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夜伽の国の月光姫 作者:青野海鳥

【第一部】夜伽の国の月光姫

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第16話:ヴァルベールの夕餉

 ベッドに腰掛けたセレネを見下すような形で、エンテがセレネに話しかける。

「さて、と。お嬢ちゃん、セレネとか言ったわね。あなたのお仲間の従者たちから聞いたけど、あなた、ミラノ王子に拾われたんですってね」
「いちおう」

 正確には拉致されたのだとセレネは言いたかったが、答えるより早く、エンテはセレネに押し付けるように顔を近づけると、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「はっきり言っておくけどね。ミラノ王子があんたを拾ったのは、あんたの魔力が目当てなだけよ。平民で魔力を持ってる人間ってのは貴重だものね。それ以外の価値なんて、あんたにはないわ」
「ちがう」
「違わないわよ。あんた、まさか自分が特別にミラノ王子に寵愛を受けているなんて思ってるんじゃないでしょうね? だとしたら思い上がりも甚だしいわ」
「ちがう」

 自分はあくまで、本命のアルエを釣るためのエサだ、タイを釣るためのエビなのだ。その辺をエンテは分かっていない。だから、セレネ=アークイラがミラノに好意を持っていると思い、恋敵として敵意を向けるのだろう。

 事情が分からない可哀想なエンテ王女、そう思い、セレネが同情するようにエンテを見上げると、エンテはそれが(しゃく)に障ったのか、苛立たしげに栗色の髪をかき上げた。このチビ、まるで雪の妖精のような儚げな外見に反し、なかなか強い精神力を持っている。

 ミラノに憧れを持つ娘を見つけるたび、エンテは相手の欠点を見つけ、徹底的に罵倒し、お前にミラノ王子は相応しくないと叩き潰してきたのだ。相手の気にしている部分を瞬時に責め立てる才能に関して言えば、エンテの右に出るものは居ないだろう。

 エンテが仕入れた情報では、セレネは決して身分の高い者ではなく、何か特別な才能に加え、不遇な境遇を哀れんだミラノ王子が、ヘリファルテに引き取ったということだ。ならば、いくら才能があろうと、お前の身分では王子に相応しくないとストレートに告げてやるのが一番効果的だ。

 しかし、セレネはその攻撃を毅然(きぜん)と跳ね返したのだ。今までエンテに罵倒された女性は、泣き出すか、しどろもどろに何とか反論するのが関の山だった。しかし仮に反論されたとしたら、そこは大陸ナンバー2の王女の権力という暴力でねじ伏せる。それがエンテの必勝パターンだった。

 身分違いの恋など諦めろと暗に伝えたのに、それでも平然としているセレネに対し、エンテは少したじろいだ。一体こいつは何者なのだ? ミラノ王子の胸という、うら若い乙女たちにとって、最高の玉座に腰を下ろしているのに、なんとも無さそうに構えているこいつは一体何なのだと。

 もしかしたら、頭の回転が恐ろしく鈍いのかもしれない。エンテはそう切り替えると、自分の持っている武器――大国の威光を振り回すことで、セレネという牙城を切り崩す事にした。それにセレネと自分とでは、ミラノと紡いだ年数がまるで違うのだ。

「私、あなたが生まれる前から彼のことを知っているの。まだあの人が少年だった頃の話、あなたは知らないでしょう? どう、聞きたい? 聞きたいわよね?」
「いらない」

 セレネはむっとした表情で否定した。別に王子の過去など知りたくも無い。苛立った態度を見たエンテは、どこか超然としていたセレネの感情を揺さぶった事に対し、得意げな笑みを浮かべた。

「あなたの出身国はどこかしら? 言ってごらんなさいな」
「あーくいら」
「アークイラ! アークイラですって! 馬と鹿の国じゃない!」

 エンテは誰も居ない事をいい事に、げらげらと品の無い笑い声を上げた。アークイラの主な名産品は、肥沃な土地で育まれる馬や、鹿をはじめとした動物の毛皮などが多い。それを揶揄し、心無い者のなかには「馬と鹿の国」と呼ぶ者もいるのだ。

「(あんなちっぽけな国の、こんな幼児みたいな喋り方しか出来ない愚図な娘。それほど気にする必要は無かったかしら?)」

 それでもエンテはさらに追い討ちをかけた。アークイラがヴァルベールに比べ、いかにちっぽけな国であり、そこに住むセレネがいかに田舎者であるかを主張した。

 さらに、そんなお前と比べ、自分は大陸でナンバー2の大国の姫であり、住む世界が違うのだと、エンテはまるで歌でも歌うかのように、セレネと、セレネの母国を罵倒し続けた。

