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第5話:献上品
猛牛の如く突っ込んでくる娘達を闘牛士のように回避し、ミラノは晩餐会を乗り切る事に成功した。その翌日の昼過ぎ、ミラノはクマハチを連れ、ある男と挨拶を交わしていた。痩せぎすの神経質そうなこの男は、この国の宰相らしい。
「昨夜の晩餐会はお楽しみいただけましたかな? わが国で最高のもてなしをさせていただきましたが」
「お気遣い感謝する。宰相殿」
楽しかった、と答えたわけではないのだが、宰相は嬉しそうに笑みを浮かべた。こういった社交辞令はもう何度もしてきたが、自分に嘘を吐いている感覚に、ミラノは未だに慣れる事が出来ない。
「それは何よりでございます。つきましては、殿下に献上させていただきたいものがございまして」
ミラノは内心で「またか」と思いつつも、顔には出さなかった。これは、ある程度予想していた流れだったからだ。諸国を巡っている間、ミラノは娘達をやんわりと断り続けてきたが、もう一つ対処せねばならないことがあった。それがこうした「献上品」である。色仕掛けを第一の刃とし、第二の刃として豪奢な贈り物をヘリファルテ王国の第一王子に渡し、媚を売ろうとするのだ。
これは、ある意味で娘達より厄介だった。下手に断ると相手の面子を潰す事になるし、最悪、国家間同士でのわだかまりを作ることになる。実権を持っている父であれば「いらん!」と突っぱねる事も可能かもしれないが、未だ王子であるミラノは、波風を立てないように、ほぼ全てを受け入れざるを得なかった。
だが、小さな馬車に積める量は限られており、馬車が宝物で一杯になる度に、いちいち母国へ戻る羽目になった。そのせいで旅の進行速度は予定より大幅に遅れ、ミラノとしては頭の痛い問題だった。
「アークイラは小国にございますが、緑豊かな大地がございます。この土地で育った馬は、農耕馬としても軍用馬としても実に優秀でございます。もしくは、最高級の鹿の毛皮で出来た……」
延々と続く自国アピールにうんざりしたミラノは、無礼だと思いつつも話を途中で遮る。
「贈り物もありがたいが、是非見てみたい場所がある。そちらへ案内して貰ってもよろしいかな?」
「勿論でございます。王子が望むのであれば、どのような観光地でも手配させていただく準備がございますので」
「ならば、早速向かうとしよう。クマハチ、供をせよ」
「御意」
そうしてミラノが宰相に告げた場所は、はっきり行って意味不明な場所だった。王宮の片隅にある、掃き溜めのような倉庫だったからだ。疑問に思いつつも、宰相は案内せざるを得ない。
「あ、あの、ミラノ王子。ここはただの倉庫にございますが?」
「ただの倉庫、か。ひょっとして、とてつもない財宝を収めているのではないかな?」
そう言った瞬間、宰相の頬がぴくりと動いたのを、ミラノは見逃さなかった。
「いえいえ、見ての通り、いらない物を放り込んでおく薄汚い場所にございます。ミラノ王子ほどのお方が足を踏み入れるような場所では……」
「どこでもいいと言ったではないか。それともあれは嘘にござるか?」
「いえいえいえ! 天下のヘリファルテ王国の王子相手に、嘘を吐くなどとんでもない!」
「では問題ないな。早く扉を開けてもらいたいのだが」
若獅子と若熊に追い込まれた宰相は、仕方なさそうに庭師に命じ、入り口の扉を開けさせた。中は外見に違わず薄暗く、じめじめとしたかび臭い空間が広がり、ミラノとクマハチは不快そうに眉を寄せる。そのまま二階の階段を昇り、昨夜探り当てた位置から部屋を推測する。
「(やはりな……)」
ミラノが頷くと、クマハチも黙ってうなずき返す。倉庫の際奥には、他の部屋のようなボロボロな木の扉ではなく、頑強に作られた鉄製の扉があったのだ。
「随分と頑丈そうな扉ではないか。この国では、たかがガラクタ置き場にこれだけ金を掛けるのか」
「それは、その、ここは少し特別な部屋でございまして……」
「どう特別なのだ? 一つ説明してはくれないか」
「その権限は、私にはございませんので」
「それは珍妙でござるなぁ。宰相殿ですら説明できない程の物を、何故このような掃き溜めに置いておくのでござる?」
ミラノとクマハチの波状攻撃に、宰相は冷や汗を流し答えあぐねていた。前門の虎、後門の狼とは、まさにこのような状況を言うのであろう。
「少し中を見てもいいか?」
「えっ?」
「中を見ていいかと聞いているのだ。この私、ヘリファルテ王国第一王子、ミラノ=ヘリファルテがだ」
あえて恫喝するようにミラノは仰々しく答えた。彼は自分の権力を振り回すことは好まなかったが、このままではいつまで経っても埒が明かない。脅迫めいた王子の要望に、宰相は首を縦に振るしかない。そうしてミラノが扉に手を伸ばすと、ばちり、と青白い火花が威嚇するように飛び散り、ミラノは手を引っ込めた。
