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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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タイトルで読ませて7万円を稼ぐことのなにが悪いのか全く分からない

 先日、かわいい女の子ライターが小規模に燃えていた。

www.aitabata.com

 確かにブロガー集合写真を見る限り、どや顔でもなければ笑顔でもないという意味不明な顔ばかりが並んでいて、どっかの原住民みたいにぼさっと突っ立っている怠け具合にイラっとはするんだけど、女の子も素直そうでかわいいし、微塵の問題もない。

 叩かれた原因は主に、『他人に文章を書かせ、ネガティブなタイトルをつけて読み手を釣る』という点である。
 これの一体全体、どこが悪いというのか。
 最初は自分がバカだから分からないのかと思ってしまったが、それでは自分に対して申し訳ないから、「他の奴らがバカなのだ、バカの考えは難解、難問であるので致し方ない」という結論をつけて自分を愛した。

瞬時に興味を抱かせるタイトルをつけなくちゃ、誰も読まない

 暇だしお人好しだしな人なんて、そうそういないし、なんの角も立ってない言葉じゃ右から左に流されていく。
 だからタイトルで勝負に打って出るのだ。

ネガティブワードによる釣りも純粋な創意工夫

 僕の所属する会社でもセミナーを年に数十回やるが、扇情的な宣伝をして人々を震え上がらせ、行かざるを得ない心境にさせることを狙い、その上で来た甲斐があったと思わせられるように全身全霊で工夫した話をぶつけて行く。

釣った魚を進化させて大海に逃がす

 これが経営理念だ。目指すべき社会貢献である。
 売り上げが悲惨だった頃は、セミナーの空売りをなんども行い、誰一人いない場所で熱狂的に語り、それを撮影し編集して、「今日も大盛況でした。予想以上の反響で当日参加の方もいらっしゃって、感謝感激です。急遽用意したパイプ椅子が故障中というアクシデントなどありましたが……(笑)大変ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。次回のセミナーもどうかふるってご参加ください」などと0の成果を10にも20にもして、信用を創作した。

嘘で築いた階段を駆け上がる

 心底これが人のためになる、自分のためになる、森羅万象のためになる、と考えられるものを伝えるためには手段なんて選んでられないんだ。
 僕はこのような善の詐術的方法で会社が拡大して行くのを見て、やはりドナルドトランプみたいに、荒っぽい勝負師として生きるとこの上なく痛快だし、心地よさが周囲に伝播して自分たち以外の人間も幸せに出来るのだと知った。
 勝負は、幸せの源泉なんだ。

資本主義社会であることを忘れてはならない

 資本主義の世界では、個人がなにより大切にすべきは競争に負けないってことなんだよ。
 誰かに負けない、誰かに打ち勝つ、誰かを出し抜く。
 こうした心意気を根本に持っていなければ、資本主義下で生きる生物として失格だ。
 戦いに勝って成果を得て、それを元手に人生を楽しみ感謝し、また勢いを付けて競争する。
 そうやってみんなで、クルクルと回転ゴマのように経済を回し、社会を発展させて行くんだ。
 だから自分という個を、世間に効率的に打ち出すために創意工夫して、機関銃式にダダダっと撃ち込んでいくのは評価に値するファンタスティックな行為だよ。
 たとえ世間の反感を買ったとしても、僕はそれをエクセレントだと思うね。
 ノーペインノーゲイン、人生の幸せは痛みの付随物なんだよ。
 勝負に打って殴り合いをしてこそ、資本主義を生きる人間の美しさが際立つ。

 釣られもしないで、有用な情報だけ得ようなんて甘いんだよ。何も得られず食われる魚に謝れよ。

神経質な井の中の蛙が遠吠えを覚えてしまった社会

 常識やモラルの範囲内で過激なタイトルをつける。
 これは仕事の工夫の一つであって、こんなことにすらいちゃもんをつける人は、競争とはなんたるかを心得ていない井の中の蛙なんだよね。
 厄介なのは、ネットが流星を極めたことによって、底の蛙が、声をどこまでも羽ばたかせられるようになってしまったことである。
 そうなるとズレた考えが、あたかも人間の常識ですといわんばかりに飛び交う。
 本来はなんの有用性もない取るに足らないヤジでしかないものが、とんでもなく響いてしまうんだ。
 そして様々な場所に潜む底の蛙どもが、暇なもんだから賛同することで、忙しく生きている一般市民たちの声よりも大きくなる。
 窓際族兼クラスのリーダーみたいな、一番ウザイ奴になってしまう。

