米国のバイデン副大統領は24日、トルコの首都アンカラを訪れ、同国との友好ぶりを演出した。7月にトルコで起きたクーデター未遂事件後、悪化しているエルドアン大統領との関係を修復するためだ。
タイミングを見計らったかのようにトルコ軍の大規模部隊が初めてシリア領内に侵入し、過激派組織「イスラム国」(IS)が支配していたトルコとの国境沿いの街ジャラブルスを奪取。トルコが北大西洋条約機構(NATO)の重要な一員であると米政府に再認識させた。
バイデン氏の訪問は表向きは成功したように見えるが、実際はそうではない。トルコは依然、欧米諸国と対立状態にあるだけでなく、ほかにも多くの敵と戦っているからだ。
24日のバイデン氏との共同記者会見で無表情だったエルドアン氏は、トルコ政府がクーデター未遂事件の首謀者だとしている米国在住のイスラム教指導者フェトフッラー・ギュレン師の身柄引き渡しを米国に求め続けるだろう。エルドアン氏は10日、米国は「トルコかFETO(フェト)のどちらか」を選ばなければならないと述べた。FETOとは「フェトフッラー派テロ組織」のことで、静かに広く勢力を延ばしてきたギュレン運動を指してエルドアン氏が使う言葉だ。
■ロシアと和解 混乱に拍車も
欧州連合(EU)はかなり前にトルコを有望な加盟国候補と見なすのをやめてしまった。そのため今回、EUがクーデター事件そのものより事件後の大規模な弾圧を非難していることに与党・公正発展党(AKP)だけでなく、国内のリベラル派も腹を立てている。
エルドアン氏は今月9日、やはり強権的指導者のロシアのプーチン大統領と会談し、悪化していた2国間関係を修復した。今度はイランへ向かう。ロシアとイランは、トルコがこの5年間、退陣を訴えてきたシリアのアサド政権を支援してきた国だ。こうした混乱が、しかも次々と激変する状況は何を意味するのか。
まず必要なのは、クーデター未遂事件がトルコに対する残忍な攻撃だったと認めることだ。この点については米国とEUも遅まきながら同意している。反乱勢力は国会議事堂を爆撃した。市民は街頭に出て戦車に立ち向かった。少なくとも240人が命を落とした。過去のクーデターでは、「影の政府」ともいえるトルコの民主化に反対する立場を取る軍部や諜報(ちょうほう)機関が中心的役割を果たしたが、今回は軍の一部による反乱だった。
今回の事件の背後には、ギュレン派の軍の将校がいたことを示す証拠がある。ギュレン派がトルコでこれだけ力を持っているというのは、エルドアン氏とAKPには認めたくない事実だろうが、これはクーデター事件と同様、重要な点だ。
ギュレン師によるギュレン運動は、2012年まではAKPにとって欠かせない盟友だった。トルコはオスマン帝国崩壊後にムスタファ・ケマル(後のアタチュルク初代大統領)が礎を築いた世俗主義国家だ。そのためイスラム色が強かったAKPが02年に選挙で勝利し、初めて政権を取った当初、権力基盤はほとんどなかった。そうした中、それまで十数年かけてトルコ内で警察から司法、諜報機関、軍、外務省、経済界、メディア、学界まであらゆるところに静かに根を張ってきたギュレン運動がその力を生かし、エルドアン政権を支えた。