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第17話:命ある限り
セレネは、目の前に置かれた鳥の皮や軟骨を揚げた物を、信じられない物のように、ためつすがめつ眺めていた。
「(無理もない、まさかあんな物を出してくるとは)」
ミラノは沸きあがってくる激情を堪えながら、セレネの様子を心配そうに窺っていた。エンテがセレネを嫌っている事は理解していたが、せいぜい食事をしながら、ねちねちと嫌味をつけてくる程度だと思っていたので、まさかこんな事をしてくるとは考えていなかった。
エンテの行動は愚劣極まりない行為だが、貴族の会食というこの場において、相手を貶めるという点では効果的である。セレネは「平民でありながら、エンテ王女の好意によって食事に呼ばれた」という形になっているので、別にミラノと同じ扱いをする必要は無く、何を出そうがエンテの勝手なのだ。
「(さて、どうしたものか……)」
ミラノは思考を巡らせる。セレネが王族であると主張できれば「こんな物を食べさせるわけにはいかない」と突っぱねる事もできるだろう。だが、そのカードは切ることが出来ない。かといって、セレネ自身が「食べたくない」と言えば、平民のくせに王女の好意を無下にするのかと難癖を付けられるだろう。
そこからセレネに本格的な攻撃を仕掛けてくる恐れもあるし、最悪の場合、従者の不始末の責任を取れという文句で、傍若無人なヴァルベールの方から何か要求を突きつけてくる危険性もある。自分がセレネをフォローしなければならないが、なかなか上手い言い回しが思いつかない。
「(やはり、セレネは連れてくるべきでは無かったか)」
嫉妬深いエンテだが、まさかここまでセレネに食いつくとは思わなかった。考えの甘さをミラノが悔やんでいると、セレネが離れた位置から口を開く。
「エンテ、おうじょ」
「何よ? まさか、この私が用意させた、特別メニューを食べられないとでも言うのかしら?」
「たべて、いい?」
「そうよね。やっぱり食べられないわよね……ぇ?」
こんなの食べられないと泣きべそをかくに違いない。そう予想していたエンテは、得意げな表情のまま一瞬固まった。いくらセレネが身分が低いとは言え、王宮に身を置いている者なら、こんな扱いをされたら泣くか激昂するかのどちらかだ。少なくとも、エンテがヘリファルテ以外の国でこんな扱いをされたら、テーブルクロスを引っ張って、全ての料理を床にぶちまけるくらいはする。そのくらい屈辱的な事なのだ。
ところが、セレネは何故か目をきらきらと輝かせ、エンテに食べて良いかと尋ねた。ミラノと自分に用意されている豪華な料理などまるで無視だ。真っ直ぐに自分を見つめる赤い瞳からは、嫌悪の色は全く読み取れない。
「たべて、いい?」
再びセレネが愛らしい口調で懇願する。エンテは予想外の事態に多少面食らったが、即座にセレネの思考を読もうとする。落ち着けエンテ、所詮はったりだ。こうして可愛らしく振舞う事で、このエンテ王女の同情をもぎ取るつもりなのだろう。チビの癖になかなかの役者ではないか。だが、腹芸に関しては自分のほうが上だ。
「いいわよ。好きなだけ召し上がりなさいな!」
エンテは優雅な笑みを浮かべ、容赦なく言葉の処刑斧を振り下ろした。お前は食べていいかと私に聞いたのだ。「冗談だよ」とでも言って欲しかったのだろうが、所詮子供の浅知恵だ。私は食べてよいと言ったぞ。さあ、その脂っこく品の無い食い物を無様に吐き戻すが良い。
「いただき、ます!」
エンテの言葉が終わるか否や、セレネは猛然とした勢いで、鳥の皮を口の中に放り込んだ。何のためらいも無く食べたセレネを見て、ミラノとエンテは言葉を失った。いや、ミラノだけではない、壁にずらりと並んだ執事たちや、後ろに控えていた料理長までもだ。
セレネは小さな口をもぐもぐと動かし、しばらく味わうように咀嚼していたが、そのまま飲み込むと、お陽様のような眩い笑みでエンテに笑いかけた。
