皆さん、ご存知でしょうか?
子どもの貧困を特集したNHKの報道番組に、批判の声が集中しています。
「子どもの貧困」の例として登場した高校生が貧困とは程遠い生活をしていたことが、指摘されているようです。どうもNHK側のやらせなのか、この女子高生がウソをついていたのかはわかりませんが、とにかくテレビ上で「1000円のキーボードを買ってもらって努力しましたが…」なんて悲しそうに話していた女子高生は、自らのツイッターでアニメグッズなどを買いあさって散財していたことを自慢気に話していたのでした。
私は、実はこの特集をリアルタイムで見ていました。
で、今ネットなどで言われている視点とは全く「違う視点」で、違和感を感じていた人間なのです。
う~ん…このNHKの制作者の視点って…あまりにも子供じみているというか、言いたいことは2点あります。
■努力した分評価される社会なんてあるわけないだろ
私が違和感を感じたのは…この女子高生が特集の最後に言う言葉なんですけれど
「努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです」
と話していた点なんです。
甘えるのも大概にしてほしいのですが、人間は生まれながらに「不平等」です。人間は単体でそれぞれが違います。能力の高い人間がいますし、能力の低い人間がいます。アホみたいに何でもそろっている人間もいますし、生まれながらにして何にも出来ない人間もいます。
だからいいのです。それが社会なのです。
努力した分評価して欲しい?
幼稚園児か。
高校生くらいになれば、ちょっと意見は変わらないかなぁ…。ちょっとあまりにも痛いというか、高校生がこんな子供みたいなことを言って、それを垂れ流しにしているNHKってどうなんだろうか、と。むしろそちらの方に気を取られてしまったのです。
あの発言って…特集の〆にもってくるレベルの話か?どんな青臭いディレクターの作品なんだか…。
社会は厳しいです。世界は残酷です。そんなこと、高校生にもなれば、誰でも知ってる話です。
福山雅治はほっといてもモテるんです。な~んにもしなくてもモテるんです。あれだけカッコよくてあれだけ喋りも出来てモテない訳ないでしょうが。私が1万年努力したって福山になんて慣れないんです。
イチローは野球が上手いです。
私が「野球選手になりたいな~」って思って、本当にイチロー選手と同じだけ努力しても絶対にアメリカで3000本安打なんて打てません。打てないんです。才能がないから。生まれつき、私はイチロー選手とは違うからです。
努力した分評価される社会になって欲しい?
本籍地をお花畑・ユートピア・タンポポ畑に移した方がいいんじゃないでしょうか?そんな世界あるなら私だって行きたいよ。
そんな訳ないでしょうが。努力なんて、どれだけしても結果は1~2割しか変わらない、と主張する学者さんもいます。それ、あながち間違っているとも思えません。そんなもんだと思います。
私が、企業ファーストじゃなく、ビジネスファーストじゃなく、まずは「家族」を大事にしましょう、まずは「子供たちを大事にしましょう」って言い続けているのは、どんな人にも、子供たちは微笑んでくれることが多いからです。
社会的な評価は「社会に対して貢献できた分」しか評価されません。社会は人が人を評価するので、とても残酷なものです。あの特集に出ていた女子高生も、青臭い特集を恥ずかしげもなく組んでいたNHKの高給取りのディレクターもよく聞きなさい。
努力した分「評価される」社会なんてものは存在しません。
社会に対して与えた「結果」に対して「評価」はされるのです。才能ない人間は死ぬまで頑張っても評価なんてものはされません。きついこと言ってますが事実です。忘れないでください。
そして、その「残酷な現実」を受け入れた上で、もっと人間として大切な、もっと根本的な部分に力を注いだ方が絶対に幸せになれる確率は高いと私は思っています。何人にもモテなくていいから、一人でいいから、大切に思える人を見つける。そして、出来れば、その人と子供を持つ。会社でゴマすりだけが上手い、政治力の高い同僚と競ってて、あなた、幸せですか?子供たちと一緒に夕食食べてる方が1億倍は幸せよ?
■勝手に「貧困」をマイナスポイントと決めつけるNHK特集の傲慢な姿勢
そして、NHKの特集で絶望的にわかっていない…最もイタいのが「貧困」という「状況」を…勝手にマイナスポイントと決めつけ、それを憐れみ、それを「可哀想ですねぇぇぇぇぇぇ」と言ってる自分たちに酔っている点です。
自分たち、優しいでしょぉぉぉぉぉ?と。
気持ち悪いわー。
私、こういうの、大嫌いです。いいよねNHKさん。あなた方、高給取りで。
ええとですね、私の身の上話を少ししますと、私の家庭は少なくとも「お金のある家庭」ではありませんでした。素晴らしい両親でしたが、特に父親は出世よりも家族と一緒にいることを望んで、あの高度経済成長期に会社とケンカしてでも出来るだけ定時に帰ってきてくれる父でしたので、親と一緒にいる時間は長かったですが少なくともお金はありませんでした。
中学2年生の時、毎月のお小遣いが500円でした。テニス部だった私はもう少しだけ欲しいと訴えかけ、毎月の小遣いが2000円もらえるようになった時は本当に潤ったものでした。
家の炊飯器は、先日ついに買い換えましたが、それまで、その炊飯器は40年間使われていました。ガスのやつね。若い人たち、誰も知らないタイプのやつね。
あのですね、高給取りのNHKクンたち、よく聞け。
お金がなくてかわいそう?
アホか。
お金がないのは「お金がない」という「特徴」でしかないのです。私は確かにクラスの同級生の友人のようにファミコンのソフトはほとんど買えなかったですが、家の近くにある山に行けば、たくさんの木が落ちていました。その木の枝を使って、組み替えてテントのような家を作り、秘密基地を作って遊ぶのは…言っときますけど、ファミコンなんかよりもずっと面白いからね?
木の枝の上の方にビニールテープを木の枝を括り付けて放り投げるのです。で、テープを通して、ターザンブランコを作るのです。ワイワイ遊んでいると、木の枝が折れるんだ、これが。下に落ちてね~流血ですよ。ま…
唾つけて治しましたけどね。
あのね、お金がないっていう状況は「そこから這い上がる力を身に着けられる絶好のチャンス」なのです。そして、それらの力は受験勉強などよりもよほど社会に出たときに力になります。
お金が「たくさんある」と絶対にそれらを乗り越えるチャンスを得られないのです。だってお金があるから。だって物があるから。物もチャンスもないからこそ「自分で作り上げられる」のです。お金持ちさんには、それらのチャンスは絶対に得られないのです。
あの特集を作って満足している視野の狭いNHK君、よく覚えておけ。
お金がある人は「お金のかかるいろんな経験」を出来ます。
しかし、お金のない人は逆に「お金がないからこそできる様々な経験」を出来るのです。
それらは単なる特徴であって、栄養失調になったりするレベルだとそれは問題ですが、貧困な生活であれば、それはそんな恵まれた環境は、私はないと思っています。
金持ちクンたちには絶対に得られない打たれ強さを鍛えるためには、金なんてない方がいいくらいです。NHKクン、正直に言えよ。
金のない人間をバカにして楽しいんだろ?
金のない人間を憐れんでいる自分が大好きなだけだろ?
金がない状況にあるすべての人々にこのコラムを届けたい。
君らは「素晴らしい恵まれた環境」にあります。大丈夫。君らは大人になった時に、負けない力を得るチャンスを得たのです。
貧乏人をあざ笑っている中身スカスカの金持ちボンやお嬢ちゃんに負けるな!
応援しています!!
子どもの貧困を特集したNHKの報道番組に、批判の声が集中しています。
「子どもの貧困」の例として登場した高校生が貧困とは程遠い生活をしていたことが、指摘されているようです。どうもNHK側のやらせなのか、この女子高生がウソをついていたのかはわかりませんが、とにかくテレビ上で「1000円のキーボードを買ってもらって努力しましたが…」なんて悲しそうに話していた女子高生は、自らのツイッターでアニメグッズなどを買いあさって散財していたことを自慢気に話していたのでした。
私は、実はこの特集をリアルタイムで見ていました。
で、今ネットなどで言われている視点とは全く「違う視点」で、違和感を感じていた人間なのです。
う~ん…このNHKの制作者の視点って…あまりにも子供じみているというか、言いたいことは2点あります。
■努力した分評価される社会なんてあるわけないだろ
私が違和感を感じたのは…この女子高生が特集の最後に言う言葉なんですけれど
「努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです」
と話していた点なんです。
甘えるのも大概にしてほしいのですが、人間は生まれながらに「不平等」です。人間は単体でそれぞれが違います。能力の高い人間がいますし、能力の低い人間がいます。アホみたいに何でもそろっている人間もいますし、生まれながらにして何にも出来ない人間もいます。
だからいいのです。それが社会なのです。
努力した分評価して欲しい?
幼稚園児か。
高校生くらいになれば、ちょっと意見は変わらないかなぁ…。ちょっとあまりにも痛いというか、高校生がこんな子供みたいなことを言って、それを垂れ流しにしているNHKってどうなんだろうか、と。むしろそちらの方に気を取られてしまったのです。
あの発言って…特集の〆にもってくるレベルの話か?どんな青臭いディレクターの作品なんだか…。
社会は厳しいです。世界は残酷です。そんなこと、高校生にもなれば、誰でも知ってる話です。
福山雅治はほっといてもモテるんです。な~んにもしなくてもモテるんです。あれだけカッコよくてあれだけ喋りも出来てモテない訳ないでしょうが。私が1万年努力したって福山になんて慣れないんです。
イチローは野球が上手いです。
私が「野球選手になりたいな~」って思って、本当にイチロー選手と同じだけ努力しても絶対にアメリカで3000本安打なんて打てません。打てないんです。才能がないから。生まれつき、私はイチロー選手とは違うからです。
努力した分評価される社会になって欲しい?