鑑定眼のない者が目立てるようになってしまった

 くだんの7万円記事もそうだが、はてなで見受けられる炎上案件の中には、一般常識のフィルターを通して見るになんら公序良俗に反していない炎上記事がぎょうさんある。
 なのに着火し、火の手が止まらないのは、読み手という安全地帯から火炎瓶を投げつける放火魔がウヨウヨといるからだ。
 まず優秀な人間なんてごく少数だし、誰もがなんらかの影響下で混乱するように生きているのだから、正しい正しくないの正確な判断は、一般人がそうそう出来ることじゃない。
 大概、見誤っているんだよね。
 ゴミを拾った人間を見て、今ゴミを落としたと勘違いして激怒するような間違い方をする人が腐るほどいる。
 そういう人は主に目が腐っているから、じっくり記事を読んでも錯誤に陥ってしまう。
 言うならば赤点の赤点先生なんだよね。
 ミスを犯しながらミスを咎めるなんて間抜けがまかり通り、賛同者を得られることがあるとは、お気楽な社会になったもんだな。
 良かったね、その幸運に100点を付けてあげよう。

集団浅慮による正義の劣悪化

 なんにせよ人間は無意気に先導されてしまう生き物だから、誰かがネットに放った言葉に動かされてしまう。
 それにより偏見の集団が出来上がって、正義が質悪劣化する。

 何者かを悪と決めて、共同意識を抱えて複数人で叩きに行くのは、中毒性のある快楽遊びなんだよね。
 こうしたネット内におけるほとんどの正義は、ワガママの究極系であり、自分が気持ち良くなるために誰かを好き勝手に敵としてしまう、悪意の行為とすら言える。

欲望に駆られただけの利己的批判行為

 言わずもがな、真に悪いことを正そうとするのは素晴らしいことだ。
 ただこれには守らなくてはいけないことがあって、個人的になんらかを悪いことだと決めつけた際に、なぜそれが悪いことなのかを論理的に考え、少々きつい言葉を駆使する必要性がある相手だと確証を持てなくてはならない。
 それをやらず脊髄反射的に、悪の決め付けと正義の行使を行うのであれば、こんなものは欲望の動きでしかないことになる。
 これではただ欲情してるだけ、ビジネスホテルで事件を起こすのとなんら変わりない突発的暴力性エゴイズムから発生した悪意の行為だ。
 であるから、「これこれこういう記事を書く人は最悪です。社会悪です。有害です。徹底的に叩きましょう」という方向に持って行く人は、その過程の自己思考が、嘘偽りなく偏りなく進行しているかどうかを逐一事細かに検証しなくてはならない。
 とても疲弊することだが、個人を特定して罵り立てるのは、そこまでやれないのであればろくでもない行為だ。
 批判主義者の中には、「強い言葉を使わなくては相手に響かない」などとのたまう者も結構な数に上るが、これは戦争好きの人間の発想であって、社会を破壊しかねない思想を持った人である。
 そういう人は凝り固まった己の考えに固執し、脳内自己カルト教団の信者となっているから、異常っぷりを加速させながら生きている。

批判という名目のもとに、殴る蹴るのイジメを行っている人々

 彼らの行いは、いじめっ子と相通じていて、「なんか嫌な気持ちにさせられた。だから攻撃した。ゆえにいじめられっ子も悪い。もとよりいじめをしたつもりはない。ただオレが嫌な気持ちになったから反撃、そう批判をしただけ。そうしたらたまたま他の奴らもあいつを批判していたから、多重事故みたいにしていじめっぽい状況になっただけ。だから仕方ない。よってオレは無罪なり」という悪魔も恐れで涙を流すような自覚なきリンチを実行してしまっている。
 こうした人々は、許容力がないゆえに他人を従わせようとする強要力がズバ抜けて高い。
 忍ぶ能力が低く、自分の価値観の範囲外のことを見つけると、すぐさま拳を振り上げる。
 心の知能指数・EQが低いために、物事を勘案せずに殴りに行くパワー系であるから、状況次第では社会的な危険人物にも成り下がる獣なのだ。

