徹子の部屋 ディーン・フジオカ 2016.08.29


汚染物の安全性を確認し、2ヵ月間に限って豊能町内の保育所跡地や倉庫に仮置きすることで住民と合意。
けさ、作業を再開しました。
汚染物はあさってまでに全て豊能町に搬入する予定です。
どうも皆様大変お待たせいたしました。
今日のお客様は女性のハートをわしづかみにしたと言われていらっしゃるあのディーン様と皆様に呼ばれていらっしゃるディーン・フジオカさんです。
どうぞお入りください。
よろしくお願いします。
朝の連続テレビ小説にお出になってもう大ブレーク。
大注目の俳優さんです。
どうぞお座りください。
今日は『徹子の部屋』においでくださいました。
どうもよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
(拍手)皆様がなんかディーン様とお呼びになっていらっしゃるそうなんで…。
ディーン・フジオカさん今日のお客様です。
はい。
よろしくお願いします。
どうもよろしくお願いいたします。
去年本当に彗星のごとく現れてもうとにかく皆さん大変で…。
「ディーン様」って…週刊誌開けるともうそこにバーッとあなたのお写真がいっぱい出ててね。
ありがとうございます。
「ディーン様」って皆さんが言って「大変だ」って…みんなが私に「大変です」「大変です」って…。
何が大変なんですかね。
お出になるんで「大変です」「大変です」って。
どういう方なのかと思っておりましたけどこれからちょっとご紹介しようと思いますけど…。
よろしくお願いします。
あなたのご経歴をちょっと説明させていただいてよろしいですか?よろしくお願いします。
1980年福島県出身。
現在36歳のディーンさんは子供の頃IT関係のお仕事で度々海外に出張していらしたお父様から国際感覚を…。
あら可愛い。
それからピアノの教師をしていらしたお母様から音楽の影響をお受けになってすくすくとお育ちになりました。
千葉県の高校を卒業後アメリカのシアトルの大学に留学しIT関係のお勉強をなさいました。
将来はアメリカで会社を作りたいなんて思っていらしたんですが9・11の事件が…。
ちょっとごめんなさい。
途中ですけどこれ何してるところですか?引っ越しして…。
引っ越しですか?荷ほどきをしてるところですね。
これお引っ越しの荷ほどきだそうですけど…。
9・11の影響でビザを取得できずこれからはアジアの時代だとバックパッカーとしてアジアの国々を巡る旅に出ました。
その途中の香港で人生の転機となる出来事がありました。
2004年香港のクラブでファッション雑誌の編集者にモデルをやってみないかと誘われたのです。
そこからご本人に伺います。
いきなりそこでもってモデルにならないかと言われた時はどんな感じでした?まあびっくりしましたね。
なんか自分の中で考えたことがなかったんで。
そういうことを?はい。
だから逆にその…なんていうんだろうな?飛び込んじゃおうかなみたいな感じで。
でまあバックパッカーやってるとお金がどんどんなくなっていったりもするんでちょっとこう…生活資金を稼ぐためにやれることをやってみようと思って。
せっかくいただいたチャンスだったんで。
そのモデルにならないかとスカウトされて最初は一回だけのつもりがその次の仕事につながってCMそして映画に出演するようになってその後活動の場を香港から台湾に移しドラマや映画のオファーが次々と舞い込んで俳優として大活躍。
えーとこの中であなたは…あそこにいらっしゃいます。
その活躍は俳優だけではなく2009年にはインドネシアで音楽活動もお始めになりました。
でも本当に…。
音楽やってらっしゃいますね。
音楽大好きです。
音楽大好き?はい。
日本でのデビューは2012年。
映画『IamICHIHASHI逮捕されるまで』。
で監督と主演俳優を両方なさった時でした。
人気に火がついたのはなんといっても去年の朝ドラで『あさが来た』で五代友厚を…呼びつけで悪いんですけど。
五代さんをはい。
五代さんをなさった時だったんです。
「あのイケメンは誰?」ということになりもう話題騒然。
で「ディーン様」「ディーン様」ということになり今日こちらにおいでいただいたという次第でございます。
ありがとうございます。
どうも。
私生活はちなみにちょっとがっかりなさるかもしれないんですけど2012年に結婚をなさいまして男の子と女の子の双子のパパでもいらっしゃいます。
はいそうです。
さて最初に留学をなさろうと思った時に理由は花粉症だったっていうのは本当なの?そうなんですよ。
すごくひどかったんですね。
