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第14話:祝福の女神
早朝――まだ朝靄の残る時間帯にもかかわらず、ミラノは朝稽古の前の一仕事を自室で進めていた。調度品の類は殆ど無い。全身を映す大型の姿見。簡素な机にベッド。必要最低限の小物を並べただけの、大国の王子にしては随分と簡素な部屋であるが、多忙なミラノは自室に居る事自体が少ないので、あまり不自由には感じていなかった。
「やれやれ、ようやく終わりが見えてきたな……」
ミラノは机に向かいながら、凝り固まった肩をほぐすように鳴らす。
「さすがに無茶をした分だけ、体裁を整えるのも大変でござるなぁ」
「見てないで少しは手伝え」
山積みになった書類相手に悪戦苦闘するミラノの横では、ベッドにどっかりと腰を下ろしたクマハチが笑いを噛み殺していた。いくらヘリファルテが解放的な風土といえど、王子の部屋に入れるのは、ごく限られた人間だけだ。王子の親友であり、護衛役という立場であるクマハチは補佐――もとい、ひやかしという目的で、よく遊びにきているのだ。
「拙者はあくまで護衛役であり、武士にござる。そんな書類は文官にでも任せておけばよいでござろう」
「僕が起こした問題だ。責任は僕が取る」
ミラノが先ほどから取り組んでいるのは、以前から進めていたアルエの受け入れの手続きだ。ヘリファルテ王宮には優秀な文官が何人も登用されているので、彼らに丸投げし、自分は最後にチェックするだけという事も可能ではあったのだが、彼はそれを良しとしなかった。
父から責任は自分で取れと言われている事もあるが、セレネに関する事は、なるべく自分で処理したいという気持ちからくる行動であった。
大陸全土から入学希望者が殺到する学府に対し、セレネの事を伏せつつ、辺境の姫を優先して受け入れさせる文言を考えるのに思った以上に時間が掛かってしまったが、これでようやく大体の準備が整った。後は書類が大学に受理されれば、アルエ姫の到着を待つだけである。
「セレネには、感謝せねばな」
ミラノが出来あがった書類の束を纏めながら呟くと、クマハチも無言で頷いた。
セレネと出会ってからというもの、ミラノにとって信じられないほど充実した日々が続いていた。セレネが間に入ってくれる事で、マリーとの溝も大分埋まりつつある。父と母も、愛くるしいセレネの事を気に入っているようで、彼女を話の種にすることも多い。
特に母であるアイビスが、衣装映えするセレネに大量に服を贈ったものの、あの乳白色のドレス以外、あまり着たがらないと冷やかされたのをよく覚えている。
かくいうミラノ自身も、セレネの差し入れを受け入れてからというもの、すこぶる体調が良い。今まで自分にこびりついていた澱のような物が消え去り、その分、自分に足りない物が満たされていく感覚を自覚出来るほどだ。
セレネを受け入れた事により、書類の山に忙殺され、責任も増えたが、逆にそれが彼に程よい緊張感を与え、惰性に流される事が無くなった。ミラノにとって――いや、ヘリファルテ王家にとって、セレネはまさに祝福の女神であった。貴族のご機嫌取りをしながら放浪していた、あの鬱屈した日々が嘘のようだ。
「セレネはどうしている?」
「先ほど様子を見てきたが、まだ部屋で眠っているようでござる」
「そうか、僕も稽古に行く前に、様子を見てくるとしよう」
「夜這い……もとい朝這いにござるか?」
「人聞きの悪い事を言うな」
クマハチお得意の軽口を流すと、ミラノは自室を出て、セレネの寝室へと向かった。セレネは全く気付いていないが、ここのところ、ミラノは朝稽古に向かう前は、必ずセレネの様子を見にいくようになっていた。もちろん、朝に弱いセレネはこの時間ぐっすりと眠っているので、あくまで軽く様子を窺うだけだ。
ミラノはドアを軽くノックして反応が無いのを確認し、セレネを起こさないように、そっとドアを開けた。カーテンから漏れ出す朝日によって、うっすらと明るくなった部屋の中、セレネはあどけない寝顔で、気持ち良さそうにすやすやと眠っていた。
あと数時間もすれば慌てて飛び起き、自分のために食事を作る少女の姿を想像すると、何とも満ち足りた気持ちになる。
「僕は、少し急ぎすぎていたのかもしれないな」
セレネの染み一つ無い、白磁のような柔らかい頬を撫でながら、ミラノは小さく呟いた。
穏やかな寝息を立てる無防備な姿を見ていると、ミラノは今までの焦りが、朝靄が晴れるように掻き消えていく気持ちになる。一刻も早く立派な王子となり、一国を背負う人材にならねばと気張ってきた。その重責が知らぬうちに心に蓄積していき、アークイラでは爆発寸前になっていた。
