追い詰められていく、一頭の紅い生物。重厚な鱗が、三機の戦闘機の放つ弾丸によって、少しずつ削りとられていく。気が付くと、戦闘機の放つ弾丸に匹敵する勢いで、雨が降り始めていた。
表皮も、破壊者としてのプライドも、ズタズタに引き裂かれてゆく。だが後者は、最早生物にとってはどうでもよいことであった。今は、それ以上に大切なもの、守りたいものがあった。何としても、憎たらしく周りを飛び回る三頭の鷹を、追い払いたい。ある機体の真横に並び、翼で払うように殴りつける。また、空中で全身を捻り、反動をつけた尻尾での一撃を見舞う。しかし、さすが精鋭部隊の機体だけあり、耐久性が非常に高く、態勢を崩すのが関の山であった。三頭の鷹は、即座に編隊を組み直し、安定し、隙の無い戦略で、生物を攻め立てた。次第に《トライホーク》は生物の動きを学び、一方的な優勢へと転じていった。勢いをつけようと身体を捻り続けると、他の機体が撃ってくる。また、ある機体を狙い、上から両脚で踏みつけようとすると、これまた他の機体により撃たれる。生物は防戦一方となった。接近すると撃たれるので、最早回避し続ける以外になくなったのだ。しかも、弾丸を食らいすぎ、動きも鈍くなってきた。これを狙い、ついに戦闘機はミサイルを放ってきた。生物は一発を回避するのに十二分の力を振り絞った。直撃すればただでは済まない。このままではやがて撃ち落とされ、止めをさされるだろう。しかし、どんなに劣勢になろうとも火炎は使わない。覚悟を決めていた。自らを犠牲にしても、「大切なもの」は傷つけさせない。何より敵の目標は自分だ。そう、このまま自分が犠牲になり、敵を満足させ、それでこの修羅場を終わらせることができるなら…生物は、それでも良いと思った。
しかし、回避した数弾のミサイルが、地面へと激突、爆煙が上がり、ロディは強烈な爆風に吹き飛ばされた。頼りなく吹き飛ばされ、地面を転がる彼に気付き、生物は稲妻の如く速さで上空から地面へと降り立った。ロディが痛みを堪えながら立ち上がろうとする。そこへ、再びミサイルが向かってきた。ロディは音でその気配を察していた。覚悟を決めようとしたが、それよりも早く、巨大な何かがミサイルを打ち据え、方向を変えられ、離れた地面へと激突、爆音と同時に煙が上がった。生物が身体を回転させ繰り出したテールスマッシュにより、ミサイルからロディは守られた。そのことに気付くよりもまた早く、ロディは、周りを何かに覆い被せられた。生物が両翼をドーム状に展開し、彼を弾幕から保護している。しかしこのことは、生物にはもはや動く意思が無いことを示していた。ここぞとばかりに、三頭の鷹は、一斉に撃ってきた。シャワーのように降り注ぐ弾丸が、生物の全身を貫き、引き裂いてゆく。激痛が身体を突き刺していくが、身動ぎ一つしない。先程まで立派だった角は完全に削りとられ、翼はボロキレのように引き裂かれ、尻尾は皮一枚でつながり、もはや切断される寸前であった。
ロディの家は既に廃墟と化し、羊達も一匹残らず撃ち殺されていた。それでも紅い生物は、自らの命の灯火が燃え果てるまで、彼を守り抜くつもりであった。だがその意思とは裏腹に、ロディは翼の砦の中で、生物の腹部にしがみつきながら、泣き叫んでいた。轟音のため、何を言っているのかはっきりとは聞き取れなかったが、どうもこういったことを言っているらしい。
「お願い……もう、いいから!僕のことはもういいから……止めて……止めてよ…逃げて………じゃないと……君が………君が…………死んじゃうよ!」
生物は聞く耳もたなかった。お前が死んで、自分が生き延びて、それで良いわけがない。いいから黙って、自分が息絶えるまで待っていろ、そう思った。が……
