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夜伽の国の月光姫 作者:青野海鳥

【第一部】夜伽の国の月光姫

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閑話:大きな森の小さな巨獣

 ヘリファルテ王国へセレネが移動する事が決定し、アークイラ王国で過ごす最後の夜。セレネは本当に嫌そうで、眠る直前まで「王子ゆるすまじ、ぜったいにゆるさない、ぜったいにだ」と嘆いていたが、バトラーとしては内心で喜びも感じていた。幼子一人で旅立つのは確かにつらいかもしれないが、我が主は薄暗い牢獄に繋がれて終わる器ではない。これは神が与えた幸福への試練なのだと考えていたからだ。

「姫に会ってもう二年か、月日が経つのは早いものだ」

 バトラーは泣き疲れて眠るセレネを枕元で見守りながら、二年前、自分の運命を変えた日の事を思い出していた――。


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「お前みたいな奴、生まれてこなかったほうが幸せだったろうなぁ」
「本当は鼠じゃなくてツバメなんじゃねぇの?」

 げらげらと下卑た笑いを浮かべ、数匹の太った鼠が、一匹の痩せこけた小さな鼠を突き飛ばした。鼠は毛並みはごわごわで艶がなく、ただ恨めしそうに見上げるだけで何も言わない。反撃すれば余計ひどい目にあうだけなのが身に染みて分かっていたからだ。

「どうせお前らだって、野良猫に出会えば震え上がって逃げるくせに。弱いものいじめしか出来ない卑怯者め」と、心の中でそう毒吐くのが精一杯だった。

 後にバトラーと名付けられるこの鼠は、他の鼠たちと違う点があった。他の鼠が全身真っ黒なのに、彼は喉元からお腹だけ、真っ白な毛皮だった。

 見た目変わったその鼠を、他の仲間はよってたかって笑いものにした。毛色が違うだけではなく、気が弱く体も小さい彼は、それを受け入れざるを得なかった。獣にとって、暴力こそが正義であり、小さな鼠にはその力がなかったからだ。大柄で乱暴な連中に食べ物を横取りされ、食べられなければ身体は余計にやせ細る。そんな悪循環の中、白黒の鼠はいつもお腹を空かせていた。

 ある冬の日の事だった。南国と言えど、冬になれば森の餌は減る。例によって皆につまはじきにされ、とうとう飢え死に寸前まで追い詰められた哀れな鼠は、ある決意をした。それは、人間達の住処に分け入り、食べ物を失敬する事だ。

 危険極まりない行為であったが、どうせ放っておいてもすぐ死ぬのだし、生きていても何も良いことなどない。死んだら死んだで構わない。勇気というより自殺するような気持ちで、ちっぽけな鼠は、みすぼらしい倉庫のような建物へ忍び込んだ。

 ――結果は、失敗に終わった。

 彼は豆粒一つ取る事ができないまま、人間の仕掛けた罠へ飛び込んでしまったのだ。幾ら暴れても鉄の檻を壊す事は出来ず、ただ悲しげに『本当に意味の無い一生だった』と呟いた。

 その直後、一人の人間が近寄り、彼の入った檻を覗き込んだ。真っ白な身体に真っ赤な目を持った、今までに見たことの無い色合いの人間だった。体格からして、どうやら子供らしい。

『ああ、僕はここで死ぬんだ』

 いくら死んでもいいと思っていても、その瞬間はやはり恐ろしい。もはやどうにもならないと思いつつも、彼は恐怖に身を震わせた。

 ところが、少女は自分の事をただ眺めるだけで、叫んだり、他の人間を呼んだりしなかった。それどころか、彼女が食べていたスープから一切れの野菜を掴み、檻の隙間から押し込んだ。極限まで飢えていた彼は、ろくにためらいもせず、温かく水分豊富な野菜を平らげた。少女は満足げに微笑むと、檻をそのままベッドの下に移し、他の人間に見えないように布を被せた。

