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【首都スポ】

東京五輪目指す自転車の近谷涼 トラック団体追い抜きの第一人者

2016年8月29日 紙面から

オフィスに勤務しながら東京五輪を目指す、自転車トラック競技団体追い抜きの近谷涼=東京都新宿区の三和シャッター工業本社で(斉藤直己撮影)

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 24歳が、西新宿の高層ビル街に勤務しながら東京五輪を目指している。自転車トラック競技の五輪種目、団体追い抜きの第一人者で、三和シヤッター工業に勤務する近谷涼(24)=マトリックスパワータグ=だ。今年、団体追い抜きと個人追い抜きで、相次いで日本記録を樹立。日本代表チームのキーパーソンとして4年先を見据える。 (藤本敏和)

 長身をスーツに包んで西新宿の高層ビル街に通勤する青年が、2つの日本記録を持っていることに気付く人は少ないだろう。三和シヤッターに勤務して2年目の近谷涼。2020年の東京五輪をはっきりと見据え、トラック競技に取り組む自転車トラック競技の国内トップ選手だ。

 「毎月1週間は代表の合宿がありますし、あとは試合や国体の合宿などもあり、出社できるのは月に1週間ぐらいなのですが…。社内報の作成など自分が担当している仕事は少しだけ慣れてきました」

 生粋のトラックレーサーだ。はじめてスポーツ車に乗ったのは中学2年、実家に近い富山競輪場だった。「自転車に乗るのがとにかく好きで。中学2年生のときに愛好会の案内を見て、自分で連絡をしてバンクでの走行会に参加しました」という。競技の最初からトラック用のピスト自転車に乗っていたというのは、ロードレーサーやマウンテンバイクから入る者がほとんどな自転車界では異色の経歴だ。

 氷見高を経て、日大へ進学。2012年まで全日本大学対抗選手権(インカレ)を30連覇した名門だが、それだけに部にはインカレこそが至上目標だという空気が強い。多くの部員が4年生までに何もかも出し尽くして競技からも引退する。

 大学3年で強化指定選手に選ばれ、日本代表の一員として走りはじめていた近谷も同じだった。「大学4年になるころには燃え尽きに近いところまで来ていて、もう自転車はいいかなという思いにもなっていました」と振り返る。

 意識を変えたのは東京五輪の存在だった。「代表チーム内で『東京五輪』という目標が固まり、目指しはじめたことで自分も東京五輪を強く意識するようになりました。自分が(選手としてピークの)28歳のときに日本で五輪があるのも巡り合わせだと思い、4年の夏には、2020年までのあと6年頑張ってみようという思いになっていました」。近谷は、東京五輪があるからこそ自転車に乗り続けている選手なのだ。

 同時期にトップアスリートの就職を支援する「アスナビ」を利用して三和シヤッターへ就職が決定。その後の伸びは目覚ましかった。3年生までは2位、3位が多く表彰台の頂点を逃してきたが、2014年は全日本大学選手権の個人追い抜きでついに優勝。同時期に日本代表チームの団体追い抜きメンバーにも定着し、15年のアジア選手権同種目で準優勝。今年1月のアジア選手権の同種目(窪木一茂、一丸尚伍、近谷、原田裕成)ではついに4分3秒819の日本新記録を作る。4月の日本選手権では個人追い抜きでも4分26秒116の日本新記録を打ち立て名実ともに日本を代表する中距離選手となった。

 五輪のトラック中距離には個人競技のオムニアムという種目もある。だが、近谷は団体追い抜きにこだわっている。「4人で協力して走るからこその喜びもありますし、追い抜きは高校のころから専門でやってきて思い入れも強いです。自分がチームの中でも引っ張る役割を担っていきたいと思っています」。24歳は、西新宿に通勤しながら東京五輪へと突っ走っている。 (藤本敏和)

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