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〒101-0065
千代田区西神田3-5-3 2212

電話/FAX:03-5212-5222

mail:uchida@tcn-catv.ne.jp

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ご挨拶

街づくりへ、プロの視点。

だれもが住みたい、住み続けたいと思える、いきいきとした街、千代田を創ります。
「家づくり」から、「街づくり」へ。
一企業人、一建築士としての活動から、
千代田の街を預かる立場へと変わり、はやくも3年半が経ちました。

20代の頃から時間を見つけては続けてきた
バックパッカーの旅では、気づけば36カ国、138の街を訪問。
また、社会人学生として大学院に通い、
建築だけではなく改めて「都市政策」についての知識も習得。
世界の街々を歩けば歩くほど、そして、学べば学ぶほど、
自分自身や故郷日本、そして東京を見つめ直すようになりました。

単に、道路や公園をつくるといったことではなく、
一人ひとりが、本当にいきいきと暮らしていけること。
理想論だけではなく、プロだからこその視点で具体策を提案できること。

街への想いと、これまで積み重ねてきた経験・視点を持って、
だれもが住みたい、住み続けたいと思える豊かな街づくりを
自分の暮らす千代田で、もっともっと叶えてみたい。

いま、私たちが何か足りないと思っていること、
子どもたちが希望を持っていきていくために必要なことを、
「街づくり」から考える。

この夢に、私は生涯をかけたいと思っています。

基本情報

千代田区議会議員 内田 直之(うちだ なおゆき)

1964年、熊本市生まれ B型。
1984年国立高専建築学科を卒業、トステム株式会社(現LIXIL)入社。総合企画室主任、海外赴任(バンコク)を経て商品企画室長となり、主力商品の経営戦略・商品戦略、多くの開発プロジェクトに携わる。2009年同社を退社し、街づくりと政治の道を志す。
2014年、働きながら明治大学公共政策大学院を修了。内田都市建築デザイン代表。一級建築士。

 

学歴

国立有明高専建築学科 卒業
明治大学公共政策大学院 修了(公共政策修士)

職歴

トステム株式会社(現LIXIL)

内田都市建築デザイン
所属

千代田区サッカー協会 会長
社団法人 東京建築士会
明治大学校友会千代田区地域支部 副支部長
明治大学危機管理・コミュニティ持続研究クラスタ- 客員研究員
NPO法人 Football Community 千代田 顧問
NPO法人 神田学会

家族 父・母・妻
趣味

一人旅(世界36ヶ国138の街を訪問)
サッカー/ゴルフ(HC13.5)/カメラ/食べ歩き

資格

一級建築士
CASBEE戸建評価員
東京都防災ボランティア(建築物の応急危険度判定)

愛読書

建築に夢をみた(安藤忠雄)
深夜特急(沢木耕太郎)
都市のガバナンス(青山佾)
Number(総合スポーツ雑誌)

  

略歴

□幼年時代

5歳からエレクトーン、ピアノを始める。

□小学校時代

小学2年生からスイミングスクールに入り、県選抜大会にも出場。4年生の時、サッカー部の監督からスカウトされ入部。後日、県選抜にも選出される。
部活がない時は、近所の仲間と野球や陣取りをして、真っ暗になるまで遊ぶ。小学校6年生では、生徒会副会長やサッカー部主将、町会子供会長となる。

□中学校時代

サッカー部に在籍、副主将。ポジションは攻撃的MFで守備は嫌いだった。ロックに目覚め、バンドを組んで、ビートルズやD・パープルのコピーを行う。担当はキーボード。

□高専時代

福岡県にある国立高専建築学科に入学。親元を離れて寄宿舎生活が始まる。超体育会系の寮はまさに地獄だった。そこで、忍耐力と環境対応力を育み、生涯の友人を得る。
サッカー部では主将として、高専大会・社会人リーグで活躍。背番号は10番。練習が終わると、飲食店で深夜までアルバイト。卒業論文は『日本赤十字病院の建築計画おける史的考察』、卒業設計は『福岡県南部に位置する総合子供病院』と病院建築を研究する。
就職活動の条件は、勤務地が東京であること。日本の首都であり世界有数の大都会である東京はまさに私の憧れだった。

□トステム時代

トステムでの25年間は大変有意義なものだった。環境配慮や防災、防犯など、住まいづくりが抱える様々な問題に、技術力やデザインで応じていく仕事にやりがいを感じていた。マーケティング手法から、QC(品質保証)や知的生産性向上などの業務改善スキル、大型開発プロジェクトを通じての数多くのマネジメント理論など、大企業ならではの教育と実践を通して、多くの専門的な理論や知識、そして経験と実績を得ることが出来た。また、海外赴任(バンコク)の経験も大きな財産となった。
上司や先輩、後輩、同期に恵まれ、いまでも交流を持つ。サッカー部主将として社会人リーグに参加、テニスやゴルフを通じても、社内外に多くの友人を得る。
1994年  商品本部企画チーム主任
1999年  総合企画室係長
2000年  トステムタイ マネージャー
2003年  サッシ事業部企画課長
2006年  サッシ事業部事業企画室長
2007年  商品本部商品企画室長
2008年  商品本部商品企画室長兼NS開発PJ責任者
2009年  退社

□バックパッカー

沢木耕太郎さんの「深夜特急」に大きな影響を受け、バックパッカーとして36ヵ国、138の街を訪れる。バンコクの雑踏、ストックホルムの街並みなど、五感をフルに活用する旅は感性を豊かにし、孤独な旅は自分との対話だった。日本人であることを強く意識し、街のあり方に大きな問題意識を持つようになる。

□区議会議員

2011年、統一地方選挙に初挑戦。25議席を41人が争う激戦の中、多くのご支援をいただき初当選(5位)。環境文教常任委員会、商工観光施策特別委員会等に所属。

2015年、2回目の挑戦。25議席を38人が争う中、前回より3つ順位を上げ、2位にて当選。企画総務常任委員会、議会運営委員会、公共施設整備特別委員会等に所属。