「封印」という言葉を聞くと、遊戯王のモンスターである"封印されしエクゾディア"を思い出す。
遊戯王の勝利条件は相手のライフポイントを0にすることなのだが、このエクゾディアは相手のライフポイントを削らなくても、ある条件を満たせば無条件に勝利することができる。
その条件とは、彼の両手足のカードの計5つを手札に揃えることだ。つまり、自分のライフポイントが100で敵のライフポイントが4000という絶望的な状況でも、エクゾディアさえ手札に揃えばその瞬間にバトルは終了。あなたは勝利を手にすることができる。
まあバトル中に5つのカードを揃えるのはなかなかむずかしいのだが、それだけ強力なカードなのだ。だからこそ、敵プレイヤーがエクゾディアを持っているとわかったら、相手にカードを揃えさせないように色々と手を打たなければならない。エクゾディアを封印から解き放ってしまってはいけないのだ。
「封印されたアダルトビデオ」を読んだ。本書は世に出るはずだったが、なんらかの理由で発売されなかった複数のアダルトビデオについて書いたものだ。さぞかし濃い内容なんだろうなぁと思って手にとったのだが、想像以上の濃さだった。その濃さは読み進めるごとに増していき、正直読まなきゃよかったかも、と思ったくらいだ。
たとえば、ある有名なAV女優さんが交通事故で亡くなり、そのひとの追悼ドキュメンタリーAVを撮ることになった。その女優さんはSM作品に興味があったが、事情があり出演できなかった。
監督は彼女の気持ちをこう汲み取った。「彼女はSM作品を撮りたかったに違いない。よし、彼女の墓石の前で撮影を行おう」と。
この時点で十分に死者に対する冒涜だ、と思う方が多いだろうが、さらに我々は驚かされる。なんとSMの女王様がその女優さんの墓石に対して鞭で打ち、ろうそくも垂らすという罰当たりな撮影を行ったのだ。つまり、SMの対象がその女優さんの墓石だったわけだ。このビデオはもちろん日本ビデオ倫理協会の審査にはねられ、世に出ることはなかった。
開いた口がふさがらないとはこういうことかと思わされた。さすが封印された、と銘打つだけのことがある。
不思議なもので、「封印された」なんて銘打たれるとその封印を解きたくなるし、読みたくなる。パンドラの箱を開けたくなる気持ちはわかるが、軽い気持ちで読むとまちがいなく後味の悪い読後感が残るだろう。強い好奇心と強靭なハートを持っているひとはチャレンジしてみるといいのではないだろうか。