CULTURE
ホワイトアスパラガスから食体験に関する研究まで──天才シェフ、フェラン・アドリア率いる「エル・ブジ・ラボ」を訪ねて
Text by Ayaka Ueda / COURRiER Japon
PHOTO: MATTEW LOYD / GETTY IMAGES
「世界のベストレストラン50」のトップに5回も選ばれた、世界で最も予約の取れないレストラン「エル・ブジ」の閉店から5年。フェラン・アドリアと弟のアルベルトはいま、ガストロノミー界にどんな革命を起こそうとしているのか。
「CERRAMOS EL BULLI PARA ABRIR EL BULLI(私たちはエル・ブジをオープンするために、エル・ブジを閉店する)」
恐る恐る扉を開けると、こう書かれた電気パネルが目に入る。
右手には大きなスクリーンを囲んだミーティングスペースが、左手には地図やグラフ、チャートが所せましと貼られたパネルに紛れて、アニメ『ザ・シンプソンズ』の作者マット・グレイニングが描いたフェランの似顔絵や、エル・ブジのキャラクターであるフレンチブルドッグの巨大なレプリカが飾られている。
そして奥に広がるのは、長机が並べられたワーキングスペースだ。
2011年に「エル・ブジ」を閉店した後、料理長のフェラン・アドリアと弟のアルベルト・アドリアが中心となって設立した「エル・ブジ・ファウンデーション」の研究所「エル・ブジ・ラボ」は、バルセロナ市内のビルのワンフロアにある。
スタッフに名前を告げると、黒のTシャツに黒のパンツというラフないでたちで、フェラン・アドリアがやってきた。厳格で無愛想な人なのだろうと勝手に想像していたが、とても気さくな対応に拍子抜けしてしまった。
このエル・ブジ・ラボでは、「ブジ・ペディア」を中心とした29のプロジェクトが進められている。ブジ・ペディアとは、ガストロノミー版「ウィキペディア」のようなもので、ガストロノミーに関するありとあらゆる知識を蓄積したオンライン・データベースだ。
ラボでは、料理家のみならず、建築家やデザイナー、プログラマーなど、さまざまな分野の専門知識を持つボランティアやインターンを含めた70人が働いている。
「エル・ブジ・ラボ」までは、バルセロナの中央駅「サンツ駅」からメトロを乗り継いで20分ほど
個人のプロジェクトに集中して取り組むスタッフたち
勤務時間はフレックスで、だいたい9時30分から夕方の6時30分までだ。オフィスは厨房のように活気に溢れているのかと思いきや、皆パソコンと向き合って黙々と作業を進めていた。個々が集中して自分のプロジェクトに取り組み、面白いアイディアが生まれたら、1日の終わりに意見交換をするそうだ。
ラボ内を案内してくれたスタッフによれば、厨房と同様、ここでも「速さ」「マルチタスク」「集中力」「最大限の効率性」が必要とされるという。
取り組んでいる「プロジェクト」は、人によって異なる。たとえば、「フォーク」について研究している人もいれば、「ホワイトアスパラガス」について何時間もかけて調査する人もいる。こういった研究の成果はすべて「ブジ・ペディア」に収められるのだ。
素人からすると、フォークの研究が「料理」とどのような関係があるのか見当もつかなかった。スタッフに「ここでは料理を『言語』として働いています」と説明され、さらに混乱した。
エル・ブジ・ラボを開いて研究に専念することにした理由を、フェランは「自分たちが持っていた疑問に答えるため」だと説明する。
「『料理』にまつわるすべてをわかっていなければ、何も理解できない。食の歴史を知り、分析し、新しい規律を作り出す。目的は『料理をすること』ではなく、『イノベーション』を生み出すことだ」
「食」を科学する
「80%の知識からクリエイティビティーが生まれる」
フェランはスタッフによくこう話す。食にまつわる「すべて」を知る必要がある。とくに「食の歴史」は重要だそうで、古代に使われていた石器から、私たちがいま使っている電子レンジまで年代順に展示されており、どのような変遷を辿ってきたのかがわかるようになっている。
人類がいままで使ってきた調理器具を展示
「日本の歴史」「日本のクリエイティビティー」など。日本に関する研究がまとめられたファイルが並ぶ