本籍地をお花畑・ユートピア・タンポポ畑に移した方がいいんじゃないでしょうか?そんな世界あるなら私だって行きたいよ。
そんな訳ないでしょうが。努力なんて、どれだけしても結果は1~2割しか変わらない、と主張する学者さんもいます。それ、あながち間違っているとも思えません。そんなもんだと思います。
私が、企業ファーストじゃなく、ビジネスファーストじゃなく、まずは「家族」を大事にしましょう、まずは「子供たちを大事にしましょう」って言い続けているのは、どんな人にも、子供たちは微笑んでくれることが多いからです。
社会的な評価は「社会に対して貢献できた分」しか評価されません。社会は人が人を評価するので、とても残酷なものです。あの特集に出ていた女子高生も、青臭い特集を恥ずかしげもなく組んでいたNHKの高給取りのディレクターもよく聞きなさい。
努力した分「評価される」社会なんてものは存在しません。
社会に対して与えた「結果」に対して「評価」はされるのです。才能ない人間は死ぬまで頑張っても評価なんてものはされません。きついこと言ってますが事実です。忘れないでください。
そして、その「残酷な現実」を受け入れた上で、もっと人間として大切な、もっと根本的な部分に力を注いだ方が絶対に幸せになれる確率は高いと私は思っています。何人にもモテなくていいから、一人でいいから、大切に思える人を見つける。そして、出来れば、その人と子供を持つ。会社でゴマすりだけが上手い、政治力の高い同僚と競ってて、あなた、幸せですか?子供たちと一緒に夕食食べてる方が1億倍は幸せよ?
■勝手に「貧困」をマイナスポイントと決めつけるNHK特集の傲慢な姿勢
そして、NHKの特集で絶望的にわかっていない…最もイタいのが「貧困」という「状況」を…勝手にマイナスポイントと決めつけ、それを憐れみ、それを「可哀想ですねぇぇぇぇぇぇ」と言ってる自分たちに酔っている点です。
自分たち、優しいでしょぉぉぉぉぉ?と。
気持ち悪いわー。
私、こういうの、大嫌いです。いいよねNHKさん。あなた方、高給取りで。
ええとですね、私の身の上話を少ししますと、私の家庭は少なくとも「お金のある家庭」ではありませんでした。素晴らしい両親でしたが、特に父親は出世よりも家族と一緒にいることを望んで、あの高度経済成長期に会社とケンカしてでも出来るだけ定時に帰ってきてくれる父でしたので、親と一緒にいる時間は長かったですが少なくともお金はありませんでした。
中学2年生の時、毎月のお小遣いが500円でした。テニス部だった私はもう少しだけ欲しいと訴えかけ、毎月の小遣いが2000円もらえるようになった時は本当に潤ったものでした。
家の炊飯器は、先日ついに買い換えましたが、それまで、その炊飯器は40年間使われていました。ガスのやつね。若い人たち、誰も知らないタイプのやつね。
あのですね、高給取りのNHKクンたち、よく聞け。
お金がなくてかわいそう?
アホか。
お金がないのは「お金がない」という「特徴」でしかないのです。私は確かにクラスの同級生の友人のようにファミコンのソフトはほとんど買えなかったですが、家の近くにある山に行けば、たくさんの木が落ちていました。その木の枝を使って、組み替えてテントのような家を作り、秘密基地を作って遊ぶのは…言っときますけど、ファミコンなんかよりもずっと面白いからね?
木の枝の上の方にビニールテープを木の枝を括り付けて放り投げるのです。で、テープを通して、ターザンブランコを作るのです。ワイワイ遊んでいると、木の枝が折れるんだ、これが。下に落ちてね~流血ですよ。ま…
唾つけて治しましたけどね。
あのね、お金がないっていう状況は「そこから這い上がる力を身に着けられる絶好のチャンス」なのです。そして、それらの力は受験勉強などよりもよほど社会に出たときに力になります。
お金が「たくさんある」と絶対にそれらを乗り越えるチャンスを得られないのです。だってお金があるから。だって物があるから。物もチャンスもないからこそ「自分で作り上げられる」のです。お金持ちさんには、それらのチャンスは絶対に得られないのです。
あの特集を作って満足している視野の狭いNHK君、よく覚えておけ。
お金がある人は「お金のかかるいろんな経験」を出来ます。
しかし、お金のない人は逆に「お金がないからこそできる様々な経験」を出来るのです。
それらは単なる特徴であって、栄養失調になったりするレベルだとそれは問題ですが、貧困な生活であれば、それはそんな恵まれた環境は、私はないと思っています。
金持ちクンたちには絶対に得られない打たれ強さを鍛えるためには、金なんてない方がいいくらいです。NHKクン、正直に言えよ。
金のない人間をバカにして楽しいんだろ?
金のない人間を憐れんでいる自分が大好きなだけだろ?
金がない状況にあるすべての人々にこのコラムを届けたい。
君らは「素晴らしい恵まれた環境」にあります。大丈夫。君らは大人になった時に、負けない力を得るチャンスを得たのです。
貧乏人をあざ笑っている中身スカスカの金持ちボンやお嬢ちゃんに負けるな!
応援しています!!
コメント
コメント一覧
あるいは、進歩する方向にもっていかなきゃならない。
原始時代や発展途上国のようなような弱肉強食では困るんだよ。
努力したら報われるというルールがより一層社会を進歩させるんだよ。
>>努力した分評価される社会になって欲しい?本籍地をお花畑・ユートピア・タンポポ畑に移した方がいいんじゃないでしょうか?そんな世界あるなら私だって行きたいよ。
つまり、親がお金をなにに使うかという観念(優先順位)が大きく影響します。
なぜ子どもの成長を考えない?と思いますが、親のお金の使い方を変えることは非常に難しいです。
親が悪いと非難してもなにもはじまらないので、それでもできることのひとつが子ども食堂であり地域で育てる仕組みなのかなと思います。
貧しいから清貧で頑張るのが当たり前、贅沢はとんでもない、と前は思っていましたが、今は、こんなにどうしようもない環境で必死に生きている子どもたちには、誰よりも豊かで幸せになってほしいと考えています。本人たちがそう思えていないのが現状ですが。
金銭に加え、愛情や良識に恵まれない子どもたちに他人の私がなにができるのだろう。それでも過去も環境も変えられないから、強く生きてくしかない。迷いながらも、いつか最終的に納得して自立して生きることができて、過去を「チャンスだった」と捉えられる、そういう気持ちを持てるようにサポートしていきたいと思っています。
貧困について、10年あまりのボランティアで100人弱の子どもたちを見ての考えをお伝えしたいです。
まず、私自身は農家で裕福ではなかったですが貧しい思いをしたことがなく、ボランティアを始める前は「貧困でも心が前向きなら」と考えていました。
実際には、おっしゃるような「チャンス」にできたらどんなにいいか、、と思うことの連続です。
なぜなら、子どもの貧困は金銭的な問題の一方、保護者の愛情や良識が大きく関わってくるからです。
きっと長谷川さんの親御さんは子どもに成長してほしい、という気持ちを第一に持った方なのではと思います。
そういったご家庭の子どもはそこまで問題になりません。きっとそれをバネにできるでしょう。ぜひ活躍してほしい、と私も思います!
ただ、現在学習支援、生活支援をしている子どもたちはそうではないと感じます。
一例になりますが
①親は夜の仕事で収入がある→保護は貰えない→お酒、ゲーム、車にはお金使う、可愛い洋服も買う→公共料金払わない、子どものごはんは具なしの焼きそば、菓子パン、ゲームしてる、風呂入らない、洗濯しない、日中起きてない→子どもたちは栄養がない、臭い、学校行けない、居留守や嘘の中育つためそれが当たり前→人間関係形成も下手→家族や将来不安のため心が常に不安→頑張れない
②親の離婚、病気、軽度の虐待→服や携帯は買う、食事はコンビニ、子どもの塾や学校には払わない、テレビみて、ゲームして、カラオケにはいく→学費払えないと言われる、マクドナルドで一番安いメニュー食べる、勉強する気力が持てない→将来に希望が持てない→頑張れない
(身近にこんなに子がいると思いませんでした。どちらも、しばらく親子ともにサポートしてなんとか受験、就職となりました)
【つづく→】
皆に負けてたまるかと、這い上がるという強い精神力がつく場合もあります。
しかし、お金がない状況が続くというのは精神的に苦しく、お金がある人よりさまざまな選択肢が狭まると考えます。
過度の貧困は、人を強くする場合もある一方で、人の人格を歪めることもあると考えます。貧困生活が原因で傷つくこともあると思います。
人間は強いけど、脆い存在でもあると思います。
ですから、長谷川さんのように、貧困は必ずしもポジティブに考えられないと思います。
貧困独身OL。努力しても人生かわらないから、幸せのハードルさげて生きてます。今日はおにぎりに海苔まけた、とか。
兄も小学3年くらいで森にブランコとか作ってたり、捨てられたTVを拾ってきて分解して部品をゲットしたり、お風呂ブザーとかいろいろ作ってたな。
ガス釜のおこげ懐かしいです
りかちゃんもバービーちゃんも買ってもらえない自分は恵まれてないと思ってましたが、中学で親の看病でめったに学校に来ない友人がいて。一度家のそばを通りかかったら薄暗いビルの地下だというのです。たまにくるときもお弁当は当然自分で。でも、一度も貧乏だとか愚痴を言うことはなかった。高校も普通の高校には行けなかったが元気だった。普通の家に暮らせるのがいかに幸せなのか、そのとき初めて知ったものです。
下のほうの方
>貧困家庭は実際に存在してるのですから普通にそこを取材すれば良いものを
>なぜそうでない家庭を貧困家庭に仕立て上げて視聴者を欺こうとしたのですか?
