お金、家族。
失うものはなにもないと、何でもできるようになる。
その理由はこちら。
- 失敗が怖くなくなるから
- かっこ悪いと感じなくなるから
たとえば現在とても経済的に恵まれている状態だとして、何かの手違いでその生活を一瞬にして奪われるとなれば、それを避けるために何かしらの行動(回避行動)をとるわけです。
動物にも同じことがいえますが、人間にも自分の危機を避ける性質があります。
また不快だと感じることをなるべく避けようとする思考になっています。
だとえば僕が経営者だった頃だと、事業が失敗したら笑われる、バカにされる、だから会社を失いたくない、失敗して後ろ指をさされたくない、などなど、そういった危機を回避するために、不快を回避するために行動していたことがありました。
もちろん企業理念みたいなものがあったり、社会貢献をするためになど、もっともらしいというか、理想とか理念みたいものもありました。
しかし心の根っこにあるのは、失敗することへの恐怖心でした。
失うものはなにもないと、何でもできる理由
嫌われたくない、笑われたくない、失いたくない。
普段生活をしていると、こう感じることがあるはずです。
でもこれって当然のことであり、僕も失いたくないものがたくさんあります。
家族、お金、親友、サンドアート技術、評価などなど、挙げればキリがありませんが、経済的に安定してくると、攻めよりも守りに入ってしまうのは仕方がないことです。
ただ僕が過去に経験したことは、「失うものはなにもない状態だと、何でもできるようになる」ことです。
そのことについて詳しく書いていきます。
失敗が怖くなくなるから
事業が失敗したとき、僕に残ったのは借金と虚無感だけが残りました。
だけど、よほどのヤバい金融からお金を借りていないかぎり、命まで取られることはありません。
いっぱい借金をしていた僕が今でもこうして生きているのが、その証拠です。
ただ僕は自分で借りたお金だから、返したかった。
もう一度、違う形でもいいから復活したかった。
だから当時はがむしゃらに働きました。
借金している状態でそこまで精力的に働けるのは凄いなあ。
昨日、ブコメでこう書いてくれた方がいらしゃいました。
たしかに、借金の重圧と目の前に広がった虚無感のなかで働くことはとても精神的にキツイことでした。
何度も死のうと考えたこともありましたし、途中で働くことが嫌になることがありました。
借金を返したい。
ただそれだけだったら、僕はきっと途中で諦めていたと思います。
もう一度、違う形でもいいから復活したい。
この気持ちが心のなかに残っていたから、現在の僕があるのです。
だからかもしれませんが、人から「あいつ失敗してやんの」と笑われても、「お前とは関わりあいたくない」と罵倒されても、とにかく心の根っこでは「もう一度、違う形でもいいから復活したい」と強く願っていたからこそ、プライドを捨て、がむしゃらに生きてこれたのだと思います。
少し話はそれますが、何かにチャレンジしたくても、それを諦めてしまう人がいます。
人それぞれいろんな理由があると思いますが、心のブレーキをかけてしまっている人に共通しているのは、「失ったら怖いな」とか「失敗して笑われるのが嫌だな」などといった気持ちが先行してしまい、どうしても二の足を踏んでしまうことです。
でもですよ、もしも明日自分が死ぬかもしれないと考えたとき、死ぬ間際に「あぁ、これやっとけばよかった!」と後悔することが一つでもあるのなら、四の五の言わずにやっちゃうべきです。
やりたいことが大きければ大きいほど、リスクも大きくなってきます。
事業だとお金がそれに当てはまるでしょうし、サラリーマンだったら会社に副業がバレるとかいろいろあると思います。
はっきりいって、リスクなんてないほうがいいに決まっています。
でも、リスクは必ず背後霊のようにあなたにも僕にもついて回ります。
だからこそ、ここはリスクは付き物だと思って開き直ってしまうのです。
笑われてもいい、失敗してもいい、カッコ悪くてもいい、自分の好きなことを、なりたいもので生きていこう、と。
そう思考を変えることで、心のブレーキが外れ、いろんなことにチャレンジできるようになります。
かっこ悪いと感じなくなる
すべての人とはいわないけど、人ってどうしても他人にたいして自分をカッコよくみせてしまう。
そういったプライドがあるのもいいとは思うけど、背水の陣で臨んでいる人であればそんなプライドなど捨てて、笑われてもいいからがむしゃらにやるべきことを、取り組むべきことを優先すべきです。
あるときこんなことがありました。
僕が会社も家族もお金もすべて失い、だけど生きていくために働かなくてはならなかったとき、街中でとても汚れる仕事をしていたときのことです。
過去に付き合いのある人と街中でバッタリ会い、「ずいぶんと落ちぶれたなお前」「ほらみろ、だからやめれと言ったんだ」と言われたとき、僕はとても悔しい思いをしました。
本当はこんな汚れた姿などみられたくはなかった。
笑われるのが怖かった、馬鹿にされたくはなかった。
だけど現状を受け入れるしかありませんでした。
だって、これが当時、現在の姿だから。
このことがあり、こんな悔しい思いをするくらいなら、もういっそのことカッコ悪い自分になってしまおうと考え方を変えました。
カッコつけるのは成功してからでもできちゃう。
今はとにかく這い上がらなきゃ、と。
ちっぽけなプライドが邪魔をして心にダメージをくらうくらいなら、いっそのことカッコ悪い男になればいいだけのことなんです。
でもこれがなかなかできなかった。
どうしても過去の自分のイメージを払拭できなくて。
現在何かのことで背水の陣で臨んでいる人で、どうしてもプライドが邪魔をして前に進めない人に伝えたいのは、最初から見栄をはるようなプライドを持つことはせず、現状のままの「カッコ悪い自分」を受け入れてみること。
そうしたら心がずいぶんと楽になる。
他人から罵倒されようが、馬鹿にされようが、笑われようが、「そうだね、オレはカッコ悪い男だから」と先に自分で認めてしまえばいい。
カッコつけること、見栄をはることなど後からでもできるから大丈夫。
とにかく、這い上がることだけを考えること。
個人事業主になる決断
僕は39歳のときに、独学でサンドアートをはじめました。
これを早いととらえるか、遅いととらえるかはその人の判断にもよりますが、何かにチャレンジするのに年齢は関係ありません。
現在はこのブログでも報告をしているように、新聞やテレビ出演を通じて少しずつですが「サンドアートをやる人(オッサン)」として存在が周知されてきました。
またブライダル関連の映像制作やサンドアート公演のご依頼があったりと、収入が増えたこともあり、個人事業主として税務所にも登録してきました。
僕のなかで失いたくないものがどんどん増えていきます。
しかし、それに執着するがゆえに「失いたくない」と自分のなかに境界線を引いてしまうより、「また一つ大切なものが増えたな」と思考を切り替えることで、「後悔しないためにも、もっと大切なものを増やしていこう」と思えるようになりました。
簡単なようで簡単ではありませんが(僕もいろいろ泣いてきましたが)、心の持ち方一つで、人は変われることもあるのです。
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