お薬もほとんど効かないぐらい重症でお医者さんも頼れないし自分のね両親もどうしたらいいかわからないような感じだったんでもう花粉症にならないところに自分で行くしかないなと思ってで行っちゃいました。
そのディーンっていう名前は留学なすった時のみんなが外国の名前で呼ぶ時の…?イングリッシュネームみたいな感じでいただいてホストファーザーから。
学生の時は特に自分から意識して使ってなかったんですけど香港でキャリアを始めてからやっぱり外国人が地元の人たちの中に入っていって競争していくっていうことは名前を覚えてもらえるかどうかっていうのがすごく大きな違いだったんでやっぱりその…ユニバーサルな名前を率先して使うようになっていってもうはや15年ぐらいですかね。
でもみんなディーンということであなたのことを?そうですねはい。
でもその香港のイベントの時にあなたがラップをなさったらみんながとても感動したとかって。
感動したかどうかわからないですけどそういう誰でもセッションに入ってきていいよっていう日のイベントだったんで…。
ずっと僕音楽好きでやってて当時ヒップホップをすごく好きで自分で歌詞を書いたりしていたので。
その時は何語でなさったの?その時は英語ですね。
英語と…日本語もちょっと言ったのかな?なんかあなた中国語もおできになる?そうですね。
父親に…。
父親が中国の生まれで。
そうでいらっしゃるんですか。
そうなんですよはい。
中国語と英語とそれからインドネシア語?インドネシア語はそうですね生活に困らない程度ですけど。
そのラップなんですけど今ちょっとここでやっていただけない?って言ったらお困り?あー…。
何も…何ものも何もないんですけど。
じゃあ…ビートボックスっていうのをやっていただいてもいいですか?私はどうすればいいの?私は。
(ビートボックス)…みたいな感じで。
プスプスプスプスプス…。
ちょっと数が多いかしら?やったことないんだけど。
プスプスプスプスプスプス。
ちょっとタイミングが悪い?どういうテンポ?タタタタタン?なんか…。
このぐらいですかね。
ダダダダダダダン。
ダダダダダダダン。
yeah.ダダダダダン。
ah.…みたいな感じですね。
はい。
お願いします。
ダンダダダダダダダン…。
はい。
いきますよじゃあ。
ダンダダダダンはい。
「21stcenturyboy,」「freakdecoyslamitlikeTroy,」「life’dneverbejustatoy」「FirstIstartedblurrynowmyday’sgettingstarry,」「gotmyselfmeL.U.V.」「Millenniumphoenix,」「letitpray24/7that’sthewaytoheaven」わあーすごい。
全然途中ですけど。
それはあれですか?ご自分でお作りになって?そうですね。
僕CD…CDというか音楽を自分で作って出してたりしててそのうちの1曲のラップの部分をちょっと今…。
そのバックパッカーっていうんですかね?背中に背負っちゃって何カ国ぐらいお歩きになったの?えっと色んなところ行きましたね。
えーと…アジアだけで韓国…北朝鮮はほんのちょっとだけ入って…。
でもお入りになった?中国とチベットとベトナムカンボジアタイマレーシアシンガポールインドネシアとかそんな感じですかね。
11〜12カ国?ですかね?すごい。
まああと日本も。
そうですよね。
印象に残ってる国ってあります?そうですねそのね国ごとにいい部分とあまり自分がなじめなかった部分っていうのも両方あるんですけど。
やっぱり自分がインドネシアっていう国で…自分の妻の出身の国なんですけどジャカルタで過ごした日々っていうのはとても今の自分にとって大きな変化というか…。
でも奥様にお会いになったのはそのあとの出来事?その時?妻とは台湾で…台湾に住んでた時に。
そんな前に?はい。
台北で出会いまして。
でもあれですよね去年あなたが大人気…『あさが来た』で五代友厚さんをおやりになった…。
あの方をおやりになってみてどうでした?僕…まあ本当お恥ずかしい話なんですけど五代友厚さんを知らなかったんですね最初。
それで調べ始めて知れば知るほど感動的な生き方をした人なんだなと思ったんですね。
やっぱり当時まだ日本っていう国が外に開いてない時代に名前を変えて密航っていう形で海外に行ってそれで自分のコミュニティーに少しでも何か持ち帰ろうっていう気持ちで命を懸けて船とかで何カ月もかけてヨーロッパに行って…。
向こうへ着いても命の保証ないですよねパスポートがないから。
そういう中で色んなものをつかみ取って帰ってきて…。