「ふむ、封印か」
「魔術による刻印でござるな。拙者の見たところ、アークイラの国宝級レベルのものでござる」
「ええ、それは紋様封印にございます。見ての通り、アークイラ王国の一部の者しか開けられない仕組みになっているのです。ですので……」
開かないし、もういいでしょう、という宰相の言葉は紡がれなかった。
「クマハチ」
「承知した」
ミラノがクマハチに短く促すと、クマハチは鉄の扉の前に立ち、腰に下げている太刀に手を伸ばした。他国の庭を歩くのに王子が武装するのは失礼にあたる。よってミラノは非武装であったが、護衛役であるクマハチは、帯刀する事を許可されていた。
「あ、あの、クマハチ殿、一体何を……」
「首と体を別れさせたくないのなら、離れているがよい」
何が起こるかようやく理解した宰相は、転がるようにしてドアから離れる。クマハチは深く腰を落とし、鞘に収めたままの刀を振りぬく。
「キエエエエエエエエエッッ!!」
怪鳥の雄叫びのような奇声と共に、輝く白刃が解き放たれる。その剣の勢いは凄まじく、振りぬいた刃の起こす風とクマハチの気迫だけで、宰相は尻餅をつくほどであった。
ぎぃん、という金属が擦れあう音の後、クマハチは落ち着き払って居住まいを正す。
「どうだ?」
「もろい封印にござる」
クマハチは不敵な笑みを浮かべ、刀を鞘に納めた。すると、それが引き金になったかのように、扉の刻印から凄まじい量の光が放出された。燐光はばちばちと火花を撒き散らし、悶え苦しむようにのたうち回っていたが、徐々に光の量は収まり、やがて完全に沈黙した。
「き、切った!? 封印の扉を!?」
「正確には、紋様を切ったのでござる」
尻餅をついたまま叫ぶ宰相に対し、クマハチはさも当然とばかりに説明した。魔術を無効化する手段として、刻まれている刻印や紋様、魔法陣などを削ってしまうというものがある。一箇所でも崩してしまえば、穴の開いた水筒の如く、そこから魔力が漏れだし使い物にならなくなる。
理屈で言えば単純極まりないが、実際に行うのは生半可な事ではない。魔力を織り込まれた物質は、その刻印も含め、強度が数段跳ね上がる。まして紙や木ではない、鉄の扉だ。普通の人間なら刃を振り下ろしても傷一つつけられないどころか、逆に刃物が欠けてしまう。
異国の切れ味するどい刃、恵まれた体躯から繰り出される熊の豪腕、何より、居合いと呼ばれる磨きぬかれた技を兼ね備えたクマハチだから出来る荒業だ。常人が歯が立たない強固な物であっても、まるでバターでも切るかのように、彼はやすやすと切る事が出来るのだ。
「さて、鍵も開いたし、中を確認させてもらうとするか」
腰を抜かしたままの宰相を無視し、もはやただの鉄の扉と化したドアをミラノはそっと開く。そして、目の前に広がった光景に嘆息した。
「予想通り、だな」
部屋と呼ぶにもおこがましい牢獄のような場所の奥、全く似つかわしくない純白の少女が、粗末なベッドですやすやと寝息を立てていた。一呼吸置いて、クマハチと宰相も部屋に入り込む。
「さて、宰相殿、これは一体どういう事かな? この子は一体何者なのだ?」
「ええと、その子は貴族の子なのですが、少々悪戯をしまして……」
「悪戯をしたにしても、この仕打ちは少々いきすぎだと思うのだが。これではまるで罪人ではないか」
「い、悪戯だけではないのですよ。その子は少し体が弱いもので、こうして療養生活を……」
「体が弱い、か」
ミラノは昨日の追いかけっこを思い出し、随分と健康な病人も居たものだと、宰相の言い訳に苛立ちを覚えた。
「このような場所で療養でござるか。随分とかび臭く、風通しの悪い病室でござる」
クマハチも同じ思いなのだろう、皮肉るような口調でそう言い放ち、刀の鍔をキン、と鳴らした。それだけで気弱な宰相は狼狽し、洗いざらい全部喋ってしまった。一国の宰相としていかがなものかと思うだろうが、つい先ほど見せ付けられた圧倒的な武力に加え、大国の王子の要望だ。宰相にとって、それらは自国の女王を激怒させるより、はるかに恐ろしいことだったのだ。
そうしてセレネの生い立ちと、今の状況に至るまでの話を一通り聞き終わると、ミラノはふつふつと怒りが湧き上がってくるのを抑え切れなかった。
「セレネ姫、アークイラ王国の第二王女か……」
「この少女、確かに雪童子のようでござる。内面が少し変わっている事も理解した。しかし、異質な物を弾くだけでは、何の解決にもならぬではないか」
クマハチもミラノと同じ気持ちなのだろう。いかつい顔をさらに険しくし、吐き捨てるように言う。ヘリファルテ王国の主義として「異質な物を極力受け入れる」というものがある。大国が大国である所以は、ただ単に領土が大きいとか、武力に恵まれているといった単純なものではない。
