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拝啓 朝日新聞さま。ジャーナリズムを捨てるのですか? 
元朝日新聞記者の深い懸念

「この原稿、リスクない?」

朝日新聞社が迷走している。

現場は萎縮し、やる気のない記者が増えているという。

いずれも2年前に起こった2つのトラブルが直接の原因だ。ジャーナリスト池上彰氏のコラム掲載を拒否した従軍慰安婦報道問題や、その存在をスクープしたものの表現手法が適切ではないとの批判を浴びた「吉田調書問題」に懲りて、ジャーナリズムを捨てようとしているようにも見える。

その最たる例が、記者教育の変貌だ。

端的に言うならば、「過剰な問題意識を持たない記者の育成」が行われているという。社内研修などでそうした指導が徹底されているそうだ。記者が問題意識を持って取材を行うと、政権などの権力や広告スポンサーの企業とトラブルを起こす、と上層部が判断しているからだろう。

また、「部長やデスクの中には原稿を受け取ると、合言葉のように『この原稿、リスクない?』と尋ねてくる人も増えた。少しでもリスクがある原稿と思われれば、編集局内で多くの関係者がその原稿を輪読し、取材対象と摩擦を起こすリスクのある表現をどんどんカットしていき、結局は面白くない原稿にしてしまう」といった指摘も朝日関係者から出ている。

こうした判断の延長線から、近いうちに記者職採用も止める計画だという。記者職として採用すると、広告や営業などの他の仕事を下に見てしまいがちになるため、総合職の「社員」として採用し、その後、配属先に振り分けていくという。会社の方針に忠実に従うサラリーマンを養成するのだろう。

こうした採用手法は出版社やテレビなどの一部メディアでは行われている。その効用は本人の適性などによって配属先を決められるといったことであろう。しかし、新聞記者は「覚悟」のいる商売であり、こうした採用手法で果たして「覚悟」は醸成されるのであろうか。

ジャーナリズムを放棄した?

筆者も民間企業を経て27歳で朝日新聞社に記者職として転職し、約13年間勤務したが、その経験から言っても、最前線の新聞記者は間違いなく激務だ。

13年間のうち10年間ほど名古屋、東京、大阪の経済部に在籍していた経験から言うと、風邪でもひかない限りウイークデイは自宅で夕食をとったことはなく、その日のうちに帰ったこともない。平均睡眠時間は4~5時間程度だった。同僚もそんな感じだった。

〔PHOTO〕iStock

さらに、最近は読者の目も肥えているので、勉強しないと読み応えのある記事は書けない。また、ネット社会になって記者個人への攻撃も絶えない。

体力は消耗してストレスもたまって健康にも悪いし、スクープを「抜いた抜かれた」の緊張感もある。かつてのように給料も高くない。

決して割のいい「商売」ではないが、自分が培ってきた問題意識をベースにニュースを発掘していく作業は実は楽しい。だから常に問題意識を持ち、それをアップデイトしていけるように、人と会い、現場に出向き、資料や文献を読み込む。

問題意識を持つことが優れた記事を書くための第一歩であるこということは、多くの記者は否定しないだろう。しかし、朝日新聞の上層部はこれを否定しているようにみえる。

この結果何が起こっているか。独立しても自分で食っていける一部の記者は会社を去り、残る記者は著しくモラルダウンして仕事をしない、という状況だ。ある地方の首長から最近こんな話を聞いた。

「あなたの古巣の記者が一番仕事していないよ。現場にも出向かないで役所の提供写真を使ってばかり」

しかも、提供写真に「提供」のクレジットさえ入れないこともあるそうだ。

悪循環に陥りつつある

モラルダウンに拍車をかけるのが、賃金カットと経費削減だ。

朝日新聞社では取材対象とお茶をしたり、会食したりする経費はほとんど面倒を見てもらえず、「自腹」で対応ケースもかなりある。20年以上も前、朝日新聞の賃金が高いと言われていた頃、「給料に取材費込み」と筆者も教えられた。

