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夜伽の国の月光姫 作者:青野海鳥

【第一部】夜伽の国の月光姫

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第4話:聖王子ミラノ=ヘリファルテ

「では王女、お互い少し頭を冷やしましょう。私はこの緑豊かな庭園を少し散策させていただきますので」 

 室内に残る第一王女に一礼をし、後ろ手に扉を閉めながら、ミラノ=ヘリファルテ、ヘリファルテ王国の麗しき第一王子は、物憂げな表情でため息を吐いた。

「随分と早い夜伽でござるな」
「……クマハチか」

 扉から少し離れた所には、熊のような大男が立っていた。黒々とした髪を乱雑に伸ばし、もみあげと同化するほどに顔中は髭だらけ。身につけている藍染めの着物は随分と色は落ち、裾は擦り切れている。控えめに言って小奇麗な浮浪者にしか見えないのだが、その薄汚い着物の背には、ヘリファルテ王国の王族に関わるものしか付けることを許されない、黄金の鷲をあしらった刺繍がしてあった。

「せっかくの晩餐会なのに、早々に主賓と第一王女が退場してしまい、皆、不満がっているでござる」
「王女に直接誘われたのだ。行かないわけにもいかんだろう」
「いやいや、何とも羨ましい話でござるな。拙者とてそれなりの身分であるのに、今まで全くきれいどころに相手にされぬ」
「そんなみすぼらしい格好をしているからだろう。いい加減、正装をする事を覚えろ」
「これが拙者の国の正装であり、戦装束であり、死装束にござる。王子の側近として身を守る役目を仰せつかっておりますゆえ、いついかなる時にも機敏に動けなければ」

 クマハチと呼ばれた大男は、悪びれずにそう答えた。
 外見からして浮いているこの男、クマハチは大陸の出身ではない。海を渡った異国より、武者修行と称してやってきたのだ。どう見ても三十は過ぎているようだが、年齢は王子とさして変わらない。

 いくらアークイラ王国が小国といえど、このような男が王国の敷居をまたぎ、まして国で大々的に行われる宴に参加など許されない。それを可能にしているのが、汚らしい着物に不釣合いな紋章である。ヘリファルテ王国のお墨付きとあれば、他国はただ黙って従わざるを得ない。

「アルエ姫と申したか、なかなかに美しい娘ではござらんか。で、味はどうであった?」
「どうもこうもない。いきなり寝室に呼ばれ、『さあ! 私を(めと)るのです!』と言われて押し倒された時は、食い殺されるかと思ったぞ」
「なんと、淑やかそうな外見に寄らず、随分と積極的でござる」
「そうではない」

 ミラノ王子は被りを振った。

「あれは夜伽を望んでいない。その証拠に、ひどく震えていた」
「さすが『嫁探し』の旅を続けている王子にござる。旅立ち直後は戸惑うばかりであったが、夜戦の駆け引きも磨かれておられる」
「茶化すな。とにかく、彼女とそういった行為はしていない。あれは何かに追い立てられているような、自分で望んでいない者の目だ」
「堅物でござるなあ。拙者なら、とりあえず据え膳は平らげるでござるが」

 クマハチは笑いながら顎鬚を撫でた。王子に対し随分な物言いだが、クマハチは王子の側近であると同時に、無二の親友でもあった。彼らは主従関係であると同時に、武を学ぶ者としての好敵手でもあるのだ。

「少し森に行ってくる。いい加減、猛禽のような女達に狙われながらの晩餐会はうんざりだ」
「いやいや! 主役が脱走するのはさすがにまずいでござるよ!」
「お前が何とかしておけ。それこそ姫と夜伽の最中だとでも言っておけば、他の娘達も黙るだろう」

 有無を言わさぬ口調で言い放ち、ミラノは庭へ出て、そのまま森へ入っていった。新しい国に着くたびに、社交界に参加させられ、外面を取り繕うことにいい加減うんざりしていたのだ。少しくらいは息抜きせねば、いつ爆発するか分からない。

「どうしてこんなことになったのやら……」

 ミラノは一人文句を言いながら、敢えて殆ど手入れされていない、雑然とした茂みの中に分け入っていった。母国を出てからそれなりの時間が経ったが、自分の旅が「嫁探し」などと呼ばれる扱いに、彼は辟易(へきえき)していた。

 獅子王と呼ばれる豪放磊落(ごうほうらいらく)な父と違い、ミラノは母親似の優男である。そんな彼も今年で十八歳。若獅子となった彼に対し、父王はある命令を下した。それは、大陸を練り歩き、見聞を深めよという命である。「民草を知らぬものに(まつりごと)など出来ぬ」という、彼の父の信念にミラノは深く同意した。