気配を感じた。ロディが生物の腹部に顔をつけ、何かを囁いた。あくまで気配だが、笑っていたような気がする。そして次の瞬間、ロディは翼の砦を内側からこじ開け、弾丸の雨とリアルの雨が降り注ぐ外部へと飛び出した。生物は気付くのが一瞬遅く、次に見た光景は、ロディが全身を撃ち抜かれ、壊れた人形のように地面に倒れこむ様子であった。生物は即座に右の翼を前に伸ばしロディへと伸ばそうとするが、手遅れであった。そして次に気付いた時には、いつ放たれたのか、ミサイルを顔面にくらい、下顎を完全に粉砕されていた。生物の肉と骨を焼き、爆煙が上がる。これに態勢を崩され、一斉に放たれたミサイルを全身に受けた。巨体が、爆煙をあげながら大きくしなり、衝撃に揺られた。脇腹と右後脚が消滅してゆく。ゆっくりと地面に倒れこむ。大きな音が鳴り響き、下顎を失った頭部がバウンドしながら地に伏せる。薄れゆく意識の中、今際の際に、生物はある光景を垣間見た。
まるでモノクロの映画を見ているようだ。古代文明の街並。夕焼けが見える。鉄の槍に身体を串刺しにされ、そびえ立ち、左右を果てまで貫くかのような城壁に巨体を凭れさせている。血が傷口から滝の勢いで流れ出している。力が抜けていく。周りには武器を持った人間共。
殺される…
と思った瞬間、人間の群の正面に並んでいた者達を、灼熱の業火で焼き払っていた。人間共で作られた脆い壁の表面が煙になっていく。だがその後から怯むことなく、人間共が斬り掛かってきた。こちらが瀕死だと踏んでなめきっている。
ナ メ ル ナ……!
身体を貫く槍のせいで自在に動けない。それでも顎は人間を噛み砕いていく。尻尾で薙ぎ倒す。傷口から炎と煙が、血液と共に吹き出す。
殺す。殺す。徹底的に殺す。燃え散れ、灼き尽くしてやる。
我を忘れて火炎を吹き上げた。
何だ、何かがこみあげてくる。血湧き肉躍るとはこのことか。興奮、愉悦、達成感………いや、少し違う。この感覚は……そう、快感だ。自らの存在意義。虐殺、殺戮、粛清、破壊、略奪……殺し!我らそのものではなかったか。我らは滅びの化身。荒廃を齋す一族。責務を果たさねば。しかし、それだけか?
我らの牙、爪、翼、尾、そして火炎の息吹。殺しを迅速かつ効率的に遂行するためのツール。しかし、それだけの為にあるのか?
我らがほんの少し首を動かすだけで、死に絶える人間共。一息火炎を吹き付けるだけで面白いように焼け焦げてゆく。救いようのない弱小にして卑小なる種族。そんな連中が世界ではばをきかせているとは、考えただけで虫酸が走る。一人残らず始末してやりたい。だが、本当にそんな理由で、始末してしまってよいのか?
彼らは確かに弱い。だが、弱いというのはそんなに悪いことなのか?
では、強いとはどういうことだ?力があるというのは、それ程までに偉大なことなのか?私は強いのか?人間より?だが、君よりはどうだ?
…君とは誰だ?
私より強きもの?しかし君は人間。人間は……だが、君は……私を、大切だと……なぜ?
私が役に立つのか?何のメリットがある?何、違うのか?では、一体……
何だ、これは……君は私を必要とする。私は君を…………しかし、君は私の役に立たない。何のメリットがある?それでも私は………君といたい。君を………ま……も……
気付いた時には、目の前に、降り注いだ雨水に血を滲ませ、少年が横たわっていた。自分は意識がほとんど無い状態で、目の前はかすみ痛みを殆ど感じない。恐らく全身は見るも無惨な姿をしているのだろう。だが、もうどうでも良かった。これで終わりにするのだ。戦闘機が最後のミサイルを放ってきた。これで楽になれる。諦観の念が生物を支配した。が、ロディの最後の囁きが、突如、頭をよぎった。
「ありがとう、守ってくれて。でも、君は生きて。お願いだから」
そしてまた、ある光景が目の前に広がった。あたり一面、黒と赤と紫でうねり、不気味をそのまま風景にしたような場所であった。自分の足元には、数えられない程の人間の屍が積み上げられ、山となっていた。自らが殺害した人間どもだ。生物にはわかった。彼らは血に塗れ、怨念のこもる眼で、一斉に紅い生物を見た。屍達が動きだし、生物にまとわりついてきた。振り払う気は起こらなかった。
「そうか…私には、君と共にいる資格など、無かった……」
