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夜伽の国の月光姫 作者:青野海鳥

【第一部】夜伽の国の月光姫

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第6話:獅子身中の虫

 セレネは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王子を除かなければならぬと決意した。決意したはいいが実際には何も出来ないので、ベッドの上でだらだらしていた。

「わけがわからないよ」

 ふかふかのベッドの上、大の字に寝転びながらセレネはそう呟く。
 今のセレネが住んでいる場所は、以前までの牢獄のような一室ではなく、暖かな日差しの差しこむ、アークイラ王国では最高級の来賓用の部屋だった。

 どうしてこうなった。セレネはこの部屋に移動させられて一週間、その言葉を百回は呟いただろう。

 あの日、昼過ぎに目覚めたセレネは、思ったより早起きしてしまったので、夕方までもう一眠りしようと布団を被り直した。その直後、唐突に城の使用人が乱入し、部屋から引きずり出され、身を清められ、今まで着た事も無いような純白のドレスを着せられた。準備が整った後、森で自分を追い回した例の王子と、熊のようなおっさんと面会をさせられた。

 王子の名前はミラノというらしく、腹立たしいほど爽やかな笑みを浮かべながら、「自分は君を助けるために交渉を進めている。何も心配しないで任せてくれていい」という意味不明な台詞をほざいた。

 いきなり出てきて何を言ってるんだこいつは、頭おかしいのかとセレネは思ったが、相手は性王子。下手に反抗したらやられかねない。警戒していると、隣に居た髭面のおっさん――クマハチという厳つい男が、見かけに寄らず優しい声で宥めてくれたので、セレネは彼に好感を持った。その反面、ミラノには殺意に似たものを感じた。

 自分だけ小奇麗な格好をしている癖に、なぜ側近にこんなみすぼらしい格好をさせておくのか。恐らくは自分の引き立て役として、クマハチという汚い男を連れまわしているに違いない。そう考えると、セレネはクマハチが以前の自分のように感じられ、心底同情した。

 交渉とやらが終わるまでの間、セレネはこの小奇麗な部屋に移される事になった。相変わらず外に出ることは出来なかったが、食事は随分と豪勢な物になったし、おやつまで付いてくる。だが、ここは前の部屋と違い脱走が出来なかったのが不満だった。

 何故こんな状況になったのか本当に訳がわからないが、交渉とやらが成立してしまえば、自分にとってろくでもない事になるのだけはよく理解していた。なのでセレネは「何もかもがぶちこわしになり、交渉が決裂して元の牢獄に戻れますように」と、毎日悪魔に邪悪な祈りを捧げていた。

『姫! ご報告でございます!』

 ドアの隙間を潜り、バトラーが息を切らせてセレネの元へ駆け寄ってくる。セレネは毎日、バトラーを密偵として潜り込ませ、状況を報告させていたのだ。

「どうだった?」
『お喜び下さい! ヘリファルテ王国に移動する事が正式に決定したようですぞ! 姫の祈りが通じましたな!』
「そんなぁ」

 絶望のあまりセレネはベッドに突っ伏す。悪魔の馬鹿。役立たず。
 一方バトラーはノリノリで、タップダンスでも踊り出しそうなほどに興奮していた。

『森ネズミ達から聞きましたが、姫は前に、ミラノとかいう小僧と森で出会っていたそうですな。そして姫の魅力に一撃でやられてしまったというわけですな。まあ、王子とはいえ彼も男です。当然と言えば当然の流れでございます』

 バトラーは前足を組みながら、うんうんと頷く。

『やはり姫はこのような小国の、ましてあんな小汚い牢獄に収まっている器ではないという事を、神はよく分かっているようですな。このバトラー、執事として鼻が高い……』

 そこまで言いかけて、バトラーは、はっと我に返る。セレネが泣きそうな表情をしている事に気がついたからだ。

『申し訳ありません。不覚にも浮かれすぎておりました。姫がこの国を出るということは、アルエ姫、それに……母上とお別れになられるという事ですからな』

 ヘリファルテ王国への栄転自体は歓迎すべきだが、それはつまり、セレネの母親が娘を手放したと言う事実に他ならない。バトラーは己の浅はかさに自分を殴りつけたくなった。

『姫、確かに女王は姫を見放したかもしれません。しかし、それはあくまで『今の』姫に過ぎませんぞ。立派な淑女になるのです。自分の娘はこんなにも素晴らしいものであったと、実力で認めさせるのです。それこそが姫にとって最も素晴らしい人生であり、最高の報復だと思うのですが、いかがでしょうか。不安は色々ありましょうが、なに、この懐刀のバトラーが付いているのです。ご安心くだされ』

