ダム建設、薬の認可など公的機関がいったん決めたことを翻すのは稀だ。「行政の無謬性」、行政は、絶対間違えない、という内外からの要請があるからだ。根っこには警察、軍隊、課税を司る「権力機関」だからこそ、間違えてはならないという残酷なまでの倫理意識がある。また、実際に変更の影響が広範囲に及ぶことが多いからである。
私は、たまたまその珍しい「方針変更」の現場に何度か立ち会ってきた。改革派の首長は、そういう局面によく直面するのだ。例えば、滋賀県(嘉田知事)の新幹線新駅の建設中止、橋下知事の槙尾川ダムの建設中止、大阪市の関市長の地下鉄8号線建設中止決定などである。
いずれも首長の悩みは深い。データ分析は当たり前。さらに公平無私の立場から賛成派、反対派双方の意見を収集し、中止した場合、しない場合にどこにどんな影響が出るか徹底的に洗い出す。当然、矛盾だらけ、あちら立てればこちら立たず、進むも地獄、退くも地獄である。
選挙の時はまだ良い。見直し(あるいは継続)を掲げ、争点に対して旗色を鮮明にすれば良く、審判は有権者が下す。だからある意味、気楽である。
だが、当選して首長になった途端、立場は変わる。前任の知事が決めた方針で県庁は動いている。賛成派の候補者でも、知事として県庁を代表し、反対派の痛みと賛成派の嘘や思い違いを深く理解しなければならない。逆もそうだ。
物事、100%正しい主張なんてありえない。首長はこれまでの支持者の主張でも知事としては疑ってみる。そして両派の真意を探る。何しろ役所の決定で人生、生活が変わる人がいる。いったん決めた決定を覆すとなれば、翻弄される人々をどう救済するかが新たな課題としてのしかかる。
「知事が変わったから当然」「民意だ」「選挙の時の勢いがない」とメディアは囃し立てる。だが当選したあとに役所から得る情報は膨大だ。知らなかった事実もでてくる。また、政策変更の影響を受ける当事者の悩み、心の痛みは簡単には癒せない。知事は、賛成、反対どちらであっても、心の中で謝罪をする。
一方で力強く正論を吐く。以前の方針のままやっていては、県(府、都)の将来に禍根を残す、そしてそれが選挙中に汗をかいてたくさんの人々と語った自分の最終決断だと言い切る。
既定方針を覆す知事は、例外なく呻吟する。だが決断したら、あとは言い切るのみ。そういう知事に寄り添う職員もわれわれも辛い。だが、決断はしなければならない。
さて、築地の移転。いきなり白紙撤回ではない。数ヶ月の延期で終わる可能性が高い。だが延期で迷惑、不利益を被る方、東京都は信用できないと憤慨されるすべての方には誠意を尽くすのみである。「民意」を振りかざすわけにはいかない。「誠意」をひたすら訴えるしかない。だから、延期されてもそこには勝者も敗者もいない。
かくして築地移転問題の判断は、小池さんが「当事者としての知事」になっていく大事な試金石である
追伸 知事が延期の決断をなかなか発表しないことをもって「慎重になった」だの「賛成派による「恫喝」があったため」といった報道が一部にあるが、
的外れである。
知事は、賛否両方の意見、事実の分析、膨大なシミュレーション、様々な専門家、職員などとの対話で決断をする。恫喝や誘引に左右される軽いものではない。
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