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夜伽の国の月光姫 作者:青野海鳥

【第一部】夜伽の国の月光姫

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第13話:聖王子暗殺計画(後編)

「着いたわよ」
「ひろい!」

 王宮内の移動用馬車に乗ってマリーとセレネがやってきた修練場は、セレネの想像していたものよりも、遥かに大規模な場所であった。

 学校のグラウンドをそのまま拡大したようなシンプルな作りだが、物々しい兵士達がひしめいているため、どちらかというと闘技場と表現したほうが正しいだろう。

 革製の軽鎧を身に纏い、向かい合う剣士達。甲冑に身を包み、筋力トレーニングをする者、中には馬術の練習をしているものまでいる。各々がそれぞれのグループに分かれ、活気に満ち溢れた特訓をこなしているようだ。

「おうじは?」
「兄さまは……あ、いたいた! おーい、兄さまー!」

 マリーが指差した先には、ミラノの姿があった。
 ミラノは先ほどの革製の鎧を来た集団の中に混じって、剣術の修行をしているようだった。
 日差しの下でマリーと同じプラチナブロンドの髪がきらりと輝き、遠目からでもひときわ目立つ凛とした姿に、セレネは多少の殺意を篭めて視線を送る。

 マリーの呼びかけに気付いたのか、ミラノは周りの兵士たちに何か言い残し、セレネ達の元へと歩いてきた。

「マリーに……セレネ? どうした? ここは危ないから下がっていろ」
「私は別に来たくなかったんだけど、セレネがどうしてもって言うから」
「セレネが?」
「うん」

 ミラノが不思議そうにセレネの方に向き直ると、セレネも小さく頷く。

「おうじに、あいたくて」
「僕に? 別にセレネが見ても面白い物は無いと思うが」
「そんなこと、ない」

 セレネの表情は真剣そのものだ。ミラノとしては、日に弱いセレネを日差しの元にさらけ出したくなかったのだが、日よけの白い帽子まで用意しているところから、セレネの決意は相当固いらしい。仕方なく、ミラノは彼女を近くの木陰へ誘導した。

 この修練場は、王宮の敷地内にあった林を切り開いて作ったもので、ところどころ兵士の休憩所として使えそうな木陰が残されていた。影になっている場所は風通しも良く、訓練で疲れ果てた兵士の休息を取る場所としては絶好のポイントである。

「セレネったら、薔薇園に行こうって言ったのにこっちがいいんだって。じゃ、私はもう戻るから。セレネも飽きたら帰ったほうがいいわよ」
「マリー、ありがと」

 セレネが礼を言うと、マリーはひらひらと手を振って、背を向けて去っていった。

「何度もいうが、別に女の子が見て面白い物ではないぞ?」
「いいから」

 セレネは短く言うと、木陰の下の草むらに座り込む。ミラノは不思議に思いながらも、元の位置へと戻っていった。

 そうして中断していた稽古が再び開始された。どうやらミラノがやっているのは、自分が負けるまで、ひたすらに向かってくる相手を一対一で倒していく「勝ち抜き稽古」のようなものらしい。

 セレネが見たところ、兵士の殆どはミラノよりも大柄だ。それに対し、ミラノは女性と見間違えるほどにか細い。

 そんなミラノが軽く剣を振るうだけで、屈強な兵士が次々とミラノに剣を弾き飛ばされ、ひれ伏していく。まるで手品のようだ。練習試合のため、それぞれが使っている物は練習用の木剣(ぼっけん)だが、王子相手だからといって兵士達が手加減しているようには見えない。

「なに、あれ……?」

 もう何十人も相手にしているのに、ミラノの動きは少しも鈍らない。ずぶの素人のセレネでは、太刀筋どころか何をしているのかさえ分からない。

 ミラノの弱点を探そうとすればするほど、その完璧無双ぶりに打ちのめされていく。こんな化け物相手に、一体どうやって愛しい姉姫の純潔を守れというのか。空は青々と晴れ渡っているのに、セレネの心の中には暗雲が立ち込めていく。

「おお? セレネ殿ではござらんか」
「あれ? クマだ」

 セレネが王子を目線で追っている間に、いつのまにやらクマハチがセレネを見下ろしていた。
 彼も別の場所でトレーニングをしていたのか、手ぬぐいで汗を拭っている。クマハチは一通り汗を拭き取ると、セレネの横に腰を下ろした。