 そうしてミラノは、大国の王子としては信じられないほどに粗末な馬車を選び、ごく少数の信頼できる部下を連れ、諸国漫遊の旅へと出発した。多少の不安と、見知らぬ物に出会える好奇心に、彼の心は躍りに躍った。

 しかし、その期待はあっさりと打ち砕かれる事になる。お忍びという形でこっそり出発したとは言え、彼が大国の第一王子である事は変わらない。そして、そんな彼に目通しする機会など、どの国も滅多にない事であった。

 どの国もミラノ王子が到着するやいなや、こぞって大規模な歓迎パーティーを開き、王侯貴族は自慢の娘を王子に差し出した。大国の後ろ盾を得られるまたとない機会の上に、王子自体も文句のつけようの無い優良物件である。そうしないほうがおかしかった。

 その噂は諸国へ広まり、修行のための王子の旅は、いつの間にやら「嫁探し」と呼称され、一人歩きを始める。噂には尾びれ背びれが付くものだが、さらに角や牙まで付き、王子に襲い掛かる怪物となってしまったのだ。王子という身分を忘れ、一介の旅人として諸国を漫遊したかったミラノは、これにひどく落胆した。

「……っと、少し奥へと来過ぎてしまったか」

 不愉快な記憶を掘り返しているうちに、いつの間にやら森の奥地へと迷い込んでたようだ。月明かりが照らしてくれているとは言え、辺りは闇だ。これ以上動き回ると余計に迷ってしまう。

「まあ、逆に良かったかもしれないな」

 ミラノはため息混じりに苦笑する。自分が森に入ったことはクマハチに伝えてあるし、たとえ猛獣が出たとしても、徒手空拳で撃退する程度の自信はあった。何より、王女との情事の火照りを冷ますため、森に入った結果迷ったと言えば、あの茶番劇に戻らない言い訳になるだろう。

 そう考えると実に気持ちが軽くなり、ミラノは手近な木に身を寄せる。こうして夜の闇に身を置いていると、聖王子などという渾名(あだな)を捨て去り、いっそこのまま野人として暮らしてしまおうか、そんな馬鹿げた考えすら浮かんでくる。それほどまでにミラノは今の境遇に参っていた。

「――。――。――。」
「何だ?」

 不意に、鈴を転がすような美しい声が、風に乗って彼の耳に届く。声質からして少女のもののようだが、こんな時間、こんな場所に居るはずがない。幻聴だと思いつつも、王子はその声のするほうへ足を進める。

 ――そして、それを見た。

「僕は……夢でも見ているのか?」

 思わずそう呟いてしまうほどに、その景色は幻想的だった。
 茂みの先の開けた場所、清らかな泉のほとりに、一人の少女が何かを祈るように(ひざまず)いている。その穢れなき白磁の身体は月光に包まれ、蛍のように淡く輝いているように見えた。

 月の精霊――そんな単語が頭の中に自然と浮かぶ。

 そんな彼女を祝福するかのように、周りには大小さまざまな花が咲いている。殆どが名も無き花々であろうが、管理された薔薇園ばかり見てきたミラノにとって、ありのままの生命の躍動を感じさせる光景は実に新鮮であった。

「エルフか? いや、あれはこの地域には生息しないはず……」

 そう言って、彼は自分の考えを否定する。エルフという人に似た純白の種族は、はるか北方の「白き森」と呼ばれる地域に住んでいる。人間の生活区域に住んでいるわけがないのだ。

 ミラノの脳裏に二つの考えが浮かぶ。

 この絵画のような光景に手を触れず、ずっと眺めていたいという感情と、目の前に広がる神秘に手を伸ばしたいという矛盾した欲望だ。迷いは一瞬だった。ミラノは後者を選択した。それほどまでに魅力的な少女であったのだ。

 新雪を踏み荒らすような多少の後ろめたさを感じながら、ミラノはそっと彼女に近寄った。もしかしたら今見ているものは幻想で、声を掛けてしまえば魔法は解けてしまうのではないか。そんな緊張感を押し隠し、ミラノは口を開く。

「何をそんなに祈っている? それともそれは何かの歌かな? 麗しき月の精霊よ」

 自分でも歯の浮くような台詞だと思ったが、ミラノはこれまでの行脚で、女性が言われて喜ぶような台詞を強制的に覚えさせられてしまった。まさかこんな形で役に立つとは思わなかったので、ミラノは内心で苦笑する。

