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第十三話
7月中旬。
遙ちゃんは、あれからずっと学校を休んでいた。
俺はそれでも、水泳の授業は見学を続けていた。傷跡のことをまだ周知させたくなかったのだ。
教室では、俺のことを心配してか、小笠原さんと日高さんが頻繁に俺の相手をしてくれていた。遙ちゃんのことを除けば、共通する話題もそう無いだろうに。無理させてる気がして、俺は申し訳なく思いつつも、かといって断る訳のも気が引けて。微妙に目立ったままただ流されていた。
そんなある日の放課後。
「柊よー、夏休みは予定とかあるん?」
千賀さんが俺の前の席に横座りして、俺を覗き込む。今教室にいるのは俺たちだけだった。
「いや。強いて言えば、勉強と筋トレくらいだけど」
あと、たまに病院に行くくらいか。
「誰が日課を言えっつったよ。──こんだけ美少女に囲まれてて、誰とも予定ないのかよ」
この女は恐らく、自分のことを含めてそう言ってのけているのだろうな。まぁ確かに見た目はかわいくはあったが。
「だいたいさぁ。柊は、今は誰が好きなん?」
なんて言われて、思わず咽てしまう。
千賀さんはしてやったりとばかりに笑った。
今俺がどんな回答をしても、こいつにはからかわれるネタになりそうで、何も答えられない。
「ん~。じゃあさ、視点を変えて……誰の体が好みなん?」
「ぶーっ!」
盛大に噴出してしまった。
「あたしとか?」
千賀さんは両手を頭の後ろで組んで、体をくねらせる。
「プールで確認しただろ? あたしって結構スタイルもいいと思うんだー」
大した自信だ。まぁ、それも認めざるを得なかったのだが。
「小笠原さんみたいなスレンダーのがいいのん? それか……裕美くらいあった方が好み?」
だから胸を寄せて上げんな!
前にも思ったが、そこだけは、若干コンプレックスがあるみたいだな。別に全然無い訳でもないのに。その輪郭がパッドの産物で無いのなら。
「……どうなん?」
じっと覗き込まれてしまう。答えられないよそんなの。
と。そこに、廊下から楠田さんが入ってきた。まだ帰ってなかったのか。
そういえば、彼女は結局一度も水泳の授業には出てなかったな。あの、下に見えていたのがサラシだとすれば。夏服である程度見えているボディラインも実は嘘で。その下には……?
などと考えていたら。
「えーっ? 楠田さんの体が好みなの!?」
「ぶーっ!」
また盛大に噴出してしまった。
声大きすぎて聞こえちゃうだろ!
楠田さんの目付きが険しくなっていく。
「おい、そういうんじゃなくて……」
慌てて諌めようとしたが、
「あんましスタイルよさげに見えないんだけどなぁ。あれくらいがいいのん?」
聞いちゃ居ない。
大体、彼女は目立たないように体型までごまかしてると思うので、その正体は──脱いだら酷いんです、じゃないだろうし。メイクの方向性からして、おそらくスタイルも実際より悪く見せかけているのだと思う。
「手足はそんなに太くもないけど、体重とか結構ありそうだし……」
千賀さんは容赦なくけなしていく。本当に遠慮が無い。以前は、男に対しては八方美人やってた、なんて言ってたけど、当時から女相手にはこんなんだったのだろうか。だとしたら、周囲が敵だらけになるのも頷ける。だけど、それはもう止めたんじゃなかったのか?
などと考えながら応対していたため、
「いや、そんなに重くは無かっ……はっ!?」
思わず正直に感想を漏らしてしまう。
「……へーえ」
けらけら笑っていた千賀さんの表情が、すっと消えた。
まずい。
恐る恐る楠田さんの方を窺うと。
「ぎゃーっ!!」
俺の口から小さく悲鳴が漏れた。
彼女の顔色はあまり変わってはいなかったが、それはメイクのせいかもしれない。
その目から光が失せ、口の右端を引きつるように上げている。
「あ……」
思わず体が竦む。
つかつかと歩み寄る楠田さんを前に俺は成す術も無く、両掌を合わせて、念仏を唱えるかのように拝むだけだった。
「いてっ」
頭を軽くこつんと小突かれた。
「柊君、冗談が過ぎるよ?」
見ると、楠田さんは引きつった笑みを浮かべていた。ここは冗談で流す方向で行くことにしたのだろう。
「……ごめん」
俺は、合掌のまま、ただ謝るしかなかった。どっちの意味でも。
だが、こんな小芝居、千賀さんが許容する訳もなく。
「楠田さんさぁ。なーんか怪しいよね」
あああああ。
まずいまずいまずい。
こいつにだけは、触れられてはいけなかったのに……。
俺が何を言っても薮蛇になりそうで、迂闊なことが言えずにいた。
「……まぁ、いいけどさ」
えっ?