このまま呪いにとり殺され地獄に堕ちるのだ。数多の人間を殺害してきた自分が、たまたま、自分を必要だと言ってくれた人間と共にいられるなど、そんなムシのいい話があるか。屍達に全身を覆い被せられようとした次の瞬間、何かが聴こえてきた。
「…♪煌めいたこの夢 届けたい その時までは 強く 抱き締める 歩いたあの道は 雲を抜け 真実(まこと)の愛を もたらすはずさ♪…」
見覚えのある少年が歌う。目の前で、楽器を奏でながら。屍達が、龍の身体を隈無く覆い尽くそうとしている。最後に、まだ外部にさらされていた眼が、覆い被せられようとした時、龍は翼を広げた。天無き天を見上げる。絶望の世界で。
「私には……君と共にいる資格など、無かった。だが、それでも……私は……君を……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………守る!」
ミサイルが生物を直撃する。凄まじい轟音と爆煙が上がった。《トライホーク》のパイロット達は、任務を達成した余韻に浸った。が、次の瞬間、紅の閃光が視界全体に走った。オレンジ色の発光体が、紅い生物の存在した場に発生した。そして、何かが形づけられ、煙の中から禍々しいオーラを放ちながら、それが姿を表した。流木の如く歪曲した角はさらに鋭く、内側と外側にうねり、より巨大になった全身は、翼も脚もよりスマートで、頭部はまるでシャレコウベのような灰色で、禍々しくなっていた。その頭部には右側に二点、左側に二点、紅い水晶の如き発行体が付いている。眼だ。最早生き物の眼ではない。全体的に、紅に黒が混ざったような色で、さらに、それまで存在しなかったはずの《前脚》があり、翼も大小計4枚となり、その姿は、龍というよりは悪魔そのものであった。その翼の模様は紅と黒が不吉に入り交じり、地獄の光景をそのまま描いたような様であった。《トライホーク》のパイロットが、驚きの余り我を忘れ、いざ攻撃に転じようとした瞬間、青い火球が複数飛来してきた。二つの機体を直撃、一瞬で煙を上げ燃え上がった。跡形も無く蒸発してしまった。さらに最後の一機が逃げようとすると、新たなる龍が一瞬で追い付き、その戦闘機の翼が両前脚でつかまれ、パイロットがコックピットから上を見上げた。殺戮龍の恐ろしい形相を見るやいなや、軍本部へと通信を行った。
「こちらTH-03!隊は敵の攻撃により壊滅!至急増援を………」
パイロットが通信を終了するまでに、機体はバラバラに引き裂かれ、爆発、炎上した。
細い脚をダラリと下ろし、四枚の翼で上空を羽ばたいている。龍は気付いた。前方遥か彼方から、豪雨の中を突き進んで来る圧倒的な気配に。
龍の身体の五十倍はあるかのような巨大戦艦。暗闇の中をライトで照らしながら接近してくる。龍の存在を察知したようだ。次から次へと、戦艦の後部から戦闘機が溢れ出てくる。
瞬く間に、殺戮龍は大量の戦闘機に包囲された。少なく見積もってもその数は百機を下らないだろう。闇を鋼の鳥達が覆う。雨がさらに激しさを増してきた。緊張が満ちる、漆黒の大気を貫く雷鳴。稲妻が地面を掻き回していく。一頭の殺戮龍と、鋼の鳥の群。睨み合うこと約五分、膠着を破ったのは、巨大空母艦の副砲による砲撃であった。
鈍い軌道を描く弾。その砲弾を楽に回避した後、戦闘機が一斉に砲門を開いた。戦闘機の包囲網の中を掻い潜りながら、巧みに弾丸を回避していく殺戮龍。群の中を突っ切る。そして連鎖的に発生していく、正体不明の爆発。
両前脚の先端から伸びる、三日月の如く伸びる四本の鉤爪。戦闘機にすれ違う瞬間、その死神の鎌の束で斬り付ける。身体を高速で回転させながら飛び回り、一瞬で複数の機体を斬り裂く。不用意に距離をとろうとした機体は、青い火球を吹き付けられ、灰にされた。
覚悟を決め、機体ごと殺戮龍に突進しようとするものがいた。殺戮龍は至近距離を通り過ぎようとしていた別の機体を、両前脚の鉤爪でコックピット付近を突き刺し捕らえ、向かってきた機体に対し盾にするように構えた。衝突し、炎上する二つの機体。
殺戮龍に未だ傷は無い。鬼神の如き暴風を止められるものは、誰もいなかった。