普段は超然としているが、自分ですら気付かない感覚を察知し、必要な物を与えてくれるセレネを見ていると、過去の自分が滑稽に思えてくる。そのくらい今のミラノの心には余裕が生まれていた。
セレネには申し訳ないが、神がセレネに不幸な境遇を与えた事に対し、ミラノは感謝していた。そうでなければ、彼女とこうして一緒に過ごす事は無かったであろう。同時に、彼女に輝く光の下で長く過ごせない身体を与えた事に対しては、文句を言いたくなる。
セレネとしては、日差しに弱い身体と押し込められた環境は、堂々と昼寝できる大義名分になるので神に感謝していたのだが、そんなことはミラノも、姉のアルエですら知らないのだから仕方ない。
「あまり気乗りはしないが、そろそろヴァルベールに向かう頃合か」
わざと辺境を練り歩いて時間稼ぎをし、帰国してからはアルエの受け入れ準備と称し、尺を稼いでいたが、これ以上先延ばしにすると、本気で向こうから殴り込みをされかねない。
あまり長期滞在するつもりはないし、嫌な事は早めに済ませておきたい。
何より、セレネの見聞を広めるためと考えれば、隣国行きも耐えられる。
ミラノは気合を入れなおし、朝稽古へと向かっていった。
◆◇◆◇◆
「おうじー!」
そうして昼時になると、バスケットを抱えたセレネが修練場へとやってきた。
ここ最近、すっかり兵士達のアイドルと化した少女の乱入を頃合とし、兵士たちは稽古を止め、休息に入る事が多くなっていた。
セレネが現れるようになってからというもの、兵士達の士気は見違えるほどに上がっていた。というのも、今までは王子一人が休みも取らず、厳しい修行をしているのに、下っ端の自分達が休むという行為に何となく後ろめたさを感じ、完全に心安らぐ時間が無かったのだ。
そこにセレネが登場し、王子に強引に食事を勧め、これまた強引に休息を促すので、他の兵士達も大手を振って休む事ができるようになった。それだけではない、未婚の若い兵士達は、セレネの幼いながらも類稀な美貌に、すっかり虜になってしまったのだ。
ヘリファルテは自由の国だ。クマハチをはじめ、実力と誠実な意思さえあれば、誰もが成り上がれる可能性がある。セレネも表向きは「才能を買われ、王国の人材になるために預けられた身分の低い者」と公言されていた。
つまり、現在は別に王子の婚約者という触れ書きではないし、高嶺の花ではあるが、決して手の届かない場所に咲く存在ではないのだ。
数年後には、それはそれは美しい女性となるだろう。であるのに、それを全く鼻にかけない貞淑さ。何より、遠目からでも分かるほどに、王子を甲斐甲斐しく労わるその姿。あの少女を手に入れたいと思う若年兵たちが出るのも当然である。そういった事情もあり、血気盛んな猛者達は、これまで以上の鍛錬に励んでいた。
セレネはむさ苦しい修練場に咲く一輪の花であり、まるで七人の小人達に慕われる白雪姫のような扱いを受けていた。実際には白雪姫ではなく、毒リンゴを食べさせるババアのポジションなのだが、それに気付けというのは、色々な意味で酷であろう。
「ばるべーる、おうこく?」
他の兵士達にはわき目も振らず、セレネは今日もミラノにせっせと毒物――塩辛い肉を切り分けながら、聞きなれない単語を尋ね返した。
「僕が遊学の旅をしているのはセレネも知っているだろう? アルエ姫の件もあらかた片付いたし、次は隣国、ヴァルベールへ行こうかと思っている」
「おうじ、いっちゃうの?」
王子が居なくなってしまえば、それだけ毒を盛る回数が減ってしまう。セレネはそれを嘆いたが、飼い主に置き去りにされる子猫のようなしぐさを見たミラノは、セレネが、自分が置いていかれることを悲しがっていると思い、優しく笑いかけた。
「その件なのだが、セレネも一緒に来てくれないか? ヘリファルテの王宮に篭っているだけでは退屈だろう? この国から近いし、観光も出来ると思う」
「えっ?」
「本当なら王族として連れて行きたいが、お前の身分を隠さねばならないからな。あくまで使用人の一人としてという形になるが」
ミラノは申し訳無さそうに、すまない、と付け加えた。別に使用人だろうが何だろうがセレネはどうでも良かったが、そもそも何故、放蕩王子の道楽に付き合わねばならないのか。台所が使えないのだから、お弁当という名の殺人兵器の製造もできないだろう。
ならば絶対に行きたくない。せっかく王子が居ないのだから、一日中寝て過ごしたり、マリーといちゃついたり、バトラーと情報収集をしたほうが、遥かに有意義ではないか。
ノーサンキューだ。そう思いセレネが口を開こうとした直前、ミラノはさらに一言付け加える。