 そこでようやく気がついたのか、白き少女はびくりと身体を震わせ、自分を見て、真紅の瞳が零れ落ちそうなほどに目を見開いた。目の前に居る少女が幻などではない事に、ミラノは内心で歓喜した。

「キライ!」

 だが、それも一瞬だった。神聖な儀式を邪魔したことを怒ったのか。少女は自分を睨みつけると、身を(ひるがえ)し森の奥へと駆け出そうとする。

「待ってくれ!」

 反射的にそう叫び、手を伸ばすものの少女には届かない。何故か分からないが、彼女をここで見失ってしまったら二度と会えなくなる。そんな衝動に突き動かされ、闇夜の鬼ごっこが開始される。

「(速い……!)」

 ミラノは細身ながらも鞭のようにしなる柔軟な筋肉を持っている。いくら慣れない森の中とは言え、その自分が全く追いつけないのだ。まるで先導者でもいるかのように、少女は木々の隙間をすいすいと駆け抜けていく。零れる月の光が反射し、白い髪がきらきらと輝く。それはまるで、森の中を光の妖精が飛んでいくように見えた。

 そうして暫く追いかけっこを続けたが、二人の距離は徐々に離れ、ついにその白い輝きは見えなくなってしまった。

「……居ないな」

 かなりの距離を走ったが、ミラノは息一つ切らしていない。だが、自分で思っている以上に、漏れた言葉には苦渋の色がにじんでいた。茂みを抜けた先には、汚らしい倉庫のような建物があるだけで、あの可憐な妖精の姿は既に無かった。もしかしたら、本当に妖精だったのかもしれない。

 そんな考えに捕われていたせいで、彼は木々の隙間から漏れる王宮の明かりに遅れて気がついた。この場所は王宮から極めて近い場所であるらしい。もしかしたら、あの少女は迷える自分をここまで誘導してきてくれたのではないか。

「……ぁぁあぁぁ!!」

 ミラノがそんな事を考えていると、不意にか細い悲鳴が彼の耳に聞こえてきた。胸から搾り出すような、悲しみに満ちた慟哭(どうこく)だ。あの少女の声だ、そう認識するや否や、ミラノは追い立てられるように倉庫の周りを探り出す。

「あれは……?」

 そうしてミラノは、倉庫の裏側、一番日当たりの悪そうな位置にある窓が、一つだけ開いている事に気がついた。碌に手入れもされていないのだろう、壁には幾重にも重なる太い蔦が絡み付いている。ミラノは手近な一本を手に取り、力を籠めて引っ張ってみた。大人の男性であれば不安だが、子供くらいならやすやす支えられるくらいの頑強さはありそうだ。

 絡み付いた頑丈な蔦、不自然に開いた窓、消えた少女、ミラノの脳内でそれらの要素がパズルのように組み合わさっていく。

「ああ、いたいた! 王子! いつまで遊んでいるでござる!」

 ミラノの視界の端にクマハチが映った。クマハチは肩をいからせながら、憤懣(ふんまん)やるかたなしと言った感じで駆け寄ってくる。

「パーティー会場の女子達が、『お前はいらん。王子を出せ、王子を出せ』とやかましいでござる! 拙者、いい加減つらくなってきたでござるよ!」
「…………」

 クマハチは割と本気で怒っているのだが、ミラノはまるで相手にせず、口元に手を当て、何かを思案するように固まっていた。

「王子! 聞いているでござるか!」
「クマハチ」

 王子は短くそう言い放つ。その真剣な響きにクマハチは面食らったが、一瞬後には真顔になった。クマハチはいい加減そうに見える男だが、主の心意気を瞬時に汲める男だった。そういった者でなければ、ミラノはクマハチを供に選んだりはしない。

「何かあったのでござるかな? 不審な影あれば、拙者、一刀の元に切り捨てようぞ」
「そうではない。少し相談したい事がある、耳を貸せ」

 そうしてミラノは、自分が体験した事を端的に話し、今後の展望を伝えた。クマハチは両手を組んで唸る。

「ふぅむ、にわかには信じられぬ話でござるが、拙者、王子がそういう類の作り話をせぬ事も知っておる。さて、どうしたものか」
「作り話でこんな話が出来るなら、僕は武芸を捨てて詩人にでもなるさ」

 王子がそう言うと、クマハチは「なるほど」と笑う。

「いずれにせよ、今宵は宴に参加せねばなるまい。楽しみがあれば、つらい事も乗り越えられようぞ」
「ああ、そうだな。では、決行は明日だ。クマハチ、頼むぞ」
「承知」

 そう言って、ミラノとクマハチは連れ立って王宮へと戻っていった。
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