「うめぇー!」
セレネはそう言うと、グーでフォークを握りなおし、鳥の皮揚げと軟骨をまとめて串刺しにし、口の中に押し込んだ。香ばしい香りと肉汁がじゅわりと広がる。料理長がせめてもの償いとばかりに丹念に調理した鳥の皮と軟骨は、ほどよい塩味が利いており、なおかつカリカリに揚げられた絶品であった。
アークイラに居た時は、スープやパンなどの食事がメインだったし、ヘリファルテでは随分と豪勢な食事になったが、どちらも元おっさんのセレネにとっては、上品過ぎていささか物足りない味であった。
まさか異世界で軟骨と鳥皮フライという、最高の料理が食べられるとは思わなかった。どこかの空気の読めない王子と違い、エンテ王女は自分の望む物の本質を見抜き、最高のご馳走を用意してくれたのだ。
セレネはエンテに深く感謝した。ああ、こんな素晴らしい子だったなんて。カマキリなんて言ってごめんなさい。でも王子はしっかり食い殺してねと思いつつ、セレネはそのまま餌に顔を突っ込む豚と化した。
「セ、セレネ! 大丈夫なのか?」
モリモリと唐揚げを食べていくセレネに対し、ミラノが不安そうに声を掛けた。
「うん、うまい」
せっかくご馳走を堪能しているのに空気の読めない奴だ、セレネは面倒くさそうにミラノに相槌を打つ。そこで、セレネは大事な事に気付いた。やはりここまでくると、あれが欲しくなってくる。申し訳無さそうに青い顔で横に立っていた料理長の裾を、セレネはくいくいと引っ張った。
「な、何かご不満な点がおありでしょうか」
料理長はびくりと震えた。ご不満も何も、不満しかないに決まっているではないか。こんな物、本来は王族の座るテーブルに出してはいけない物だ。けれど、エンテ王女に逆らう事はできなかった。
このセレネという少女、大国ヘリファルテの使者の一人らしい。ならば、彼女の機嫌を損ねれば、間接的にミラノ王子を怒らせることになる。そうなれば自分の立場が危うくなるかもしれない。だが、それでもエンテ王女は助けてくれないだろう。そんな考えが料理長の頭によぎる。
「びーる、ない?」
だが、セレネの口から出た言葉は、料理長を糾弾する言葉ではなかった。何やら「びいる」なる代物を欲しているようだが、熟練の料理長でも、それが何なのか分からない。
「申し訳ありません。びいる、とは何でございましょうか?」
「おさけ」
「セレネ、そこまで気を遣う必要は無いぞ!」
セレネが酒を飲ませろと言った瞬間、ミラノが台詞を被せた。いい加減我慢の限界だった。セレネは幼い身でありながら聡明な子だ。あのような低俗な食事でも、喜々として食べなければヘリファルテに迷惑をかけると理解しているのだろう。
その上、貴族のたしなみとして酒まで付き合おうというのだ。セレネは何か言いたげな表情をしていたが、ミラノは料理長を手で制して下がらせると、エンテに向き直る。
「エンテ王女、私の従者セレネは、あなたの『特別メニュー』に大層満足した様子です。お心遣い感謝いたします。では、我々も食事としましょう」
「え、ええ……そ、そうですわね、おほほ……」
エンテは可能であれば、両手両足を振り回して暴れ出したい気分だった。セレネが文句を言うか、愚痴るかしたら、そこを起点にあの小娘の躾の足りなさを責め、あわよくば、ヘリファルテでの従者の教育を直に見てみたいなどと無理やり難癖をつけ、ミラノの傍についていく踏み台とするはずだった。
しかし、表面上とは言え、あそこまで嬉しそうに食べられてしまってはエンテが付け込む隙が無い。このまま無難に食事を続けるしか、今のエンテに取れる行動は無い。
「(本当に何なのよ、コイツ!)」
エンテはテーブルの下で拳を握る。ありったけの理性で握り拳をテーブルの上に叩きつける事を回避し、震える拳を何とか解き、エンテとミラノも食事を開始する。ミラノは殆ど口もきかず、黙々と食事をしたし、エンテもミラノに媚を売る気力が尽きていたので、実に静かな夕餉となった。
