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第十五話
「あら、もういらしていたのね。いらっしゃい」
お母さんが買い物から戻り、リビングにいる俺たちに一声掛けた。
「お……おじゃましています」
お久しぶりです、と言いそうになってしまった。この家には何度か来たことがあり、お母さんのことも覚えていた。あの頃とあまり印象は変わっていない。
他の皆もそれぞれ挨拶した。
「ふふっ。男の子が来るなんて思ってなかったわ。ケーキ買ってきたんだけど、大丈夫かしら?」
俺を見て、お母さんが微笑む。
俺は何とも答えられず、軽く会釈した。
「ひょっとして彼が、翠が親しくさせてもらっている柊君?」
俺の話が出て思わずたじろぐ。以前あった、翠さんが遙ちゃんに俺のことを説明した件で、それがお母さんにまで伝わっていたのか。
「ちょっ、お母さん!」
翠さんが照れたようにお母さんに文句を言う。
微笑ましい光景なのだが、ここに来て、今の状況に不安を覚えた。ここに集った集団の、その当初の名目に。
「みんな、遙のことを心配して来てくれたのね。ありがとう」
お母さんはペコリと頭を下げた。
「いやー、気にしないでくださいよお母さん」
千賀さんは気軽に話しかける。
「他にも用件があったので」
お母さんは片眉を上げ、千賀さんが話を続けるのを待った。
「今度、みんなで遊びに行こうって計画してて。その話もあるんすよ。もちろん、見舞いも兼ねていたので、先輩には先に帰ってもらって、遙ちゃんを抑えてもらってたんですけどね」
「あら、翠も誘っていただいてるのね」
お母さんは意外そうに呟く。
千賀さんは、お母さんの表情の変化など気にせず話を続けた。
「いやいや、先輩がラスボスなんで、来てもらわないと困るっす」
この話の流れは……。何もお母さんにそんな話をしなくても、と思うのだが。
「……え?」
お母さんは話が見えない様子。いや、千賀さんが言っていることを想像できてるのは、ここには俺しかいないのかもしれない。一緒に来た皆も、意外そうにしていたから。
だが、そんな千賀さんを俺は制止できずにいた。俺の思い上がりなだけって可能性もあるし、変に刺激したらもっと大変なことを口走りそうだと思ったのだ。
だが、千賀さんは非情だった。
「実は、ここにいるみんなで柊のこと取り合ってるんですよ」
千賀さんの言葉に、全員沈黙した。
最初に、楠田さんがため息を吐いた。彼女は、どうやらここまでも想定済みだったのか。
だが、小笠原さんは、初めは千賀さんに反論しようと口をパクパクしていたが、やがて顔を真っ赤にして、俯いて膝の上で拳を握り締めて固まった。
日高さんは、仰け反って、驚愕の目で千賀さんを見つめて。
遙ちゃんは、ただただ驚いて。
ラスボス扱いされた翠さんは、驚いたものの、すぐに何か覚悟を決めたような表情になった。
そしてお母さんは。冷めた目をして俺たちを眺めるのだった。
俺と翠さんを交互に見て。
「……どういうことなの?」
お母さんが詰問する。まぁ、娘の彼氏だと思った男が、女はべらせてるのを見たらどうかと思うよな。だがお母さんは、その質問を俺ではなく翠さんに向けたのだった。
「母さんは……翠からずっと浮いた話を聞かなかったのを心配してたのに。親しい人が出来たと聞いて、やっと過去の呪縛から逃れることが出来たんだって喜んでいたのに!」
お母さんの言葉に、翠さんの目付きが険しくなる。
「翠はあの件とは関係ないのに……やっとあの子のことを忘れて普通の恋が出来るようになったのだと思ったのに……あんなことにいつまでも拘っていても仕方がないのに!」
あんなことにいつまでも拘っていても仕方が無い、か。