それで当時あの…やっぱり僕本当歴史のことを今回五代さんをやったことでたくさん学ぶことができたんですけど。
やっぱり明治時代になった時ってそれまでの体制を壊すことを…壊そうとした人はたくさんいたけどじゃあ壊れたあと…壊したあと実際どういうふうなものを作るのかって具体的にイメージを持ってた方ってそんなにいなかったと思うんですね。
その中の一人がやっぱり五代さんだと…。
五代さんがしっかりとしたビジョンを持ってたんだなと思って。
自分がこういう今パスポートを持って飛行機に乗って色んな国に行ける…。
仕事をしたり生活したりできるのはやっぱり五代さんみたいな日本民族の先輩がいたから自分はこの権利を享受させてもらえてるって胸震える思いでやらさせてもらいました。
それはよかったですね。
そういう方をおやりになってね。
でもあなたがお出になったんでおばあ様がとてもお喜びになったんですって?そうですね。
日本のドラマにお出になったんで。
やっぱりどうしても他の国の仕事が多かったんで…なんか元気にしてるっていうのは伝わってたと思うんですけど僕もね電話したりとかして。
でも実際どこで何をやっててどこで…テレビで見れるのかビデオで見れるのかみたいな感じだったんで。
やっぱりそれがパッてつけてNHKで放送されてるってなるとすごく実感として近くにいるっていう感じに思えてもらえて嬉しかったですね僕も。
でもご両親はいかがでした?その…。
そうですね…。
安心したとは思いますね。
僕がやっぱり花粉症っていうことがあって勝手に飛び出しちゃった部分もあったんで息子がどうしてるんだろうって…。
そんなに干渉というか…お世話みたいなものはなかったんですけどでも心配は絶対してたと思うんで…。
そうでしょうね。
まあ4年前ですか?突然ですけどご結婚なさいまして。
どういう方ですか?いきなり「どういう方」って…。
そうですね…。
皆さんの代表として伺って…。
とっても優しい人ですね。
僕が人として惹かれた理由もやっぱりそこにあって…弱い立場にある人とか苦しんでる人に対して必ず救いの手を差し伸べようとする。
そういうやっぱり行動に移して…。
でそれをなんかこうあんまり…なんていうんだろうな?なんかすごく自然にカジュアルにやってるんですよね。
相手に重荷になるようなことはなさらない?そうなんですよ。
だからそういう姿を見ててあっこういう形で人を好きになることがあるんだなっていう…。
なるほどね。
でもあれですね。
皆さん「ディーン様」って仰って…あなたのお顔を拝見しておりまして私はね…どんなお顔かなと思ったんですけどやっぱりなかなか…鼻がすごく高くていらっしゃるし…。
ハハハ…。
横…。
そう。
そうそうそうそうそう。
逆のほうも向いていただいていい?こっちですか?そこですね。
ええそうそうそう。
お可愛らしいっていう感じがね…。
みんながね「わあディーン様」って言うね…。
女性週刊誌も…私びっくりしたんですけどいっぱいあなたが出ててそこにみんな「おディーン様」ってね書いてあったんで…。
なんかすごく大事に扱っていただいてるような感じで「お」と「様」が付くと。
おディーン様ですから。
ありがたいですね。
おディーン様ですからね。
そのおディーン様に色々お話を伺っていますけども。
私の聞き方がちょっと乱暴かもしれませんけど今日急いで伺って…。
そうじゃないとちょっとの短い間にあなたがどういう方かわかんないといけないので。
ちょっとコマーシャルまいりますね。
そのあとでまた。
コマーシャルです。
お子さんいらして2人で…男の子と女の子の双子だそうですけど。
はい。
双子で男の子と女の子っていうのは性格はどうなんです?全く違いますね。
全く違う?ふーん。
何歳ぐらいですか?今1歳9カ月とかですかね。
ふーん。
10カ月か?10カ月ですね。
まだ喋ったりはなさらないかもしれないけど…。
男の子のほうは喋りますね。
不思議ね。
喋るというかあの…数字数えたりなんかこう単語を叫んだりしますね。
男の子のほうが?普通ちょっと女の子のほうがね…。
ですよね。
女の子のほうはなんかだいぶ動物的な感じの叫び声のみですね。
男の子のほうがそういうちょっとね…。
まあだんだん成育していくうちにねまた変わっていくのかもしれないですね。
可愛いと思いますけど。
ただご家族はジャカルタでお暮らしなんですって?そうなんです。
だから今単身赴任で日本に来てるみたいな感じですね。
皆様ディーン様おディーン様は単身赴任でいらっしゃるそうでございますよ。
大変。
そうなんです。
そうなの?へえー。
じゃあまあ色んなことはご自分で生活のことはご自分でなさる?そうですね。