 しかし、エンテはある異変に気付いた。セレネはただじっとエンテの話を聞いているだけで、そこには何の怒りも悲しみも読み取れなかった。いや、それどころか、エンテの話をどこか微笑ましげに聞いているようにすら見えた。

「エンテ、おうじょ」
「な、何よ?」
「ありがと」
「……は?」

 セレネは、エンテ王女の性格の悪さに感謝した。王女の性格が面倒であればあるほど、王子に差し出す勿体無さが薄れていく。幼馴染属性持ちで、性格の良い美少女だったら王子に差し出すのが惜しくなるが、これなら何の問題も無く王子に押し付けられるではないか。ありがとうエンテ王女、クソビッチで居てくれて。

 そもそもセレネは日本人として暮らした時間のほうが長いので、あんまり愛国心というものが無かったし、アークイラでは引きこもり生活をしていたせいで、どこか別の国の話のようにしか感じなかったのだ。

 それに、生粋の王女様に言葉攻めをして貰えるということ自体、考えてみれば非常に稀有な体験ではないか。生前に同じ体験をするとしたら、二次元で疑似体験をするのが関の山だ。そうした色々な意味を篭め、セレネは感謝の言葉を述べた。

 だが、エンテからすればセレネの言動は理解不能だ。自分がヴァルベールの事を罵倒されたなら、そいつを床に叩き伏せてやるくらいの事はする。この純白の少女は、人の憎しみを受け流し、穢れ無き物に変えてしまうとでも言うのだろうか。自分よりも遥かに低俗で愚かだと思っていた存在に、エンテは確かに気圧(けお)されていた。

「な、何なのあんた? 頭おかしいんじゃないの!? 私は、あんたの事を馬鹿にしてるのよ!?」 
「エンテ、おうじょ、おうじ、すき、わたし、なかま」
「はぁ!?」

 セレネは「王女はミラノが好きなんだろ? なら私は君の協力者だ」と言ったつもりだった。

 だが、舌足らず、言葉足らずのセレネの台詞は、エンテにとって「私もミラノ王子が好きなお仲間よ」と言っているようにしか聞こえなかった。こうなるとエンテからしたら完全に意味不明である。困惑するエンテに対し、セレネはさらににっこりと微笑んだ。

「がんばって」

 嫉妬の炎に燃えた同性のエンテですら、一瞬見惚れてしまうほどに眩しい微笑みでセレネは笑った。だが、セレネの激励の言葉を聞いた瞬間、エンテはようやくセレネの意図が理解できた。

 ――このセレネという小娘は、自分に絶対の自信があるのだ。

 生まれた国や身分など関係無い。ミラノは、セレネという存在そのものを愛してくれているのだという絶対的な自信。だからこそ、ミラノに抱きかかえられても赤面すらしないのだ、それが当然なのだから。

 実力ある騎士は必要以上に己を大きく見せたりはしない。相手が戦いを仕掛けてくれば真っ向からそれを受け、打ち倒す。それと同じように、清く、美しく、誇り高き魂を持っているのだろう。恋愛という勝負において、自分は逃げも隠れもしない。正々堂々とミラノを賭け勝負を挑んでこい、それでも私は受けて立とう、この少女はそう言っているのではないか。

 それはエンテの人生において、最大の敵が現れたことを意味していた。何の装飾もつけていない生まれたままの美貌を持つ少女が、自分の着飾った姿を馬鹿にしているようで、エンテは全身の血が沸騰するようであった。

 このセレネという小娘には、いくら嘲笑しようが通じないだろう。エンテはそう悟り、しばし無言になった。それから少しして、不思議そうに首を傾げるセレネに対し、にやりと笑みを浮かべた。

「セレネ、応援してくれてありがとう。私、あなたのことがとても気に入ったわ。だから後で素敵な料理をごちそうするわ」
「ほんと!?」

 セレネはその言葉を聞き、「やった! 自分の意図が通じたぞ!」と喜んだ。彼女は王子が好きなのだから、自分につらく当たるのは当然だ。けれど、こうして腹を割って本心を語った事で、自分は味方だと理解してもらえたようだ。

 しかも、お近づきの印に、特製の料理をご馳走してくれるというのだ。確かにちょっと高慢なところはあるが、エンテ王女は話せば分かるいい子じゃないか、セレネはそう考えた。

