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第8話:世界の支配者
「なぁに、こう見えて拙者、ミラノ王子の付き添いをしているお陰で、この大陸には割と精通しているのでござる。そこらの理屈ばかりの地理学者より、ずっと面白く、的確に解説をする事ができるでござる」
クマハチはおどけてそう言うと、懐から古ぼけた地図を取り出し、草むらの上に広げた。地図は随分と使い込まれており、セレネが絵本で見てきた地図よりも、はるかに細かく精密なものだ。「ここの国は美人が多い」とか「酒が不味い」などのメモ書きがあるところから、実際にその地に出向いて得た情報なのだろう。
広げるとかなりの大きさで、大柄なクマハチは胡坐をかいて指差すだけで端まで届くが、小柄なセレネは身を乗り出すようにして地図を覗き込む。アークイラ周辺の地図しか見たことのないセレネにとって、大陸全体を俯瞰して見るのは初めてだった。こうして形だけ見ると、この大陸は地球のオーストラリア大陸によく似ている。
「さて、セレネ殿にはどのあたりから話すべきか……まあ、基本的な部分から話すとしよう。まず、セレネ殿が住んでいた国がここ、アークイラ王国でござる」
「うん」
クマハチのごつい指先が大陸の一番左下、国といっていいのか怪しいレベルの小国、セレネの母国アークイラを指す。
「そして、拙者たちがこれから向かう国、ヘリファルテ王国がこれでござる。見ての通り、この大陸で一番大きな国にござる」
そのままクマハチはアークイラの位置に置いた指を、右上――北東の方角に滑らせる。それと同時に、セレネは少しだけ顔をしかめた。ヘリファルテが大国だという事は聞いていたが、改めて正確な地図で見ると、本当に馬鹿馬鹿しいほどの面積だ。
何とヘリファルテ王国だけで、全体の半分近くを占めているのだ、そして、アークイラを含めた残りの半分の土地を、他の国々で分割しあっている。一国を滅ぼすと決意したが、これはなかなかに厄介な相手だ。どうしたものかとセレネは心中で頭を抱える。
何か攻略の糸口は無いかと眺めていると、セレネはある不可解な点に気がついた。確かにヘリファルテ王国は、表記されている中では最大の国だが、大陸の上半分は真っ白な森で覆われていて、特にどの国のものとも書いていないのだ。
そこからさらに北のほうに行くと、森すら描かれておらず、巨大な岩のような山々が大雑把に書いてあるだけだ。つまり、大陸の上半分の地域の情報がごっそり抜け落ちていた。
「ここから上、しろい」
「その通り。セレネ殿は、こうして大陸全体を見ることなど無かったであろうから、一つ一つ順に説明しよう」
「セレネに地理を教えているのか?」
セレネとクマハチが対面で座っていると、今まで他の従士たちの元に居たミラノが、いつの間にかすぐ傍に立っていた。後ろには一人の召使が付き添い、大きな鍋を抱えていた。どうやら昼食が出来たらしく、わざわざ持ってきてくれたようだ。
「僕も混ざって構わないか?」
セレネが「駄目です」という間も無く、ミラノはセレネの横に腰を下ろす。これだから偉い奴は態度がでかくて嫌なんだとセレネは渋面を作ったが、ミラノは特に気付いていないようだった。
そうして地図を囲んで座った三人に対し、召使は昼食を配った。保存の利く干し肉と、いくらかの香草と芋のような物を煮込んだスープと黒パンだ。他の二人にならい、セレネも黒パンを浸し頬張る。素材がいいのか、調理の腕がよいのか、はたまた両方か、塩味の利いたスープは素朴ながらもなかなかに美味だったので、単純なセレネはこれだけで大分機嫌が良くなった。
出来ればバトラーにも食事を与えたかったが、鼠を人前に出すわけに行かないので、後でこっそり持って行ってやらねばならないな、とも考えていた。
「ええと、どこまで話したか。そうそう、この大陸の白い部分でござるな。そこは『白森』と呼ばれている場所にござる」
「しろもり?」
「然様。見ての通り、森全体が白くなっているでござろう? これは魔力の影響にござる」
これはセレネにとって初耳だった。今まで見た地図でも白い部分はあったが、簡略化された地図だったので、てっきり雪国か、手抜き作画なのかと思っていた。