でも慣れていらっしゃるのねあなたね。
そうですね。
一人暮らしは慣れてるんで。
そうですよね。
昔からもうそうやって。
それで子供たちに読んであげたい本は『ピーターラビット』だなっていう思いもあったんですって?はい。
やっぱり…どこの国に行っても世界的にね親しまれてるキャラクターだしやっぱりその…これだけ長い年月を経てもね残るっていう物語の魅力というか強さというかそういうものを自分の子供たちにも伝えていけたらいいなと思ってて。
なんでいきなり私が『ピーターラビット』のことを申しましたかというとそっちのお隣にもう座っておりますがピーターラビットが。
このピーターラビットは…。
僕とあんまり大きさが変わらないですね。
ビアトリクス・ポター生誕150周年って…。
この絵を描いた女性の150周年…「ピーターラビット展」っていうのがBunkamuraのザ・ミュージアムで開催されていまして。
それのあなたディーン様がビアトリクス・ポターが暮らしたイギリスの例の湖水地方にちょっといらしたりとか…とにかくオフィシャルサポーターでいらっしゃる?そうですはい。
でもまあ色んなものありますけどピーターラビットのオフィシャルサポーター…。
声もやってらっしゃるそうで…。
そうですね。
ナレーションだったりとか音声ガイドとかはい。
でも可愛いからいいですよね。
そうですね。
なんかやっぱり自分も…知らないうちに自分も知ってたっていうんですか?それぐらい自然に自分の人生の一部だったしピーターラビットの魅力って年齢関係ないですよね。
親子3代で楽しめるしなんかそういう世代を超えた会話のきっかけにもなったらいいなと思いましたし。
でも彼女はイギリスの湖水地方にナショナル・トラストっていうんですか?そこに全部お金を寄付したっていうので有名なんですけどその地方にあなたいらしたんですってね。
行ってきました。
いい地方…すごい奇麗…?大自然が素晴らしかったんですけどたまたま天気が悪い時期だったんで…。
そうなの?もう毎日雨ですごくこうどんよりした天気だったんですけど。
でもやっぱりそのビアトリクス・ポターが残そうとした自然の素晴らしさだったり彼女がどうしてこういう物語…世界観を作れたのかっていうようななんか都会とは違う生活のスタイルっていうんですかね…。
同じイギリスの中で…。
ちょっとVTRを…その時の。
ぜひ。
ちょっと見せていただきます。
「こちらはニア・ソーリー村にやって来ました」「この村に移り住んだポターはこの地を生涯愛し続けたということですが…」「Hi!」「Nicetomeetyou」「Nicemeetingyou.Pleasuremeetingyou」「この時計があって…」これビアトリクス・ポターのお家?えーとここはですねお家ではなかったのですが…。
えーと…。
こっちは何だったかな?でもまあモデルになったような…。
仕事場…作業場のほうですね。
「これが実物のピーターラビットなんですか?」うん。
これ有名な絵ですよね。
本当寒くて…。
寒い?「湖水地方寒いぞ」温めてました体。
でもまあ気持ちよさそうなところですね。
「“MydearNoel”」「“Idon’tknowwhattowritetoyou”」「“soIshalltellyouastoryaboutfourlittlerabbits”」「“whosenameswereFlopsy,Mopsy,CottontailandPeter”」今のはご本の原文のほうを…。
そうですね。
オープニングのところですね。
なんか徹子さんも昔『ピーターうさぎ』の朗読されたレコードがあるっていうことを僕は…。
私レコードは知らないけど昔読んだことはありますよ。
うん。
これですよね?えっ!だとしたら何十年前って…50…60年ぐらい前?「1958年」って…。
「おかあさんうさぎと四ひきの子うさぎがいました」「あるひおかあさんうさぎがいいました」「“さあさあおかいものにいってきます”」「“すなばやこみちであそびなさい”」「“でもマグレガーさんのおにわだけはけっしてはいっちゃぁいけません”」「“はい”」「そこでおかあさんは」…。
声に面影がありますねやっぱり。
可愛い声。
可愛い声。
ああいう声だったんで…。
58年前?すごい。
最後にねもう時間もいっぱいになってきちゃったんですけどスタッフの女性も含めてですねディーン様にちょっと質問があります。
コマーシャル挟んで…。
ちょっとコマーシャル挟ませていただいてよろしいですか?コマーシャル挟んで5つの質問っていうのがございますのでちょっと伺ってみましょう。
待ってます。
