ふたりのロッテ 著者 エーリッヒ・ケストナー
‐ | エーリッヒ・ケストナー (Erich Kastner) 1899年~1974年 享年75歳 ドイツ人 「ふたりのロッテ」 (Das doppelte Lottchen) 1949年出版 |
ドレスデンのノイシュタットに生まれた。父エミール・ケストナーは鞄作りの
手工業者だったが、産業工業化のあおりを受けて、工業労働者になり、母親
イーダは夫の少ない労働賃金を補うため、理容師になる。
自由主義・民主主義を擁護し、ファシズムを非難していたため、ナチスが政権
を取ると、政府によって詩・小説、ついで児童文学の執筆を禁じられた。
ケストナーは父方を通じてユダヤ人の血を引いていたが、「自分はドイツ人
である」という誇りから、亡命を拒み続けて偽名で脚本などを書き続け、スイス
の出版社から出版した。
戦後は初代西ドイツペンクラブ会長としてドイツ文壇の中心的人物になった。
ちなみにドレスデンにいたケストナーの母親とは戦後の東西ドイツ分断で離れ
離れになってしまったが、東ドイツ政府もケストナーが反ナチを貫いた事を高く
評価、母親を手厚く保護したという。
長年ルイーゼロッテ・エンダーレという女性と生涯ともに暮らしていたが、内縁
関係のままで生涯結婚する事はなかった。ちなみに『ふたりのロッテ』の主人公
である双子の姉妹(ルイーゼとロッテ)は、この内縁の妻の名を分けて名付けた
ことで知られている。
【経歴】
1899年2月23日 ドレスデンのノイシュタットに生まれた。
1927年 処女詩集「腰の上の心臓(ハート)」を刊行。続いて1932年までに
「鏡の中の騒音」「或る男が通告する」「椅子の間の唱歌」と3冊の詩集を刊行。
1928年 児童文学の第1作「エーミールと探偵たち」を発表し、評判を集める。
続いて「点子ちゃんとアントン」や「飛ぶ教室」 などの傑作を発表
1933年 ナチスが政権を獲りヒトラーが首相に就任する。
同じ年ケストナーの作品は全て焚書の措置となり、執筆・出版も禁止される
1945年 ヒトラーが自殺しナチス体制が崩壊、第二次世界大戦が終結
1949年 「ふたりのロッテ」を発表、ベストセラーとなり翌年映画化もされる。
1960年 「わたしが子どもだったころ」ほか全作品に対して第3回国際
アンデルセン賞が授与される
1974年7月29日 死去 享年75歳
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