これは、周囲のツテから探してきてるからだと思います。NHKの制作過程を見てる立場だったのですが、知り合いのアナから公的な仕事をしてくれたら番組で取り上げられるんだけどなーと言われてました。なお、あの手の番組を作る人は制作部のディレクターだけでなくアナウンサーなど様々なのですが、事前の企画取材段階が結構長くて(付箋をぺたぺたボードに貼ったりですね)その段階で上司のチェックがあるはずだし、同行したカメラマンから突っ込みはなかったのかとか、編集作業(たぶん1日以上はかかってる)で何も思わなかったのかとか、完プロで上司が立ち会うはずなのに突っ込みはなかったのかとか、いろいろ考えました。技術さんは立場上突っ込みはできないですね。自分ももしいたら黙ってるでしょう。なお、スタッフは結構な安月給です。
ハッとさせられたので載せさせてください。
NHK貧困女子高生問題で、「○○を買わなければ、進学できるはず」と、未成年のお金の使い方を叩く人々がいる。
だが、その苛烈さを、国のお金の使い方に向けたことがあるだろうか。
少女が食べた1000円のランチについて、「俺の方が貧しい」と競い合う人々。
あなたの貧しさは、「美しい国」が生み出したものかもしれないのに。 」
もっと取材すべき事があるのに、こうもズブズブの政局批判とかもう末期過ぎ。
これが地デジでNHKとして流れるとかヤバイにもほどがある。
この騒動を見て、何よりもNHKのヤバさに戦慄した。これを止める立場も大人も居なかったとかもうね。
長谷川さん読んでないかも知れませんが、
「どれだけしても結果は1~2割しか変わらない、と主張する学者さん」の
名前を教えて頂きたいです。その人の本を是非読んでみたい。
何故なら私は努力しても報われないと思っているからです。
みんな人間生まれつき才能と環境が決定していて、
自分がどんなに頑張ってもその決定したルートを変えることは出来ない、と。
そう思っていました。
ですが、努力で結果が1割も2割も変わるのであれば、それは大きな変化です。
2割の変化といったら、年収500万円が600万円になる可能性があり、
100メートル20秒の人が16秒で走れるようになるかも知れないのです。
これは・・・非常に大きな変化ですよね。
努力ってのは・・・報われるんですね。
ファンタジーのお話だと思ってました・・・
何か希望が持てました、ありがとう長谷川さん。
私がとても残念に思ったこと、それはやはりNHKの演出のことでした。
母子家庭で生活は苦しい。
だけど、こういうアニメや絵の趣味でそれなりにリア充生活。
貧乏だけど、それなりに楽しんでる。
お金を貯めていつかは夢をかなえたい。進学もしたい。
・・・そういう前向きな女子高校生の夢を応援する演出ならば、素晴らしい映像になったと思うのに。大変失礼ながら、ネット情報に接することのない年配の御老人たち向けのアピールだったかも知れませんが、終戦直後の本当の貧困を肌で体験している人たちからすれば「どこが貧乏やねん??」と不思議に感じられたのではないでしょうか。
学校にも行けてる。
きれいな制服を着ている。
とりあえず健康。
大人たちはああいう未成年を良い意味で後押ししてあげないといけないのではありませんか。あー貧困、かわいそうだね、このままだったら大学も行けないんだよね、国が悪いんだよね・・・そんなこと、何の解決にもならないと思います。
若者たちの未来をもっと信じてあげなくちゃね。
1999年台湾で震災があり
学生だった私はボランティアとして
倒壊した家屋の片付けといった作業をしていました。朝8時から夕方5時までの作業時間を過ぎた6時に来たNHKテレビクルーは、まだ倒壊していない家にロープを張らせて、夕食中の我々を集合させて無事に生き残った家一軒を倒壊させました。
我々への説明は自然に壊れる危険があるから、敢えて壊してしまう、、、という内容でした。
何故、時間外に? という思いで一軒の家を壊しました。
家が倒壊する画が取りたかったのでしょう、
帰国して家族が録画した映像は全くの別物。
NHKのやらせ映像には、我々もロープも写っておらず、まさに倒れる瞬間を撮影した決定的瞬間のような画でした。
いつも長谷川さんがおっしゃる度に
この事を思い出し、メディア報道とはどこまで真実なのかと考えさせられます。
本当の真実報道と、色褪せない定期的な報道を期待しています。
私の家のご飯もガス釜で炊かれていました。
家は築50年以上は経っている貸家で
毎月のお小遣いはもらえない程の生活でした。
周りから見ればお金がなくて
淋しい生活に見えたかもしれませんが、
それでも、お金や身なりでは測ることの出来ない、大切なものを学んできたと自負しています。
それは、必死に育ててくれた母親に依るところが大きいですが、そんな母親と合言葉のように交わしていたのが、「我が家は貧乏だけど、貧しくはない」という言葉でした。
心が貧しくなってしまったらそれこそ淋しい生活、人間だと思います。
長谷川さんの書かれた記事を読んで、そのように感じました。
いつも面白い記事をありがとうございます!
時には声を荒げて、時には罵倒して叩かないと伝わらない瞬間というのはあると思うのですが、なんというか今回はちょっとわざと悪態をついているようでガッカリしました。
芸人じゃないんだから、とりあえず強い口調で行けばPVが稼げる、みたいな。
そんな方向性にはなって欲しくありません。個人的なファンの気持ちとして。
女子高生を叩くとか大人げなさすぎるでしょう。
それこそいつも長谷川さんが叩いている存在に、あなた自身がなっているように思えて残念です。
YouTubeで拝見しました。
子どもの貧困 学生たちみずからが現状訴える
https://www.youtube.com/watch?v=kwoEjfpPnTY
私の第一印象は(おかしいなあ、専門学校にも
奨学金を出してくれる団体がある筈なのに
何故それについては触れないのだろう?
新聞配達と集金をしながら進学できる制度を
新聞社が提供している筈なのに、何故そこにも
触れないのだろう?」と感じました。
また、ツバル島の浸水というウソの情報で叩かれた時みたいに
NHKがやらかしてしまったのかな?と思いました。
そのモデルとなったうららさんも自分の家庭の窮状を訴えるよりも
生活保護を申請するとか、バイトで新聞配達をして生活費と
進学費用を稼ぐとか「知恵」が足らないと感じました。
やらかしてしまったNHKにも一つ大きな注文があります。
貧困問題を真剣に取り上げるのなら、まず「同情を買う」という
結論ありきでは視聴料を払っている顧客の国民が
納得しないと思います。
それよりも貧困を失くす為にはどうしたら良いのか?
生活保護の申請の仕方とか奨学金の様々な種類とか
高校生でも許されるアルバイトの種類とか
そのようなTV局員が学校で習った事がない
「知恵」について放送される方が高評価が
得られると思います。
わざわざ手間隙かけて捏造したのかを解説して頂けませんか?
貧困家庭は実際に存在してるのですから普通にそこを取材すれば良いものを
なぜそうでない家庭を貧困家庭に仕立て上げて視聴者を欺こうとしたのですか?
テレビ局には日本人視聴者に事実を伝えてはならない社内規則でもあるのですか?
それとも日本人視聴者に誤った情報を伝えることがテレビ局に勤める人の信念といか、
プライドなのですか?
今問題になっているのは政府による所得の再分配機能が失われているのことなのにそれを「打たれ強さを鍛える」とは?
筆者の意見こそ本質を完全に見失っていると言わざるを得ない。
それにしてもこの意見に同調するコメントが多い事が、はからずも日本で再分配が進まない現状を許容しているのだなと納得するが。
凡人はイチローになれないんだから、現実を受け入れて身の丈に合った幸せを探せというのは現実的で合理的な考え方ですが、そんなこと全国の甲子園を目指す高校球児の前で言ったらタコ殴りにあうでしょう。例えイチローになれなくとも、目指して積み上げた努力は、必ず人生の糧になると思います。
福山みたいにモテるとか、イチローみたいに3000本打つとかは結果です。結果を社会が評価してるのであって、努力そのものを評価してるのではないです。結果は社会が評価し、努力は自分自身で評価し人生の糧とすればよいのではないでしょうか。
私もリアルタイムでこの番組を観ていました。私も長谷川さんと同じで「やらせ」や「うそ」よりも根本的な問題があると思います。
長谷川さんの視点とは違うのですが・・。この番組に顔出しで出演なさった女子高生が、大人の視聴率取りなのか、子供の貧困問題を大きく取り上げるためだったのかはわかりませんが、利用され被害者になってしまったことです・・。
彼女、未成年ですよ。。「やらせ」だと言われてからの彼女の一斉叩きは、見ていて苦しいです。この番組を制作したのは、大人であるのに「NHK」とひとくくりにされて、個人攻撃はありません。しかし彼女は大人に利用されたにもかかわらず個人攻撃を受けているんですよ。まだ高校生の彼女がTVにでることが、世間にどれだけの影響をもたらすか・・理解できているとは思いません。制作側からどんな口説き文句を言われたのかはわかりませんが。
「NHK」はこれからの彼女の人生に責任が取れるのでしょうか?
