「東京の恋人」 チャスラフスカさん死去 東京五輪で金
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1964年の東京オリンピックの体操女子で、3つの金メダルを獲得し、「東京の恋人」とも呼ばれたチェコのベラ・チャスラフスカさんが亡くなりました。74歳でした。
チャスラフスカさんはチェコ・プラハ出身の元体操選手で、1964年の東京オリンピックで体操女子の個人総合と跳馬、それに平均台の3種目で金メダルを獲得し、続くメキシコ大会でも個人総合で連覇を達成するなどオリンピックで合わせて7つの金メダルを獲得しました。
その実力と美しい容姿から「東京の恋人」と呼ばれて、日本でも多くのファンに親しまれました。
1968年の「プラハの春」では民主化運動に積極的に関わったことで、危険分子としてマークされ、職を失うなどの苦難を経験しましたが、1989年の民主化以降は社会的地位を回復して、大統領補佐官やオリンピック委員会の会長などを務めました。
チェコと日本の友好にも力を注ぎ、東日本大震災では被災地岩手県の子どもたちをチェコに受け入れるなどの支援を行ったほか、2020年のオリンピック招致の際には、一貫して東京への支持を表明しました。おととしには東京オリンピックから50年の祝賀会にも来日しました。
チェコのオリンピック委員会によりますと、チャスラフスカさんはすい臓がんの治療を続けていましたが、30日の夜、入院先の病院で亡くなったということです。
その実力と美しい容姿から「東京の恋人」と呼ばれて、日本でも多くのファンに親しまれました。
1968年の「プラハの春」では民主化運動に積極的に関わったことで、危険分子としてマークされ、職を失うなどの苦難を経験しましたが、1989年の民主化以降は社会的地位を回復して、大統領補佐官やオリンピック委員会の会長などを務めました。
チェコと日本の友好にも力を注ぎ、東日本大震災では被災地岩手県の子どもたちをチェコに受け入れるなどの支援を行ったほか、2020年のオリンピック招致の際には、一貫して東京への支持を表明しました。おととしには東京オリンピックから50年の祝賀会にも来日しました。
チェコのオリンピック委員会によりますと、チャスラフスカさんはすい臓がんの治療を続けていましたが、30日の夜、入院先の病院で亡くなったということです。
小野清子さん「美しく魅力的な選手だった」
1964年の東京オリンピックで、体操女子団体の代表として銅メダルを獲得し、現役時代からチャスラフスカさんと親交があった小野清子さんは「美しくてすばらしく、魅力的な選手だった。謙虚でみんなに好かれる人だった。すごく日本のことが好きで、大事にしている方だった」と振り返りました。
そのうえで、「当時のチェコスロバキアの社会状況について窓を開けると、監視の人がいるとか、苦労した話もたくさん聞かされた。悲しい以外、何も出てこないが、これまでの苦労を思うと、本当にごくろうさまでした。よく頑張られましたと申し上げたい。人を愛し、スポーツを愛して誰かのために何かをするという彼女の思いは世界に受け継がれると思う」と話していました。
そのうえで、「当時のチェコスロバキアの社会状況について窓を開けると、監視の人がいるとか、苦労した話もたくさん聞かされた。悲しい以外、何も出てこないが、これまでの苦労を思うと、本当にごくろうさまでした。よく頑張られましたと申し上げたい。人を愛し、スポーツを愛して誰かのために何かをするという彼女の思いは世界に受け継がれると思う」と話していました。