「びーる……」
しょんぼりとうなだれるセレネの呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
◆◇◆◇◆
「とてもつらい」
『姫! 大丈夫でございますか!?』
月明かりの差し込むベッドの上で、セレネは苦悶していた。数年ぶりに食べた鳥皮と軟骨コンボに理性が吹き飛んでしまったせいで、幼女の身体である事を綺麗さっぱり忘れ、おっさんリミッターを解除した結果、セレネの腹は不自然なまでにぱんぱんになっていた。
セレネは気力を振り絞り、吐き気を必死で堪えていた。あんな美味いものを吐き出しては罰があたる。全ての養分を自分の血肉にするべきだ。今、セレネは、本来もっと有意義な事に使えるはずの気力と体力を、全て鳥の皮と軟骨の消化に割いていた。まさにエネルギーの無駄遣いである。
そんなセレネを見守っているのは、傍に居るバトラーだけだ。先ほどまでミラノが医者を呼ぶかと心配そうに付き添っていたのだが、うっとうしいので心配ないと繰り返して追い払った。
『申し訳ございません。毒物ばかり調査していたせいで、このような事態を想定しておりませんでした。ああ、私は無能だ!』
バトラーは前足で頭をがりがりと掻きながら、セレネの枕元で心配そうに佇んでいた。主は姫だ、あのような脂まみれの下品な料理を口にしてよい身体ではない。現に、主は実に苦しそうにしているではないか。実際には食いすぎただけなのだが。
もしもセレネがラクダであれば、食いすぎた養分をコブに溜め込んでおくこともできたかもしれないが、あいにくセレネの二つのコブは未だ大平原であり、ついでに言うとそんな便利な機能も無かった。
『それにしても、あのエンテとかいう小娘め! 我が主に何と不遜な事を! こうなったら彼奴の装飾品を全て破壊し……!』
「やめて」
バトラーが復讐の炎に身を焦がし飛び出そうとした瞬間、セレネは尻尾を引っ張って食い止めた。
『何故止めるのですか!? このような屈辱的な仕打ちを受けているのに、それでも許すというのですか!』
「エンテ、なかよし」
『姫……』
あの高慢な姫のせいで体調を崩し、ぐったりと横たわっているのにもかかわらず、セレネはエンテを責めるなと言う。何故だ。バトラーは自問自答したが、すぐに答えは出た。
セレネは、ヴァルベールと事を荒げたくないのだ。今のセレネはあくまでミラノ王子の従者の一人として付いてきている。バトラーは証拠を残すような下手はしないが、エンテ王女の身の回りに何かあれば、来訪中のヘリファルテの人間に嫌疑が掛かる可能性が高い。
仮にそうなった場合でも、ミラノやセレネに被害が及ぶことは無いだろう。だが場合によっては、従者の中の誰かを処罰しろと要求される危険性がある。
セレネ姫は心優しい方だ。下劣な食事をにこやかに平らげたのも、食事会という場の雰囲気を壊さない事と、あの料理長を思っての事だろう。もしもセレネがあの場で料理長について糾弾していたら、それこそ、彼が明日からセレネの食べていた料理を食べ続けることになるかもしれない。
バトラーはそこまで考えると、自らの浅はかさを恥じた。自分はセレネ姫を第一と考えているだけだが、セレネはたとえ他国の民であっても、一人ひとりを案じる事が出来るのだ。その懐の深さは一体どれほどなのか、バトラーは改めて主の偉大さを再確認した。
『分かりました。姫がそうお考えなのであれば、このバトラー、今回は引き下がりましょう。しかし、これだけは覚えておいていただきたいのですが、今後、姫の身に災厄が降りかかる事があれば、命をかけて姫をお守りいたします。それが偉大なる主に仕える執事というものですからな』
「ありがと」