「ここは兵士の鍛錬の場、セレネ殿のような方が来る場所ではござらんが」
「おうじ、みたくて」
「ミラノ王子でござるか? 確かに、王子の戦い方は見栄えが良いでござるからなぁ。拙者とは大違いでござる」

 クマハチは特に卑下した訳ではない。彼はその豪腕を活かし一刀の元に相手を切り伏せる、一撃の重みを重視したパワータイプである。反面、ミラノは俊敏さと技術で勝負するタイプだ。お互いの流派は違えど、彼らはそれぞれの実力を認め合っていた。

 だが、セレネには「どうせ俺なんかと王子は違うんだ」と言っているようにしか聞こえなかった。そんなクマハチに対し、セレネはぽん、と肩に手を置く。

「クマ」
「ん? なんでござるか?」
「そのうち、いいこと、あるよ」
「ん? あ、ああ、かたじけない」

 意味は分からないが何故か労われたので、とりあえずクマハチは頷いた。

「おうじ、すごい、じゃくてん、見つからない」
「ミラノ王子はこの国で指折りの剣の使い手にござる。その斬撃の正確さ、身のこなし、さらに『身体強化』まで持っているのだから、確かに弱点無しと言えなくも無いでござるな」
「しんたい、きょうか?」
「ああ、王子の魔力のことでござるよ。セレネ殿の住んでいたアークイラは、どちらかというと魔力を細工することに長けておるでござろう?」

 そう言われて、セレネは封印の扉の刻印を思い出した。あれ以外にも、今セレネが身につけている帽子や服にも魔力が織り込まれている。しかし、それ以外の魔力の使い方というものをセレネは知らない。

「ヘリファルテ王族の得意とする魔力の種類は『身体強化』にござる。魔力を全身に流す事で、五感や肉体を爆発的に強化できるのでござる。単純だが、白兵戦において最も重要かつ強力な能力でござるな」

 それを聞いたセレネは、クマハチから王子に視線を元に戻して睨みつける。あの野郎、そんなチートを使ってやがったのか。道理で一般兵相手に無双できる筈だ。

「もっとも、王子は滅多に魔力を使わないでござるがな。今もそうでござる」
「…………は?」

 間の抜けたセレネの台詞に対し、クマハチは淡々と言葉を紡いでいく。別にセレネに嘘を言っている訳ではなく、本当に事実を述べているということが、口調からよく分かる。

「王子の魔力は能力の底上げはできるが、地力が無ければしょせん無意味。伝家の宝刀はそう簡単に抜かないということでござるな」
「そんなぁ」

 あからさまに落胆するセレネの頭を、クマハチは苦笑しながら軽く撫でた。彼女としては、尊敬する王子の全力を見たかったのであろう。

 あくまでこれは練習であり、魔力を行使するほどの物ではない。何より、普段から魔力に頼っていては、基礎がおざなりになってしまう。だからミラノは余程のことが無い限り魔力を使わないし、クマハチもその心意気は買っていた。

 勿論、セレネががっかりしたのは別の理由だ。基本スペックだけで化け物じみている上に、魔力などという隠し玉まで持っている事実を知ってしまい、その壊れ性能に眩暈(めまい)がしたのだ。本当にこんなチート野郎をどう止めればいいのだ、と。

「さて、そろそろ昼飯の時間でござる。セレネ殿もほどほどで引き上げたほうがよいでござるよ。王子は一度火がつくとなかなか止まらんので、付き合うほうの体が持たないでござる」

 クマハチは笑いながらそう言い残し、昼食を摂るために去っていった。
 気がつけば、クマハチだけではなく、他の兵士達も徐々に訓練を止め休憩に入っていた。
 セレネの耳に入ってくる言葉を拾った限りでは、弁当を持参したり、少し移動したところにある兵舎で食事を摂るらしい。

 その中で、一人だけ休む気配を見せない者が居た。ミラノだ。
 ミラノは自分の鍛錬に付き合ってくれた兵士達に礼を言うと、今度は一人で素振りを始めた。
 どうやら彼は、昼の休憩など取らず、そのまま訓練を続けるつもりらしい。