「大陸の北部――この地図で言えば、上に行けば行くほど大地の魔力が濃くなる。僕やセレネのような魔力を持っている人間ならまだしも、クマハチのように魔力を持たない一般人は、平衡感覚を失ったり、魔力中毒で体調を崩してしまう。だからこの白森には、エルフしか住んでいない」
「クマをばかにしないで」
「いや、別に馬鹿にしてはいないのだが……」
ミラノの説明に対しセレネは噛み付く。さりげなくクマハチを見下しやがってと思いつつ、そこで重大な情報に気がつく。
「えるふ? 耳のながい?」
「よく知っているな。エルフ――長耳族や森人とも呼ばれているが、彼らは殆ど森から出てこない。外見こそ我々に似ているが、森の生活に特化した種族で、魔力を扱う事に長けている。もっとも、殆ど交流が無いので、僕も噂で聞いただけだがな」
「なるほど」
「しかし、セレネ殿は理解が早くて助かるでござる。セレネ殿の歳で、今の説明で理解出来るとは、大したものでござるよ」
「えへへ」
セレネは得意げに微笑んだ。いくら外見は幼女と言えど、中身はおっさんなのだ。むしろこのくらいの会話で得意気になるのはいかがなものだろうか。
「じゃあ、そのうえは?」
「白森を抜けた向こう側は、竜峰と呼ばれているでござる」
「りゅーほー?」
「白森以降の領域は、人間が殆ど立ち入れないから描き方が適当なのでござるよ。竜峰に住んでいる者こそ、この世界の支配者、それが……」
クマハチはそう言い掛けて言葉を切り、視線を遥か遠方に向けた。セレネとミラノも、それに追随する。
「あれにござる」
クマハチが笑みを浮かべてそう言うと、セレネは吃驚した。蒼穹の空を切り裂くように、遥か彼方から、一頭の巨大な生物が飛んでくるのが見えたからだ。
「ど、どらごん!?」
「竜を見るのは初めてか? まあ、彼らが南端のアークイラまで飛んでいく事は滅多に無いからな」
ミラノの台詞をまるで無視し、セレネはその巨大な生物――竜の姿を凝視していた。
竜は、全身が燃えるような真紅の鱗に覆われ、丸太のように太い四肢の生えた頑強な体と、コウモリのような皮膜の翼、そして長い尾と立派な角を持っていた。相当高いところを飛んでいるが、遠目からでもその巨躯は一目で見て取れるほどだ。
竜は、自分こそが空の支配者だと言わんばかりに、眼下の人間達などまるで気に留めておらず、ゆったりと空の散歩を楽しんでいるようだった。
ゲームや漫画などでしか見ることの出来ない巨大生物の乱入に、セレネはただ呆然と見上げていたが、はっと我に返り、クマハチの裾をぐいぐいと引っ張る。
「クマ、クマ! はやく!」
「な、何でござるか? 別に慌てなくても大丈夫でござるよ。奴らは図体は大きいが、基本的に我ら人間には手を出さんので逃げなくても……」
「ちがう! からないと!」
セレネは大興奮していた。向こうは油断しきっていて、すぐ真上を飛んでいる。絶好のハンティングチャンスだ。一刻も早く、目くらましなり爆音なりで打ち落とさねばならない。
急かすセレネとは裏腹に、クマハチとミラノは目を点にしてセレネを見る。ああもう、何をのろのろしてるんだとセレネはやきもきしたが、不意にクマハチが腹を抱えて爆笑した。普段は落ち着き払っているミラノまでもだ。
セレネは訳がわからず、ただ目をぱちぱちさせて、大笑いする二人の男を眺めていた。何か笑われることを言ったのだろうか。巨大な武器を振り回し、四人で竜を狩るゲームに熱中していたセレネにとって、竜は、鹿やイノシシと同レベルの狩猟鳥獣扱いだったのだ。もっとも、セレネは友達が居なかったので、殆ど一人でプレイせざるを得なかったのだが、それはまあどうでもいい。
「狩る、竜を狩るとな! セレネ殿、それは絵本や神話の中だけでござるよ」
余程おかしかったのか、クマハチはひいひい笑い、震える声で何とかそう答えた。セレネの「からないと」が「狩らないと」という意味であると理解するのに、彼らの常識では相当の時間が必要だったのだ。不満そうに頬を膨らませるセレネをなだめるように、ミラノが口を開く。
「セレネ、竜は、我々とは一線を画す生物だ。クマハチの言うとおり、竜と契約を結んで強大な力を手に入れたとか、三日三晩かかって討伐したなどという物語は大陸中にあるが、あくまで空想上のものだ」