最近は賃金カットが続き、年収は筆者が在籍していた12年前に比べると、3割近くは落ちていると見られる。

経営陣が最近、さらに3割の年収カットを労働組合に申し入れしたが、さすがに労組も堪忍袋の緒が切れたのか、交渉のテーブルにつくことを拒否したという。新たに年収を3割カットすることは、16年度から始まった中期経営計画の柱の一つだったが、早くも頓挫したようだ。

もし、過度な問題意識を持たない記者教育を実施し、現場もモラルダウンが進めば、面白い新聞などできるはずもない。

ネット媒体全盛の時代とはいえ、新聞にもまだ多くの読者が付いている。しかし、まともな記事がなければ読者に見放されて部数が落ち、それが影響力の低下につながり、さらにそれが広告減につながる「悪循環」が加速しつつあるのではないか。

朝日新聞社2016年度の第一・四半期決算(同年4~6月)で売上高は前年同期比36億円減の637億円。広告収入や部数が予想以上に落ち込んだことなどが響いた。賃金カットなど営業支出を抑えることで何とか10億円の営業利益を確保したものの、営業利益率はわずか1.6%。赤字転落は目前の状況と言えるだろう。

こうした局面にありながら、渡辺雅隆社長には経営を立て直す明確なビジョンと哲学がほとんどなく、目先の利益確保と業績が良い企業の物まねに走っているようにみえる。朝日社内には、渡辺社長は自分の頭で深く考えることを放棄しているのではないか、との指摘もあるという。

どんどん普通になっていく

さらに辛辣な批判もある。

「『社長や上司がバカ』だと言う批判は、現場のことが分かっていないという意味でどの組織にもありがちだが、そういう意味ではなく、うちの渡辺社長は本当にひどい」(中堅幹部)

たとえば、「渡辺社長は、民間企業がPDCAを回す経営をしていると最近知って喜び、真似して導入しようとしている」(同)そうだ。

PDCAとは、プラン(P、計画立案)、ドゥー(D、計画実行)、チェック(C、計画通り実行できたかの確認)、アクション(A、確認して軌道修正)のこと。この「PDCAを回す」経営を徹底している企業がトヨタ自動車だ。

トヨタでは会社の年度方針が示されると、それを受けて開発や営業などの各部門がその方針に基づいて実行すべきことや取り組むべき課題を決める。さらに、各部門が決めたことを、部や室などの組織単位でブレークダウンしていく。最終的には個人単位にまで年度方針をブレークダウンしていく。

P→D→C→Aの後にSが来ることはあまり知られていない。Sとはスタンダーダイゼーション(標準化)。結局、難しい課題解決が誰でもできるように仕事を標準化して効率化していくことに目的があるのだ。これには一定の効果があるものの、独創性が著しく低減する弊害も伴う。

なぜなら、会社が指示した方針をベースに考えていくので、独自で斬新な発想を生み出す力が弱くなるからだ。新聞社の、特に編集現場のようなクリエイティブであるべき職場に似つかわしくない仕事の進め方が「PDCAを回す」ことなのである。

渡辺社長は日産自動車のカルロス・ゴーン氏が行った改革も模範の一つにしており、「朝日版クロスファンクショナルチーム」も設置した。要は、渡辺社長がやろうとしていることは、「普通の企業」になるということである。

新聞社が「普通の企業」になって、果たして社会に存在感を示すことができるのであろうか。誤解を恐れずに言えば、新聞社は「無頼集団」であるべきだ。今はやりのコンプライアンスも糞くらえだ。やってはいけない行為は読者を裏切ることだけ、と言っても過言ではない。

新聞は「瓦版」であり、権力の悪口を書き、タブーに切り込んでなんぼである。怖がられる存在だから、広告も集まる。そんな基本的なことを忘れてはならない。