆盛の先遣参謀を勤めていましたが、英国公使館のパークスに諒解をとりにいったのは有名ですが、「将門記」を古い年号で筆写させ次々と各藩へ届けたのは、頼三樹三郎は志半ばかにして安政の大獄で先に刑死してしまったので、その遺志をつぎ何百もの筆写本を、筆のたつ志士に手分けして書かせたのは、吉田松陰の遺言によるもので、門下の白井小助といわれるものであります。
・・・・・(中略)・・・・・
選挙と同じで合戦も、ねじ廻しが充分されていて始めて、火蓋をきるのが終盤戦での決戦になる。なにも上海から買いつけてきた新しい硝石火薬で東軍に勝てたんじゃない。その前に何百部も筆写し箱根以西の大名家へ、領土用上士用と何部ずつも差し入れし読ませた為と、「徳川家にさからって御家取潰しになったら家中一統が困る・・・といった考え方は違う。ずっと飼い馴らされてきた犬みたいな習性にすぎん。自分から新皇と名のり勇ましく戦ったという将門伝説に目を通して頂けば、力がすべてで勝ってしまったらそれで良いと、判って頂ける筈です、と次々に説いて廻ったのが効を奏して、関東以北は別にして箱根より西では、筆写本のおかげで西軍に加担しなかった大名家はいなかったではないか。根廻しがうまくいっていたからだ。それを吉田松陰先生に言われて完全にやりとげたのが、この白井小助なんだ」
*~~~そうすると、藤原家の政権が確立されてから1300年ぐらいになりますか。この1300年間の日本の権力構造というのは、唐の占領軍ですね、大体多くみて二万人ぐらいですか・・・
~~~~兵隊は合計で四千人ですが軍人軍属が倍の約八千人それにくっついてきた一旗組がいっぱいいるわけです。だから武力で御所を押さえてしまい危なくなると、百済系の天皇をもってきたり、これは吉川弘文館から出てた「和気清麿」をみてもよく判るけれど、この桓武天皇の皇后から、御所全部の監督する女官までがみな百済人です。ずっと代々にわたって80年程は続く。
*郭務悰の率いる先発軍は白村江大勝の翌年五月に御所に入ってる。それで則天字使用命令、後に漢字といわれる唐の文字のことです。つまり唐の字と書くと、非常に当たりさわりがあるから、さかのぼって漢字といいます。そして縄文時代が弥生時代に変わるんです。要するに石の斧と貝ガラの刃物しかもってない日本原住民が鉄製の鉾とか青竜刀でアッサリやられちゃったからです。それで、これから鉄文化になるんです。
*壬申の乱の年前の大化の改新前後から、みな仏教に帰依したのは「不可思議な国ジャポネ」に火薬の原料の硝石欲しさに、戦国大名が教義も判らずキリシタン大名になったように六世紀七世紀の豪族も、中国大陸の鉄武器ほしさに入手のため寺を建立したりして恰好づけしたものであると判る。
(管理人)
文体が少々難解であった。著者の唱える「八切史観」の根拠となるものの例示が今ひとつ不十分であったと想う・・・・・しかし、しかしである、この書に述べられていることは、旧来の「日本書紀」「古事記」を中心とした、一般の日本人が“知ってるつもり”であった日本の歴史認識を根本から覆す内容であり、おそらく、「ほぼ真実の歴史に近い」、と本能的に感じられる。
そのなかでも、「藤原氏の真実」には驚かされた。どうりで、学校で教えられた日本史は大化の改新以降のことばかりでそれ以前はほとんど教えられないことに疑問を感じていたが、要するに唐に支配されてからの偽りの歴史を教えられているわけで、唐に支配される前の日本原始原住民の歴史は闇に葬りさられているわけである。
「元寇の元と源氏の源が同一である」、というのにも納得させられた。北条氏は平家であり、馬をもつ蘇民系の源氏を利用し、滅ぼそうとしていることに対して、「源氏と同民族である元が、もう一度、源氏の政権にするために、失地回復のために攻めてきた」というのが元寇の真相であるらしい。そして、足利氏も源氏ではなく平家だとのことだ。
また、以前にも、硝石欲しさに戦国大名がキリシタン大名になった記事は書いたが、「六世紀七世紀の豪族も、鉄武器欲しさに寺を建立した」とのことだが、日本に伝わったキリスト教(正確にはユダヤ化されたキリスト教)のみならず、仏教までが、その教えが広まった理由は単純な信仰によるものではなかった、とのことなので、「仏教よ、お前もか」と、言いたくなる。
最後に、「ネブタの真実」は、あまりに恐ろしい話である。事実であるからこそ、そのへんのホラー映画の何百倍も恐ろしい。こうなってくると、私の祖先が、中国系なのか、韓国系なのか、ペルシャ系なのか、日本原始住民系なのかは不明である。しかし、この日本で育ち、生活している以上、虐げられた日本原住民への想いが当然のごとく強い。
現代日本人は、“日本原住民の声にならない声”をしっかりと受け止め、一人でも多くの人に真相を伝えていかなければならないと思う。著者の書は、インターネットでも公開されているので、是非、一読して欲しい。
http://www.rekishi.info/library/yagiri/
評点:90点
もくじ
太田龍
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鬼塚英昭
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デーヴィッド・アイク
もくじ
ジョン・コールマン
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人類の起源
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日本人のルーツ
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オーティス・レディング
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サム・クック
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サム&デイヴ
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マーヴィン・ゲイ
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ウィルソン・ピケット
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レイ・チャールズ
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ジェームス・ブラウン
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スライ&ザ・ファミリー・ストーン
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アル・グリーン
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スティーヴィー・ワンダー
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オル・ダラ
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バディ・ガイ、ジュニア・ウェルズ
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トム・ウェイツ
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未分類
~ Comment ~
Re: 八切止夫
> 八切止夫のことも書いてくださっていたんですね!