「……からないの?」
それでもセレネは執拗に食い下がる。どうしてもリアルで竜を狩るシーンが見たかったのだ。クマハチは立派な太刀を持ち、ミラノだって豪華そうな剣を持っている事をセレネは知っていたので、竜の一頭や二頭サクッと狩ってくれというのがセレネの主張であった。
なにが三日三晩だ。自分なら飛竜如き、十五分もあれば狩っていたぞと内心で愚痴る。セレネは諦めも頭も悪いのだ。
「まあ、竜を狩るにせよ、駆るにせよ、何とも浪漫のある話でござるなぁ。どうだ王子、腕試しに竜討伐でもせぬか?」
「遠慮しておく。そんなに自殺したいなら、お前の国の切腹とやらの方が手間が掛からんだろうし、一人で勝手にやるといい」
クマハチの軽口をミラノは同じく軽口で流す。いまだに不満げなセレネに、ミラノが苦笑交じりに追加で説明をしてくれた。
竜の生態については殆ど分かっていないが、人間よりもずっと古い歴史と、比較できないほど強大な魔力と生命力を持っているらしい。人間が支配者だった地球と違い、この世界の頂点は竜なのだ。
反面、知能のほうは微妙なのではという説もある。人間と同等か、それ以上と言う意見が大多数だが、人間の街で行っていた大道芸に興味を持ち、広場に降りてきた結果、芸人も観客も全員逃げ出してしまったので、怒り狂って街を壊滅させたという間抜けな事例もあるらしい。竜にとって人間の営みは、人にとってのアリの巣のような物なのだろうというのが、一般的な考え方なのだとか。
「そっかー……」
クマハチとミラノに、竜がいかに凄い生物かこんこんと説明され、セレネはようやく矛を収めた。その時、地上の三体の小さな生物が、自分を題材に騒いでいる事に気がついたのか、空高くゆるゆると飛んでいた竜は、唐突に地面すれすれまで急降下してきた。突風が巻き起こり、セレネは帽子が飛ばされないように慌てて両手で押さえる。
竜は急降下の勢いを殺さずに、そのままぐん、とUの字を描くように急上昇し、己の力を誇示するように旋回した、その後、隼のような速度で北の方角へと飛び去っていった。
「すごい」
「うむ。まあ、獅子がモグラを相手にせぬように、彼らも人間にあまり興味を示さないでござるよ。だから、それほど恐れる必要も無いでござる。さて、腹ごしらえも済んだし、そろそろ出発するでござるか」
そう言ってクマハチは地図を畳んで懐に収めた。竜が去った後も、セレネはずっと彼が消えた方角を眺めていた。暫くそっとしておいてやろう、ミラノはそう言って、クマハチを引き連れ、空になった椀を持ち、後片付けの手伝いに加わった。
「クマハチ、礼を言うぞ」
「何がでござるか?」
「あの子に大陸の事を教えてくれたことをだ。随分と興味を惹かれていたようだ。あの竜もいいタイミングで来てくれた。彼にも礼を言いたいところだな」
「なぁに、お安い御用にござる」
そうして一通りの後片付けが終わり、休憩時間が終わると、セレネを乗せた馬車は再び歩み始めた。先ほどまでは死んだ魚のような目をして転がっていたセレネは、今はきちんと馬車の腰掛けに座り、少し微笑みながら頬杖を突いて何か考えをめぐらせているようだった。
今まで落ち込んでいたセレネの顔に、僅かな笑みが浮かんでいるのを見て、ミラノも安堵の微笑みを作る。世界とは恐れるだけの物ではない、先ほどのように胸が躍る事も沢山あるのだ。少しでもそれが伝わり、彼女が微笑んでくれた事がとても嬉しかったのだ。
ミラノは、親友であるクマハチと、たまたま通りかかったあの竜に心の中で謝辞を述べ、再び馬に跨った。
しかし、当のセレネはと言うと、相変わらず邪な謀略を練っていた。モンスターをハント出来なかった事は残念だが、先ほどの情報はかなり有益だった。エルフも気になるが、竜がそれほどまでに強力なのだとしたら、何らかの手段でけしかければ、どれだけの強国でもひとたまりも無いのでは、そんなアイディアが浮かんだのだ。
「ふふふ」
具体的にどうすればそんな事が出来るのかまるで思い浮かばないくせに、慌てふためく王子の姿を皮算用で想像し、セレネはその愛らしい唇を緩め、邪悪な微笑を浮かべていたのだった。
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