 それを見てセレネの心の中の闇がどんどん濃くなっていく。もう止めてくれ。これ以上強くならないで下さいと懇願していた。

 ただの権力に酔いしれた「馬鹿」なら、付け入る隙はあるかもしれない。
 だが、己の権力を振り回し、かつ実力を伴った「悪」は、そう簡単に倒せる物ではない。

『あの王子、まだ修練を続けるつもりのようですな』

 セレネが頭を抱えそうになったところで、不意に懐から声が聞こえた。胸元からひょっこりと顔だけを出したバトラーのものだった。バトラーは勤勉さを褒める傾向があるので、ミラノ王子は素晴らしい、とでも言いたいのだろう。

『しかし……いささか厳しすぎる気がしますな。あれでは長く持ちますまい』
「えっ?」

 予想外のバトラーの台詞に、セレネは首を傾げる。

「なに、それ?」
『ひたすらに前を向き、己を磨き上げていくという姿勢は大事です。ですがそれだけでは、いずれ潰れてしまいます。適切な休養や食事を取ることも大事な修練なのですぞ。どうもあの王子、何かに追い立てられているように見えますな』

 バトラーの考察は、実に的を射たものであった。
 ミラノは自分では気付いていないが、放っておくと自分を限界まで苛め抜く癖がある。大国の第一王子として生まれ、周りから期待され、一刻も早く一人前にならねばという責務が、彼を過剰な努力へと追い込むのも無理のない話である。

「てきせつな、しょくじ……えいよう……あっ!?」

 急に大声を出したセレネに驚き、バトラーはつぶらな黒い瞳をまばたかせる。

『どうされたのですか姫? 急に大声を上げて』
「バトラー、ありがと!」

 バトラーの返事に答えることもなく、セレネは慌てて駆け出す。
 そのまま停車場に止まっている馬車を見つけると、凄い勢いで飛び乗った。


  ◆◇◆◇◆


「……ふぅ、さすがに限界か」
「王子、いくら稽古中であっても、女性を放置しておいて一人剣を振り回しておるなど、男子の風上にも置けぬぞ」
「クマハチ、セレネは?」
「セレネ殿なら随分前に、慌てた様子で馬車に乗っていったでござる。マリー殿と約束でもしているのでござろう」

 ミラノは素振りが終わると、仮想敵を相手にしたイメージトレーニングに没頭していたため、肉体が悲鳴を上げ、強制的に修行が終わるまで、木陰に佇んでいたセレネが居なくなっていたことに気が付かなかった。

「そうか……悪い事をしてしまったな」
「随分と残念そうでござるな。まあ、女子(おなご)には武術は少々野蛮でござるからな。嫌気がさしても仕方が無いでござるよ」
「分かっているさ」
「その割には、何だか寂しそうでござるな」
「やはり、お前には見抜かれてしまうな」
「そりゃあ、拙者と王子は好敵手(ライバル)でござる。相手を追い越すためには、常に状況を把握しておかねばならぬのでな」

 クマハチが笑いながら軽口を叩くと、ミラノも笑う。
 ミラノは文武両道な男ではあるが、彼が最も得意とし、愛しているのは剣術だ。これに打ち込んでいるときが一番楽しいのだ。

 しかし、妹のマリーからは「暑苦しい、野蛮、血なまぐさい」などと散々にこき下ろされている。
 応援してくれとは言わないが、やはり面と向かって自分が好きな物を否定されるのは、気持ちの良いものではない。

「セレネならもしかしたら、と思ったのだがな……」

 何を馬鹿な事を言っているのかと、ミラノは自分の考えに苦笑する。
 セレネは少女だ。こんなむさ苦しい場所にいるより、美しく愛らしい物を見たいのは当然だ。
 恐らく、ここには興味本位で来たのだが、飽きて帰ってしまったのだろう。

