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平和の願い次世代へ…遺族最年長、101歳

全国戦没者追悼式の会場に向かう中野佳寿さん=東京都千代田区で2016年8月15日午前10時6分、長谷川直亮撮影

 71回目の終戦記念日を迎えた。日本が平和を享受してきた71年間は、いとしい肉親や家族を戦争に奪われた人たちにとっては、苦労や悲しみとともに生き抜いた長い時間でもある。優しかった夫、一家を支え続けた父……。記憶や思い出を紡ぎながら、今年も遺族たちが追悼式会場の日本武道館(東京都千代田区)に集った。

71年間の思い紡ぐ…中野佳寿さん(101)

海軍巡洋艦「最上」

 3月末に転んで骨盤にヒビが入り「もう歩けないかもしれない」と思った。今回参列した遺族の最年長、中野佳寿(かず)さん(101)=東京都多摩市=は、追悼式への出席を目指してリハビリに励み、伝い歩きができるまでに回復してこの日を迎えた。夫の信行さん(享年34)を失ってから72年。2人の子を育てるために懸命に働いた日々を振り返りながら「戦争は絶対にやめていただきたい」と不戦を訴える。

 夫は海軍兵学校の教官だった。「教え子を戦地に送り出しておいて、自分は何もしないのは耐えられない」と志願して、1943年4月に出征。巡洋艦「最上(もがみ)」の航海長になった。福岡県久留米市の家には、佳寿さんと、当時5歳の長男、0歳の長女が残された。

 その年の暮れ、船が修理のため広島県呉市に1カ月ほど寄港した際、家族で近くの民宿で過ごしたのが、最後のだんらんだった。小学校入学を控えた長男のため、夫はランドセル、筆入れなどの学用品を用意してくれた。「人格者で、私にはもったいない人だった」

レイテ沖海戦で攻撃回避中の最上=米国立公文書館

 44年10月、信行さんがフィリピンのレイテ沖海戦で戦死したことを、兵学校の同級生からの手紙で知った。「未亡人として生きていくことが私の人生だ」。そう腹をくくった。

 戦後の食糧難。山で採った草をおかずにし、川で拾った貝をみそ汁に入れた。短剣など大切な夫の形見も、一つ残らず米に換えた。しばらくして百貨店の呉服売り場に仕事を得たが、「生活に追われ、孤独感が募った」。夜寝る前、空想の中で、帰ってきた夫に「子どもたちはこんなに大きくなりましたよ」と報告するのが唯一の楽しみだったと振り返る。

 戦争体験を語れる世代が減り「若い方が戦争に近づくような世相になっている気がして恐ろしい」と憂える。信行さんに「おかげさまで無事に暮らして、今は楽しんでいます」と語り掛け、子や孫の世代にも平和が続くように手を合わせた。【黒田阿紗子】

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