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【東京】

私が見た「砂川闘争」 郡司さんが体験語る 来月4日に立川でシンポ

シンポで体験を語る郡司典子さん=立川市で

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 旧米軍立川基地の滑走路拡張計画に反対した砂川闘争を、生活者の視点で振り返るシンポジウム「砂川闘争と私」が九月四日午後二時半から、立川市砂川町の市砂川学習館で開かれる。

 闘争を語り継ぐ市民団体「砂川を記録する会」の主催。これまで機会がなく、聴衆の前では体験などを語ってこなかった郡司典子さん(70)=国立市=が初めてパネリストとして参加する。

 郡司さんは旧砂川町で生まれ育った。自宅は旧町役場の隣にあり、闘争が始まった一九五五年は小学四年生。自宅周辺で日常的に繰り広げられた光景を「血だらけの学生が警官に蹴飛ばされながらもみ合っていた」と振り返る。

 父の志茂威(たけし)さんがリーダー的な役割を担っていたこともあり、「闘争は身近な存在だった」と郡司さん。記録する会代表の星紀市さん(72)=立川市=から「見たままの光景を話してほしい」と登壇を依頼され、「当時の記憶を誰かに伝えたいと思っていた」と聴衆の前に立つことを決めた。

 星さんは「反対の声を上げた活動家や学生に焦点を当てて企画してきたが、闘争の現場で暮らしていた人に語ってもらうのは初めて。後世に伝えていく上で貴重な機会になる」と来場を呼び掛ける。

 シンポジウムに先立ち、午後一時から、拡張予定地だった場所を歩く現地探訪会も開く。参加無料。 (加藤健太)

 <砂川闘争> 1955年、東京都砂川町(現立川市)で米軍立川基地の滑走路拡張計画が表面化し、住民らが土地の強制収用に抵抗して反対同盟を結成。56年には測量を巡って警官隊と住民側が衝突し、1000人超の負傷者が出た。米軍の拡張中止決定を受け、69年に15年間に及んだ闘争は終了。基地は77年に全面返還された。

 

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