 けれど心のどこかで、あの高潔な魂を持つ少女なら、自分の好みを理解してくれるのでは、と思っていた。勝手な妄想の押し付けだ。ミラノは首を振って自嘲する。

「おーじー!」

 その時、男だらけの修練場にはありえない、少女の可愛らしい声が響いた。
 周りに座っていた兵士たちも、ミラノとクマハチも驚く。

「セレネ!?」

 少し離れた場所に、セレネが立っていたのだ。相変わらず乳白色のドレスに、日よけのためのつばの広い真っ白な帽子を被っていたが、先ほどとは違う点が一つあった。セレネは体に不釣合いな程の、蔓で編まれた大きなバスケットを両手に下げていた。

 よたよたと重そうにバスケットを抱え、それでも何とか頑張りながらミラノとクマハチの前へとやってくる。

「セレネ、帰ったのではなかったのか?」
「これ、おうじに……」

 セレネは呼吸が整うと、自分の頭より大きなバスケットを、ミラノに差し出した。

「僕に?」

 ミラノが怪訝な表情でバスケットの上に被せられた布を取り除くと、パンや焼いた肉など、様々な料理が大量に盛り付けられていた。籠の脇には水筒と小皿もきちんと用意されている。

「お昼ごはん、だいどころ、かりて、つくった」
「もしかして、僕のためにわざわざ王宮に戻ってまで?」

 ミラノが驚きながら問いかけると、セレネはこくりと頷いた。
 横に居たクマハチも、バスケットの中を覗き込む。

「これをセレネ殿が作ったのでござるか!? いやはや、見事でござる」

 クマハチは感心した。セレネの作ってきた料理は、肉を火で炙り、ソースをたっぷりかけただけの単純な物が多い。王宮の料理人と比べてしまえば、比較にならないほど稚拙な物だ。だが、料理というものは基本的に下男下女がやるものであり、王族が厨房に立つ事などありえない。

 ましてセレネはまだ子供だし、そもそも料理などしたことがないはずだ。厨房に立ったのも今日が初めてだろう。それでこの出来なのだから、まさに天賦の才と呼んでよいレベルである。ミラノとクマハチを驚かすには十分すぎる。

 セレネは生前、自分に対し料理を作ってくれる人間が一人も居なかった。美味い物を安く多く食べたい場合、自分で作るしかなかったので、ある程度料理は出来るのだ。といっても、あまり凝った物は作らず、ブロック肉をぶつ切りにして丸ごと焼くなどの豪快なものが多い。セレネは中途半端に女子力の高いおっさんなのだ。

「(神は一体、この子にどれだけの才能を与えたのでござろうか)」
「おうじ、たべて」

 クマハチの考察などまるで気付かず、上機嫌で王子に笑いかける。料理は野菜が少なめで、圧倒的に肉が多い。ミラノはまだまだ育ち盛りの若い男性であり、肉は大好物だ。まして限界まで動いたのだから、空腹だって極限だ。そしてそれは、同じく鍛錬していたクマハチにもいえる事だ。

「拙者のは?」
「ない」

 セレネが間髪容れず答えると、クマハチは顔には出さなかったが、正直かなり落胆した。王子は特別だと分かっていても、即答されてしまうとさすがに落ち込む。

「クマハチ、分けてやろうか?」
「ふ、ふん! そんな脂っこい物ばかり食べていては、余計なぜい肉がつくでござる!」

 ミラノの若干からかうような言葉に対し、クマハチは捨て台詞を吐き、他の兵士達が食事している場所へ戻っていった。もちろん、クマハチを含めた兵士達に十分に行き渡るように食事の量は配慮されているが、やはり麗しの姫君お手製の差し入れとは格が違う。

「たべて、たべて!」
「わ、分かった。分かったからそんなに焦らなくてもいい」

 本当は少し休んだら再び修練に戻るつもりだったのだが、セレネに背中を押されるようにして、ミラノは半ば強制的に木陰に腰を下ろさせられた。クマハチの言うとおり、確かに食事には脂っこい物が多い。余計な肉が付いたりしないだろうかと逡巡(しゅんじゅん)したが、横で目を輝かせながら食べるのを待っているセレネを前にしては、食べないわけにも行かない。

「飲みものも、ある」
「ああ、感謝する」

 ミラノはぶつ切りにされた焼肉を、恐る恐る口に放り込んだ。基本的に貴族の料理しか口にせず、旅をする際は保存食がメインだが、料理の腕に長けた者を連れていたため、本当に他人が作った手料理を食べるのはこれが初めてなのだ。