非寛容ネット利用者ブラックリスト化希望

 これは僕の勝手な案だが、そうした害を及ぼす可能性のある人のコメントやメールなどをブラックリストとして国家で管理し、危機予防の施策を秘密裏に進めるべきだ。
 機密情報の暴露で有名なスノーデンが、日本のネットはなにからなにまで監視されていると発言していたし、ここらでいっそ国家レベルで開き直り、危険人物の異常活動による被害を減らすために、人権だとかプライバシーの権利だとかを表向きには守りつつも裏では自由に扱ってしまう牽強付会な仕組み作りをしたら良い。

社会構造が競争を強いている以上、勝負するしかないのだ

 勝つ気がないものは静かにしよう。

 こうした記事を書くといつも逆張りと言われるが、僕は正しいと思うことを口にするだけであって、炎上狙いでもPV稼ぎでもない。
 人に流されず、誰に嫌われようとも自分の思ったことを言うと決めているから、自然と逆張りみたいになってしまうだけだ。
 僕はいつも思うんだよね、考えを深めてるつもりが浅瀬を泳いでる人だらけだなって。この群衆は惨めだなって。自由になったつもりの監獄のブタだなって。
 そうならないために僕は、どれだけ息苦しくても、深海のシーラカンスたちと仲良く生きてゆく。
 君たちはせいぜい、砂浜で砂のお城でも作って半裸で王様気分でも味わったら良いんじゃないですかね。

 パッサパサの砂がお似合いですよ。

 

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雑記

 嘘とか詐欺とかそうした言葉を安易に使い過ぎる人たちが増えてるよね。

 7万円の記事内で紹介されている、およそ30万人に読まれたらしい、

www.aitabata.com

 という記事だって、カップルの写真まで掲載して本音をズバズバ語っているし、好きな人は好きな素晴らしいものだと思う。
 世の中の人は、こういう直線的で根源的な気持ちを知りたいものなんだよ。
 恋愛において、ブスは嫌いだとか、奢らない男はないだとか、女は顔が全てだとか、そういう愚かで低級な話題が大好きでしょうがないのが、一般人なのである。
 この記事を読んで怒りの気持ちが沸いた人は、マイノリティに属するし、声を荒げてコメントしたのであれば、ノイジーマイノリティになるよ。
 まずは自分が普通の人じゃない、ひねくれの少数派ということを自覚するべきだろう。

 ちなみに言うと、今回の炎上者が胡散臭い顔した男だったら、僕も一緒になって叩いていただろう。
 イラっとしたら見境がなくなるのが人間の性だからね。

 それと、ここ最近の若手が炎上を好むのは社会のせいだよね。
 貧困だったりでお先真っ暗だと精神異常が起きるわけで、その異常が辛いから正常へと転嫁させようとして思っても見ない強いタイトルや本文を書いて投稿してしまう。
 これは失恋したときに、「わたしなんてもうダメだ、生きてる価値ないよ」「あんなゴミクズに恋をしたのが間違いだった」「もう全部どうても良い!」と自暴自棄になって、本当はそんなこと考えていないのに素直になれなくて強い言葉を放りまくってせいせいしようとするのに似てるよね。
 要は耐えられない現状に対する憤りの声なんだ。
 それを読む側も人生に余裕がないから、気づくと怒ってコメントしてしまう。
 炎上させる人も、それを読む人も、大抵似てるんだよね。
 同じ穴の狢であって、同族嫌悪からの対立という愚かな争いでしかない。

 みんなが必死に戦ってるんだよね。
 人を呪うほどに。
 人を呪わば穴二つ。
 人類は皆、呪い、呪われる。
 渡し守カロンが手招きしてるよ。
 みんなで地獄へ行こう。

 

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