「期待していいわよ、あなたにぴったりの料理を用意してあげるわ」
「ありがと!」

 エンテはたおやかな笑顔のまま、セレネに一礼をして部屋を出た。
 そして部屋を出てドアを閉じた瞬間、エンテは手近にあった花瓶を床に叩きつけた。近くを掃除していた侍女たちが、びくりと身体を震わせる。エンテの突然の癇癪(かんしゃく)はいつものことだが、今日はひときわ激しいようで、侍女たちはあの花瓶が自分のように見えて、ただ遠巻きに怯えていた。

 幸か不幸か、全ての憎悪は脳内に残るセレネの笑顔に全て向けられていたので、エンテはそれ以上は何もしなかった。

「あのチビには言葉では駄目ね……目に見える形で、身分の差を教えてやる必要があるわ」

 吐き捨てるようにエンテは呟いた。
 あのセレネという小娘、只者ではない。
 自らの装飾品が霞むような、幼いながらも神に愛された美貌。歳とかけ離れたような振る舞い。
 ミラノがあの小娘にたぶらかされたとしても無理は無い。なんと神聖な小悪魔か。

 だが、ヴァルベールの姫君の自分に対し、奴は平民に毛の生えた程度の存在に過ぎない。
 この世を支配するのは、何と言っても権力だ。エンテはそう信じている。
 このエンテと貴様、どれほどの身分の違いがあるか、目に見える形で表さねばならない。
 エンテは料理長に「特別メニュー」を作らせるため、城の厨房へと足を向けた。



  ◆◇◆◇◆



『姫、ただいま戻りました』
「おつかれ」
『暫く厨房を観察しておりましたが、特に毒物のような物はありませんでした。ご安心くだされ』
「そう」

 バトラーの報告に対し、セレネは特に何とも思わなかった。美味いに越したことはないが、セレネは腹に溜まれば何でもよいという人間だったので、食えれば割と何でもよかった。ただ、エンテは自分に個別のメニューを用意してくれるらしいので、それが楽しみではあった。

 そして時は過ぎ、夕食の時間となった。挨拶回りを終えたミラノがセレネの部屋に戻るのとほぼ同時に、料理長らしき壮年の男性が、ミラノとセレネを呼びに来た。

「夕食の準備が整いました。今宵はわが国自慢の料理を、腕によりを掛けて作らせていただきました。それと……」
「それと、何だ?」

 料理長が言いづらそうにしていたのをミラノが促すと、料理長は何故か疲れ切った様子で口を開いた。

「エンテ王女より言伝がありまして、ミラノ王子だけではなく、セレネ殿も是非、夕食をご一緒にとお誘いがあるのです」
「エンテ王女が? 何故、彼女がセレネと食事を共にするのだ。セレネは私の召使と伝えておいたはずだが」

 ミラノは疑問を口にした。プライドの高いエンテは、身分の低い者と決して席を並べようとしない。まして、エンテはセレネに好意を持っているとは思えない。一抹の不安がよぎるが、その時、セレネがミラノのズボンの腰元をぎゅ、と掴んだ。

「だいじょうぶ」
「セレネ、気を遣う必要はないぞ? 私の方から断りを入れてきてもいい。お前は堅苦しい食事は嫌いだろう?」
「だいじょうぶ、なかよし」

 セレネの決意は固いようで、ミラノに真剣な眼差しを送る。上手い事エンテ王女と仲良くなれたのだ。こうして直々に呼んでもらっているのがその証拠だ。ならば、エンテの友人として参加し、もっと好感度を稼いでやろう。セレネは意気揚々と、ミラノを放置して先に進んでいった。ミラノはどこか嫌な気配を感じつつも、セレネと連れ立って食事の場へと向かった。

「あら、ミラノ王子、それにセレネ、お待ちしておりましたわ」

 ヘリファルテと対照的な、客室同様に無駄な調度品の置かれた大広間には、驚いたことにエンテ王女しか居なかった。その代わり、見目麗しい執事たちが壁際にずらりと並べられていた。人間が並んでいるというより、己の権力を見せびらかすための、精巧な彫像が並んでいるようだ。

「今日はお父様たちに無理を言って席を外してもらったのよ。ミラノ王子のお相手は、ヴァルベールを代表して、この私、エンテ=ヴァルベールがお相手させていただきますわ」
「そうか、ではお相手願おう」