「ん!? こ、これは!?」
「どう?」
「ああ、これはとても美味いぞ。形はあまり良くは無いが、味は十分だ」
「よかった」

 セレネはほっと胸を撫で下ろすと、華が咲くように笑う。
 木漏れ日の下、光り輝く白い髪を風が凪いでいく様は、まるで妖精のようだった。

「もっと、どんどん、たべて」
「いや、美味いのは分かったから、そんなに大量に盛らなくても良いのだが……」
「たべて!」

 王子の意見を無視し、セレネは皿に料理をどんどん盛り付けていく。
 ミラノも最初は戸惑っていたが、料理の味と、何より体が栄養を欲していたためか、さほど時間も掛からずバスケットは空になった。

「少し食べ過ぎたか……暫くは身動きできんな」
「おいしかった?」
「ああ、また食べたいくらいだ」
「ほんと!? じゃあ、あしたからも、つくる」
「無理しなくて構わない。セレネは昼に弱いだろう?」
「おうじ、がんばってる、だから、わたし、おうえんする」

 その言葉に、ミラノは胸が熱くなった。
 父であるシュバーンは別として、貴族の女性はミラノの芸術的な部分を好み、泥臭い剣術に関しては、あまり肯定はしてくれなかった。母や妹ですら「王子なのだから、最低限体を鍛えておけばよいではないか」という程度で、あまり彼の趣味を歓迎してはいない。

 けれどセレネは違う。彼女は自分のやる事を否定せず、それどころか応援すると言ってくれている。こんな少女は、大陸をねり歩いてきた中で初めてだった。

「そうか……では、無理のない程度にお願いする」
「まかせて!」

 セレネはそう言って、本当に嬉しそうに頷いた。

「(かかったな、アホめ!)」

 そして、その眩しい笑顔の裏側で、セレネは邪悪な計画の第一段階に成功したことにガッツポーズを取っていた。

 稽古を見て分かったが、王子とまともに殴り合って殺す事は不可能だ。だとすると、毒を盛ったりするしかないが、肝心の毒を手に入れる事が極めて難しい。

 まさか街の薬屋さんなどには置いていないだろうし、万が一あったとしても、幼女一人で出向いていって「すみません、猛毒一つ下さい」「あいよ」という訳には行かないだろう。では、どうすればよいのか。逆の発想をすれば良い。

 それは「美味い物を大量に食わせる」である。

 バトラーの言葉により、過去世で健康診断を受けたとき、偏った食生活を指摘され「あんた、このままだと死ぬわよ!」と医者に注意された事を思い出したのだ。その忠告を無視し、肉ばかり食っていた結果体調を崩し、こうしてセレネ=アークイラになってしまったのだから、効果は自分で試験済みだ。

「クマは、よくわかってる」

 満ち足りた表情の王子に気付かれぬよう、セレネは自分の口の中だけでぽつりと呟いた。クマハチが指摘したとおり、なるべく脂身が多く、塩辛い味付けにしてあるのだ。こんなものばかり食べていれば、余計な脂肪が付き、高血圧になるに違いない。いわば遅効性の毒だ。そこに気付くとは、さすがクマハチである。

 効果が出るのに多少の時間は掛かるだろうが、千里の道も一歩から。難攻不落の王子に対し、智謀を巡らせ、一つの布石を撒いた事に、セレネは安堵のため息を漏らした。

 ――だが、セレネは大きなミスを犯していた。

 確かに、脂っこく塩辛い食べ物を長期間食べ続けるのはあまり体に良い事ではないが、それは、過去のセレネのように、中年以降に代謝が落ち、なおかつ運動もせずに過剰摂取を続けた場合である。

 ミラノの場合、限界まで自分を痛めつけ、なおかつ節制を心がけていたので、むしろ栄養欠乏気味であり、セレネの作った食事は、ミラノの足りない部分を補うことになるのだ。

 そんな事とは露知らず、ミラノは、この愛らしい姫が、明日はどんな料理を作ってくれるだろうかと期待し、一方でセレネは、明日からどんな料理を作り、王子に十三階段を昇らせてやろうかと考える。

 ミラノとセレネは、お互い違った観点で期待に胸を膨らませ、笑いあっていた。
+注意+
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