千賀さんは、さらっと流した。──奇跡?
などと考えていたら、少し事情が違った。
「あたしさ。今、柊のこと、興味あるんだよね。だからって、他の女子から独占しようとまでは思わないんだけどさ」
それはもう堂々と言い切りやがったよ。こっちが照れるっつーの。
「ふーん」
楠田さんは、千賀さんの話の意図が見えず、続きを待つ様子。
「でもさ。もし、楠田さんも、柊に興味があるんだったら。出来れば、手札を隠さずフェアに勝負して欲しいんだよね」
「!?」
楠田さんは驚きを隠せずにいた。俺だってそうだ。多分、顔に出てるだろう。千賀さんが言わんとするところに驚いて。
いや、彼女がどこまでそれに見当をつけているのかは判らない。単に、俺の話から『見かけよりも軽い』という一点だけを指しての発言かもしれないのだ。だが、偶然にしては出来すぎな気がした。
楠田さんを見ると、彼女と目が合う。
「あー、やっぱりねぇ」
ぎくっ。
何を言い出すかと思って待っていると。
「やっぱり楠田さんも、柊に興味あるんだ」
思わずずっこけそうになった。千賀さんは『手札を隠さず』の方じゃなく、『俺に興味がある』方に楠田さんが反応したと思ったのか。
楠田さんは、腕を組んでう~んと悩む。
ここでどう答えるべきか、思案しているのだろう。
「……まぁ、少しだけ、ね……」
彼女は千賀さんの勘違いに乗ることにした様子。だけど、それって……深みに嵌るんじゃないのか?
「うへぇ、ライバル出現かぁ。楽し~」
なんでこいつは……。
「なんだよ、嬉しくないのかよ?」
こいつ、能天気病でも患ってるのかと思ってしまう。
「いや、もちろん嬉しいさ……」
顔を引きつらせながら、力なく肯定するしかなかった。
「じゃあさ。今度みんなで遊びにいこうぜ!」
千賀さんが遅めの部活に出て行って。
教室には俺と楠田さんだけが取り残された。
「ごめん」
思わず土下座してしまう。
よくよく考えて見れば。素直に楠田さんが倒れたことがあって、そのとき俺がそれを介抱したんだと言うだけで済んだ話なのだ。なのに、千賀さんの追及に焦って楠田さんの秘密と繋げて考えてしまって。無駄に動揺して、無駄に千賀さんの興味を惹いてしまった。
楠田さんは暫く無言だったが、やがてため息を吐いた。
「もう、しょうがないよ。水泳サボるのにも限界きてたし」
彼女は俺の腕を掴むと、立つように促した。
「だけど、まさかこんな形で仮面を剥がされそうになるとは思わなかったわ」
「……すまん」
謝るほかなかった。間抜け過ぎるだろう俺。
「とは言っても。いきなり素顔を晒すのはあんまりだよね」
楠田さんは自嘲気味に呟く。
「せめて、夏休み明けにイメチェンって感じでいこうかと思ってたんだ。よくあるでしょ? 夏休み明けたら別人みたいに、ってやつ」
漫画とかで見ることはあるが、現実でそんなのに遭遇したこと無いけどな。
「……だってさ。見かけを偽ってた、なんて。みんなの心象良くないよね。特に、私の場合は傲慢な理由だし」
傲慢な理由。例えば、美人過ぎてモテてこまるからモテないように隠してた、とか。それこそ漫画でしか見ないよ。だけど、こいつの場合は本当なんだろうな。メイクで隠していても、基の造りが良いのは判るし。
「隠したい理由があるんだろう? なら仕方ないさ。それに、偽ったまま仲良くしてくれ、なんてやってた訳じゃないんだし」
過去に、嫌な体験でもあるのだろう。見栄えを悪くするくらいだから、男関係か。ストーカー被害とか、その類の。
「俺だって、理由はまったく別だが、目立たないようにしてたんだし。そのせいで、今でもクラスメイトの殆どとはろくに話したことも無いし。だけどさ、そんなの気にしないやつもいるから」
それは、楠田さんの場合でも同様に考えていいと思った。
「柊君とは状況が違う気もするけど……。悩んでも仕方ないかな。とりあえず、夏休みまではこのままで行くけど。柊君も、さっきのこと悪いと思っているんだったら、私の夏休みデビューに協力してね」
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