 ――こうして、少女と鼠の奇妙な同居生活が始まったのだ。

『(この子、随分変わってるなあ)』

 相変わらず檻に入れられたままだったが、食事を与えられ体力が回復してくると、あたりの様子を(うかが)う余裕が出来た。そこで彼は、この子が極めて異質な人間であると気がついたのだ。

 人間の子供と言うのはもっと乱暴で、多少賢い山猿と言っていいくらいだ。下手に知恵がある分、自分達のような小さな生き物にとっては最も恐ろしい生物だ。けれど、この白い少女はそういった野蛮さがまるでなかった。

 夜になると、散歩か何かで窓の外へ這い出して行くくらいで、それ以外は、殆ど食べて寝ているか、適当な絵本などを気だるそうにベッドの上で広げているだけなのだ。何となくおじさんの鼠に行動が似ているが、それにしては随分と若い。

 彼女が他の人間たちと全く会わないのも気がかりだった。迫害されていた鼠の自分ですら、母親に連れられて森の色々な場所に出かけたことくらいはある、なのに、この子は本当に一人ぼっちで、姉らしき人物以外、殆ど誰も会いに来ないのだ。

『(もしかして、この子も毛色が違うからかな?)』

 彼女も毛色が違うから皆から仲間はずれにされている。そう考えると、彼は奇妙な共感を覚えた。それと同時に、そんな状況にも拘らず、まるでそれを気にしていない彼女にひそかな敬意を感じるのだ。なぜ、彼女はあんな大人のように振る舞うことが出来るのだろう。興味が日に日に湧いてきて、彼はどうしても彼女と話がしてみたくなった。

『君は、どうしてここにいるの?』

 そしてある日、彼女の手の平の上で、聞こえるはずもない質問を彼女に投げ掛けた。自分は鼠だ、人間の彼女に言葉が通じるわけがない。けれど、少女は飛び上がるほど驚いた。

「しゃべれるの!?」
『う、うん、そうみたい。僕も、今初めて知った』

 この少女が王族の血を引いていて、その魔力を自分に分けてくれていたと知ったのは大分後のことだが、とにかく、これが白き少女――セレネ=アークイラと鼠の最初の会話だった。

 話が出来るとなれば、後はとんとん拍子に意思疎通は進んだ。白い女の子はあまり言葉が喋れないようで、ぎこちなく、ぶつ切りだったが、人間の言葉にまだ慣れていない鼠にとって、逆にとても話し易い相手だった。

「わたし、セレネ、きみは?」
『セレネってなに?』
「わたしの名前」
『ナマエって何?』

 セレネの肩に乗ったまま、鼠はそう質問した。獣の彼らは「他の奴より尻尾が太い」とか「鳴き声がすこし低い」とか、そう言った方法で個体を識別していた。つまり、名前という概念がなかったのだ。

『いいなあ、僕もそのナマエってのが欲しいな』
「じゃあ、バトラーってよぶ」
『バトラーって何?』
「しつじ」
『シツジって何?』

 終始こういった質疑応答で進むので、二人の会話は非常に時間が掛かったが、二人とも焦る必要などなかったので、とても穏やかな時間を過ごしていた。バトラーがこんなに心安らかな時間を過ごしたのは、母親が亡くなって以来、初めてだった。

「……かっこいいひと」
『かっこいい?』

 セレネは少し迷った後、バトラーに対しそう答えた。白黒のタキシードのような見た目から執事(バトラー)を思いついたまでは良かったが、セレネの中で執事は「お嬢様、ティーの時間でございます」とか言っているだけで、具体的に何をしている人か分からなかったので、適当に誤魔化したのだ。

『かっこいい……』

 だが、この説明はバトラーにとって、雷に打たれたような衝撃を与えた。今まで気持ち悪いとしか言われてこなかった自分を、格好いいと称してくれる存在は初めてだったのだ。

『(シツジについて知りたいな……)』

 それからというもの、バトラーと名付けられた鼠は、セレネが寝ている間にこっそりと部屋を抜け出し、人間の文化について調べる事を開始した。意思の疎通が出来るようになってから、檻からは完全に解放されていたし、セレネは一日十四時間は寝ている子だったので、自由になる時間は多かったのだ。

