主要職歴[編集]
- 1986年~1988年:ポルトアレグレ市(リオグランデ・ド・スル州都)財務局長
- 1991年~1993年:“リオグランデ・ド・スル州経済・統計財団”総裁
- 1993年~1994年:リオグランデ・ド・スル州鉱山・エネルギー・通信長官
- 1999年~2002年:リオグランデ・ド・スル州鉱山・エネルギー・通信長官
- 2003年~2005年:鉱山エネルギー大臣
- 2005年~2010年3月:大統領首席補佐官
- 2011年1月~2016年8月:ブラジル連邦共和国大統領
- 2016年5月~:弾劾裁判開始により180日間の職務停止
- 2016年8月31日:ブラジル上院による罷免投票の結果、賛成61・反対20により罷免が議決され、大統領職を自動失職した[1]
1960年代の軍事政権時代において非合法
左翼ゲリラ組織の武力闘争に参加、
秘密警察に拘禁された経験もある。1967年9月、同じゲリラ組織で活動していたジャーナリストと結婚するも、70年代末に離婚した。その後、政治活動家の男性と再婚するも2000年に離婚している。
1979年の政党改革法制定で政党結成が自由化されると
ブラジル労働党(PTB)の再編に参加したが、その後離党し
民主労働党(PDT)に参加した。1999年に
労働者党(PT)へ参加した。
だが、大きな批判もありつつ国の威信をかけて臨んだサッカーのワールドカップ本選において母国
ブラジル代表が順調に決勝トーナメントまで勝ち上がると批判は沈静化し、逆に支持率上昇に繋がった
[4]。
ブラジルは優勝候補の一角として同大会の決勝トーナメントベスト4まで勝ち進み、このまま行けば大会の成功によりルセフ大統領の支持率も回復が進み、同年10月の大統領選再選の弾みになると地元各紙も報道した。ところが、同年
7月9日に
ベロオリゾンテの
ミネイロン・スタジアムで行われた
ドイツとの準決勝にて、ブラジルは7点を失い1点を返すのが精一杯であったほどの歴史的大敗を喫し、母国開催優勝の可能性は潰えた(
ミネイロンの惨劇)。やり場のないブラジル国民の怒りは沈静化していた大会開催そのものへの批判やルセフ大統領自身への批判を再燃させることに繋がり、一夜にして状況は一転した
[5]。
2015年3月15日、汚職に対し百万人規模のデモが起こった。政府系の世界的石油会社の
ペトロブラスは水増し請求で数億ドルの資金を得ており、この資金が同社幹部から政治家に渡ったとされた。
スイスの司法当局はブラジル人8人に関連する汚職疑惑に対し、関連する
資金洗浄捜査を進めている
[8]。
ルセフ大統領の選挙参謀でもあるジョアン・サンターナ氏が政府系の石油会社のペトロブラスに水増し請求を行い、数百万ドルの賄賂資金を得たという疑惑が持ち上がり、この資金が2014年のルセフ大統領が再選を果たした選挙の資金に流れたとされた
[9]。不況も相まって国民のルセフ政権に対する不満は頂点に達し、2016年3月13日には全土で300万人が参加した反政府デモが勃発し
[10]、同時に議会ではルセフ大統領の大統領弾劾に向けた動きが始まり
[11]3月29日には最大政党の
ブラジル民主運動党(PMDB)が連立政権からの離脱を決定するなど
[12]連立政権からの離反が相次ぎ、ルセフ大統領の弾劾が可決される可能性が高まっていった。4月17日、下院はルセフ大統領の弾劾に対する採決を行い、全513議員のうち3分の2を超える賛成票が集まり、弾劾を承認した。弾劾審議は上院に移った
[13]。5月12日上院で弾劾開始の採決が行われ可決された。これによりルセフ大統領は180日間の職務停止となり、
ミシェル・テメル副大統領が大統領代行となった
[14]。
2016年8月31日、ブラジル上院の弾劾裁判による罷免投票の結果、賛成61・反対20によりルセフの罷免が議決された。この結果、ルセフは大統領職を自動失職した
[1]。なお、ルセフはこれを不服としてブラジル最高裁判所に対して上訴する意思を明らかにした
[1]。
参考文献[編集]
- 堀坂浩太郎『ブラジル 跳躍の軌跡』、岩波書店(岩波新書)、2012年。
外部リンク[編集]
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