巨大な物を動かすためには、大きな歯車、小さな歯車がきっちりと噛み合わねばならない。その事をミラノの父はよく理解していた。事実、その理念を貫かなければ、自身がクマハチという異国の友を得ることも出来なかったのだから。
「この子を解放することは出来ないのか?」
「それは無理です!」
不機嫌なミラノに睨まれ、震えながらも宰相はそう答えた。ミラノも特に期待はしていなかったので、それ以上は言及しなかった。仮に女王に圧力を掛けて解放させたとしても、この娘が幸せになれる可能性が極めて低いと考えたからだ。氷のような蔑みの視線の中で、アルエ姫だけを頼りに生きていくには、か細い少女の精神にはいささか過酷過ぎる。
一方、話の中心である、か細い精神とやらのセレネは、彼らの事など全く気付かず爆睡していた。
昨日、姉の事が気がかりでろくに食事を摂らず、その状態で全力疾走させられ体力を消耗。その後、久しぶりに長い間堪能できたアルエの柔らかな感触が忘れられず、興奮して明け方まで寝付けなかった。そういった一通りのイベントが終わり、人心地着いたセレネは、朝食を多めに要求し、それを一気にかき込んだ。
要約すると、昨日はご飯も喉を通らず夜も眠れなかったので、今日は昨日の分もいっぱい食べ、満腹になったので昼寝をしていた。
セレネが穏やかな寝息を立てるまで、枕元で寝ずの番をしていた鼠の執事も、自分の役目が終わるとすっかり疲れ果て、ベッドの下にある布切れの巣で丸まって眠りこけていた。
ミラノはセレネの昏睡のような深い眠りから、極度の疲労状態にあると判断した。無理もない、このような場所に閉じ込められていては、普通の少女なら精神が参ってしまう。
「哀れな……」
ミラノが繊細なガラス細工を扱うように、そっとセレネの頬に手を伸ばす。ミラノの手の平に、子供特有の瑞々しく、温かい体温が広がる。昨夜触れることの出来なかった月の精霊が、ミラノの中でようやく形となって把握できた。それと同時に、ミラノの脳裏に、月光の下でセレネが真摯に祈る姿が去来する。
――この少女は、助けを求めていたのではないか。
このような劣悪な環境で、少女が出来る事など何もない。だから、夜中に部屋からこっそり抜け出し、自分が落ち着ける場所で、神に向かって祈り続けていたのではないか。誰にも届かぬ、悲痛な願いを。セレネの枕に乾いた涙の跡を見つけたとき、ミラノは、己の考えが恐らく間違っていないだろうと判断した。
ミラノは瞼を閉じ、少しの間、逡巡するように固まっていたが、不意に宰相に向き直る。
「宰相殿、この倉庫にあるものは『いらないもの』であったな?」
「え、あ、はい……そうでございますが」
「では献上品として、この子を貰うとしよう」
「……は?」
宰相は一瞬何を言われたか分からなかったが、理解が追いつくと、信じられない物を見たような表情をした。
「『いらないもの』の方が貴殿の国の財政に響かぬだろうし、私はこの子が欲しい。お互いの利益はかみ合っているではないか。何か問題でもあるのか?」
暗に「言う事を聞かなかったら、どうなるかわかっているんだろうな」という響きを声に籠め、ミラノが宰相に一歩迫ると、宰相は蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流し固まる。
ここはアークイラ王国であり、ヘリファルテ王国ではない。王子と言えど他国での横暴は許されない。しかし、それは建前上の話だ。大国の若獅子を怒らせてしまえば、どのような制裁が加わるか想像もできない。
「交渉は私が直接しよう。まずは、アルエ姫に直接お話を伺いたい。早速だが、姫に連絡をしていただきたいのだが。宜しいかな? 宰相殿」
「…………はぃ」
消え入るような声で宰相はそう答え、ほうほうの体でセレネの部屋から出て行った。
「王子にしては、随分と強引な話の進め方でござるな」
「では、お前はこの状況を知りながら、黙って見過ごせと言うのか?」
「それは鬼畜の所業にござる。いかな理由があるとは言え、幼子をこのような場所に住まわせておくのは断じてならぬ。拙者の国でそのような事があれば、一族郎党皆殺しにござる」
宰相が居る間はあれでも抑えていたのだろう。クマハチは怒り心頭という感じで、そう言葉を紡ぐ。
「おっぱい……」
不意にセレネがそう呟いたので、二人は未だ眠り続ける少女の顔を覗き込んだ。
「……寝言でござるな。母親が恋しいのであろう」
「だが、その母親がこの子をいらないと言っているのだ。本当なら母親の元へ置いておくべきなのだろうが、これも何かの縁だろう。全く、何ともやりきれない事だ」
王子は怒りのやり場も無く、嘆くように背の低い天井を仰いだ。
セレネは夢の中、姉の胸の感触に酔いしれていたが、夢よりも夢のような現実が迫ってきている事など、それこそ夢想だにも出来なかった。
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