私は、「NHK」が作り出し被害者になってしまった女子高生の彼女を救って欲しいと切に願います。
長谷川さんの視点は、それからの話であると思うのですが・・。
「努力すれば一流にはなれる。超一流になるにはその上に才能がないとだめだ。一流になれない奴は努力が足りない。」
…耳が痛いですナ
うららさんがスピーチをした「かながわ子どもの貧困対策会議」の出席者名簿に「戸田有紀(NHK報道局 遊軍プロジェクト 記者)」の名前がある。同会議では76億円規模の貧困対策予算の使い道を検討する。
のことですね。
貧困対策予算がどう使われるか注意しないといけませんね。
さらには「お金のない事よりも、心のの貧しさこそが問題だ」的な意見にも辟易します。それこそ、この女子高校生の台詞以上に脳内お花畑じゃないですか。そんな事が言えるのは、普通に生活ができる程度以上のお金がある人だけです。そうでなければ、本当にお金がない人が、本心ではなくとも、そうでも思ってなきゃやってられないと、無理矢理そう言っているくらいでしょう。
私は仕事柄、日々の資金繰りにも窮するような人たちと関わる事も多いのですが、最低限のお金すら無い状態というものは、綺麗事では済まされません。貧困は精神論ではなく命に関わる問題です。生活保護というセーフティネットもありますが、それを屈辱に感じて心中を図る人もいるのです。「お金が無いのは単なる特徴だ」などという無責任な言葉は発するべきではない。あまりにも無責任で、脳内お花畑です。
件の女子高校生が本当に貧困だったののかどうか知りませんし、ヤラセなのか誇張なのかも知りません。という観点で考えると、もしかしたら「努力が報われる社会云々」という台詞自体がヤラセや捏造かも知れませんよね。
それに一番言いたいのは、18歳から選挙権とは言っても、高校生なんてまだまだ子供です。この程度の理想なり希望なりを語ったからといって、叩く気にはなれません。もちろん現実社会は厳しい。月9ドラマで有村架純の台詞にもあった「努力は時々報われる」だけ。確かに、女子高校生の台詞は現実社会の厳しさの前ではお花畑でしょう。でも、この程度の美化なんてデレビじゃ当たり前じゃないですか。大人のキャスターのみなさんだって、それこそ中学生や高校生が言いそうな建前だけの綺麗事と当たり障りのない理想論に満ちたコメントのオンパレードじゃないですか。そんな中において、この女子高校生の台詞だけを捉えてあーだこーだ言うのはあまりにも大人気ない。むしろ高校生なら、このくらいの希望を持ってていいのでは。
(続きます)
文章の解釈を間違えてる人多いなぁ。
努力することが無駄なんて誰が言ってるの?
努力=結果が出る分けじゃないって話だよね?
努力は素晴らしい、結果じゃなく過程が大事。
当たり前だ。コメ見てると理解してない人多い気がします
格差を「悪」とする風潮見てると何で人より社会貢献してる奴がいい目に遭って避難されるんだって感じることは多いよ。
他人を羨んでるうちは自分だけの武器や戦い方に気づけないよね。
ちょい捕捉するなら恵まれていようと不遇だろうと自己実現に努力は必須だ。
この記事の書き方では努力は無駄だと曲解されかねない。
特に自称「持たざる者」な人にはね。
①貧困でよかった、貧困によって強くなった、というのは、長谷川さんがある程度成功したからこそ言える。そして、日本が恵まれているから言えると思います。金持ちでファミコンして育っても強く立派な人もいる。どちらがよかったか、どちらがよいか、なんて誰にも言えない。個人によるし、いつかのテレビ番組のように、2つのパターンの人生を比較することはできない。そして、貧困だからこそ工夫したり学んだり、というのは、別に貧困でなくても、親が無駄にお金を与えず、使わせなければ、そういう環境に子供をおいてやることは可能。そして、本当に食べるものもないくらいの貧困者と、長谷川さんはおそらく付き合ったことがないと推察する。その苦労、絶望、困難は私自身、想像もつかないので、安易に貧困こそ強い、貧困者こそ強くなれる、などと、とても言えない。
②顔がかっこいいとか、スポーツの才能があるとか、遺伝的にあらがえない点はあるものの、努力はその時々によりますが、ある程度報われると考えています。99%の努力と1%の才能というのも、あながち間違いではないし、私自身、努力不足で不甲斐ない結果を招いたり、努力したからこそ手に入ったものもある。いくら努力しても報われにくい環境もあると思いますが、少なくとも現代の日本は、ある程度努力すれば、それなりの結果を伴い、それなりに評価される、恵まれた国だと思います。あくまで私見ですが、努力している人を見ていて、手伝ってくれたり、評価してくれる人が日本には大勢います。努力してもまったく評価されない人は、他の方のコメントにあるように、努力の仕方を間違っているか、努力する場所を間違っていることが多いのではないでしょうか。
彼女が119勝で連勝ストップした時に、「119回勝てたってことは、あなたに負けて泣いた人が119人いるんだから1回負けたぐらいでメソメソすんな」と。
吉田選手はトップアスリートですから、
子供のころから、才能のない相手も多々いたでしょうよ。でも相手だって、勝ちたくて必死で努力したけど、負けて涙を流したことが人生の糧となっているはずだから、長い目で見たらその努力は無駄ではない。
そして、吉田選手も、努力してぶつかってくる相手と切磋琢磨したから、トップでいられたのでは?
才能がない人が引き立て役となって、トップを支えていることは確かだし、才能がないからと何もせず諦める人ばかりだったら、世界一になるようなトップ選手も生まれないということです。
イチロー選手も然りで、甲子園では活躍してないし。才能はあったにせよ、幾度となく敗北も味わっているはず。
なんだかハセガワさんの今回の発言だと、
才能もないのに努力することは人生の無駄…と私には聞こえました。
そのように、親の立場でお子様に教育されてるのでしょうか。
ハセガワさんだって、敵わないと思えるような尊敬するアナウンサーがいるから日々努力してるのでは?
自分はトップで実力も人気も絶対誰にも負けないと過信してらっしゃるわけではないでしょう?
勉強だって。仕事だって。スポーツだって。何の世界だって、才能があるかどうかなんて結果論であって、人の何倍も努力をしてみないと、知り得ないことです。
努力がすべて報われる世界…そんなものは
ないことはわかってるけど、
そんなに卑下しまくるほどの内容ですかね。。
どんなに努力しても才能のあるものには勝てない、というのも違和感あります。???
イチローにしても、日常からの努力の積み重ねがあったからこそ偉大な記録を達成しています。
分かりますが、そもそも、全く同じ質や量の練習しても、イチローレベルには、誰もなれないんですよ?
才能があっても、努力なしには成功しません。
当たり前だ(笑)長谷川氏はそんなこと話してるんじゃなくて!
生まれもってのセンス、感覚や感性含めた才能があって。あった上で!上でね、あれだけの練習するからイチローレベルなんです。
才能があるものには勝てないとは、そういう意味です。
才能がなければ凡人が超えられないと断定すべきではないです。
したがってこれは間違いです。
不寛容すぎませんか?
ご自身の思いを語るのは自由ですが、根本的な倫理観を疑う失言満載ですね。
「努力はいつか必ず報われる」という言葉がありますが、むやみやたらとこの言葉「だけ」を子どもに投げかけるのは危険です。
「努力」というのが「一つのことに打ち込める力」と同義で語られている場合が多いのでその文脈で話を続けますが、学校では努力が報われない場面も多々あります。運動会も優勝できるのは1チームだけです。「努力はいつか必ず報われる」という言葉は優勝した子どもたちには宝物のように残るでしょう。しかし一方で「優勝できんかったやん!努力しても意味なかったやん!」という、努力に意味を見いだせなくなる子どもを同時に、より多く、生み出す可能性があります。
しかし、子どもたちは努力する中で得ているものが何かしらあるはずです。友だちと協力して何かをやり遂げる喜び、自分の記録を伸ばすための工夫、普段は大きな声を出せないけど応援を頑張れた、それは個人個人で違うでしょう。そこに「自分で気づいて(最初は大人や友だちの助けが必要ですが)」価値づけられる力を育むことが必要です。それが、「次の努力を何に向けるか」「限られた自分の時間を何に費やすか」という進路選択にも繋がってきます。
「努力は必ずしも報われるとは限らない、でも自分を成長させてくれる」
「努力の評価を他者に委ねない」
この2点を併せて伝えられたらと思っています。
同じ事をやってそれを「努力」と感じる人と、全く感じない人がいる。
そんなものに対して、
『努力した人間が、その努力の分、評価される社会』
は当然共感されるわけがない。
同時に評価とは何なのか?「頑張ったね」と共感されることなのか、
「お金」という対価なのか…。
誰しもが何かしらの可能性を持っていて、
その可能性は正しい磨き方をしないと輝かない。
正しい磨き方が継続されれば、磨く前と比べれば明らかに輝く。
可能性の大きさや光り方は個人差がある。それだけのことですよね。
給料が正規分布していて、下から3割を貧困とするなら、日本が繁栄して平均年収が上がっても、結局は同じ数の貧困層は存在するのだから、貧困層をなくすなんて無理ですよね。
地方の国立大学卒ですが、同期生には母子家庭で学費が全面徐になったり、親の収入が低くて、全面徐になった人がそこそこいました。学生寮に入れば月に1万ぐらいだったので、親から仕送りなくても、奨学金とバイト代で人並みの生活ができて大学出れるんですよね。少なくとも、そういう人は間違いなくいました。
たしかに、東京の私立で、友達と渋谷で遊ぶ楽しい大学生活を送ってなんてことはできませんが、貧しいから学校いけないなんてことはないと思います。本気で探せば無一文でも行ける大学はあるはずです、ただし、勉強という努力は必要ですが。
そもそも努力ってどうやったら評価できるのでしょうね。努力を評価しようとしても、結局その「結果」を評価せざるを得ないと思います。
例えば学校では、成績をつけるのにテストの点数だけでなく「努力点」として授業中や課題のノートを提出させ、評価することがあります。
でもそれも、「授業や課題を真面目にこなせる能力」を「ノートという結果」を通して評価しているに過ぎません。努力そのものは目に見えませんから。
努力という言葉が何となく固いので違和感を感じる人が少ないのかもしれませんが、努力を測る万人向けの物差しが無い以上、「努力が評価される社会」とは「やる気が評価される社会」と同じくらいふわっとしたものだと思います。社会人で「やる気はあるんです!」なんてのがいたら、「まず何かしらやって見せてください」となるのが普通でしょう。「努力」という言葉が軽く便利に使われすぎだと思います。
うちも父(80代)は田舎で貧乏でしたが抜群に頭は良かったので師範学校を出てその後も奨学金と家庭教師のバイトで更に国立大学を卒業、小中高すべて公立でしたし、もちろん塾にも行ったことありませんから、父に言わせれば頭が良ければ勉強に金はかからない、でした。
スポーツにイチローがいるようにあらゆる分野にイチローのように天才秀才がいて、基本的には持って生まれた頭の良さなり身体能力があると思うんです。
五合升には五合升の水しか入らないと思います。
ただ、それとは別に、私は貧困になるものは自己責任においてどうにかしな、という社会にもそれなりに反対です。
昭和30年代なら中卒でも集団就職等で、それなりに安定した会社に就職というチャンスもあったんでしょうが、今はレベルはともかく、大卒でないと就職試験自体に参加できない、とか。募集要項に「大卒」が9割とか? 昭和30年代なら銀行だって「高卒」で就職できていたでしょうが、今は大卒じゃないと試験を受けることもできないらしく、しかし例えば偏差値40でもとりあえず大卒なら試験だけは受けられるんですよね? いや、受からなければ意味は無いから逆に残酷なのかしら? 分かりませんが。
話が逸れてしまいましたけど、私が気になるのは、今、中流階級が破壊され、貧困層が拡大されているようだ、ということです。
ある一定の割合で、どうしたって貧困層が生まれてしまうのは分かるのですが、しかし、若者の4人に1人が非正規だとか、子供の6人に1人が貧困だとか言われると、その社会はやはり正しいとは言えないんじゃないかなあ、と思ってしまうのです。
貧困層が増えるということは将来の生活保護世帯が増えるということにもなるのではないでしょうか。結局、社会保障費はそこにも費やされてゆくことになるのでは?