さらに、フェランはパネルに貼り付けられたチャートの1枚を指して「食べる」という“経験”について説明してくれた。
「このチャートには、レストランで食事をするとしたらどんなプロセスを踏むか、可能性を含めて細かく書かれている。懐石料理と西洋料理を食べるのは、もちろん違う“経験”だ。何を食べるか、どこに行くか、どんなペースで料理が出されるか、誰と行くか、誰が予約したか、誰が支払いをするか、などさまざまな要因によって、『食べる』という経験は変わってくる」
さらに彼はこう続ける。
「料理は必ずしもシェフが作っているわけじゃない。刺身を食べるとき、醤油やわさびの量を決めるのは、誰? あなたでしょ? ガリを最初に食べるか、最後に食べるのか。しゃぶしゃぶをするときに、茹で具合を決めるのは誰? あなたでしょ? こういったプロセスひとつひとつを振り返り、理解することで自分が求めることも変わってくる。イノベーションを起こすためには、効率性を高めなければいけないんだ」
「レストランで食事をする」という「経験」に影響を与える要素を表した図
エル・ブジ・ラボでは、研究のほかにもディズニーやピクサーとコラボして親子で楽しめる料理本を作ったり、アプリ開発も進めていたりする。スペインの大手通信会社「テレフォニカ」などと手を組んで、シェフが料理だけでなく、レストラン経営を学ぶためのオンラインコースも用意するなど、取り組みは幅広い。
いまは「イノベーションの限界に挑戦している」とフェランはいうが、彼が見据える先には2018年にオープンする「エル・ブジ1846」がある。「1846」は、フェランがエル・ブジで24年の間に作り出した料理の数だ。
バルセロナから車で約2時間。カラ・モンジョイにある、カプ・ダ・クレウス自然公園のなかにエル・ブジ1846は建てられる。エル・ブジ・ラボでは理論的な作業を重ねてきたが、エル・ブジ1846では調理スペースも併設し、実践も兼ねた研究機関となる。
地中海をのぞむことができる、夢のような環境だ。ここで、20人からなるチームが1年のうち6ヵ月働くのだという。
スクリーンを真ん中に設置したミーティングスペース。壁は黒板になっており、ブレインストーミングをする際に使われる
「沖縄に行きたい」
「自分がシェフでない人生は考えられない」と自身でも断言し、世界最高の料理人の1人と称されるフェラン・アドリアだが、プライベートではどんな生活を送っているのだろう。
「家で料理はするのか」と聞いてみると「料理人なら家で料理なんかするわけない」と一蹴された。テレビなどでは「自宅でも料理する」と話すシェフもいるが、「そんなのは嘘」だそうだ。
果物は冷蔵庫に常にストック。好きな食べ物は「贅沢なものすべて」なんだとか。
また、映画好きとも聞いていたので、一番好きな映画を聞いたところ「そのときの気分次第だし、1作品に絞ることなんてできない。それに、そんなことで私を“定義”されたくない」と言われてしまったが、「クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』は本当に素晴らしい」と答えてくれた。
あまりにもくだらない質問をしたせいか、フェランが苛立ちを見せはじめたので、「食シーンで、いま一番注目している国はどこか」と聞いてみると、その質問はお気に召したようで、「日本のトロピカルな地方(沖縄)に行ってみたいんだ」と目を輝かせた。
「ロンドンやパリ、素晴らしい都市を抱える国はたくさんあるけれど、日本はインスピレーションを与えてくれる世界でたった1つの国。1〜2ヵ月は滞在したいね」
2002年に初めて訪れて以来、10回以上来日しているという。
日本が彼をそこまで魅了する理由は「人生観が違うから」だそうで、「エル・ブジ1846のオープン前に、もう1度行きたい」と熱弁する。
残念ながらエル・ブジ1846には、一般客向けのレストランは併設されない。かつてのエル・ブジを体験することは難しそうだが、エル・ブジのDNAを引き継いだ料理は、バルセロナで私たちも楽しむことができる。
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