 バトラーは優しい声でそう言うと、ベッドから飛び降り、再び廊下へと向かう。セレネの出立が決定した以上、森の動物達のまとめ役であるバトラーは、楽園を荒らしたりしてはいけないなど、様々な通達をせねばならない。本当なら小さな胸を痛めているセレネにずっと付き添っていたかったが、もうあまり時間が無い。後ろ髪引かれる思いでバトラーは駆け出していった。

 バトラーが出て行くのとすれ違いに、木製のドアをノックする音が聞こえた。

「セレネ、いいかしら?」

 セレネが返事をする前に、声の主、アルエは既に部屋の中に入っていた。よほど上機嫌なのだろう、喜色満面の笑みでセレネの元へ歩いてくる。

「喜んでセレネ! ミラノ王子があなたを迎え入れてくれるそうよ! でも、どうしてセレネがいる事をミラノ王子は知っていたのかしら? 聖王子なんて言われているし、やっぱりあの方は特別なのかしら?」
「ねえさま……」

 アルエは少し首を傾げたが、細かい事よりセレネが解放されるという事実に胸が一杯らしく、目をきらきらと輝かせている。それに対し、セレネの表情は沈んでいる。ああ、この天使のような姉にもう会えないと考えると、絶望で目の前が真っ暗になるのだ。

「どうしてそんなに悲しそうな顔をするの? 私とは暫く会えなくなっちゃうけど、もうあんなに暗い部屋に戻らなくていいし、綺麗なお洋服も着られるし、美味しい物も食べられるし、あんなにかっこいい王子様と一緒に暮らせるのよ?」

 アルエが励まそうと掛けた言葉はセレネにとって逆効果だ。セレネは目を赤くして、ぐすぐすと泣き出してしまった。他の言葉はまだしも、最後の一言がとどめだった。なぜ優しく綺麗な姉と離れ、いけ好かないロリコン男と暮らさねばならないのか。

「もどして」
「え?」
「わたし、あの部屋がいい、もどして」

 しゃくりあげながらセレネが紡いだ言葉に、アルエは困惑する。一人で知らない国に行きたくないというのなら分かるが、あの部屋に戻りたがる理由が分からない。この国に残りたいというのであれば、今いる部屋のほうがずっと快適ではないか。

「セレネ、どうして牢屋みたいな部屋に戻りたがるの? お姉ちゃんに理由を教えてくれない?」
「ねえさまたちと、会えなくなるから……」
「私『たち』と?」

 アルエがそう聞き返すと、セレネはこくんと頷いた。セレネが普段接する人間は極端に少ない。自分はともかく、あとは最低限身の回りをする使用人だけだ。となると、私「たち」の中に該当する人間は一人しかいない。

 ――この国の女王であり、アルエとセレネの母親だ。

 アルエは不意にある事を思い出した。アルエはセレネが監禁されてからというもの、母親の心を解きほぐそうと、暇さえあれば親子の関係についての文献を漁ったり、情報を仕入れたりしていた。

 その中の一つに、「虐待を受けた子といえど、親から離れない子もいる。自分が悪い子だから、試練を乗り越えれば、母は自分を愛してくれる。褒めてもらえる」と考えるというものがあった。きっとセレネはそのタイプなのだ、だから、あの汚い穴蔵に戻りたがっているのだろうと、アルエは考えた。

 しかし、交渉に同席していたアルエには、妹の願いが決して届かないことが分かっていた。あの時の母は、捨てるに捨てられず倉庫にしまいこんでいたガラクタが、思いのほか高く売れた事に喜ぶばかりで、セレネの事など微塵も思っていないという現場を目の当たりにしてしまったからだ。

 けれど、その事実を幼い妹に伝える事はあまりにも残酷だった。アルエは不遇な妹を気遣うようにそっとしゃがみ込み、セレネの涙を拭ってやる。

「セレネ、幸せというものはね、不幸と一緒にやって来るものなの。だから、今はつらくて悲しくても、それと同じだけの幸せをあなたは持っているの。セレネはもう沢山苦しんだでしょ? だからあなたは世界で一番幸せなお姫様になれるのよ。暗いところにいるより、前を向いて歩いていくほうが、綺麗な物を見られるわ」

 アルエはセレネに、遠まわしに母親から離れるように促す。セレネの母を慕う気持ちは理解できたが、それでも離れたほうが妹のためなのだ。

 しかし、現実は全く違う。セレネの言う「ねえさまたち」というのは、楽園の野菜たちのことであった。せっかく数年掛けて頑張って育てたのに。そう考えると実に惜しかったのだ。セレネは種を適当に植えただけで、本当に頑張っていたのは森の大地なのだが、本人としてはまあ頑張ったつもりだった。

