こんにちは。きよねこです。
前回の記事で電車の中で子供を座らせることについての弊害について書きました。
皆様の反応を見て、驚きました。
思いのほか馬鹿な親ばかりなのですね。
まず子供は身体的に成長段階にあります。
日常の生活から体力、バランス、筋力を養わなければなりません。
よって空いた席があるからと座らせるのではなく体調崩しているとき以外は親は子供は立たせておくべきです。
道徳は人によって違うとは思いますが、この事実は変えようがないです。
次に親が楽をしたいから子供を座らせている、という意見がありました。
子供が騒ぐくらいなら座らせたいという気持ちはわかります。
しかし、それは目先のみしか見ていないこともわかっていますよね。
これからも子供が騒いだら子供の希望通りにされるのですか。
それが歪んだ形でメッセージを与えてることに気づきませんか。
無意識のうちに子供は自分が言えば、駄々をこねたら意見は通るものだと思ってしまいます。同じことを繰り返すでしょう。
あなたは自分が楽したいのですか?
もしそうだとして後々、苦労することになりますよ。
子供が小さければ小さいほどトラブルも小さく解決はしやすいです。
大きくなれば大きくなるほどトラブルも大きくなり、あなたの手にもおえるかどうかわかりません。
そして子供自身が苦労します。
大きくなるにつれて自分の思い通りにまわりが動かないことに苦しむことになります。
親というのは都合のいいように我が子を思うものです。
たとえ何か起こして我が子を都合のいいように思います。
いい加減に目を覚ましてください。
違和感を感じないのですか?
他の大人たちは立っていて、親も立っていて、我が子だけは座らせていることに、その光景に違和感はないのですか?
歪んだ甘やかし、過保護です。
優しさでも愛情でもありません。
自分の子供を思ってるなら他者を思いやる心を育てるために他の人に譲りましょう。
自立心と自制心を養うために他の人に譲りましょう。
その子のことを考えて座らせることで何を学ばせているのですか?
何かその子のためになっているのですか?
本当にわからないのですか?
私が子供たちを見ていて思ったのは大人、特に多くを過ごす親の日常のちょっとした振る舞いが子供に知らずのうちにメッセージを与えています。
幼いからと思って大抵の大人は子供を甘く見て、知らずのうちに下に見ていますが、あなたの言葉ではなく振る舞いがメッセージとなり伝わっていることを自覚しなければなりません。
些細な言葉、行動、矛盾が影響を与えているのです。より慎重に考えて、ある意味で大人以上に尊敬して接しなければなりません。
良くも悪くも子供は吸収してしまいます。
例えば親が子供のためを思って叩いたり怒鳴ったことが子供は内容は理解しないで、その場では親が怖いから従いますが、親がいないところでは無意識のうちに物真似のように怒鳴り声や暴力を他の子供にやっていることがありました。よくよくあることです。
珍しくはありません。
特に怒鳴り声、大声で叱ることは親が子供にやるようなことをそっくりそのまま他の子供にしているのです。
個人的には大声で叱ることは子供が危険な行為を止めるとき以外では弊害のが多いでしょう。
話がだいぶずれましたが、あなたが子供を思うなら常に選択してください、考える癖をつけてください。
一緒にいて楽しければいい、子供が楽ならいい、ではなく自分がやることで、そのことが子供にどう伝わってしまうだろうか、よくよく考えてください。
毎日振りかえってください。