こんにちは、ピコシムです。
今年も24時間テレビが終わりました。
今回は、『障害者と感動のパターン』が興味深い。
日テレの24時間テレビに対して、裏番組のNHKでは
日テレに全力で喧嘩を売っていくスタイル #Eテレ pic.twitter.com/3LdKqJt6h0
— めとれい (@metro_reisen) 2016年8月28日
障害者の感動的な番組に対してどう思うかアンケートをとった結果が、健常者と障害者でぜんぜん違うことが興味深いですね。
健常者の55%が嫌い、
特に当事者の障害者は、90%が嫌い答えています。
テレビで報じられる障害者の美談は、たまに聞く分には感動しますが、いまやメディアを通じて飽和状態です。健常者の半数以上はもう飽きてしまった。
障害者だからって、美談ばっかりなわけないだろと。
テレビで報道されているのはフィクションじゃないのか?と疑う人も出てきました。
TEDでは難病を患う当事者は、「感動ポルノ」が健常者に消費されていることをレクチャーしています。
障害者をネガティブな存在としてモノ扱いしています。自分の抱えている問題が大した困難ではないと、違う角度から見られるようにするためです。
感動ポルノという言葉は、最近知りました。
障害=ネガティブ の図式ではないのです。障害は当事者にとって日常ではあるけれど、困難ではない。
それ以上に、障害者を特別視したり、期待値を下げられて接する社会の方が障害だと彼女は伝えています。
私自身、ADHD(注意欠陥多動性障害)という病名がついていますが、全然見た目は普通の人なので、24時間テレビにはオファーされることは絶対ありえません。
私の場合、ストラテラという薬を飲むだけで「前頭葉」の血流量の低下を改善して、不注意や衝動性を防ぎ、集中力を向上させることができますが、そんなの美談仕立てにするには無理があります。
だって、普通の人が、風邪薬を飲んでるのと見た目は全く変わないですから。
また、もし自分が、何にもしていないのに、「達成賞」を貰ったり、あなたがいることで感動しました!とか言われても、
で、なんなの?
と、思う気持は良く分かります。
なぜなら、障害者もまた普通の人だからです。
パラリンピックに出るような人はアスリートです。だから感動するゲームやプレイが生まれます。その困難は、オリンピックに出る人と変わりません。
物心がついた時から、毎年8月の下旬に日本テレビ系列で放送される24時間テレビは、誰かが100キロをマラソンして、ZARDの負けないでをみんなで歌い、サライをみんなで歌って終わるというというパターンです。
「100キロランナーを歌って応援して感動する」
「障害を持っている人の実話のドラマを見て感動する」
「障害を持つ子どもたちが芸能人と踊ったり歌ったり山に登ったりするのを見て感動する」
「普段目にしない難病について知る」
「Tシャツを着て募金活動をする」
24時間テレビは1978年から毎年夏休み期間に行われる風物詩的な番組です。
障害者の頑張る姿をストーリーにして感動の押し売りだ、といろいろ批判があります。
ですが、それでも、24時間テレビは約30年近く障害がどんなものか社会に啓蒙し、社会福祉を広げるキッカケになったことは間違いありません。
バリアフリーの整備や、難病の医療制度など社会制度化がなされてきました。
だけど、障害があるから特別視される社会は、多くの障害者にとって弊害であって幸福ではありません。
その事実が、社会全体に広まっていき、障害者の社会的弊害が徐々に取り払われる新たなフェーズに辿り着きました。
障害者の美談が氾濫したことで、障害者もまた普通の人という認識が広がってきたからです。
最後までお読み頂きありがとうございます!
次回もお楽しみに!