 国の貴族達が大金を払って受ける学習講座も、バトラーは盗み聞きし放題だったし、国で厳重に保管されている高価な書物なども、小柄なバトラーは隙間から忍び込み、好きなだけ閲覧する事ができた。

『やっぱり、姫は他の人間と全然違う!』

 人間について調べ、知恵を付ければ付けるほど、バトラーは、やはりセレネが他の子供達とは一線を画す存在であるという確信を得た。貴族だろうが平民だろうが、六歳の子供などしょせんドングリの背比べだ。なのにセレネだけは、この国の知識人と呼ばれる人間すら知らない知恵を持っていた。しかも、何の教育も受けていないのに、だ。

『やっぱり、あの方は王の中の王なんだ!』

 人は努力することで能力を伸ばしていく事は出来る、だが、もって生まれた天賦(てんぷ)の資質というものは、神に愛された者しか得る事が出来ない。その点、自分が仕えるセレネ姫は、なんと慈悲深く、優雅な振る舞いをしている事か。バトラーは、自分を助けてくれた主が、この国で、いや、大陸中でも類稀(たぐいまれ)な資質を持っている事に、例えようも無い誇りを持った。

 最高の環境と努力の甲斐あって、バトラーは驚くほど短い期間で、大国の従者が裸足で逃げ出すほどの優雅な振る舞いと卓越した知識を得た。もし彼が人間であったなら、大貴族がこぞって彼を従者として召抱えたがるだろう。

 その頃になると、武力の面でも森の動物達でバトラーに匹敵する獣は誰も居なくなった。知恵をつけ、日々の鍛錬と魔力によって強化されたバトラーは、野良猫やイタチはもちろんの事、狼や熊ですら彼の前では道を譲る。

 バトラーは、いつしか森の動物達から「大きな森の小さな巨獣」と畏敬の念を込めて呼ばれるようになった。しかしバトラーは、決して彼らに対し傲慢(ごうまん)な態度を取ったりはしない。

 何故なら、その力は偉大なる主、セレネによって与えられた物であり。自分の力はセレネの物だ。主の名に傷をつけるような振る舞いはしてはならない。そう強く肝に銘じていたからだ。

 他の粗野で乱暴なオス鼠たちと違い、紳士的な振る舞いに加え、類稀な力を持つようになったバトラーに対し、森中の鼠の娘達が求愛をしたが、その度にバトラーはこう答えるのだ。

『可憐な御令嬢方のお気持ちは真にありがたい。しかし、このバトラーが仕える方は、生涯お一人だけと決めているのです。その方の名は、麗しきセレネ姫でございます』と。

 森の王が仕える主――王の中の王であるセレネ=アークイラが森に降臨するたび、獣達は彼女を護り、敬礼をした。もっとも、セレネはバトラー以外の獣の気持ちなど全く分からないので「この森は怖い野獣がいなくていいなあ」程度にしか考えていなかったのだが。

 かつてバトラーをあざ笑っていた連中も、いまでは彼を見ると、こそこそと逃げ出す始末だ。けれどバトラーはそんな連中など、もう歯牙にもかけていない。今の自分は、あんなくだらない連中に構っていられるほど暇ではないのだから。

 最近、バトラーはこう思うのだ。自分が気味悪く、みじめに生まれてきたのは、セレネ姫に出会うためだったのではないか。自分の生命に意味を与えてくれたセレネ姫は、今、運命に翻弄されつつある。ならば今度は、自分が彼女のために生命を賭けて恩を返すのだ。

 ――大きな森の小さな巨獣、鼠の執事のバトラーの心は、使命感と充実感に燃えに燃えていた。
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