 肝心の母親に関しては、セレネが生まれた時点で金髪ロリであり、今や立派な金髪美少女へ成長したアルエと違い、ヒステリーおばさんという扱いだった上に、数年間会っていないので最早完全にどうでもいい人になっていた。アンケートや円グラフなどで表せたなら、「その他」とか「どちらでもない」のカテゴリーに放り込まれていた。

 つまり、セレネにとっては、実の母親より野菜のほうが大事だった。そんなこととは露知らず、安心させるようにアルエは柔和な笑みを作る。

「セレネ、ほんの少しの間会えなくなっちゃうけれど、私もヘリファルテに行くから大丈夫よ。セレネより少し後になるけど、多分それほど時間は掛からないはずよ」
「え、ねえさま、くるの!?」
「母様が、私をヘリファルテに留学させるならセレネを引き渡すって条件を付けたの。ミラノ王子にとっては負担でしょうけど、それでも私が来たほうが良いって言ってくれたのよ。寛大なお方だわ」

 その言葉を聞いた途端、セレネの脳裏に電流が走った。セレネは、腹黒王子の魂胆を見抜いてしまったのだ。

 冷静に考えて、日陰者でまだ子供の自分を引きずり出すなんておかしいではないか。そんな奴をわざわざ手間隙を掛けて連れて行く理由は、セレネが思いつく限り唯一つ。

 ――人質である。

 あの腹黒王子は、何だかんだ言いつつ、大天使であるアルエに惚れてしまったのだ。アルエの魅力を考えれば無理もない話だ。だが、ここはアークイラ王国、ミラノがいくら強権を持っていても、他国ではさすがに自重するだろう。

 極上の獲物を心ゆくまで堪能するには、自分のフィールドに引きずり込むのが一番だ。自国であれば王子という立場を利用して、どれだけ変態的な行為をしても握りつぶす事が出来るはずだ。

 生前セレネが好んでやっていたゲームでは、大国の王子が小国の姫と恋に落ちる作品が沢山あったし、その王子や国王が実はとんでもない悪党で、ヒロインを絶望のどん底に突き落とすものなどもいくつもあった。そして、ヒロインを凌辱する手段として、妹や家族を盾にするのは常套手段だったのだ。

「ミラノ王子には感謝しないとね。セレネ、ちゃんという事を聞いて、王子様に迷惑を掛けちゃ駄目よ?」

 何が悲しくてあんな王子に感謝しないとならないのかと内心で嘆いたが、ひねくれた自分と違い、人を疑う事を知らない純粋な心を持った姉姫を見て、セレネは覚悟を決めた。

 セレネはアルエの胸に飛び込むようにして、力を籠めて抱きついた。アルエは少し驚いたようだったが、何も言わずに抱き返し、セレネの柔らかな髪を撫でた。

「わたし、がんばる、守るから」
「そう、いい子ね」

 そうだ、何としても親愛なる姉の貞操を守らねばならない。聞けばあの王子、聖王子などという肩書きだけではなく、獅子王と渾名される父を持ち、ミラノ自身も「ヘリファルテの若獅子」などという渾名を持っているのだとか。

 何だそのかっこいい渾名は。おっさん時代はラーメンににんにくを入れるのを好み、可愛い女の子を視線で追いかける事から「にんにくストーカー」という渾名で呼ばれていた自分とはえらい落差ではないか。

 忌まわしい過去はさておき、獅子王だか若獅子だか知らないが、ならば自分は獅子身中の虫となり、内部から食い荒らし、大国を崩壊させてやるのだ。愛する姉を守るためならば、傲慢な王子の国など滅ぼしてやろう。自分を引き取った事を後悔するが良い。

 セレネはそう強く強く決意するのだった。




 ――後世の歴史学者達はこう語る。今日に至るまで、永きに亘り栄華を誇るヘリファルテ王国。その最盛期、最も輝いた時代といえば、現代への(いしずえ)を作り、国を照らす「太陽王」と呼ばれた偉大なるミラノ=ヘリファルテの時代であることは間違いない。しかし、彼を影から支え、多大な影響を及ぼした「月光姫」セレネ=アークイラを決して忘れてはならない。

 現在残っている王室の記録によれば、月光姫セレネは、地獄から己を救い出してくれた若き日のミラノに深く感謝し、出立直前に、命を賭けて彼を守ると、姉であるアルエ姫に誓ったという。その時、セレネは僅か八歳であった。幼い少女のたわ言と思うなかれ。その後のセレネ姫の功績は、史実の通りである。彼女がいなければ、ヘリファルテ王家は衰退し、現在の発展は無かったであろう、と。

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