女性スタッフを含めておディーン様のファンが多くてですねあなたに5つの質問をしてほしいということで代表して伺います。
はい。
「弱点は何ですか?」弱点?フフフ…。
弱点。
弱点ですか?僕グルテンアレルギーで小麦粉食べられないんですよ。
普段何召し上がってるの?お米は?ビーフフォーとか…。
そうですね米粉の麺とか。
米粉のフォー?フォーとか十割のそばとか。
あとお米は食べれるんで…。
皆様大変ですよ。
そういうことでございますからね。
それからね「ゴキブリは退治できるか」。
ああできますね。
それ平気?平気ですはい。
そう。
いいでしょ?皆様。
男の人で「キャッ!」って言う人いるけど私ああいう人もう信じないの。
嫌ね。
あなた平気?平気ですね。
なるべく殺さずに捕まえて逃がそうとしますけどね。
お優しい。
ねえ…。
それからね「生まれ変わったら何になりたい?」。
これですね僕ピカチュウになりたいです。
ピカチュウ?今もう大変じゃありませんか。
すごいですよね。
どうしてピカチュウになりたい?なんか明るい気分になりません?元気だなと思って。
うん…。
ああいうのがいい?ええ。
でもまあもう今既にピカチュウみたいなもんじゃないですか。
お墨付きを今いただきましたね。
やった!ピカチュウみたいなもんになりました。
ピカチュウみたいなもんだと思いますよ。
みんなが見たいと思ってねそれでパッとね…。
ありがとうございます。
すごく嬉しいです。
やった。
「これからも日本でお仕事はお続けになるんでしょうか?」そうですね。
お仕事をいただけるのであればぜひやらせていただきたいと思ってます。
今どこかよその国からオファー今来てます?そうですね。
まああの…先に中華圏だったり北米のほうでも作品に出してもらったりしてて。
どこ?北米のほうで。
北米?すごいですね。
なんかこうなんていうんですかね?自分としては今後もどこでも…世界どこでも縁があれば作品をやらせてもらいたいなと思ってるんですけど。
でも今こうやって自分の祖国でやらせてもらえる機会をいただいてるんですごくそれを大切にしていきたいなって思ってますね。
なるほど。
じゃあ皆様どんどん次々と日本の中でオファーしてなるたけよそにいらっしゃらないように押さえておきましょう。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ちなみに最後に私のことはご存じでしたか?もちろん。
僕実は何度かスタジオ内ですれ違ったりしてて。
あら…。
僕はご挨拶させてもらってるんですけどきっと覚えてないと思いますね。
あら…。
どこで?TMC砧で…。
あらーわかった。
どこの…。
『世界ふしぎ発見!』っていうクイズやってる時ね。
奥のほうで僕ドラマ撮ってたりしたことがあって。
そうなの?あら失礼…残念。
でもご挨拶っていうか僕が単純にこうねお辞儀してただけなんですけど。
目も悪いこともありましてねちょっと失礼いたしました。
全然全然。
今日お会いできて光栄です本当に。
今度会ったら「黒柳さん」って呼んでくださいませ。
やっぱり彼女も知ってますしすごくインターナショナルに有名な番組なんで…。
ああ嬉しい。
どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
2016/08/29(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 ディーン・フジオカ[解][字]

〜“おディーン様”初登場!黒柳とラップ〜ディーン・フジオカさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
昨年、連続テレビ小説『あさが来た』で大ブレイク!ディーン・フジオカさんが『徹子の部屋』に初登場。今日は謎めいた“おディーン様”の魅惑の素顔を徹底解剖!黒柳さんからの「5つの質問」に答えるディーンさんは必見!
◇番組内容
福島県出身、現在36歳のディーンさんは高校卒業後、アメリカ・シアトルの大学に留学。将来はアメリカで起業したいと思っていたが、9.11の影響でビザが取得出来ず、バックパッカーとしてアジアの国々を巡る旅に出たと語る。その途中の香港で、ファッション雑誌の編集者から「モデルをやってみないか」とスカウトされたディーンさん。スカウトされた時、ラップを披露したという。それを聞いた黒柳さんから突然のムチャぶりが!!
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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