 エンテは気付いていないようだが、ミラノは、まるで決闘を受けて立つような口調で答えた。恐らく、エンテとその両親が強引に進めたのだろう。いわば強制的なお見合いのようなものだ。後は若い二人でごゆっくりと、というわけだ。

 しかし、そう考えると不可解な点が生じる。すぐ横に立っているセレネの存在だ。

 もし、エンテがミラノと二人きりを望んでいるのなら、なぜセレネを連れて来いと言ったのだろう。ミラノの疑問は解消されぬまま、真紅のテーブルクロスのかけられた巨大なテーブルに座るよう、執事の一人に案内される。そして、その対面に、先ほど以上に着飾ったエンテが優雅な動作で座る。

「セレネは、そこに座ってちょうだい」

 エンテがセレネに指示した場所は、テーブルの一番端、ミラノとエンテからぽつんと離れた場所だった。これではまるで、セレネが晒し者のようだ。彼女一人だけ拒絶されているようで、ミラノは不快さを隠そうともせずエンテに視線を送る。

「エンテ王女、なぜセレネをあんな離れて座らせるのだ。幾らなんでも遠すぎではないか」
「あら、仕方ないじゃない。だってセレネは従者でしょう? ね、セレネ、あなたはそこでいいわよね?」
「うん」

 セレネは素直に頷いた。ミラノは表には出さなかったが、この王女に唾を吐いてやりたい気持ちだった。これではまるで、セレネだけ、我々とは住む世界が違うといっているようなものではないか。なのに、セレネは平然とそれを受け入れている。本当はセレネとて小国の姫君なのだ。相応に扱ってやりたいが、それを口に出すわけには行かなかった。

 一方で、セレネはエンテ王女の心遣いに感謝していた。エンテは自分が影から恋愛を応援するという意図を汲み、自分をさりげなく遠い場所に置いてくれたに違いない。やはり、この王女、思ったよりもずっと人の心意気を汲める娘だと、セレネはエンテ王女に対する認識を改めた。

「さ、そろそろ食事にしましょ。料理長、食事を運んできて頂戴。勿論、セレネにも、ね」
「……はい」

 料理長はどこかぎくしゃくした様子で、他の料理人たちに合図をした。すると間もなく、トレーに乗せられた料理が運ばれてきた。贅の限りを尽くした、とても二人では食べきれない、色とりどりの郷土料理だ。同じメニューがエンテとミラノの前に並べられるが、遠く離れたセレネの席には、まだ何も用意されていない。

「セレネの物がまだ来ていないようだが?」
「分かっているわ。さ、料理長、『特別メニュー』を出してあげてちょうだいな」
「ですが、エンテ王女、あれは……」

 料理長が何か言いたげに口を開いたが、エンテが一睨みすると、観念したように部下の料理人に例の物を出せと言った。そうしてセレネの前にどん、と置かれた料理に、ミラノも、セレネも目を丸くした。

「こ、これは……!」

 セレネとミラノは同じ台詞を口にした。セレネの前に突き出された料理は、ミラノとエンテに用意された物とはまるで違う物だった。鳥の軟骨や皮と言った、貴族が食べない捨てられる部位を、丸ごとフライにした、彼らにとって、料理と呼ぶにもおこがましい代物だった。

「さ、セレネ、どんどん食べてちょうだいね。新鮮な若鶏の骨と皮よ」

 エンテはにっこりと、機嫌良さそうに微笑んだ。

「エンテ王女! これは一体どういうことだ!」
「あら? セレネにはぴったりだと思ったんだけど駄目かしら? だって、あの子は身分の低いお子様でしょう? なら、口に合う物を出してあげた方がいいじゃない」

 悪びれもせず、エンテは楽しそうに答えた。

 元々、揚げ物というものは貧民の食べ物だ。貴族の食べない粗末な部分を長時間熱して柔らかくし、味付けして何とか食べられるようにしたものだ。それを食べさせるという事は、貴族社会において「お前の身分はその程度の物だ」と暗に告げる、最大の侮辱であった。

 口で言って分からないなら、こうして現実として突きつけてやれば良い。どうだセレネ、私とミラノ王子はお前の前で豪華な食事をし、お前は一人で惨めに奴隷の食い物でも食っているがよい。王族の尊厳を最大限に踏み躙る、子供じみた、低俗かつ下劣な手法であった。

「さ、食事にしましょ。たんとお上がりなさい」

 エンテは、目の前にこんもりと盛り付けられた揚げ物を食い入るように見つけているセレネに対し、ことさら優しく言い放った。
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