「努力が評価される社会」について。
もちろん生まれながらの能力は人それぞれです。でもそれが、能力が低い人間が社会で何をしても無駄、ということにはつながりません。
結果が出なかったら、過程を振り返ってもう一度努力すればいい。それを繰り返すうちに才能がないことに気づくかもしれない。でもその結果、内面は成熟し、自分に見合った仕事を見出してどこかで必ず活躍できるようになると思います。少なくとも高校生にはそう信じてほしいし、必死に青臭い努力をしてほしいです。
貧困の問題について。
学用品が揃えられないおうちがたくさんあります。その結果、学習に集中できない子どもたちがたくさんいます。物がなければ自分で作ってみよう、と思いつく前の段階で足りていません。「鉛筆がないので枝を削りました」というアイデアに至らない子どもたちが苦しんでいます。
もちろん金銭が多いことだけが豊かなことではない。でも、貧しさが武器になるのは、最低限の生活ができていることが前提です。貧困は「恵まれた環境」などとは決して言えません。
ハッキリ言って、このおかめ納豆みたいな女学生が大人に政治利用されている。その政治組織に公共放送が荷担してる。それこそが大問題だと思います。
努力がどーしたとか関係無いしどうでも良い。そもそも高校生なら働いて学費稼げよ。
このハングル語を普通に使うおかめ納豆女学生が、なーにを目的でこんな珍捏造貧困猿芝居を演じたのか知りませんが、何かシールズなる反日朝鮮団体と同じ匂いを感じます。
(ちなみに、おかめ納豆は個人的に大好物です。単にイラストが似てると言う話なので誤解のなき様)
まず、努力をする分だけ評価する、という点については、高校までの学校教育においては普通に行われていることで、高校生時点では結果でしか評価されないのが大人だというのを理解していないことが多いです。
少なくとも入試は結果ありきだというのはわかっていても、その先の社会においてどういう評価をされるかなんてわかっていません。
次に、どんなに努力しても才能のあるものには勝てない、というのも違和感があります。
イチローにしても、日常からの努力の積み重ねがあったからこそ偉大な記録を達成しています。
才能があっても、努力なしには成功しません。
一方でパラリンピックに参加する選手たちにしても、ハンディキャップを負いながらも健常者の何倍もの努力を積み重ねることで出場出来ているのです。
才能がなければ凡人が超えられないと断定すべきではないです。
最後に、子供を育てる上で努力の積み重ねを評価してあげる必要があることです。
何も努力しないで結果を出しても運がよかっただけでつぎも結果が出るとは限りません。
確実に出すためには根拠となる努力が大事であり、子供のうちから身についていないといけません。
不平等な社会であるからこそ、それを補い勝るほどの量と正しい方向性を伴った努力が、成功する結果を常に残す上では大事ではないでしょうか。
現代における多様な「幸福」の形や「貧困」の捉え方など、
多くの日本人が持つであろう価値観について
今回も秀逸な問題提起をされましたね。
終戦直後に多くの日本人が経験した貧しさは現在の比ではありませんでしたし、
戦後10年以上を経たいわゆる高度経済成長期に入ってさえ
庶民はみな倹約を徹底することでようやく生活を維持していました。
70年代に入り高校進学が当たり前になっても
片親でアルバイトをしながら小中学時代を過ごす子どもや、
経済的な事情で中卒就職する者はまだまだいました。
子どもが生まれる国や親を選べないことは遥か昔から変わりませんし、
同様に、機会の平等すら完全には保証されないことも変わりありません。
それでもそれを「貧困の連鎖」などと一概に糾弾する風潮は過去にはありませんでした。
能力や機会に恵まれたものはよりアグレッシブにダイナミックに、
恵まれないものは自らの出来る範囲で懸命に着実に、
自らに相応しい幸福を築くしかありません。
もちろん様々な環境や事情があることは承知していますが、
周囲を妬み、機会に恵まれない自らを哀れみ、
不満と恨み言ばかり抱えながら、それでも執着を捨てられない大人(親)が
子どもを貧困に追いやり、結果として
「貧困の連鎖=絶望の連鎖」を生み出しているように思えます。
日本という社会が日本の中の格差をどう捉え向き合っていくかは一考の価値はあると思うけど
人には能力の差がある以上必ず格差は生まれるんだから
そして国や社会は万能ではなくキャパシティがあってその範疇で出来る支援しか出来ない
結局人は自分の持って生まれた能力の範疇で自分の力で生きていく以外ないのよ
私も学生時代はクラスで一番二番を争う貧乏だった
同じような人たちにアドバイスするなら、まず今の日本ってそんなに甘い社会じゃないのよ?
少なくとも、「自分は恵まれてない!」って腐って
社会や自分の境遇にブーブー文句言ってるだけのやつはそこから抜け出せるわけがない
社会のせいにしてもしょうがない
そういうやつは永遠にそういう生活よ
底辺には底辺にしかわからない救う価値のないようなやつもいっぱいいる
そういう人はそれ相応の生活をしてればいいと個人的には思ってる
格差なんてあって当然よ
努力しても報われないのは同感です。本題から逸れますが、昔 独身で欧州で働いていた時に 野村證券が倒産し社長が泣いて詫びるニュースをみてました。現地の人達はびっくりしていて、日本は泣くのを許される社会で、もし海外で同様の事をしたら、素通りか頭を踏まれその上をみんな歩いて行くと。だから、1人でもいいからどんな状況でも自分の味方してくれる人、家族が必要だなと痛感しました。なので、過度に空気を読んで周りに迎合するのは 不幸なんじゃないかなと思うようになりました。でも 恐ろしい事に 無意識にこれをやってるんですよね、日本社会で育ってると。。
下から上は想像できるけど逆は出来にくいんですよ。貧乏なりに知恵がつくし、金持ちにはマヨネーズや、歯みがき粉を最後まで使う知恵があるか?
生活の発明は、もったいない精神から生まれる。
金持ちには金持ちの苦労?笑わせてくれる(笑)
メディアで貧困が取り上げられる時にいつも感じていた違和感が、これだった。
大変な高給取りのテレビ局員や新聞記者が、経済的に恵まれない人を取り上げて
「ほーら、この人たちかわいそう!あーかわいそう!」とやっている様が、ホントーに
薄汚くてイヤだったけど、やっぱそういうことだったのね。
長谷川さん、ありがとう。スッキリしました!
この高校生が、そういう意味で評価して欲しいと言ってるかは分からないけど、良い部分も悪い部分も評価されないと、人は成長しにくいよ。
要は、幸せ不幸せと金銭的に裕福か貧乏かはまったくの別問題ってことを言われたいのでしょうか。それなら同感です。
なんせ社会に出れば、それは貧乏育ちは強いです、なんせ逆境慣れしてますから。マイナススタートから楽しみを創造することには長けています。
では逆に裕福育ちが必ずしも周りを見下すような見方であったり、楽しみを創造できないかというと、それは違うと思います。今回の話で言えば、番組を製作したNHKスタッフのセンスがなかった、ただそれだけです。
ちなみに私は高校生の頃、世の中は厳しいとか、努力しても報われないとか、まったく考えませんでした。
そして社会人としてたった10年ですが、努力したぶん評価されたいという思いはまだ持っています。
でも、すべては結果だということも学んでます。器用で才能のある同僚を見ると、焦れったいような悔しさと羨ましさ感じます。だから余計、評価されようと努力してしまいます。
逆境で燃える、、これぞ貧乏育ちの証拠、そして一番の強みかもしれません。
コメントを幾つかよんで???と思ったのですが、「努力したぶんだけ評価してもらえる社会にして欲しい」という高校生と長谷川さんは、現状認識としては同じことを言ってるんじゃないの?っていうのが引っかかった点です。
どちらも、努力したからといってその分だけ報われるという世の中じゃない、と言ってます。
違うのはそのことについて否定的か肯定的か。
長谷川さんは一つの提案をしています。
他人の評価を気にするより、自分自身の価値観を見つけるほうがいいんじゃないのか、と。
でも難しいんじゃないかな、とも思います。
何故なら殆どの人が、高く評価される=幸せ、という価値観から離れられないから。
何故ならずっとそう感じるように教育されてきたから。
NHKも学校の先生も足並み揃えて努力至高論を押し付けてきます。
でも何故努力することが素晴らしいのか、その答えを持っていません。
その捻れから産まれた矛盾を浅〜く掘り下げたらこんな番組が出来上がるんじゃないでしょうか。
「私はこうだった。」という私経験から一般化して、「だからこれでも大丈夫」という押しつけ。
中国では貧困がひどく、確かにみんなそこから這い上がろうと目がギラギラしてますが、日本をそういう社会にしたいですか?どんなことをしてもいいから何でも我先にと争い、一寸でも気を許したらほかの人にとってかわられるという不安との背中合わせ。そういう社会でも生きられる能力を身に着けさせるのも教育だとは思いますが、そういう社会にしたいかどうかはまた別問題だと思います。
「その「残酷な現実」を受け入れた上で、もっと人間として大切な、もっと根本的な部分に力を注いだ方が絶対に幸せになれる確率は高い」には賛成しますが、だからといってその残酷な現実をよしとするかは別問題だと思います。「努力した分評価される社会」があったら行きたいと長谷川さんも思ってるようですから、そういう社会に近づけるような政策を提言したり、ご自身の力が及ぶ範囲ではそういう社会にしたり、間違った方向の努力をしないように情報提供したり、いくらでもやれることはあると思います。現実的にはいろいろ妥協するけれども、「努力した分評価される社会」という希望を持ち続ける人が多い社会のほうが私は暮らしやすいと思います。みんながイチローみたいになれないからといって、高校生でみんな野球辞めるような社会だったら、すごい閉塞感だと思いますけど。
メディアの裏側などのエントリーは面白いですが、こういう長谷川さんのエントリーって本当に誰が読んで得するのでしょう。それを言っちゃおしまいよ、とみんなが思っていることをわざわざ文章にしているだけのように感じます。自分が貧困だと感じている若者が、このエントリーを読んで、さあ明日から頑張ろうって思うでしょうか?
