ある理論の敗北   作:rairaibou

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ある理論の敗北

 世界的に名の知れた数学者のエフはとある石橋の真ん中で手すりに背もたれながら、そこから見える景色をぼんやりと眺める。だがエフの頭の中ではる一般人には到底理解できない数式が組みあがっては消え、消えては組みあがっていた。
 時折下を向き、石畳を見つめる、それはエフなりの休憩であった。
 ちょうどその休憩を見計らったかのように、エフの良く知った声が聞こえた。
「これはこれは、エフではないですか」
 顔を向けると、そこには彼の友人であり、同時に世界的に有名な科学者であるアイが居た。
「アイか、君もこっちに来たのだね」
 アイはエフの問いに軽く頷くとエフの隣に移動し、彼と同じように手すりに背もたれた。
「あぁ、つい先ほどね。どうかね? 答えは出たかい?」
 答え、という単語に対してエフは深いため息をついた。
 そして声のトーンを低くし、言う。
「私を含め多くの数学者はもう何十年もこの問題と対峙して来た、私のようにこの石橋に対するありとあらゆる数字を完璧に記憶してしまっている者だって居る、それが何を意味するか分かるかい? 一日二十四時間、この橋の計算ばかりしているのさ、それでも答えは出ない」
 そう言って再び景色をぼんやりと眺め始めようとしたエフをアイが慌てて止める、一度計算を始めてしまえば答えを出すか答えに詰まるかしなければエフは回りの話など聞こえなくなるのだ。
「それは私も同じだ、多くの科学者がこの橋に興味を持っている。石の材質、岸の土質、緯度、水質、過去に起こった地震の回数や規模、ありとあらゆる可能性を信じ、時には君を含める世界中のありとあらゆる数学者と協力し、ありとあらゆる仮説を立てた、だがそれのどれを実行しようとも」
「あぁ、この橋は作り得ない、人が渡れる訳がない」
 エフはそう言った後憎憎しげに石畳を踏みつける。
 長さは僅か五メートルほど、微妙にアーチ上のこの石橋は、およそ二百年前に作られたものだ。
 それ以来、多くの人間がその橋を利用し、その橋は壊れることなく人を渡し続けた。
 何年か前にこの国が戦争を初め、この橋の付近には多くに爆弾が落とされた。それでもこの橋はビクともせず、時には兵隊を、時には救援物資を渡し続けた。
 戦争が終わり、平和の象徴としてその橋を何らかの記念にしようと、そしてついでにこの石橋は何故これまでに頑丈なのかを調べようと、数学者による測量が行われた、その結果、得られた結論は。『理論上、この橋は存在しない』と言う事。
 一見何ともないように見えるこの橋の構造は、理論上不可能なものだったのである。
 事実、この橋と全く同じ形をした橋は存在しない。どのように作ってもアーチを維持するだけで精一杯で、人が渡ろうものならばたちまち壊れてしまうのだ。
 それ以来、ありとあらゆる数学者、科学者がこの橋を訪れた、勿論観光などではない、この橋の存在を理論的に証明するためだ。エフとアイもそれらの一人である。
 だが、誰一人としてこの橋の存在を理論的に説明することは出来なかったのである。
「数式と科学は、ありとあらゆる物事を理論的に証明して見せた」
 興奮した様子のエフにアイも続く。
「そうとも、黒死病の正体だって、飛行機が飛ぶ理由だって、クマバチの飛行方法だって、フェルマーの最終定理もすでにゴールに近い」
「そう、それだから私は悔しい、このままでは死んでも死に切れない、これでは数式と科学の敗北だ、くそっ! この橋さえ崩れれば」
 大人気なく足を踏み鳴らすエフをアイが静止する。
「まぁまぁ落ち着け、暇つぶしが出来ていいじゃないか、しかもこの暇つぶしは他のどんな暇つぶしよりもやりがいがあるぞ、もしかしたら我々が最も早くこの秘密を解明できるかもしれん」
 そう聞いて、エフは少し落ち着いたが、それも少しの間だけで、今度は絶望したように言った。
「それだけじゃ無い、もしこの橋の理屈を証明できたとしても、今度は私達自身の存在を理論的に証明しなくてはならない、数式と科学とは対極の存在にある私達を」
 エフは透けて向こう側が見えているアイを指差し、次に同じように透けて向こう側が見える自分を指差して言った。
 アイは何だそんなこと、と笑い飛ばすととても楽しそうに言いはなつ。
「死後の暇つぶしが二つもあるとは中々贅沢じゃ無いですか、それに私は君さえ居れば退屈することは無い、案外橋の問題は早く解決するかもしれませんね。それに安心してください、これは憶測の話ですが、橋の問題さえ解決すれば私達の存在はなくなるでしょう、つまりは成仏ですね。何と言っても、わざわざこの場所の自縛霊になったのですから。私も君も、つくづく好き者だ」



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