俺が知らない何かがあったのかとも思ったのだが、翠さんは俺の方を見て申し訳なさそうな、悲しげな表情を見せた。やはり俺のことなんだろう。あの事件を引き摺っていたのは、遙ちゃんだけじゃなかったんだ。本当に、翠さんが気に病むことなんて何もなかったのに。彼女は、俺があんな風になってしまった事実に、その身を律してきたのか。そんな必要なんて全く無いのに。そんなことをされても、誰も喜ばないのに。
自分自身、そう思うのに。それでも、お母さんにそんな風に思われていたと知るのはやるせない気持ちになってしまう。
俺の表情の変化に気付いたのだろう、翠さんは勢いよく立ち上がった。
「なんでそんな風に言うのよ! いくらお母さんでも許さないからね!! それに、私がどう思っていても勝手でしょう!?」
涙目になった翠さんに罵倒されるとは思ってもいなかったのか、お母さんはショックを受けている様だ。
状況は違うが、まるでいつぞやの再現の様相。
「どうして……うちの家族は……そんなに無神経なの……? 私……生きてるのが辛いよ……」
泣き崩れる翠さんに、俺は何て声を掛ければいいか判らなかった。ここで、俺の素性を明かすことはしたくないし。
翠さんの言葉に自分も含まれていると気付いて、遙ちゃんも俯いたままじっとしていた。
無言のまま、俺は翠さんの肩に手を置いたのだが、翠さんは振り切って二階に駆け上がっていってしまった。
お母さんは、後も追えず、ただ翠さんが消えて行った方をずっと見ていた。
潮時かな。
彼女を残して帰ることに罪の意識を感じたが、俺がいつまでもここにいては、九重家のためにならないと思い、帰ることにした。
「……おじゃまして、すみませんでした……」
頭に『俺なんかが』と付けるのを辛うじて飲み込む。
俺たちは見送られること無く、九重宅を後にするのだった。
「……悪かったな……」
帰り道、千賀さんが謝罪した。
「いや。俺に謝る必要は無いよ。皆には誤解させてたかもしれないけどさ。お母さんも、娘の口からではなく他人からあんな話を聞かされたから動揺したんだろう」
彼女らのお母さんが、本気で俺の件を軽く考えているとは思いたくなかった。
そんな感じで、遊びに行く計画の話は頓挫した。
といっても、千賀さんも諦めた訳ではなくて。日高さん以外に自分の携帯番号とメアドを書いたメモを配っていた。
帰宅した後。
俺もこのままでは気まず過ぎると思い、状況改善の方策が必要だと感じていたので、千賀さんにメールを送って、彼女の計画に身を委ねることにした。
翠さんにもメールを送りたかったが、何て書いていいか思い浮かばず、何もできなかった。
翠さんから連絡があったのは、その日の深夜だった。メールではなく、電話が掛かってきた。
彼女のお父さんが帰宅して、家族の不仲を察知して。遙ちゃんの就寝後、事情の説明を求められたらしい。
俺の素性と容態と経緯。
俺が、遙ちゃんの記憶が戻ることを望んでいなかったこと。
翠さんと俺は、別に付き合うとかそういう関係では無くて、遙ちゃんに怪しまれないようにするためにそういう設定にしたこと。
遙ちゃんの記憶が中途半端に戻って、俺を犯人扱いしてしまったこと。
それに級友を巻き込んで、皆に迷惑を掛けたこと。
その上で、皆が遙ちゃんのことを心配して自宅まで見舞いに来たこと。
それらを両親に説明して、彼らから謝罪の言葉を伝えて欲しいと頼まれて、まだ泣きながらだったが俺に電話してくれたのだった。
「翠さんが気に病むことは、責任を感じなければいけないようなことは何もありませんから。どうか、気にしないでください。そして、これまで通り、俺と普通に話をしたり、気が向いたらでいいから俺と遊んだりしてもらえませんか?」
俺のほうから懇願した。これ以上、気を使わないで欲しかった。だけど、彼女らと決別する気にもなれなかった。
「ぐすっ……いいの?」
どうにか泣き止んでくれて。まだ彼女は鼻声だったが、俺の求めに応じてくれたのだった。
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