私もたまたまオンエアーを見ていましたが、違和感ありまくりでした。
一つ目は私もそう思いました。
努力が正当に評価される?高校野球じゃないんだから(笑)
SMAPの世界に一つだけの花、あの歌がヒットしたあたりから日本人の言い訳根性というか、負け惜しみ体質が強くなったように思います。あの歌自体は好きですけどね。
二つ目は長谷川氏に同意します。
私は中流家庭で育ち、独り立ち後の20代は極貧、40代になった今は平均年収の3倍以上は稼いでいますが、極貧時代も楽しかったし、あの頃に培った倹約精神やハングリー精神、そして何よりポジティブシンキングは今でも大切な宝物です。
NHKの、貧乏でかわいそう、世の中にこんなかわいそうな人がいるんですよーと上から目線の報道は何なのでしょうね。
久しぶりに長谷川さんに同意できる話がアップされていて、ちょっとホッとしました(笑)
まさにその通りですね‥。
私自身の話で申し訳ないのですが、以前は学生アスリートでした。同じ大学に、なにをやっても勝てない後輩がいました。後輩の3倍、4倍練習しても、やっぱり勝てないんですよね。これは無理だと思って辞めたんですけど、結局彼はリオオリンピックに出て活躍していました。やはり生まれ持った素質には努力しようが喚こうが追いつけませんし、努力したからといって評価されません。
努力して叶わないものがあるものの、日本は本当に幸せな国で感謝しています。お金がないなりに生きていく術がありますし、社会から評価されなくても生きていけます。オリンピックで他国の状況をよく目にする時期ですが、本当に日本は幸せな悩みが多過ぎますね。やはり長谷川さんの仰るように教育を考え直す必要があるのだと思います。
1600円だったり、3490円だったりのこともあったようです。
かつて、安倍首相の3500円カツカレーは、「庶民とかけ離れた贅沢」と、マスコミが叩いたでしょう。
それとこれは別なんですかね。
学校でも、平等な社会なんて無いって事を教えるべきだと思うけど、ある程度の幻想を与えないと、人は絶望する生き物だからね。
長谷川さんの言いたい事は分かるけど、それじゃあ世の中、回っていかない。
まあ、搾取する側の知恵が無くなってきたのか、搾取される側の知恵がついてきたのか、搾取する側がアホになってきたのか、よくわからない。
あのさぁ~本当の貧困層なんてテレビに出せるわけねえだろうが。
何の能力も無いから犯罪に手を染めないかんとかそう言うレベルやでwwww
長谷川さんは
<<34. くろたま
こういう何を言いたいのか分からない批判をして来る自称頭がいいと思っている馬鹿を釣ってニヤニヤしてるんじゃないんですか?
けっこうブログがストレス解消になってたりしてwww
家がない人、明日食べるものが無い人たくさんいるよ。
それは、家族の愛情でなんとかなりますか?
貧困が恵まれた環境なら、自分の子供にその環境を与えたらどうですか?
なんか正義っぽくふるまってるけど、結局お金持ちが上から目線で頑張れって言ってるだけじゃないですか。不愉快極まりない。
成人年齢を18歳に引き下げようかと政府が言ってるんですが?
悪いのは「うららさん」を悪ノリさせたNHKですが,ネットの情報を見る限り,彼女もどうかと思います。
本音としては「高校時代に,マンガ買いまくり&好きなアーティストのレコード買いまくり&コンサート行きまくりな生活したかったよなぁ」です。
そこんとこが彼女がネット民の反感買ってるんじゃないかと思います。
しかし, 案の定「努力教」信者がわいてますね。
結果の出ない努力のことを「徒労」って言うんじゃなかったっけ?
18歳って自分の人生のおおまかな方向性を決めなきゃいけない大事な時期だと思うから「結果の出ない努力」をすべきではないんじゃないかと思います。
「その時期にしかできない」ことってありますから。
私も学生(大学院生)の身ですが、NHKの報道だけで少々イラッときました。そんな報道されたら、私も研究室仲間の数人も「貧困学生」に入ってしまいます。私は給付型の奨学金で家賃と生活費を捻出しています。おかげで、ありとあらゆる味付けで鶏胸肉や見切り品、もやしを使った料理を作れるようになりました。また、学費の一部をアルバイト代から捻出しています。他の仲間も奨学金以外に、電車を使わずに自転車で通学したり、夏休みに引っ越しのアルバイトをしたりと、色々と工面しています。誰一人として「不幸」と思っていません。やりたい研究があるからです。今回の報道を笑い飛ばしてますし、全員「この子、何で国立大を目指さないの?何で貯金しないの?」と言っています。
最後に青臭い意見になってしまいますが、目標に向かって努力することは大事だと思います。他の方もおっしゃっていましたが、努力する方向さえ間違えなければ確実に「自分はもっと出来る」と手応えを感じることができます。
ヒドイですね⤵
3~4コメント位かなぁ……議論が成立するの。
承認大変ですねぇ……。
追伸、本日「富鶴」行って来ました。
……より美味しい所は、西成区鶴見橋にある「味よし」です。
大阪の仕事場とは離れてますが、機会が有れば是非!
いってみればフィクションのドキュメンタリーのようなものですね。
今回の女子高校生も一定のストーリーを演じている訳ですよね。
だとすれば、長谷川さんの言う「今ネットなどで言われている視点とは全く「違う視点」で、違和感を感じていた人間です」は少し滑稽ですね。
ウソの内容に腹立てても仕方ありません。
NHKに対してヤラセ報道はけしからんという意見は同意できますが、女子高生に対して、「幼稚園児」「高校生くらいになれば、ちょっと意見は変わらないかなぁ…。ちょっとあまりにも痛いというか、高校生がこんな子供みたいなことを言って」と言った表現は適切ではないですよ。
なぜなら女子高生はNHKの台本に沿って演じただけですから。
ここまで説明すれば長谷川さんでも理解できるでしょうが、前半の文章と後半の文章の説明に整合性がありません。もう少しまとめてから掲載されたら理解できたかもしれません。
ファミコンを買ってもらえないのは貧困ですか?
学費がなくて大学に行けないのは貧困ですか?
学費がなくて高校に行けないのは貧困ですか?
水道代が払えないので、毎日風呂に入れないのは貧困ですか?
給食費を払えないのは貧困ですか?
1日三食食べられないのは貧困ですか?
貴方の言う貧困は、「貧しくて困る」レベルではないと思うんですが、貴方も貧困を論じるには、経験的に少々裕福過ぎるのではないでしょうか?
出演されたご本人たちは、本当に大変なご苦労をされ、優先順位をつけ、工夫を凝らし、日々を過ごさていると思います。
ただ、特集の内容の趣旨は理解できますが、事実(FACT)からの(貧困への)誘導が安易だと感じました。
マスメディアの筆頭たるNHK。大衆迎合的なステレオタイプではなく、FACT をNewsとして伝える信念を貫き続けて欲しいと感じました。
(追伸)約30年、、全国紙を愛読してきましたが、約5年前の震災報道以降、地方紙に切り替えました。とても分かり易くFact ベースで良いです。
努力は報われる事もあれば、報われない事もありますよ。
だけど、努力しないと報われない事だらけだと思います。だから努力しなければと思います。
平等なんて無いですよ。無くて良いですね。チャンスは公平であって欲しいですけど。
今回、初コメントですが、毎回楽しく読ませて貰ってます。
私も41歳、同世代です。
10年後20年後の世の中の形は、今の40代世代が危機感持って今を必死に行かなければと思います。
私には「アナウンサーだ」と言い切るのがマイノリティにしか聞こえませんが…。
長谷川さん、どうした???
