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2016-08-30

ロマンチック・ラブの行方――新海誠「君の名は。」

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新海誠監督は以前、「ロマンチック・ラブの否定」という言葉を口にしたことがある。ロマンチック・ラブとは、恋愛対象を運命の相手と認識する社会学上の概念。新海アニメは、少なくとも『星を追う子ども』までその否定を出口にしてきた。失恋であったり、物語的な別離であったり、とにかく恋愛が成就して終わることはなかった。ヒロインを救い出した『雲のむこう、約束の場所』にしても、「あの後に待つ展開」はおそらく同じ出口を通っただろう。

風向きが変わったと感じたのは『言の葉の庭』からだ。成熟した作家の余裕があった。冷静で肯定的、それでいて否定的な部分も削ぎ落とさず、一歩引いたところから制作しているような、年輪のある作品。だから自分は新海アニメの中で『言の葉の庭』が一番好きだ。46分という中編の尺も作家に合っていると思ったし、バランスがいい。

そして3年ぶりの新作『君の名は。』が、ついに公開された。

今回は劇場長編アニメーション。一抹の不安があった。新海誠というアニメーション作家に、長編は果たして向いているのだろうか、と。『雲のむこう、約束の場所』と『星を追う子ども』で2本、長編を制作しているが、両作ともやや間延びした印象だった。しかし『君の名は。』は、そんな懸念を一蹴したどころか、遥か彼方へ消し飛ばしてしまった。コミカルで、切なくて、やっぱりポエジーで、情動に満ちていて、開けている。

そう、『君の名は。』は開放的な入り口を持つ映画だ。

山奥の田舎に暮らす女子高生の三葉(みつは)は、東京で生活する男子高校生になった夢を見る。一方、東京都心の高校に通う瀧も田舎の女子高生になった不思議な夢を見ていて……いわゆる男女の「入れ替わりもの」だ。話の掴みもバッチリおもしろいし、驚かされるのはコメディの操舵術。田中将賀キャラクターの振り幅を最大限利用して、顔は崩すし、おっぱいも揉む。新海誠はいつからおっぱいを揉めるようになったんだ、監督の中身が『To LOVEる』の矢吹健太朗と入れ替わっているんじゃないかと疑いたくなるくらい、何回も揉む。

けれど、これが新海誠の映画であると確信するのは、特徴的なモノローグや接続/分断のモチーフである電車など、過去の作品群から引き継がれた要素が次々に飛び込んでくるからだ(ユキちゃん先生はずるい)。とくに『星を追う子ども』のアガルタ、生死の門を連想させる設定が出てきたときには、思わず感じ入ってしまった。つまり、開かれた扉を持ちながら、道を進んでいくと、いつの間にか新海誠の聖域に辿り着く構造になっているのだ。そこに待つのはSFであり、すれ違いであり、喪失感であり、そして手を伸ばしても届かないものへの憧憬と焦りであり……いつもならそれで終わっていた。得られたかもしれないものを失くしてしまう新海誠の出口は、ロマンチック・ラブの否定と決まっていた。だが、この映画はちがう。ラストシーン、瀧にノボルが、貴樹が、三葉にミカコが、明里が、重なって見えた。君の名は、と重なった声の主は瀧と三葉だけじゃない。ずっと、名を呼ぼうとして呼べなかった、新海アニメで離ればなれになった少年少女の声。

誘導に長けた映画だと思う。いつもの出口を匂わせておきながら、最初からちがう出口を用意しているのだから。瀧と三葉は出逢うべくして出逢う。『ほしのこえ』から数えて14年を費やしたボーイミーツガールの成就。とうとう、運命を信じられる新海誠監督作品が現れた。しかも長編の最高傑作と呼べるレベルで。もう、ロマンチック・ラブの行方は気にしなくてもいいのかもしれない。その場面に立ち会えたことが喜ばしくて、わずかに、寂しい。


4041047803新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド
新海 誠
KADOKAWA/角川書店 2016-08-27

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