何だかよく分からないが褒められたので、セレネはバトラーの小さな頭を人差し指で撫でてやった。バトラーは満足げにしばらく身を任せていたが、暫くすると恭しくお辞儀をし、彼の指定席であるセレネの寝床の下に潜り込んだ。昼の間の調査のために走り回り疲れていたため、彼はすぐに寝息を立てた。
それから数時間後、セレネの腹が大分こなれてきた頃には、夜番を命じられた者以外、全てが寝静まる深夜となっていた。セレネも今日の昼は起きていたので、いい加減寝るかと思っていたのだが、その時、部屋のドアを軽くノックする音が響いた。
「だあれ?」
「私よ、エンテ」
エンテはノックとほぼ同時に、足音を忍ばせるようにセレネの部屋に滑り込んだ。彼女は暗い紫のガウンを羽織っており、ランタンなどの光源は一切持っていなかった。
「セレネ。体調は大丈夫かしら?」
「だいじょうぶ」
「ごめんなさいね。まさかあれを食べるなんて思わなかったから。やっぱり貧乏舌なのね」
「うん」
エンテはさりげなく嫌味を言ったつもりだったが、事実その通りだったので、セレネはにっこり笑って流した。やはりこの小娘、並みの胆力ではない。エンテは眉間に皺を寄せたが、殆ど真っ暗な部屋の中では、こちらの表情は読み取れないだろう。これから自分が行う事に対し、少しでも疑惑を持たれてはならないのだから。
「ねえ、私、あなたに申し訳ないことをしたと思っているのよ。さっきはちょっとつらく当たっちゃったけど、仲直りに私とおまじないをしてくれないかしら?」
「おまじ、ない?」
「ほら、女の子同士で髪の毛を交換して、アクセサリを作る奴よ。ヘリファルテにもあるでしょう?」
「あー」
そういえば、マリーとそんなおまじないをしたことがある。ちなみにマリーの髪で出来た指輪は、普段はセレネの部屋の小物入れに入れてある。主な使い道は、金髪ロリと楽しい時間を過ごす夢が見られるようにと、願望を篭めて寝るときに枕の下に敷く事である。
「私の方はもう用意してあるわ」
エンテは、小さな翡翠に穴を開け、栗色の髪を束ね、ひも状にして通したペンダントを持っていた。そのアクセサリをセレネの手にねじ込むように渡すと、セレネは興味深げにそれを覗き込んだ。
「くれるの?」
「ええ、これで私達はお友達よ。私はそれをあげるから、あなたの髪ももらえないかしら?」
「わたし、きれい、つくれない」
「いいのよ。髪だけもらえれば、私の方でアクセサリにするから」
「じゃあ、きって」
そう言うと、セレネは何のためらいも無く、エンテに髪を切れと無防備な背中を晒したので、エンテは少し驚いた。先ほど自分が食事で嫌がらせをしたことは分かっているだろうに、そんな事などまるで気にしていないという態度だ。
この少女を見ていると、まるで自分が矮小な存在に思えて、猛烈な苛立ちを感じる。髪を切るためのナイフを突き立ててやりたくなる衝動を堪え、エンテはセレネの髪を一房切り取った。
「私達は別の国の人間だから、もしかしたら、もうあまり会えなくなってしまうかもしれないわ。でも、命ある限り、お互いお友達で居ましょうね」
「うん!」
エンテはそう言うと、セレネから切り取った髪を素早く懐に納め、そそくさと部屋を出て行った。誰も見ていないことを確認しながら、小走りで自室へ戻ったエンテは、懐からセレネの髪を取り出し、一番目立たない引き出しの奥へと押し込めた。
「あのチビ、今のうちに始末して置かないと危険ね。触媒が思ったより簡単に手に入って助かったわ」
エンテが持っていったアクセサリーに使った髪は、似た色の髪を持つメイドから無理やり刈り取ったものだ。あんな憎たらしい小娘相手に、枝毛一本やるつもりは無い。翡翠も一番低級の物を選んだので、別に痛くもかゆくも無い。
「まさか、小娘相手に呪詛吐きを使う事になるとはね……」
自分以外は誰も居ない、月明かりすら届かない真っ暗な自室で、エンテはどこか恍惚とした魔女のように邪悪な笑みを浮かべた。
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