やっぱ知名度ある人の発言って、餌に食いつく雑魚が多くてリリースも大変そうですね・・・。
さて、今回のHNKの報道に関して、私も同意見です。
とりあえず、この手の番組趣旨はディレクターの「押しつけがましい」価値観であり、否定されるべき内容です。
実際私も子供の頃は貧しい時期がありましたが、それによって学んだ部分・得られた経験は今でも「悪くない経験だった」と思い返します。
良いとは言ってません、「悪くない経験だった」です。
お金があることによって得られるモノの方が、貧困から得られるモノより優れているだとか比較するつもりはありませんが、一部のバカが言うほど、同情される覚えがない位決して悪くない経験でした。
そしてそのバカと、同じく日本にいながら貧困に苦しんでいる人に一言。
そんなの貧困じゃないから。
貧困でも人生は努力すれば改善するし変えられる(全員ではないが、やらなければ変わらない)
努力、いや、何もしない奴が、貧困は何をしても~とか人生勝ち組になれない~とかほざくけど、それは人それぞれ。
どうしようもない程抜け出せない貧困
年齢や家族構成、ケガや病気から来る解決手段のない状況
努力もせず解決方法を見いだせないバカ、もとより手段を見出す力が無い者
様々です。
だから、一様に報われるだとか思ってませんが、
貧困ってだけで同情されたり取り沙汰されるのは、それこそ偏見だ、とは強く言いたい。
てか、番組であのレベルで貧困って言われてるのにびっくりだったわ。
最近、くだらない人間や組織についてあれはダメだこれはダメだというエントリーが多いですが、バカな人たちが多いのはもう分かったので、読んで為になるエントリーをお願いします。
あと、「私は」「私の家族は」素晴らしいって話ももうお腹いっぱいです。個別の特殊な事例を持ち出されてもあんたの所はそうだっただけの話です。それは後付けでしょう。今のあなたが充実して幸せだから言えることです。貧困で両親から虐待にあったりする例もあるでしょう。
子供の貧困率が高まっていることは事実。
『一つの特徴だ』等と悠長なことを言っている場合ではない。
長谷川氏のコメントはピントがずれていると思う。
危機感を持っているNHKの方が、姿勢としては100%正しいわ。
しかも、NHKに対し、何度も“高給取り”と皮肉られていますが、
長谷川氏本人も、フジテレビ時代、NHK以上の高給取りであり、
更に、おカネの問題で辞職されていますよね。
今のNHK職員の環境が羨ましいのか嫉妬されているのかわかりませんが、
長谷川氏の経歴などを見る限り、そこに拘るのは、
長谷川氏自身が格好悪いという印象しかありませんね。
残念です。
報われるものです。
努力してるのに報われない~
って言ってる人は、
努力の方向が間違ってるだけ。
で、そのことと、「人間は平等ではない」ってことは、
別問題です。
平等じゃないからこそ、努力で補う必要があるんです。
「努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです」
などと言う前に、まずは自分が死ぬほど努力をしてみればいい。
そうすれば、この社会が既に、
努力が成果になり、成果が評価される社会
であることが分かると思います。
私のこの考え方、幼稚園児ですか?(笑)
長谷川さんの書いてる事は120%正しい。200%同意します。
しかし、このブログ読者で真意を理解する人は50%かな。アンチの人には10%かも。
折角、鋭い切り口で切り込んでるんだから、誤解されない様に直球で端的に表現して欲しいな。
また、足をすくわれるのを私は絶対観たくない。
何故ならば私は「コケてからの長谷川ファン」だからです。
応援してます。
さすがに今は信じちゃいませんが。
でも、これも信じてない。
子供は親に微笑む。
親子だって夫婦だって相性がありますからねー。
貧困は、あるレベル以下であれば抜け出すのは難しく確実に不幸だし、
家族が幸せをもたらすなんて限らない。
あるレベル以下は
食べることに困ること。
結局、自分は自分の有り様をどう受け止めるかによってしか平和は来ない気がする。
幸福でなくて、平和ですが。
生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な身体を持つ者。
生まれも育ちも才能も、人間はみな違っておるのだ。
そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。
不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ。
と、まあ、こんなコピペはいいとして、社会的に評価される為に努力するのは当然なんですよね。結果を出さなければ社会には評価されない。同情してくれる謎の個人•団体が出てくることはありますが。
結果を出すのが厳しい、という状況でその結果を出すべく努力するのは当然の事。そして同じ結果を出す為に掛かる労力には個人差があるのもまた当然。人は一人ひとり違うのだから、全く同じ能力を持っている人なんてのはいないんだから、皆平等ではないのだから。全く同じ知識、経験を持つ人なんていないのだから。できる人は苦もなくこなすし、できない人はできないなりに努力をする。できる人になろうと努力をし、成長する。進歩する。努力をした事で結果を出せるようになれば評価される。努力だけでは評価しようがない。当たり前ですよね。
そもそも自分で「努力」という言葉を使うやつは努力していませんから。
努力なんて数年後当時の自分を振り返って「あぁ、あの時努力してたなぁ」と振り返るものであって、未来形でも進行形でもなく過去形のものだと思っています。
しかし、努力というのは侮れないもので、努力できないやつは本当にクソです。
社会に出るまでは結果云々より努力することを覚えさせることが重要だと思っています。
努力の仕方さえわかっていれば、努力次第で結果を生み出すことのできる分野も存在する可能性があるからです。
長谷川さんと同じようにイチローで例えるなら、イチローがどんなに努力してもシュールなコントを考えることはできません。
反対にバカリズムがどんなに努力してもメジャーで3000本安打打つことはできません。
何が言いたいのかというと「適所×努力=結果」なんです。
世の中ほとんどの人が適所に出会えていません。
しかし適所に出会ったときに努力の仕方を知らなかったら?
さぼることしかできなかったら?
もったいないですよね。
学歴で採用するのも同じで、大卒の奴は勉強の仕方を知っています。
結果仕事を覚えるのが早いんです。
だから学歴で判断しちゃうんです。
そこにとびぬけた才能を求めていませんから。
兵隊が欲しいだけですからね。
結果を生むためには努力は必須です。
確かに女子高生の口ぶりでは努力することがゴールのように捉えられるかもしれません。
努力は手段であって結果ではないということをこの先わかっていくでしょう。
あと「ファミコンなんかよりおもしろい」というくだり。
それはあなたの価値観であって正しいとは思えません。
それはファミコンも秘密基地づくりも徹底的にやりこんだ結果、自分の意見としていう内容です。
ファミコンをしていないのであればいうべきではないと思いますが。
努力が評価されない事はこの世界の現実でしょう。それ以上に切実な問題として存在するのが貧困からはなかなか抜け出せないという現実なんじゃないかと思います。
貧困を「素晴らしい恵まれた環境」と言い換えた所で彼らに何かを与えられるのでしょうか?
微妙かな~。高校生だと何割かは、努力は報われると思い込んでいたという記憶がある。
漫画やアニメだけではなく小説、映画、ドラマなどの物語って
努力が必ず結果になるというファンタジーが描かれる事が多い。
物語が好きな人はわりと脳みそがお花畑になりがちだった印象はあるかも。
その結果あまねくテレビ視聴者から料金徴収をしているわけです。
今回の家庭ですが、まぁいろいろ取り上げられているのですが、そもそも1,000円のキーボードよりNHKの受信料が高く、それが、これを企画した人の懐に入る事実についてNHK自身は事実この家庭がそのような状況であれば、そのような家庭から受信料をむしり取ることにどう思っているのでしょうか?
まして値上げしようというのでしょ?
私はその精神が気になって仕方がないのです。
努力した分、評価して欲しい?