> ソウルマンさんのバックナンバーは全部読まなければ・・
> 井沢元彦さんが言及しているんですね!
ありがとうございます。
正直言って、八切氏の書は本書以外は読んでいないのです。
文体がけっこう難解な印象がありまして・・・。
ただ日本の歴史については相当に努力された方であり、独自の知識を持たれた方であったことは間違いないでしょうね。
折を見て、他の書も読んでみようと思います。
> 八切止夫のいう「アヌさん」って、アヌンナキのことなのでしょうか?
八切氏がそのように言及していたことは知りませんでした。
よって、分かりません。ごめんなさいね。
> ソウルマンさんのバックナンバーは全部読まなければ・・
> 井沢元彦さんが言及しているんですね!
ありがとうございます。
正直言って、八切氏の書は本書以外は読んでいないのです。
文体がけっこう難解な印象がありまして・・・。
ただ日本の歴史については相当に努力された方であり、独自の知識を持たれた方であったことは間違いないでしょうね。
折を見て、他の書も読んでみようと思います。
> 八切止夫のいう「アヌさん」って、アヌンナキのことなのでしょうか?
八切氏がそのように言及していたことは知りませんでした。
よって、分かりません。ごめんなさいね。
- #453 ソウルマン
- URL
- 2015.10/14 23:08
- ▲EntryTop
八切止夫②
ご返信ありがとうございございます。
文体がわかりにくいというより、一つ一つの事柄の前提の、あるいはまたその前提がこちらにはわかっていないのに、わかったことにして書き進めているので、こちらが難渋するという感じですね。
硝石の話以外に、 「非人」とは、むしろ神聖な存在という意味だったとか、東西で金と銀のいずれに価値をおくか異なっていたとか、おどろくようなことがたくさん書かれていました。わたしもほんの1~2冊、それもかじっただけなのですが・・・
文体がわかりにくいというより、一つ一つの事柄の前提の、あるいはまたその前提がこちらにはわかっていないのに、わかったことにして書き進めているので、こちらが難渋するという感じですね。
硝石の話以外に、 「非人」とは、むしろ神聖な存在という意味だったとか、東西で金と銀のいずれに価値をおくか異なっていたとか、おどろくようなことがたくさん書かれていました。わたしもほんの1~2冊、それもかじっただけなのですが・・・
- #455 「katsukoのブログ」
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- 2015.10/15 04:58
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Re: 八切止夫②
> ご返信ありがとうございございます。
> 文体がわかりにくいというより、一つ一つの事柄の前提の、あるいはまたその前提がこちらにはわかっていないのに、わかったことにして書き進めているので、こちらが難渋するという感じですね。
確かにそういった傾向は感じられますね。
ついていくのはけっこう大変ですね(笑)
> 硝石の話以外に、 「非人」とは、むしろ神聖な存在という意味だったとか、東西で金と銀のいずれに価値をおくか異なっていたとか、おどろくようなことがたくさん書かれていました。わたしもほんの1~2冊、それもかじっただけなのですが・・・
おどろかされる話が随所に散りばめられていますよね。
「非人」の話もその一つでしょうね。
ブログで「読んでみてください」と書いておきながら、全く他の書を読んでいない自分にいまさらながらに気付きました(笑)
追々、他の書も読んでみようと思います。
> 文体がわかりにくいというより、一つ一つの事柄の前提の、あるいはまたその前提がこちらにはわかっていないのに、わかったことにして書き進めているので、こちらが難渋するという感じですね。
確かにそういった傾向は感じられますね。
ついていくのはけっこう大変ですね(笑)
> 硝石の話以外に、 「非人」とは、むしろ神聖な存在という意味だったとか、東西で金と銀のいずれに価値をおくか異なっていたとか、おどろくようなことがたくさん書かれていました。わたしもほんの1~2冊、それもかじっただけなのですが・・・
おどろかされる話が随所に散りばめられていますよね。
「非人」の話もその一つでしょうね。
ブログで「読んでみてください」と書いておきながら、全く他の書を読んでいない自分にいまさらながらに気付きました(笑)
追々、他の書も読んでみようと思います。
- #457 ソウルマン
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- 2015.10/15 08:45
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八切止夫
ソウルマンさんのバックナンバーは全部読まなければ・・
井沢元彦さんが言及しているんですね!
八切止夫のいう「アヌさん」って、アヌンナキのことなのでしょうか?