「それと、もう一つ伝えておく事がある。実は、ヴァルベールの姫は呪われているという噂があってな……」
「のろい?」
「あくまでそういった噂があるというだけだ。実際に彼女が何かしたという証拠は無い」
不思議そうなセレネに対し、ミラノは説明をした。ヴァルベールの姫は、不思議な力を持っていると言われているのだそうだ。
彼女は、ヘリファルテのマリーベルを除けば、大陸ナンバー2の国家の姫君である。そんな彼女に対し、結婚を申し込む男性もかなりの数に昇るらしい。しかし、彼女に近づいた直後、体調を崩し、病床に伏してしまう者が出るという噂が流れているのだそうだ。
彼女の持っている魔力のせいなのか、はたまた風土の問題なのか、はっきりとした原因は分からないが、少なくとも何人か倒れた事は事実のようだ。
「まあ、旅の疲れが偶然出ただけだとは思うのだがな。僕は彼女と幼少期から交流があるが、この通り何ともない」
「おさななじみ!?」
「まあ、そうとも言えるが……急にどうした?」
幼少期から付き合いがあると言った瞬間、セレネは急に不機嫌になり、王子を睨む。
ミラノは怪訝な表情を浮かべたが、過去の事例を思い出し、セレネの求めている答えを言ってやることにした。
「別に彼女とは恋愛関係ではないぞ? あくまで国家間でのやりとりで顔を合わせているというだけだ」
「ほんとにぃ?」
「本当だ」
ミラノがそう言い切ると、セレネは完全に納得はしていないようだが、どうやら矛を収めたようだ。
「(セレネは幼いと思っていたが、淑女として扱わねばならないな)」
ミラノは小さな淑女に対し、くすりと微笑んだ。アークイラに行くまでに何カ国か訪問したが、ヴァルベールに女性の幼馴染がいると話すと、不機嫌になる貴族の娘達はかなり多かった。
なぜ彼女達が態度を急変させるかさっぱり理解できず、クマハチに尋ねたところ、呆れたように「そりゃ、目の前の男が自分を差し置き、交流の深い女の話題を出したら、不機嫌になるのも当然でござろう」と言われ、そこでようやく意味が分かったのだ。
それ以来、そうした流れになった場合、あくまで知り合いであるとフォローをする事にした。事実、彼女とは幼少期からの顔見知りというだけで何とも思っていない。むしろ苦手なタイプに入る。
セレネはまだ幼いので、そういった事とは無縁だと思っていたが、小さくても女性は女性であるということに、ミラノは何だか微笑ましくなった。
一方でセレネは、「完璧超人な上に幼馴染も完備とか、お前は物語の主人公かよ!」と心の中で呪詛を吐きつつも、その隣国の姫とやらにどうしても会いたくなった。
男を呪い、衰弱させることが出来る可能性を持つ姫なのだ。しかも幼馴染キャラである。セレネの目的は王子暗殺であるが、それはあくまで方法のひとつに過ぎない。大事なのは、姉であるアルエをこの王子から守り、自分と姉が幸せに暮らしていくことである。要は王子に手出しされない状況を作れれば良いのだ。隣国の姫の力は、今のところミラノには効果が無いようだが、それでもかなり有望な能力に違いない。
「セレネの隣国行きはあくまで提案だ。強制ではない。行きたくないなら無視して構わない」
「いく!」
「……本当にいいのか? 念のため、セレネにはなるべく近づけさせないようにするが、あまり楽しい話では無いからな」
「いくったら、いく!」
「彼女は呪われているのかもしれないぞ? 怖くないのか?」
「のろいだから、いく」
セレネの不可解な台詞にミラノは首を傾げる。もしかしたら、セレネは自分を心配してくれているのかもしれない。噂はあくまで噂であり、それほど恐れる事ではない。むしろそんな都市伝説のような物より、姫自体が厄介だ。だが、祝福の女神であるセレネを連れて行けば、気が重い隣国訪問も上手くいくかもしれない。
「わかった。では明日から早速、出発の準備させよう」
「うん!」
セレネは力強く頷いた。仮に呪いとやらの効果が無くても、その幼馴染とミラノをくっつけてしまえば、おいそれとアルエに手を出すことも出来ないだろう。結婚は人生の墓場というではないか、ならば、生きながらにして貴様を墓場に縛り付けてくれよう。
「(王子と、幼馴染を、くっつける!)」
呪われた姫というのがどんな存在か分からないが、何とかミラノの目を盗んで、出来る限り恋のキューピッドになってやろう。愛の矢を放つフリをしつつ、その心臓を毒矢で撃ち抜くのだ。
「ばきゅーん」
食事が終わり、稽古に戻る王子の背中に対し、セレネは人差し指と親指を立てて銃に見立てると、ミラノの背中を撃ち抜く動作を取り、満足そうに笑った。
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