では評すに価う結果を提示してください。
努力で評価される人は、評価されるまで(そして評価されてなお)努力し続けるから評価されるのであって…
まあ…届きませんわな
ま、ガセ川の知能では無理だがな。
ガセ川は馬鹿だから『貧困の世襲』という現実も知らんか。
貧乏ならば一生貧乏。それが現実。
貧困が受験勉強などよりもよほど社会に出たときに力になるのならば、格差の固定化は社会的に問題視されていない。
物もチャンスもないなら「自分で作り上げられない」のが現実。
お金持ちさんには、それらのチャンスは絶対に得られなくても、一向に困らない。
その極北が、世襲だけで総理になれた安倍晋三。
お金のない人は「お金がないからこそ様々な経験」が出来ないのが現実。
ガセ川のゴミ理屈ではホームレスも「様々な経験」に含まれるが、そんな過去を経歴扱いして尊重する会社も、組織も世の中に皆無だ。
貧困な生活は恵まれた環境だとよ。
なら海外のスラム街に言って、そこで生活している貧乏人達に同じ台詞を言ってみろ。バーカ。
打たれ強さを鍛えるには、金なんてない方がいいだとさ。
なら金持ちは例外無く打たれ弱いのかね。
精神の耐性は、所得階層の高低で違いはねーよ。
お前はこの程度の批判書き込みでさえ、公開掲示できないクズだろーが。
コソ泥上がりのゴミ如きの分際で、いつまでも勘違いの上から目線で語ってんじゃねぇぞ。
実際の貧困JKをリサーチしたのではなく、適当に手早く話題を電波に流せばよかったNHKの記者。
公的な予算を組織として執って自分等で分配する、行政組織に圧力をかける、そんな組織が作られようとしているのではないでしょうか。出演したJKも色々と関連のある集会に顔出していたようですし。
TVで当該JKを視ましたが、貧困と言う雰囲気が感じられないのですよね、何か慈善団体の高校生的な雰囲気。
実際の貧困JKは自分が貧困だと悟られない様、必死に努力してるように思います。
自分を貧困と感じているJKとか若者にしてみればバカにするんじゃない、貧困をアピールして何かの組織のバックで入学とか特別な配慮を受けるなんて許せないと思いますよ。
私の姪も二人がシングルマザーです。親も子供も必死に働いて、学校に行って居ますが、行政とか世間に同情を買う様な考えは一切持ってないですよ、もちろん親戚にだって弱気を見せる様なことはしていないです。
この貧困JKが高いグッツを持って居るのが気に入らないとかではなく、その不純な構造を皆さん敏感に感じ取ってるんだと思いますけど。
それを「可哀想ですねぇぇぇぇぇぇ」と言わずに否定する自分に酔っているだけなのが、コソ泥のガセ川。
私、こういうの、大嫌いです。いいよねガセ川さん。あなた、コソ泥でも場末のTV局に拾ってもらえて。
ガセ川の父親は無能だったので、出世よりも家族と一緒にいるしかなかっただけの負け犬。
だから、高度経済成長期に会社から出来るだけ定時に帰ってきただけの話。
何の取り柄も無いクズ親父も美化するのが、ほらっちょガセ川の十八番。
木の枝を使って、組み替えてテントのような家を作り、秘密基地を作って遊ぶのはファミコンなんかよりもずっと面白いと思ってるのは、無能親父のセガレのガセ川だけ。
つまり、ガセ川にとって、微笑んでくれない人間は、大事にする必要がない無価値な訳だ。
流石はコソ泥のガセ川。
底が抜けてる頭の悪さだ。
人は社会に何一つ「結果」を与えてなくても「評価」はされる。
才能ない人間は死ぬまで頑張らなくても評価される。
その典型は口先だけのペテン詐欺師にすぎない安倍晋三。
ガセ川がマンセーしている亡国の売国奴だ。
一人でいいから、大切に思える人を見つける。そして、出来れば、その人と子供を持つ。だとよ。
貧困じゃそれさえ無理な現実も分からん馬鹿が、寝言をほざくな。コソ泥。
子供たちと一緒に夕食食べてる方が1億倍は幸せと感じるのは、ガセ川レベルの雑魚だけ。
そもそも糞ガキがいつまで親と一緒に夕食を食べてくれるんだっつーの。
所詮、数年か十年ちょいの期間限定の糞所業じゃねぇか。
糞ガキと一緒に夕食食べるみたいな、しょーもない雑事に価値を置いてるガセ川は、流石はコソ泥の有象無象だ。
お前、馬鹿すぎて話しにならんな。
また今日もフルボッコ論破してやる。
「努力した人間が、その努力の分、評価される社会にしてほしいです」って言ってる人間は、高校生だけか。
いい歳こいた大人でも、平気で言ってるが、それはスルーか。
お前が大好きな安倍晋三が同じ台詞を言えば、同様に批判できるのか。
3億%出来んだろーが。
発言者の肩書きで、コロコロ態度を変えるクズ如きが、偉そうに上から目線の勘違いで馬鹿を垂れ流す末期の馬鹿。
そもそもテメーは公費をネコババしてフジテレビを首になったコソ泥野郎じゃねぇか。
場末のTV局にお情けで拾ってもらってる最低のクズが、一丁前にNHKを批判してんじゃねぇよ。
まずは「家族」を大事にしましょうって、馬鹿丸出しだな。
お前、いつまで戦前の家父長制の因習を引きずってんだ。ゴミが。
誰を第一に考えるかは、個人の勝手。
お前如きコソ泥野郎に指図される筋合いの話ではない。
まずは「子供たちを大事にしましょう」って言い続けているのは、どんな人にも、子供たちは微笑んでくれることが多いからです。だと。
糞ガキがどんな人にも微笑む訳ねーだろ。カスが。
ガセ川は頭が悪すぎて、妄想と現実の区別も分からんか。
何年か前に 当時の橋下市長に対して「私立の高校の補助をなくすな」と泣いて食って掛かる女子高校生を思い出しました。
弱者や被害者という単語に弱く同情する日本人が多かったのですが、最近になって当該単語に対しネガティブに考えるようになっています。
当該単語を叫び続けるのが日本の共産党や民進党・韓国・中国だからである。
こうして疑いの目で監視されている中で今回のNHKの特集、捏造すればどうなるのか、想像力がなさすぎる。
長谷川さんの番組なら極端に言えばスポンサーにお金を貰っても視聴者からではないので好きに番組を作っても良いでしょう。
それこそ捏造だって面白かったらやっちゃうかも知れないですね。
しかしNHKは受信料を徴収していますし、国の公共放送です。
そこに悪意ある捏造があっては駄目でしょう。
しかもNHKの捏造は今回が初めてではありません。
格差社会というのもNHKの捏造に他なりません。
これを指摘し得ない民間放送はどこからお金貰ってやってるんでしょうね?
それを、皆が納得し 受け入れなければならないのが 資本主義です
その点は 激しく同意できます
また 貧困でも アイデアによって 裕福になった人は たくさんいます。
ただ 長谷川さんの家はそこまで お金には困ってなかったように思えます。
それでなければ、中学から私立に入れてもらえないでしょう。
ただ単に ものを大事にするとか そのような価値観のご両親だけの 話ではないでしょうか
「努力した分「評価される」社会なんてものは存在しません。」まさにその通りです。
努力した分を評価する社会を想像してみました。凄い努力している人なんだけど結果が出せない総理大臣。凄い努力している人たちの集まりの車メーカー、でも欠陥車だらけ。それでも努力している人たちだから皆で応援しよう!!と評価だけはされる。あっという間に経済崩壊です。怖いですよね(苦笑)
ただ、このブログを見ていて「努力は損」って思っちゃう人が現れそうです。
努力することの大切さはブログに織り交ぜて欲しかったです。努力で評価はされないが、自らが得るものが多くある。だから努力が結果に結びつかず評価されなかったとしても腐るな!ということを。
金持ちクンの話は正にその通り!!ですね!
彼らにとって接点のない貧乏人は存在していないのといっしょ。
ただ、ただ、無関心です。
お金がある層と、お金がない層との間には、教育水準やら着ているもの、食べているもの、情報入手先などあらゆるところで差がでます。
そうすると、お金がある層では自然と、自分たちと似たような境遇の人たちの情報しか集まらなくなります。身の回りにいるのは自分たちと同じような水準の人たちだから。
それだけ、社会が分断されて貧富の差が拡大されて、固定化されていくのがもっとも問題なのではないですか。
そして、貧困と幸せは切り離して考えるべきではないでしょうか。
貧困でも幸せならよいでしょっていうのは、極論に思います。
どうすれば、貧困でも貧困層から脱出できるようになるのか。そういう危機感があるから、「努力した分評価される社会」というメッセージが出てくるんだと思いますが。
まず大人に庇護される高校生なら、まだそこまでの判断力はないと思います。「努力すれば報われる」ってお題目を唱えている人は大人でもいっぱいいます。素直で人生経験の浅い高校生に吹き込み刷り込みなんてチョロいものですよ。
20年前、学生時代に貧乏生活してましたが、やっぱり金のある方がいいですよ。あんな生活、若くて気力と体力があったからやれました。大学生辺りは金がないと色んなチャンスを失います。努力やセンスで克服できるのはやっぱり一部です。お金があれば多少アホでもそこそこの事ができるんですよ。才能とお金があったらもっと色んな事ができます。
訴えるべきは底辺の生活カワイソー支援して!じゃなくてすべての労働者の賃金を上げよ!だと思うのです。NHKは、いやこの番組を作った人は貧困問題を軽くみて可哀想言いたいだけのスカスカ坊っちゃま嬢ちゃまなのは同意ですw
NHKの人の考えはよく分からないので、特にブログ前半部。
「すべての人間は平等ではない」というのは、普通の感性があれば小学校高学年にもなれば分かることと思います。
そこに気付かなかったテレビに出ていた高校生の方は確かに、少し感性が年齢に追いついていないのかなとは思います。
ですが、それでもそういう子ども達に「大人」がかけてあげるべき言葉は「いつか必ず努力は報われる」という大嘘なんだと思っています。
子供に対し、「社会は不平等であり、努力のほとんどは意味はない」ことを悟らせるメリットはあるでしょうか?
一部の子供は、そこから自分の生きる術を見いだし、たくましく成長するでしょう。
ですが、残念ながらほとんどの子供は、成長することそのものを諦めると思います。
だって知識も経験もないから。
「この先行き止まり」と言われた子供は、あたふた混乱して、最後は停止してしまうだけだと思います。
だったら嘘をついてでも、努力をさせた方が良い。
失敗したり絶望したりするでしょう。
そのうち必ず、自ら自覚してくれる日がくるはずです。
「努力は必ず報われるとは限らないが、それは自分が努力しなくてもいいという言い訳にはならない」ことに。
NHKの番組は、自分たちの価値観が絶対であるっていう高慢な態度が見えますよね。
私も貧困の定義は、お金がないことだと思ってました。
ですが、先日、モーニングクロスという番組で、子供食堂をやっている、女性店主の言葉に衝撃を受けました。
「最初は、世にいう困っている子供を探した。 だけど、貧困です ってくる子なんて、一人もいなかった。 家が貧しくて、お金がないのが貧困なのか(・・? お母さんと一緒にいられないのが貧困なのか(・・? 子供にとっての貧困って何を指しているんだろうって・・・」
その言葉を聞いて、自分が正しいとする価値観なんて、間違っている可能性もある。
だから、”感じる心” が大切なんだなって思いました。
今は、貧困とは、心が貧しいこと!って思っています。
NHKスペシャルを見るときは、まず最初に疑う!
情報提供者がアメリカ政府なら、アメリカ大使館に編集チェックをしてもらっているはず。
だったら、嘘である可能性が極めて高い。
NHKは怖いです。堂々と嘘のねつ造番組を作る。って思ってます。
下手な中途半端に高い炊飯器よりも、よっぽど美味しく炊ける不思議。
お金が無い事が、貧しい事に直結するかと言えばそうでは無いと思っています。
この点では長谷川さんと同意見かと。
いくら高学歴でも会話をしていて「頭悪いな」と思う人には貧しさを覚えますが。
お勉強を教えるにも、最低限の生活に対する余裕がない家庭の生徒は、基礎的信頼感の欠如があり、子供との信頼関係を築くまでにかなりの期間を要します。
経済的な貧困はもちろんのこと、精神的な貧困が子供たちを負のループに巻き込んでいることを実感します。
預けていただいているお子さまを見ていると、特にシングルマザーの方々の精神的な苦しさは本当に頭が下がります。
離婚することなく、子供たちが精神的に豊かに育つことができるように、世の中の男子諸君にしっかり大人になってほしいですね!!