はい、こんにちはKaitoです。
最近更新できてませんでしたが、祖父のお葬式でばたばたしていたからです。
生まれて初めての親族の葬式ということで辛いことも多くありましたが無事終わりました。
昨年
前から病気になり、去年からはずっと入院していました。
前回書いたチャリ旅の記事もお見舞いを兼ねていたものでした。
入院していたことから、お見舞いに行っても絶対に泣かないと決めていましたが、
予想していたよりも弱っていて、しかも元気すぎたイメージしかなかったのが逆に「死」というイメージを鮮烈に私に与えたため涙が止まりませんでした。
今年
そうこうしているうちに、一年がすぎ限界を迎えました。
この一年間、退院できるほど体調がよくなったりしましたが、どこかで転んだりしてしまい、また入院というのが2,3回ありました。
若いときは転ぶということはたいしたことはありませんが、歳を取るとただ転ぶということが大事故にあたるのでみなさん気を付けてもらいたいと思いました。
こういうことがなければ、もっと長生きできたのではと考えると悲しいですね。
そして死ぬ原因は「ガン」か「肺炎」になることが多いと思いますが、41度も出る肺炎になりましたが、乗り越えるほど体は丈夫でした。
最後は延命をするかしないかの究極の選択。
これは現代社会の難問ですよね。。。
祖母は「しない」を選択。
延命せずに老衰で死ぬことが一番幸せな死に方だと僕は思うのでこの選択は正しかったと思いたいです。
しかし「延命をしない」とは点滴もしないというだと注意せねばなりません。
このことを祖母は知らなかったため(きちんと説明はしてくれるがそんな余裕のある精神状態でないため理解できなかったそう)少し疑問に思っていたそうだ。
知らなかったら知らないでいいのに、僕と母は言わなくてもいいと言ってるのに父が祖母に言うという。。。
そこから祖母は罪の意識?寝たきりの祖父に「ごめんね」としきりに謝るようになりました。その姿を見ていて何より辛かった。
そして延命をしないを選択し、点滴もなしの状態だともって約1週間ほどだそうです。
亡くなった日には目も開きっぱなしで見えてないのではないかと思う状態でしたが、
前日には僕が呼びかけると眼球がきょろきょろとしました。
僕の目と目があうと、祖父の目に涙が浮かんできました。
それを見てしまい辛くてなのか、自分だとわかってくれてなのか、、、
要するに、感動なのかつらいのかわかりませんでしたが号泣してしまいました。
昨年お見舞いに行ってた時は、僕が誰だかわかってなくて悲しい思いをしたから余計にですかね。
そして次の日からは目も動かなくなり、まばたきもしない状態になってしまいました。余計な動きに体力をまわさずに最後は心臓の力に注ぎ込むそうです。
その日の夜、つまり山場と宣告されてから3,4日後(点滴もはずしてから6,7日後)なくなりました。
亡くなってから祖母が「あっけなかったねえ」と何回も繰り返すのに対して、みんな号泣していました。
死について
高校のときに同級生がなくなったのですが、喋ったことのない人だったので「かわいそうに」くらいしか思いませんでした。なので自分はなんて冷たい人間なのかと思いましたが、今回で
亡くなったという事実が辛い、悲しいというよりも亡くなった個人との思い出があり、それがフラッシュバックされることで思い出し、そしてそれがもう起こり得るものではないと実感することがこのような感情を引き起こすのかなと思いました。
※最後に
葬式が終わって思ったのですが、お坊さんってめちゃめちゃ儲かりますよね。
税金もかからないし。