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【千葉】

関東大震災直後の朝鮮人ら虐殺 船橋、八千代で慰霊祭

朝鮮人虐殺について「負の歴史を明らかにしたい」と話す平形千恵子さん=船橋市営馬込霊園の慰霊碑前で

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 1923(大正12)年9月1日の関東大震災直後の混乱期、県内でも現在の船橋市や八千代市などで、多くの朝鮮人が軍や自警団に虐殺された。長年、調査を続けてきた「千葉県における関東大震災朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」のメンバーで元高校教師の平形千恵子さん(75)は「地域の負の歴史を明らかにし、犠牲者を供養することが大切」と訴える。船橋市では1日、八千代市で4日に虐殺された朝鮮人の追悼慰霊祭が行われる。 (村上豊)

 関東大震災では地震直後から、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こしている」といったデマが東京周辺で広がり、住民が作った自警団などに朝鮮人や社会主義者らが殺害された。軍や警察が関わったケースもあり、犠牲者は数千〜六千人に上ったとも言われている。

 実地調査に加え、被害者の遺骨の発掘や慰霊碑建立などの活動をしてきた調査実行委によると、県内でも軍や自警団により船橋や八千代、市川、習志野、浦安市などで三百数十人が殺害されたという。

 船橋市では当時、北総鉄道(現東武野田線)の建設工事で多くの朝鮮人が働いており、現場の宿泊施設で寝泊まりしていた。震災後の混乱を避けるためなどとして、軍の施設や警察に連れて行かれる途中、自警団に殺害されたという。

 船橋の小学校であった爆弾騒ぎ(実際は焦げた砲丸の模型)を巡っては、「朝鮮人が爆弾を持っていた」と周辺にデマが流れた。また、軍の通信施設が朝鮮人に来襲されるとのデマが伝わったとされる。

 八千代市では震災後、近くにあった軍の収容所に東京から逃れてきた朝鮮人が保護されていた。周辺の村落に引き渡された後に、同様の被害に遭ったという。

 朝鮮人虐殺を巡っては公的な記録がほとんど残っておらず、風化を懸念する声もある。

 平形さんは「記録がないため、犠牲者の人数や名前が分からない」と調査の困難さを明かした上で、「軍や警察の関与があったかが明らかにされておらず、政府の責任などを含め、問題は解決していない」と指摘している。

 追悼慰霊祭は一日午前十一時半から、船橋市の市営馬込霊園内の慰霊碑前で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県西部支部の主催で行われ、八千代市高津の観音寺では四日午後二時から、寺と高津区特別委員会、調査実行委の共同で営まれる。

 

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