やぁ。
ハマっ子はま龍だ。
数年前、血液型と性格を結びつける本が出版され、血液型占いの話題がメディア主導で大いに盛り上がったことはみなさんご存じだろう。
- 作者: Jamais Jamais
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2008/04/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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その時程じゃないかもしれないけど、日本では未だに血液型と性格を関連付ける話題で盛り上がることが多々ある。
事実、僕が以前働いていた会社では日常的に血液型の会話が交わされていた。
驚くことに、僕が所属していた支店の支店長は、血液型を社内の人間が出世できるかどうかの一つの物差しにしたりしていて、ひどく衝撃を受けたのを覚えている。
仕事に関してはあらゆることを数字で語るリアリストが、何の科学的根拠もない話を嬉々と語るのだから。
このように、未だに本気で血液型と性格には何らかの関連があると思い込んでいる人が現実に多く存在する。
ちなみに僕はずっと血液型と個人の性格を関連付ける主張に関しては断固反対派で
「なんでこんなオカルト極まりない話題で盛り上がれるんだよ」
と、血液型の話題を全面否定し、嫌悪感すら抱いていたときがあった。
でも、大学を卒業し、社会人になると、途端に血液型の話を受け入れるようになり、むしろ血液型の話題で盛り上がることが出来るようになったんだ。
それは
「そうした方がサラリーマン社会では上手く行く。」
と自分の中で結論付けることが出来たからだ。
話題としての血液型
血液型と性格は、科学的見地から何ら関連性はない、というのが多くの専門家たちの見解。
ソースを用意するのは面倒だからしないけど、別にソースを出さなくても血液型と性格の関連性に関して科学的な根拠がほとんどないことくらい誰でも分かるでしょ。
いや、分かってくれよ。
じゃあ、僕が「血液型の話を受け入れた」ってのは一体どういうことなのか。
それは
「血液型と性格を結び付ける主張は全く信じていないけど、話を盛り上げるネタの1つとしては仕方ないから認めてやろう」
ということだ。
血液型の話題は、数年前の流行をピークに徐々に廃れていくかと思いきや、我が国ではむしろ日常の話の定番ネタとしてある程度の地位を築き上げた。
残念ながらこれはみんなも薄々感じているんじゃなかろうか。
僕も参加する機会はさほど多くないけど、合コンのような初対面の人たちと自己紹介なるものをしあうときに、必ずと言っていいほど名前や年齢とセットで血液型の話をする。
これは、血液型と性格の話がもはや流行りなどの単なる一過性のものではなく、日常会話として定着してしまったと言わざるを得ない。
僕は社会人になり、この現状を受け入れざるをえなくなったというわけだ。
サラリーマンと血液型の話
で、冒頭から述べているように僕は血液型と性格を関連付ける話には全面的に否定的な立場をとってるけど、話のネタとしての血液型は受け入れるようになったんだ。
もちろん、間違っていることに対しては間違っていると声をあげてもいいかもしれない。
「血液型と性格の関連性は科学的根拠に基づき否定されているだろ!
いい歳した大人がなぜそんなクソくだらない話で盛り上がるんだ!
いい加減目を覚ましやがれオカルト野郎!!」
このように正義の雄たけびをあげてもいいのかもしれない。
反撃の狼煙をあげてもいいのかもしれない。
僕もサラリーマンになる前は、自分が正しいと思うものに忠実に生きていた人間だった。
でも、残念ながらサラリーマン社会ではこのような意見は往々にして不正解とされるんだよね。
なぜなら、この「正しい意見」なんてもの誰もを求めていないから。
多くの人々が求めているのは
「一緒に血液型の話を盛り上げてくれる人」
サラリーマン社会
日本のサラリーマン社会では
「空気の読める人間」
「同調出来る人間」
というのが好まれやすい傾向にある、っていうのはよく耳にすると思うんだ。
で、僕は1社しかサラリーマン経験がないから、あまり多くの事例を持ち合わせているわけではないんだけど、少なくとも僕の会社では反骨精神溢れる人間よりも上司に迎合している人達の方が出世していた。
僕の会社の事例
僕が配属された店舗はそのエリアの本部な役割を果たす支店で、その支店の下にいくつもの営業所が統括されるという組織図だった。
つまり、僕の店舗の支店長が事実上そのエリアのボスで、支店に統括されている営業所の所長たちは立場的には支店長の部下にあたるわけだ。
で、僕が配属されたエリアに点在する営業所の所長たちは、みんなうちの支店の支店長から推薦を受けて所長になった人ばかりだったのだが、どういう人たちが所長になっているのかというと、みんな支店長に可愛がられるような従順なタイプの人たちだった。
だから、所長としてうちの支店から飛び立ったあとも、支店長を囲む会のような飲み会が催されるたび、うちの支店の社員だけでなく、支店長の元部下だった所長たちも集まってきたのだ。
冒頭で述べた通り支店長は血液型の話が大好きだったので、飲み会の席になると必ずと言っていいほど血液型の話題に突入する時間がある。
この血液型の話題に突入すると、例に漏れずすべての所長が支店長に同調し、一緒になって盛り上げていたのだ。
所長たちの中に、血液型に反論を唱えるものは一人としていなかった。
当然、下っ端である僕も支店長や所長たちに混ざって血液型の話で盛り上がるしかなかったよ。
これがサラリーマン社会なのだと受け入れざるを得ない現実がそこにあったのだ。
もちろん血液型の話に同調したこと、それだけをもって、支店長から指名を受け、所長になれたとは言わないよ。
でも、支店長から推薦を受けて所長になった人たちの中に、血液型の話に反証を唱えるものは一人としていなかったというのも事実なんだよね。
「血液型と性格なんて関係ねぇだろうが!」
と唱え、暴れ始めるちょっと尖った所長が一人くらいいてもいいのではないかと思った。
悲しきかな、そんなアグレッシブなリーダーは誰一人としていなかった。
あくまでこれは僕の数少ない事例に過ぎないけど、同調出来る人間の方が出世しやすいというのは、出る杭打たれる日本のサラリーマン社会ではよくある話。
このように、サラリーマンの世界で求められる人物とは、血液型と性格の話題に対する正解不正解を唱える人物ではなく、不正解に目を瞑り同調出来る人物なのだ。
空気を読める人間と言い換えることもできるね。
それに気づいた僕は、血液型の話を受け入れるだけじゃなく、自ら発信していけるレベルにまで究極進化を遂げたのだ。
立派なものだよ。
そうしなければ、少なくともうちの会社では出世できないのだから。
最後に
でも、僕は結局そんな自分が好きになれなかった。
正しいことは正しい
間違っていることは間違っている
と自分の意見を言いたい。
自分の意見を自ら否定しなければ出世できないのなら出世なんてしたくない。
でも、サラリーマン社会では年相応に出世しなければ次第に風当たりが強くなるというジレンマ。
きっと僕にはこういう文化が肌に合わなかったんだね。
自分には正直であり続けたい。
先月、僕が会社を辞めた背景には、もしかしたらこういった理由もあるのかもしれない。
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